明日するキスのための小品集

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  •  いつ、彼を好きになったのかは覚えていない。はじめはただの近所の男の子。ほぼ毎日のように顔を合わせていたら目が合うだけで自然と笑みがこぼれるようになって、いつの間にか彼のことを異性として意識するようになった。
     彼の気をこっちに向かせたくなって私のことも私が思うのと同じように意識してほしくなって。気づけば、ずっと彼のことを見ていたいなって、そう思うようになっていった。
     私たちは家が近くて俗に言う幼馴染の私と寿は生まれた時からずっとお互いの成長を一番近くで見てきた。おなじ幼稚園からはじまり、小学校、中学校、そして今ではまさかの高校までもが一緒という世界線にいる。

     いつ、寿を好きになったのかは覚えていない。でもこれだけは言える。気づいたらどうしようもないくらいに、好きになっていたってことを。
     ただ私は寿が好きで、それは私が転校して彼と離れ離れになったあとも変わらなかった。
     なのに——せっかくまた再会できてもやっぱり寿は私を、幼馴染としてしか見てくれなかった。

     寿の卒業式が目前に迫ったあの日——あの海で転校すると私が伝えた日の帰り道に、まさに数年振りに向こうから手を繋いでくれた。その行動こそが言葉はなくても「俺も同じ気持ちだ」ということを伝えてくれたのだとばかり思っていたからこそ私を未だにただの幼馴染としてしか扱ってくれない彼に苛立ち、どうしてなのかと戸惑った。卒業式に、どういう意図で第二ボタンをくれたのかなって。やっぱり、私の片想いなのかなって。

     湘北高校に転校してきてから日は浅いけれど、一緒に帰ったり連絡先だって交換した。でも寿はやっぱり私を幼馴染以上には見ていない。その証拠に保護者のような扱いはされるけれど、そこに恋愛感情みたいなものは一切感じなかったから。
     そんな中、転校してきた直後にやたらと学校で声をかけてきた、隣のクラスの男子と最寄り駅でばったり会いそのまま家まで私を送ってくれると言われた六月上旬——バスケ部の練習が終わって寿が帰ってくるであろう夜の八時過ぎ。私を家の前まで送ってくれた彼から「少し話さない?」と持ちかけられたので私はそれを了承し、自宅前でとりあえず適当な会話を交わす。
     この光景を見て寿がどう出るか——ただ、その反応が見たかっただけ。寿の動揺する姿を。それ以上でも、それ以下でもない。だから相手は彼じゃなくてもよかった。誰でもよかった。はっきり言ってしまえば、偶然彼が私の突拍子もない思いつきの犠牲になっただけの話なのだ。


    「学校で声かけても迷惑そうにしてたからさぁーちょっと傷ついてたんだよねー」
    「あはは、ごめん。実は私、人見知りでさ」
    「え!そうなの?宮城なんかと一緒にいるから、てっきりギャル系かと思ってたのに」

     会話の途中でこっそり携帯電話の時計で時間を確認してから約十分が経過したころ、道の向こうから見慣れたシルエットの男子高校生がこちらへ歩いてくるのが見えた。私はちらっとそれを横目で流し見てまた何食わぬ顔で会話を続ける。作り笑顔が相手にバレていなければいいななんて思いながら。
     てか、ギャル系って……今どき、そんな言い方する人いたんだ。リョータくんって、ギャルっぽい子と絡みあるっけ?そういうイメージなかったけどなぁ。

    「今度さぁ〜、映画でも行こうよ。オレ見たいのあんだよねー」
    「なに?実写版ウルトラマン、とか?」
    「あれおもろいの?まぁでも、それも話題作りにいーかもね」
    「ん?話題作り?」
    「うん!オレ、名字さんと映画行ったって周りに自慢すんだー!」

     ……ほんとにくだらない会話だ。こんなの相手が私じゃなくても誰とでもできるだろうし。てかきっと誰とでもしているんだろうな。だって確かこの子っていつも違う女の子と下校してるよね?とか考えていたら、その見慣れたシルエットが、私たちの前を通り過ぎて行った。相手はやっぱり予想通り、幼馴染の寿だった。寿はこっちを見向きもせずに少しばかり早歩きでスタスタと目の前を歩いていく。まるで、私の存在にすら気づいていないみたいな素振りで。

