いつ彼女を好きになったのかは覚えていない。はじめはただの近所の子。ほぼ毎日のように顔を合わせていたら目が合うだけで嬉しくなって気がついた頃には彼女のことを、異性として意識するようになっていった。
 小学校に上がったあたりから無意識に彼女の気をこっちに向かせたくなって俺のことも俺が思うのと同じように意識してほしくて、ずっと彼女のことを見ていたいと思うようになった。


「三井サンどしたの?キョロキョロしちゃって」
「へっ!?あ……いや。なぁ宮城、おまえ今日よアイツと一緒に体育館に来たんじゃねェのか?」
「ん? あいつって誰スか?」
「——だっ!だから……あ、アイツだよっ」
「……あー!名前ちゃん?いやぁ?今日はヤスと来たスね」
「……ふうん、あっそ」

 俺たちは家が近くて俗に言う幼馴染の俺と彼女は生まれた時からずっとお互いの成長を一番近くで見てきた。おなじ幼稚園から始まり、小学校、中学校と。そして今では、まさかの高校までもが一緒という世界線にいる事態。
 俺が高校に入学するのと同時期に県外に転校して行った彼女が俺と同じ高校——この湘北高校に転入してくるなんて夢にも思っていなかったので今でもまだ彼女との距離感が上手く掴めていないというのが正直な気持ちだ。

 いつ名前を好きになったのかは覚えていない。でもこれだけは言える。気づいたらどうしようもないくらいに好きになっていたってことを。
 ただ俺は彼女が好きで、それは彼女が神奈川を去り、離れ離れになったあとも変わらなかった。
 なのに——せっかくまた再会できてもやっぱり彼女は俺を幼馴染としてしか見てくれなかった。


「——あ!おいっ、彩子!」
「ん?……はい?なんですか、三井先輩」
「今日、アイツは?」
「アイツ?……誰ですか?」
「彩ちゃん。名前ちゃんだよ、三井サンの愛しの名前ちゃん♪」
「あぁ〜!愛しの♡ね?そう言えば見てないですねー。どこ行ったのかしら」
「何だ愛しのって……まあ、そうか。わかった」

 武石中——俺の卒業式が目前に迫ったあの日、あの海で転校すると言われた日の帰り道、まさに数年振りに彼女と手を繋いだ。多分、小学生とかそれくらいぶりに。ちょっと無理やりな感じではあったが特に抵抗をしなかった彼女の反応こそが言葉はなくても俺と同じ気持ちだと思ってくれているのだとばかり思っていたからこそ久しぶりに再会してもなお、俺を未だにただの幼馴染としてしか見ていない彼女に苛立ち、戸惑った。
 実は、彼女の母親の命日が近づくたびに偶然、家の前で出くわさないかと期待していなかったかと言えば嘘になる。それでもあの時の俺は親不孝なことばかりしていたから神様も見放したのか、彼女と偶然に会うなんて奇跡は、一度だって起きなかった。

 彼女が湘北に転校して来てからは、携帯番号も交換し、連絡はほぼ毎日と言ってもいいほど取り合っている。しかも一緒に下校もしている。——が、ぼけっとしていたら「彼氏ができました」なんて展開になっても不思議ではない。そう思うと少しばかり焦りはあるものの、彼女と幼馴染≠ニいう枠からどうしてもあと一歩、踏み出す勇気が持てなかった。
 それに今は恋愛なんかに現を抜かしている場合でもない。一分一秒でも早くバスケの感覚を取り返さなければならないのだ。でも——あの笑顔を俺の知らない誰かに向けられていると思うと……なんつーか、こう……心の奥がぎゅっと締め付けられるような何とも言い難い気分だった。


「そう言えばさー、やっぱ今日は名前ちゃん見学しに来てなかったスねー」
「あ?……先に帰ったんだろ?興味ねーよ」
「ふーん?」
「……ンだよ」
「興味ねーよ=c…ねぇ?」
「おまえ、ホントうぜーよな」

 部活終わりの部室で着替えを済ませ携帯電話を開いてメールの問い合わせをしている俺をジト目で見てくる宮城を睨みつけると宮城は何か言いたげに口笛を吹きながら自身の着替えをし始めた。

