春の傲慢をくゆらせながら(2/3)
表紙
目次
しおり
しおりを挟む
しおり一覧
前へ
2/3
次へ
桜木の木漏れ日が未来への地図になって行く。時代の流れの中で、出会いと別れを重ねて行く。また日をまたげば、心を殺して言う「じゃあまたね」って。また明日、会えることを願って——。退屈だと思っていた日々だっていつかは恋しいと思えるだろう。やるべきことに追われているそのありがたさにきっといつか私も気付くのだろう。
さぁ——そろそろ行こうか。じゃあまたねって拳を合わせて振り返る。それぞれに明日への轍を踏みしめて。私は大丈夫だよ、心配しないでね。
卒業はなぜ……どこまでも切ないのだろうか。ヒラヒラと舞い散る桜に、そっと手を伸ばした。私はそれを、一枚もつかむことはできなかった。
*
卒業式終了後。いつもは、グラウンドから響く部活動にいそしむ生徒たちの声も卒業式を終えた今日は、全くと言っていいほど聴こえてこない。
三年三組の教室。私は、過去に彼も座っていたこの席に腰を下ろしたまま、動けずにいた。机の上に置かれたままでいた携帯電話の通知のバイブレーションがさっきから五月蝿くて耐えきれなくなって、鞄に乱暴に放り込む。そしてようやく、重い腰を上げガタンと席を立ち教卓の前にやってきた。私はしれっとその普通よりすこし高い机の上へ上がり、あぐらをかいて三年三組の教室内を見回した。
風のように過ぎていく今日も明日の糧になって大人になったとき、今日のこの場所を思い出してなぜか耽って泣いているだろう。いや……笑っていたいな。
最愛の相手、幼馴染の彼の卒業式は雨だった。私たちのはじまりはいつも雨——なんて、うそ。今年の卒業式は快晴、雲ひとつない青空のまま、静かに幕を降ろしたよ。
「白い光のな〜かにぃ、山並みは萌えて〜♪」
今年の卒業生も去年と同様に王道の卒業ソングを、在校生や保護者の前で歌った。親友の彩子は泣き過ぎて、全然歌えていなかったし、リョータくんはずっと、ニヤニヤしていた。それを見て、二年生の赤い髪や黄色い髪、リーゼントに無精髭パンチパーマの��いつメン�≠フ面々は声高らかに笑っていた。
その、さっき体育館で歌った合唱曲がいまでも脳裏から離れず、自然と口づさんでしまう。
私はどうだったのだろう。しっかりと、歌えていたのかな。
人生ってなんだろう——って考える。我ながら重苦しい話題だな、と苦笑せざるを得ないけど。だって生きることに疲れる日もあるし。毎日毎日全力で毎日フルパワーで、毎日必死で、私はこの人生に、しがみついている。負けたくないって。諦めたくないって。そしてそれは、なんて孤独な闘いなんだろうって。
��自分�≠フ人生ってどうしても主人公は自分で考えるのも自分でやるのも自分で、自分が動かなきゃなにもはじまらない世界で。今日まで意味もなく必死に走っていたら、息切れがした。だから立ち止まりたくてこうしているのかも。明日からまた走るために……なぁーんて。まるで��答辞�≠ンたいな臭いセリフを心の中でつぶやいて俯くと最前列の子の、机の落書きが見えた。流川くんの似顔絵だ。つい、くすりと笑ってしまう。するとガラッ——と、教室のドアが急に開いた。
「あ」
「あ」
ドアの向こうには、一個下の二年生——通称、��湘北の番長�≠アと、水戸くんが制服姿で立っていた。彼はだれかと電話をしていたみたいで、「や、いい」とだけ短く言い電話を切っていた。なんとなく彼女かな?って、思った。ほんとうになんとなくだけど。
「名前さんだ。え、なにやってんの」
けれども彼は私を見るなりプッと吹き出して、いつものように眉を下げて柔らかな表情を返してくるのだ。「ここ、名前さんのクラスじゃないよなー?」とか言いながら。
そうして教室の扉を後ろ手で閉めて、なぜか、窓際の一番うしろの席へと向かっていく。私は、片膝に頬杖をつきながらその背中に声をかける。
「……別に?教卓に乗ってみたかっただけだよ」
「んー、じゃあなんで、乗ってみたくなったの?相変わらず、おもしろい感性を持ってるねぇー」
「水戸くんは?三年生の校舎でなにしてんの?」
「んー、なんだろ」
「あっ、わかった。屋上に、タバコ。吸いに行くとこだ?」
「……」
「——で、なんとなーく、三年生の校舎を歩こうかなぁ〜って、感じ?」
「うん、正解。新しいでしょ。」
「あはは、なにそれ。」