    「映画見たあとプリクラでも撮る?女子って好きっしょ?プリクラ」
    「あー......どうしようかな、考えとくね」

     何も反応ナシか。ほら、可愛い可愛い幼馴染がどこの馬の骨やら分からないメンズと映画に行っちゃいますよー!……ってもう聞こえてないか。あーあ、つまんない。もう家の中に入ろうかなぁと思って小さくため息を吐いたとき急に目の前にいた男子が私の腕をぐいっと強引に引いたので私は驚いて「えっ?」と声に出し目を見開く。

    「つーか俺さ、何でこんな時間までここにいたと思う?」
    「え……えーっと……」
    「名字さんと一緒にいたいからだよ?」
    「……」

     ぎゃー!!キモい!触んなっ!なんだコイツ。かっこつけてんのか?これがかっこいいと思ってんのか?!しかもプリクラとか全然あんたと撮りたくないんですけど!?とか何とかとても表には公表できそうにない言葉を、脳内で駆け巡らせていたら、突然耳元で「ねえ、いーっしょ?」とか囁いてきた相手に悪寒が走り思わず「ひぃ!」と声をあげて目を瞑った、その瞬間——

    「——いででっ!」

     急にその気持ち悪い系男子が呻き声を発した。なにかと思って目を開けると私の幼馴染——寿がその同級生の私を掴んでいた方の腕を、凄い力で握っていた。耳をすませば、メリメリとか、バキバキとかいう音が聞こえてきそうな勢いで。ただでさえ背の高い寿が腕を掴んで、しかも目つきを鋭くして見下ろしているのだから、それだけで、ものすごい威圧感だ。
     ぐにゃりと曲がった同級生の腕が私の位置からも見えて骨が折れてしまうのではと思いさすがに私も焦りはじめるが一瞬にして色んな出来事が起こってしまったので声を出そうにも出てこない。

    「な、なんだてめえ!」

     同級生が声を上擦らせながら叫ぶ。しかし私はこんな状況下にも関わらず、近所迷惑になるからもう少し声のボリュームをさげていただきたいと思ったりしていた。まぁ、もう遅いだろうけど。

    「静かにしろぃ、近所迷惑だろーが」

     寿が低い音でそう呟いたので、背中がぞくっとした。はじめこそ、本当に実写版ウルトラマンが登場したのかとも思えたがその殺気に満ちた声を聞いた瞬間、正義のヒーローというよりも敵役の方がしっくりくる気がした。それくらい今の寿は声のみならず表情からも、まるで、人でも殺めてしまいそうなほどに、殺気が分かりやすくもダダ漏れ状態だったから。

    「離せよ!なんなんだよ、てめえ!」
    「あン?てめェこそ何だよ、誰だテメェ」
    「つか、男いたのかよ!だったら誘いに乗んなよなっ!」
    「え。さそ……、は?」

     あ、ごめんね。寿の嫉妬とも取れる怒りに満ちた声に私の耳が喜んでたわ。あなたの存在なんか忘れてたよ。なんてことをストレートに言うわけにもいかず、ぼけっとしている私に舌を打ち鳴らして、同級生の彼は寿から手を振り払い、その場から走り去ってしまった。
     ……なんなのアイツ。そもそも自分の帰り道と逆なくせして駅で待ち伏せしてたのはどっちなんだっつーの!まあ、いいけど。ただ明日からちょっとめんどくさいなぁ。とりあえず、嵐のような瞬間だった。

    「……」
    「……」

     二人きりになった空間で私は寿のことをじっと眺めていたけれど寿はそのままプイッと顔を背け無言で自宅の方へと爪先を向けて帰ろうとするので私は咄嗟に腕を伸ばし、くいっと彼のボストンバッグのショルダー紐を引っぱった。背を向けたまま足を止めた寿が不機嫌のまま「……何だよ」と呟く。