「てか三井サンってさ、メール問い合わせなんてすんだねー。なんか意外ー」
「は?しねーの?するだろ、問い合わせくらい」
「うーん。なんてか、女の子みたい♡」

 自分で言ってヒャハハ!と高らかに笑っている宮城に舌打ちをして俺は携帯電話を閉じた。
 メールは届いていないようだったし不在着信も特になかった。思わず小さく出てしまった溜め息を目敏く見ていた宮城が鼻で笑ったのを見て見ぬふりをして俺は、さっさと部室をあとにする。
 こんな厄日に宮城の野郎なんかと一緒に帰ってしまった暁には帰り道が別れる瞬間まで揶揄われそうだったので追いつかれないよう少し早歩きで駅に向かった。
 宮城が追いかけてくる事態を間逃れ、安堵してホームで電車を待っているとき、徐に携帯電話を取り出してバスケの見学に来なかった幼馴染宛にメールを打とうと、新規メール作成の画面を開き文字を打ち込む。——何で部活見にこなかったんだよ?=c…いや、ダメだな。今部活終わった。何してんの?=c…いや、これもなんか違うよな、彼氏みてーだし、と頭を抱えながら何度も打ち込んだ文字を消しては打ち直すという作業を繰り返していたら突然「みっちー?」と背後から声がかかったので、後ろを振り返った。

「水戸?」
「どーも。部活帰り?お疲れさん」

 俺の隣に並んでへらりと眉を下げて労ってくる水戸につい吃ってしまい「お、おう」と、歯切れ悪く返したら水戸が「バイト帰りでさ?」などと率先して会話を繋げてくれたので、ほっとする。水戸と二人きりはどうもまだ慣れない。そもそも慣れる必要もないんだろうけど。

「あれ?今日は名前さんと一緒じゃないんだ」
「あ、ああ。今日は見学も来てなかったからな」
「へえ。そんな日もあるんだな。意外」

 ……やべェ。会話途切れちまったわ。でも今の流れって特に何かを返す感じじゃなかったよな。え、わかんねーよ。どうすればいいんだ……?
 あー早く電車来ねーかなァ……なんて心の中で独り言を呟いていたら水戸が「あ、そう言えば」と何かを思い出したみたいに、ぽつりと言った。

「今日の掃除の時?名前さん、同級生に言い寄られてたなー。結構めんど臭そうな奴だったぜ」
「あ?女か?」
「いや、メンズ。」
「メ——ンズ、って……あ、あそ。まあ、あるんじゃね?そりゃあ学校いたら男子も女子も同じくらいいるからな、そりゃあるだろうよ、そりゃ」

 やや早口になった俺をきょとんと見ていた水戸が突如「ぷっ!」と吹き出す。そして「急にめっちゃ喋るんだな」と言ってクツクツと笑い出したので、それに面食らった俺はどうすることも出来ずにぐっと押し黙ってしまった。続く言葉が出てこない俺を横目に、人差し指で涙を拭った水戸が「でも——」と、先に言葉を続ける。

「そのあと声かけてさ、バスケ行かないのかって聞いたら迷ってるとか言ってて」
「……」
「私、彼女とかじゃないし、見てて嫌に思う子がいたら悪いなって……とか言ってたな」
「……」
「とは言っても結局は見に行くんだと思ってたから、みっちーが一人なの見つけて驚いてさー」
「——なあ、水戸」

 気づいたらそうやって水戸の名を呼んでいた。水戸が不思議そうに俺の方に顔を向ける。これはもう「やっぱ何でもない」とは言えない状況だ。俺は深呼吸をして水戸に視線を合わせて聞いた。

「俺らってよ、どんなふうに見える?」
「俺ら?……ああ、名前さんと?」
「ああ」
「うーん。そうだなァ……おさな、なじみ?」
「……だよなぁ」

 当たり前すぎる返答に思わずまた溜め息を吐いてしまう。水戸はそんな俺に対してハハハと浅く笑っていた。その姿を流し見て俺は、水戸相手になんつー質問をしてんだという気持ちとやっぱり知った奴の中でも一番大人びているこいつがそう言うのだから俺とアイツは幼馴染以外の何物でもないのだろうという悲しすぎる現実に結構のダメージを食らった。これじゃあまるで——体育館でこいつに殴られたあの時と何も変わらねーつの。