水戸くんもハハハと笑った。そしていまさっき座ったばかりの席を立ったと思ったら、そのまま教卓までやってきた。屋上に行くのかと思いきや意外。彼は教卓の真横に立って片方の肘を教卓に乗せて、窓の外を見やる。私の胡座をかいた膝と水戸くんの学ランが、微かに触れ合う。なんだか気まずくてそっと体育座りに切り替えて膝を抱えた私は、もうすこしだけ、会話をつづけることにした。
「水戸くん、帰らないの?」
「そうだな、帰らないとな」
水戸くんは言いながらくるりと黒板に向かってチョークでなにか描いているみたいだった。背後からそんな音がしたから。未だに教卓の上で体育座りをしている自分には、彼がなにを描いてるかまではわからないけど。私は、教室をぼんやりと眺めた。後ろから聴こえる水戸くんのチョークを走らせる音が、やけに教室内に響いている。
不思議な沈黙が生まれた。ただ……嫌じゃない沈黙だな、と思った。沈黙に耐えられる相手ってあんまりいないから、実に、不思議だなと思う。水戸くんはいまなにを考えているのかな。なにを想いながら、落書きしているんだろう。
「——できた。カリメロ。」
水戸くんがそっとつぶやいた。私は、くるりと振り返る。黒板には毎年恒例の『卒業おめでとう』の文字と共に綺麗な桜の木や今流行りのなにかの絵。その隅に、なんとも評価しがたい微妙な黒いヒヨコ——いや、白いチョークだから、白いヒヨコが結構なサイズ感で描かれていた。落書きの定番と言えばだれしもがアンパンマンとかドラえもんとかを書くんじゃないのかな。なんでカリメロ?と思いながらも私は淡々と感想を述べる。
「意外とうまいね。」
「なにその棒読み? 傷付く。」
「いや、私よりはうまいから、大丈夫だよ?」
そう?と水戸くんは飄々と返して、黒板消しでキュッキュッとその落書きを消した。そして次はミッキーにしようとか言いながら今度は別の色のチョークを持ってまた落書きをはじめる。急に、どうしたのかな、落書きしたい気分なのかしら?と、彼を流し見て、私が窓に目を向けたそのときだった。
「——卒業、だな。」
水戸くんの凛と通った声が、教室にこだましたのは。鼓膜に震えて、水戸くんの声が聞こえたんだ。急に教室内に、ピン——と張り詰めたような緊張感が走る。
「……寂しい?」
——寂しい?なんて。なんで彼にそんなことを聞いているんだろう。なにを、言ってほしいんだろう。水戸くんに私はいったい、なにを期待していたのだろうか。それでもわかっている。きっと彼なら、ぜったいに……
「んー......ちょっと、な?」
……やっぱりね。そう、言うと思ってたよ。
校庭の桜の木が揺れている。移りゆく季節の、花が咲き誇る姿は、その一瞬が儚くて、愛しい。外からは時たま、まだ残っているらしい卒業生や在校生たちの笑い声が風に乗ってここまで届いてくる。……うん。そうだね、卒業——だね。
「たまに思うんだよなー。楽しくもねーのにさ、笑えるかよ、って。ほんと、たまになんだけど」
「……」
水戸くんの声とチョークをキュキュと走らせるやや耳障りな音が混ざりあって、鼓膜に心地よく響いてくる。チョークの音って、苦手だったはずなんだけどな……水戸くんってやっぱり凄いな。苦手なものも一瞬で変えてしまう力を持っている彼は、本当にすごい。
「べつに嫌とか辛いわけじゃないんだけど。毎日楽しいけど。青春してんなーって思うけどさぁ」
「……」
「たまにすごい疲れる。何も考えたくなくなってなーんにも、したくなくなって」
「……」
「誰も、何もないとこで一人で、無になりたいと思うっていうかさぁ——」
水戸くんの声と同時にチョークを滑らせる音が止まった。振り返れば「ミッキー」という小さなつぶやきに、ウォルト・ディズニーが顰めツラをして、腕組みをしそうなネズミの絵。しかも青色だったから、なんだか禍々しく見えてきて思わず笑ってしまった。
「水戸くん、絵の才能ないね。」
「……お、出たな本音!」
「あー、ごめんごめん。」
校舎内にチャイムの音が響く。彼と目が合う。あんまりこの子の顔を、ちゃんとまじまじと見たことがなかったから、ちょっとだけ、緊張した。チャイムが鳴り止んで、私は目を反らしたけど、たぶん彼はまだこっちを見ている。そう、私を。すベてを見透かすような、あの、鋭い瞳で——。
気まずくなって「よいしょ」とわざと声に出し教卓を降りた私は、そのまま窓辺に立つ。
ややあって隣に水戸くんもやってきて開け放たれた窓から入ってくる春の香りを二人で目一杯に浴びた。
前へ
2/3
次へ
Back
/
Top