    「待って」
    「なんで」
    「なんでじゃないでしょ、どうしてくれんの」
    「なにが」
    「フラれたじゃん」
    「……はぁ?」

     寿はくるりとこちらを振り向いた。私は掴んでいたショルダー紐から手を離す。寿とようやく、目が合う。けれどすぐに寿は、眉間に皺を寄せて明らかに不機嫌な声色のまま言った。

    「……おまえ、ああいうの好きだったか?」
    「——あっ、ああいうのってなに、失礼じゃん。かっこよかったじゃん、顔は。多分、きっと。」
    「顔だけな」
    「……」

     寿の表情は、眉間に皺を寄せてはいるものの、一切崩れない。どちらかと言えば、無表情という感じだ。だけど、ちょっとツーンとした顔。

    「ご苦労なこったな。転校してきて早々、男漁りかよ」
    「なにその言い方。ほんと心外なんだけど」
    「そうだろうが。——で?あれが彼氏候補か?」
    「……さぁ、どうだかね。」
    「ったく。連絡無しに勝手に帰るしよ、んで家の前で制服のまま男とくっちゃべってて危ねェ目にあってりゃ世話ねーぜ」
    「保護者か!別に、寿と帰る約束なんかしてないじゃん」

     昔は毎日のように顔を合わせていたから、彼のほんのちょっとの表情の違いもわかったのに今はもうわからない。すこしのあいだ会えなかったのだけが理由じゃないだろう。たぶん、大人になりすぎたのだ。

    「まぁ、おまえは面食いだもんなァ?昔から」

     寿は皮肉っぽく呟く。そして自嘲するかのようにわざとらしく「へッ、」と言って鼻で笑った。まるで私の好きな人が昔から自分で、その自分がかっこいい部類だとでも言いたげに。

    「悪い?」

     私は語調を強めた。寿がじっと私を睨む。それに対して私も負けじと睨み返す。震え出しそうになる左手を背中に回して、ちょっと気負けしそうなのを、バレないようにして。だって、バレたら悔しいから。どうせ馬鹿にされるから。

    「寿が悪いんじゃん。だったらあのとき、思わせぶりな態度取らないでほしかったよねーほんと」
    「……は?あのとき?」
    「だから!私が転校するちょっと前に——」
    「……」
    「はぁ……。もういいよ」
    「あ?なにがいいんだよ」
    「寿なんかもういいって言ったの」

     ちょっとむくれた感じで唇を尖らせてプイッと顔を背けた私。しかし、寿からの痛いほどの圧を感じて、また寿の顔をそっと伺い見てみれば私を射抜く勢いで見ていた寿と再度視線がかち合う。

    「……ん?」
    「おまえよ、なんつーか……」
    「な、なに……」
    「前のが良かったわ」

     おまえ——もう私は名前すら呼んでもらえないのか。
     久しぶりに再会したのに、寿はこうして私を「お前」なんて呼ぶことの方が多くなった。前はちゃんと「名前」って呼んでくれていたのに。
     そうだ、もしかしたら彼女がいるのかも知れない。そうだよ、なんでそんな当たり前に有り得る可能性を考えてなかったの、私。バカすぎるわ。

    「俺のあとを、無邪気に追っかけて来てたときが一番良かった」
    「追っかけてって、その言い方——、」
    「面食い」
    「はっ、はぁ……!?」

     寿はそういう人だもん。きっと大切で特別な子がいたら、他の異性なんかに愛想なんか振りまかない。
     どうせ彼女の名前はちゃんと呼ぶんだ。そして彼女の前では油断なく笑うんでしょ。私に向けるみたいな怒ったような顔じゃなくてさ、もっと、優しい眼差しを向けてさ……ああ、わたしたち、いつからこんなふうになってしまったのだろう。私が転校なんかしないで、ずっと側にいることが出来ていたら今頃わたしたち幼馴染から発展してもっといい関係になってた?