「——嘘。」
「あ?」
「恋人同士に見えるよ」
「……」
「……って、言って欲しかったんだろ?」

 涼しい顔でサラッとそんなことを言って退けるもんだから安定で言葉に詰まってしまう。そんなめちゃくちゃ気まずすぎる空気を破ったのは俺の乗る電車が到着したらしい気配だった。さっさと乗り込んでしまおうと思っていた矢先、水戸が反対側の電車に乗るとかで先に「じゃ」と軽く手をあげて俺に背を向け反対側の電車の方へと行ってしまった。俺もとりあえず到着した電車に乗り込み、もう一度携帯電話を確認してみたがやっぱり彼女からの便りは一通も届いていなかった。


 恋人同士に見えるよ


 水戸に言われた言葉が頭の中で何度も繰り返される。でもアイツは——やっぱり俺を幼馴染以上には見ていないと思う。その証拠に昔と同様、兄貴のように慕ってはくるけどそこに恋愛感情みたいなものは、残念ながら一切感じなかったから。

 最寄り駅に着いたのは、夜の八時過ぎだった。バスケ部に復帰してからというもの、気づけばいつもこんな時間帯に帰宅する生活を送っている。
 家に帰って飯を食って風呂から上がれば「勉強したの?」なんてご丁寧にも毎日のように口煩く聞いてくる母親にげんなりしながらも自分自身、部活に勉強……ちゃんと高校生らしいことしてるよな、なんて思って今はちょっと嬉しくなったりする。それをこの前名前に言ったら「寿って意外と昔からいい子ちゃんなんだよねー」と笑って馬鹿にされた。意外とってなんだ、意外とって……バカにすんじゃねェつの。ほんと腹立つ奴だぜ。

「……」

 慣れていたはずの独りきりの帰り道が、何だか少しだけ寂しく感じる。話し相手がいないとこうも心細くなるもんなんだな、と改めて実感した。
 電話……かけてみっかな、なんて考えあぐねていた矢先、名前の自宅前に二つの人影が見えたので、足は止めず目を細めて、その影をじーっと見据えてみる。

「今度さぁ〜、映画でも行こうよ。オレ見たいのあんだよねー」

 ——!? は?誰だよそいつは。もしかして、さっき水戸が言ってた面倒臭そうな同級生って、そいつのことか……?

「なに?実写版ウルトラマン、とか?」
「あれおもろいの?まぁでも、それも話題作りにいーかもね」

 ——ぅおい、オイオイ……ちけェよオイ!!名前も名前だぜ。なんでそんな距離ちけーんだよ、明らかに近すぎだろ。離れろ離れろ。
 ……つーか、なんか心臓がギュンってなった。これ、なんなんだ?と自問自答しながらも表面上は平常心を装い、素知らぬ振りをしてその二人の前を通り過ぎる俺の姿を今この場でスカウトマンが見たならば、きっと俺は将来、俳優にでもなれるだろう。

「ん?話題作り?」
「うん!オレ、名字さんと映画行ったって周りに自慢すんだー!」

 映画見たあとプリクラでも撮る?とかなんとかほざいている野郎の声を聞き捨てながらも思わず足を止めそうになったのを、気合いで乗り切り、ただひたすらに自宅へと歩みを進める。

「あー......どうしようかな、考えとくね」

 おいおいおい!何マジで映画に行こうとしてんだよっ!!と、口から出そうになるのを抑えて、更に早歩きで足を進めていると「えっ?」と少しばかり声を張った彼女の声に反応してついに俺の足がピタッと止まった。

「つーか俺さ、何でこんな時間までここにいたと思う?」
「え……えーっと……」
「名字さんと一緒にいたいからだよ?」

 そんなふざけた言葉が、はっきりと耳に入って来た瞬間、俺は勢いよく踵を返して振り返った。そのとき目に飛び込んで来た光景——どこの馬の骨かも分からねえ野郎が俺の大切な幼馴染≠フ耳元でなにかを囁いている姿に、一気に頭に血が上った。俺はズカズカと二人の元へと歩み寄り、彼女を掴んでいた野郎のその汚ねぇ腕を思い切り握ってやった。

「——いででっ!」

 メリメリとかバキバキとかいう音が鳴りそうな勢いで握った手に力を込める。昔から握力がある方ではないけれど今の俺ならこんな腕一本くらい容易に折ってやれそうだ。
 ぐにゃりと野郎の腕を掴んだまま、鋭い目線で見下ろしてやれば奴が一瞬、怯んだのが見えた。
 ——ああ、安西先生……このままこいつの腕を折っても許してくれますか?正当防衛ということで、変わらず試合には出してくれますか?