    「俺はもう……候補≠ノも上がりたくねーわ」
    「……っ」

     俺はもう≠チて——なに。まるで候補に上がりたかったときがあったみたいな言い方してさ。なにそれ、さっきから聞いてればさぁ、何なのそれ。誰があんたみたいなのを彼氏候補にするか!
    ……って、本当は彼氏候補とかいうものを選べる権利が私なんかにあるとしたら、この世で寿以外には考えらんないんだけどさ。でも、言えない。素直にそう言えないのが私だ。

    「安心して。寿を候補に入れる予定はないから」
    「そーかよ。まァ……俺も入りたくねーけどな」

     あーあ、どうしていつもこうなっちゃうんだろう。もうダメかも。そういえばこういう汚い手口が一番嫌いだったもんね、寿って。
     めんどくさいのも嫌いだし私がわざとこういうことをしたって、きっと寿は見抜いているんだ。だからいつまで経っても幼馴染止まりで子供扱いしかされないんだろうな……どうしよう、勘違いなのに。あんな隣のクラスの名前も顔もよくわかんない人なんか候補どころか好みでもないのに。でも寿の態度を見る限り、取り返しのつかないところまで来てしまったのかも知れないな。
     寿と同じ学校で、楽しくて華やかなスクールライフを送ろう計画が台無しだ。——いや、そんなスクールライフを送りたかったのは私だけだったみたいだけどさ。その事実が虚しいし、悲しい。


    「……ひさ、」
    「じゃーな」

     私が呼び止めるのより先に寿は私に、自ら背を向けた。その冷たすぎる声と流し目に出しかけた声が喉の奥に引っ込んでしまった。
     いつもこうだ。私はいつも素直になれずに後になってから後悔する。天邪鬼もここまでくると、もはや天性の才能だ。
     けど泣いたりしない。絶対に泣かない。だって悪いのは私だから。あぁ、寿が遠ざかっていく。

    「……」

     あの角を曲がって、寿の面影に消える。
     もう、戻らないだろう。せっかくまた会えたのに——だけど寿を傷付けたのは紛れもなく、私。
     愛と呼べるものを、見えなかった糸を、やっと見つけたのに。

    「……っ」

     いま勇気を出して、素直になって、声を張って「待って、行かないで」って、その大きくなった背中に向かって叫んだら寿はまた足を止めて振り返ってくれるのかな。何回だって繰り返し想っていたのに……寿の、面影を——。


     それでも私はやっぱり声を出して叫んで呼び止める勇気は出ずにそのまま自宅の中へと入った。
     夕食をお父さんと食べていたとき、お父さんは外で話し込んでいる相手を寿だと思ったと言っていた。ほんとにそうだったら、どれほどよかっただろうか。

     食べ終えた食器を洗ってお風呂を済ませて髪を乾かし、自分の部屋に入ったときマナーモードのままになっていた携帯電話が着信を知らせるように、小刻みに震えていた。携帯電話の小窓で着信相手を確認した私は、急いでその電話を取る。

    「——もしもしっ!? 寿……?どうしたの、」
    『あ、いや……さっきのこと、謝りてーなって』

     その気まずそうにも優し気な声と言葉に、胸がきゅんとなると同時に、涙が一気に溢れてくる。あんなに泣かないって決めたのに、寿がこうして優しい声で、いつも先に折れてくれるから。
     私はいつだって素直になれなくて、寿に甘えてばかりで、我が儘で……。だからいまは頑張って素直になってみようって思うよ。

    「ううん、私も。ごめんね。」
    『や——さっきのは俺が悪かったわ、マジで」
    「あの、寿……わたしね、」
    『わーってるよ』
    「え……?」
    『ぜんぶ、わかってっから』


     ——言葉を辿って記憶を辿ってみると、何年も経ってしまった思い出も、全然色褪せていないなって思うの。
     何年も忘れていたこと。そう、また寿と出会うこと。寿との、恋と——出会うこと。

     寿がそばにいてくれたら、いつもの明日だって色を変えるんだ。目が合うだけで、笑みがこぼれちゃう毎日を送れるの。だから、ずっと見ていたいよ、寿のことを。

     きっと寿以外、もう出会わなくていい。夢でも未来でも、このままで居させて欲しい——。









     空白 の時間へ、伝えること。



    (なぁ……名前、)
    (ん?)
    (明日話してえことがある。だから部活見に来いよ——で、一緒に帰ろうぜ)
    (……うん、わかった。必ず、部活見に行くね!)


    ※『 面影/Novelbright 』を題材に。

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