「な、なんだてめえ!」

 野郎が声を上擦らせながら叫んだので「静かにしろぃ、近所迷惑だろーが」と低い音で呟いた時名前がビクッとしたのが目の端に見えた。彼女を怖がらせる気はさらさらなかったが今の俺は残念ながら、すこぶる機嫌が悪い。声のみならず表情から見てもまるで人でも殺めてしまいそうな程に殺気が分かりやすくもダダ漏れ状態だろう。
 大人気ないとは思いつつ、それでも今は怒りの方が遥かに勝ってしまっている。

「離せよ!なんなんだよ、てめえ!」
「あン?てめェこそ何だよ、誰だテメェ」
「つか、男いたのかよ!だったら誘いに乗んなよなっ!」
「え。さそ……、は?」

 ぼけっとしている彼女に舌打ちをして、野郎は俺の手を振り払い、走り去って行ってしまった。
 二人きりになった空間で彼女は俺のことをじっと眺めていたけど途端に気まずくなった俺はそのままプイッと顔を背け無言で自宅の方へと爪先を向ける。
 しかし、歩き出そうと一歩足を踏み出した瞬間くいっと俺のボストンバッグのショルダー紐が引っぱられたことで「うおっ」なんてダサい声が出たが、それでも背を向けたままで足を止めた俺は未だ不機嫌のまま「……なンだよ」と、ぶっきら棒に返す。

「待って」
「なんで」
「なんでじゃないでしょ、どうしてくれんの」
「なにが」
「フラれたじゃん」
「……はぁ?」

 そんな聞き捨てならない言葉に、俺がくるりと彼女の方へ振り向くと、その弾みで掴まれていたショルダー紐から手が離された。彼女とようやく目が合う。けれど、すぐに俺は眉間に皺を寄せて明らかに不機嫌な声色のまま言い放った。

「……おまえ、ああいうの好きだったか?」
「——あっ、ああいうのってなに、失礼じゃん。かっこよかったじゃん、顔は。多分、きっと。」
「顔だけな」
「……」

 眉間に皺を寄せてはいても一切表情は崩さない。どちらかと言えば無表情という感じだろう。だけどちょっとツーンとした顔だとは思う。
 そう言えば、名前が転校してくる前、まだバスケ部に復帰していなかった、あの暗黒時代に生意気な後輩——宮城と学校の外でぶつかった際にも同じような表情をした気がして、思わず苦笑いをする。

「ご苦労なこったな。転校してきて早々、男漁りかよ」
「なにその言い方。ほんと心外なんだけど」
「そうだろうが。——で?あれが彼氏候補か?」
「……さぁ、どうだかね。」
「ったく。連絡無しに勝手に帰るしよ、んで家の前で制服のまま男とくっちゃべってて危ねェ目にあってりゃ世話ねーぜ」
「保護者か!別に、寿と帰る約束なんかしてないじゃん」

 昔は毎日のように顔を合わせていたから彼女のほんのちょっとの表情の違いもわかったもんだが今はもうわからない。少しのあいだ会えなかったのだけが理由じゃないだろう。多分、大人になりすぎたのだ、お互いに。

「まぁ、おまえは面食いだもんなァ?昔から」

 そう皮肉っぽく吐き捨ててしまった事を言った後に後悔する。本当はこんなことを言いたいわけじゃないのに憎まれ口ばかり叩いてしまうのは、きっと嫉妬しているから。
 もう、自分の気持ちには気づいている。俺は、幼馴染としてではなく名前のことが好きだ。
 久しぶりに会った日、部活中の体育館で彼女の姿を見つけた瞬間の、あの時の気持ちには今さら嘘をつきようがない。そうだ、だから俺はきっと今、拗ねているんだろう。
 そんな自分が情けなくて「へッ」と鼻で笑ったら「悪い?」なんて語調を強めて言われる始末。俺はじっと彼女を睨む。それに対し向こうも負けじと睨み返してきたけれど、震え出しそうになる左手を背中に回したのが見えて負けず嫌いな彼女を思えば、ちょっと笑いそうになる。本当に笑ったら、どうせ馬鹿にしてるんだろとプリプリ怒りそうだったので、笑いを必死に堪えた。

「寿が悪いんじゃん。だったらあのとき、思わせぶりな態度取らないでほしかったよねーほんと」

 突然、予想もしていなかったことを言われて、面食らった俺は咄嗟に「は?あのとき?」なんて腑抜けな返しをしてしまう。けれど仕方がない。考える余地も余裕もなかったからだ。

「だから!私が転校するちょっと前に——」

 急に声を張られたのでぎょっとするが、やっぱあの海で話した日の事を言ってたのかと思った。
 ……ん?待てよ、思わせぶりっつーことは名前も俺が思っていた気持ちとやっぱ同じだったってことか?え、そうだよな?今のって明らかにそういうことだよな……!?

「はぁ……。もういいよ」
「あ?なにがいいんだよ」
「寿なんかもういいって言ったの」

 俺があれこれ考えている間にちょっとむくれた感じで唇を尖らせてプイッと顔を背けてしまった名前。そんな彼女に視線を送り続けていたら念が届いたのか、またそっとこちらを伺い見た彼女と再び目が合う。そのときふと感じた違和感。やけに大人びて見えた彼女の姿にもう俺の知っている幼馴染ではないんだと思ったら、なんだか無性に取り残された気分になった。
 ……当たり前だよな。ほぼ三年間も離れていたんだから。俺がバスケを捨てた頃に、きっとこいつは新しい友達もたくさんできて、転校先で俺が知りもしないような相手から告白なんかもされたかも知れない。もしかしたら、好きな奴ができた可能性だってある。

「……ん?」
「おまえよ、なんつーか……」
「な、なに……」
「前のが良かったわ」

 久しぶりに再会したのに、素直に名前を呼んでやることすら出来ない。なにを恥ずかしがってるんだ、俺は。相手を「お前」だの「てめェ」だの呼んでいた癖が抜けないんだな、きっと。まァ、馬鹿やってたときの後遺症ってところだろう。
 ちゃんと「名前」って呼んでやりたいのに。
出来ることなら目を見て、真っ直ぐに。でも——本当に転校先に彼氏なんかがいたら。もしいなくても、さっきの野郎が本当に彼氏候補かも知れない。だったら俺が、こんなふうに悩んでいること自体、無駄になる。そうだ、こいつは俺なんかとは違う。きっと充実した生活を送っていたに違いない。なんでそんな当たり前な事を忘れてたんだ俺は。自分がアホすぎて反吐が出る。

「俺のあとを、無邪気に追っかけて来てたときが一番良かった」
「追っかけてって、その言い方——、」
「面食い」
「はっ、はぁ……!?」

 どうせ好きな奴の前ではちゃんと素直になって甘えたりするんだろ。んでもってその相手の前ではずっと笑ってんだ。俺みたいに、天邪鬼な事ばっか言う相手なんか好きになるわけがねえよな。こいつの性格を考えたら、優しくて、いつも笑わせてくれる相手を選ぶはずだ。俺に向ける、プリプリ怒ったような顔じゃなくて、もっと柔らかい眼差しを向けてよ。あぁ俺たち、いつからこんなふうになっちまったんだろ。
 もしも……ずっと側にいることが出来てたら。俺から連絡を取る手段でも見つけていたら、今頃俺たちは幼馴染から発展して、もっといい関係になってたか?って聞いたら、名前——お前は、なんて答える?


「俺はもう……候補≠ノも上がりたくねーわ」

 こんな言い方をしたら、まるでさっきの野郎に張り合ってるみたいだ。まあ、実際に張り合ってるんだろう。
 けど——傷つくくらいなら、自ら距離を置く。それで明日から気まずくなろうと関係ねえ。人に興味がないふりだって、今じゃ得意になったし、人から腫れ物扱いされんのには残念ながら慣れてんだよ。
 ただ、本当はこいつの彼氏候補とかいうやつに選ばれる権利が俺なんかに少しでもあるとしたら——つか、この世で名前以外に恋愛感情を抱く相手なんていねーんだけど。でも言えない。素直にそう言えないのが俺だ。

「安心して。寿を候補に入れる予定はないから」
「そーかよ。まァ……俺も入りたくねーけどな」

 ほらな、一番良くない展開になった。あーあ、どうしていつもこうなっちまうんだ。もうダメだわ。こんなんだからいつまで経っても幼馴染止まりなんだろうな……どうすっかな。もう収拾つかなそうだ。
 名前と同じ学校で残り少ない、楽しくて、華やかなスクールライフを送れたかも知れない未来が今この瞬間に潰えた。——いや、そんなスクールライフを送りたかったのは、俺だけだったみたいだけどよ。その事実が重く自分に伸し掛かる。


「……ひさ、」
「じゃーな」

 彼女が呼び止めるよりも先に俺は背を向けた。特にそれ以上は声が掛かってこない様子を背中で感じて俺は自宅へとまた歩き出す。
 いつもこうだ。俺はいつも素直になれずに後になってから後悔する。バスケを捨てたときもそうだった。
 けど、振り返ったりしない。だって悪いのは、いつだって全部、俺の方だから。

 その角を曲がって、名前の面影が背後から消える。——愛と呼べるものを、見えなかった糸を、やっと見つけたのにな……。


 自宅に帰り、夕食を食っていたとき、母親から
「今日も名前ちゃんと一緒に帰ってきたの?」
なんて聞かれたから当たり前にシカトした。その様子を見ていた父親は密かに笑っていたけど。
 飯を食べ終えてから風呂を済ませ、リビングに入るとテーブルの上にあげたままでいた携帯電話が小刻みに震えていた。急いで携帯を手に取った俺の動向を見ていた母親が、「騒々しいわねぇ」とか呟いていたけど、それも無視した。
 俺が着信相手も確認せず興奮気味に「もしもしっ!?」と電話に出ると『あっ、三井サン!』とまさかの、生意気な後輩の声が耳に入ってきて、反射的に舌打ちをしてしまう。

「……何だよ、なんで部活終わってまでお前の声聞かなきゃなんねーんだ、用あるなら明日にしろよな」
『だってさー、三井サン俺の週バス持って帰ったっしょ?』

 後輩からの思わぬ言葉に、え?とバッグの中を見てみると、確かに新刊の週バスが入っていた。「あー入ってんな」と言い返せば、今度は宮城が電話の向こうで小さく舌を打ち鳴らす。

『名前ちゃんじゃなくてスンマセンね』
「——うっせ!明日返すって!じゃあな!」

 『あ、ちょ——』とか言っているのを無視して電話をこちらから強引に切り、バカでか溜め息をついた俺に父親が「高校生は悩み事が満載だな」と夜のニュース番組を見ながら呟いた言葉についに面を食らった俺は後頭部をガシガシと掻いた。
 とりあえず自分の部屋に戻り、ベッドにダイブして仰向けになる。携帯電話を徐に開き幼馴染とやり取りしたメールを読み返していたら、なんだか無性に声が聞きたくなった。

「……」

 ——伝えてみても、いいかも知れない。たとえ彼氏がいようが好きな奴がいようが、俺はお前のことが好きなんだって。
 伝えるだけなら許されてほしい。だって、もう二度と後悔だけはしたくないから。仮に振られたとしても幼馴染という枠だけは消えることはないだろうから。

「……うっしゃ。」

 意を決して、通話履歴から彼女の名前を探す。発信ボタンを押そうとする己の手が震えている。俺は上体を起こし、あぐらを掻くと「ゴホン!」と咳払いをしてからボタンを強く押した。


『——もしもしっ!? 寿……?どうしたの、』

 結構早いコールで出たその大きな声に気負けしそうになったが俺は吃りながらもいま思っている素直な気持ちをそのまま伝えてみることにする。

「あ、いや……さっきのこと、謝りてーなって」
『ううん、私も。ごめんね。』
「や——さっきのは俺が悪かったわ、マジで」
『あの、寿……わたしね、』

 ちょ——待て。その感じは、なんか……自意識過剰だとしたって、確実にそういう雰囲気だよ、な!?
 待て待て待て!!それはこっちから——俺からちゃんと伝えたい言葉なんだよ……!

「——わーってるよ」
『え……?』
「ぜんぶ、わかってっから」
「……」

 ——やっぱり、不思議だ。こいつとの関係性においては、こうして喧嘩をして気まずいとか分かり合えたとかそういうのを自然と感じ取ることが出来る。空気感というか雰囲気というか……いつだって、なんとなく分かるんだ。
 ——言葉を辿って記憶を辿ってみると、何年も経ってしまった思い出も、全然、色褪せていないんだなって思ったりする。
 何年も忘れていたこと。それは、また名前と出会うこと。やっぱり、ずっと見ていたいなと思う、名前のことを。

 きっと名前以外、もう出会わなくていい。夢でも未来でも、このままで居させて欲しい——。









 空白の 時間 へ、伝えること。



(なぁ……名前、)
(ん?)
(明日話してえことがある。だから部活見に来いよ——で、一緒に帰ろうぜ)
(……うん、わかった。必ず、部活見に行くね!)


 ※『 面影/Novelbright 』を題材に。

 Back / Top