色違いで抱くハートマーク

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  • 目次
  • しおり

  • ※ヒロイン出演無し


    「元武石中バスケ部の連中と、久しぶりに同窓会しようと思ってるんだよね」

    そう唐突に言ってきたのは、付き合って一年半になる一緒の武石中に通っていた一個上の元武石中バスケ部の彼氏だった。

    お盆ならみんな集まれるだろうという独断と偏見で決められたその同窓会には、あの元バスケ部のキャプテンにして中学MVP、そして私の友人の彼氏でもある、三井寿も来るのだそう。

    私の彼氏はいま大学一年生で私は高校三年生。ということは言わずもがな私の友人、名字名前も転校先、湘北高校の三年生ということになる。

    彼女がいるやつは連れて来てもいいという独自ルールを彼氏が決めたことにより、私も強制参加という運びとなったが、私も母校のバスケ部員たちと会いたいなとは思っていたので、思いのほか、その同窓会を楽しみにしていた。

    元武石中の人には有名だったネタのひとつ、三井先輩と名前が付き合ったらしいとの噂。ようやく一緒になったのかと二人を知る人物は皆、大喜びしたのを覚えている。もちろん私も。そのときは興奮して名前に電話までしたくらいだ。だって、みんなが応援していたから。武石中の誰もが認める、お似合いの二人だったから——。


    もちろん彼女も三井先輩と一緒に来るのだろうと思って私は、彼女にメールを打った。今では会えない距離でもないので、どうせなら顔を見て直接誘いたいなと思ったからだ。そして、同窓会の件は伝えず会って話そうと彼女を誘ったのは、夏休みに入ってすぐのこと。

    二つ返事で誘いに乗ってくれた名前と待ち合わせした場所は武石中のある最寄り駅前の喫茶店だ。電車に一本乗り遅れた私が急いで待ち合わせ場所に着くと彼女は怒るどころか「転ばなかった?」なんてへらりと笑って見せるのだ。

    その笑顔を向けられたとき、きっと三井先輩も昔から変わらないこの子のこんなところが好きで、というか絶対に両思いだったんだろうなと物思いに耽ってみたりする。

    そんな私に「どうしたの、ぼーっとして」なんて声を掛けてきた名前。「早く中入ろ?」と促され一緒に喫茶店の店内に入った。

    たまにメールや電話はすることもあったが、こうして顔を見たのは本当に久しぶりだったかもしれない。会える距離になったとしても高校生にもなると何かと互いに忙しかったりして昔みたいに簡単には会えなくなったよな、と彼女相手に限らず中学で別れた友人らを、ふと思い出してみたりする。

    久しぶりに体面した友人、名前は、とっても綺麗になっていて、ああ、いい恋をしてるんだなぁ、と私は勝手に嬉しくなったのだった。








    彼氏が指を折りながら参加者の名前を読み上げていく。そして女子では私のほか、ただ一人、名前の名が呼ばれたとき、私は思わず、彼氏の横顔を見上げた。

    「お前、名字と仲良かっただろ?」
    「……うん。」
    「三井に呼ぶのか聞いたら、途端に返事かえってこなくなったんだよなぁー」
    「……」

    「まぁ、きっと来るよな」と勝手に、自作名簿の名前の名前に印を付けると、それを財布の中に押し込んだ。

    なんだか楽しそうな彼を見て、水をさすみたいで言えなかった。三井先輩と名前が、冬には破局してたなんてこと——。








    お盆真っ只中の蒸し暑い日、夕方、私と彼氏は少し早めにみんなの集まるファミレスに向かった。入り口で携帯を操作している背丈の大きい男性に「おーい!」と彼氏が手を振るとそれに気付いた相手が顔をあげる。「よぉ」と小さく手を翳したのは、紛れもなく三井先輩だった。

    少し入り口で会話をして中に入る。先に到着したのは私たち三人だけで彼氏の向かい側に三井先輩そして彼氏の隣に私という位置で腰を下ろす。

    三井先輩の、まったく無表情な顔に、私はなぜか不安を覚える。ほんの些細な狼狽や悲しみを私は確認したかったのだ。

    名前との別れを悲しむより先に、私は三井先輩の反応を知ることを選んだ。そしてそれが思い通りでなかったので、私はなんだか、名前に申し訳なく思うような感じになった。


    空はさっきまでの天気とは打って変わって曇っている。近いうちに、雨が降りそうな気配がする。

    彼氏がマシンガントークをしているのを三井先輩はたまに相づちを衝きながら聞き手側に回っていた。私は腰を上げて三人分の水を取りに行った。彼氏から「顔色悪くないか?」と聞かれ「だいじょぶ」と短く返す。

    体調が悪いわけではない……悪いわけがないけれど、三井先輩の心中を察すると、じっとしているのが苦痛だったのだ。


    名前と久しぶりに会ったとき、当たり前に三井先輩と付き合っていると思い込んでいた私のマシンガントークに、たまに相づちを打って聞き手側に回ってくれていた彼女の姿が、いまの三井先輩と重なって見えた。

    帰り際、同窓会に顔を出してくれるかと問えば、この日はじめて気まずそうに表情を歪め「実は、冬に別れてるの」と言った彼女。唖然とする私にすかさず「私のせいだから寿は何も悪く無いの」と言い切った。


    あの日の帰りに見せた、名前の悲しそうに笑った顔を、私は今でも忘れられない——。








    「みんな遅いなー。道にでも迷ってんのかも」
    「いや、ここ何度もみんなで通った店だろ」
    「いんや、この店を探しまわってんのかもよ?」
    「ンなわけあるかよ、すぐ来るだろ、大丈夫だ」

    彼氏と三井先輩の会話を聞き捨てて私は窓の外を眺めてみる。案の定、灰色の空から、ぽつぽつと雨が滴り落ちてきた。

    「なあ、三井。先に頼んじゃおうぜ」
    「だな、あー腹減った」

    そこは男子だからか気心知れた仲だからかは定かではないが、二人は勝手に自分たちの分の注文をしはじめる。三井先輩に「ん」と、メニュー表を差し出されたが私はみんなが揃ってからにしようと思い「まだ、大丈夫です」と断りを入れた。

    先に注文した三井先輩と彼氏の分のご飯が運ばれてきてさっさと食べ始める二人にぎょっとする。三井先輩の注文したらしいメニューの中に着いて来たコンソメスープとパンを差し出されてそれを素直に受け取った私がスープを啜る。

    けど、なんだか緊張して食べ物の味があまりわからないうえに、お腹も空いてはいなかったので、飲み込むことが苦痛でさえあった。


    「みょうじ」
    「——! は、はい、」
    「ありがとな」

    一瞬、なんのことか分からなかった。何のお礼をされたんだろうって。でも、たぶん食べたくないのに受け取ったことを言ったのだろう。まさか、名前のことで気を遣っているとは思うまい。……たぶん。

    「なあ三井、覚えてる?卒業式の時さ、みんなで体育館に寝転がったこと」
    「うわ、懐かし。覚えてるぜ、いま考えるとバカだったよな、俺ら」
    「ほんとな。あー、楽しかった。中学。」
    「俺も、武石中ンときは楽しかったわ。」
    「三井はバスケか、モテてたかのどっちかだろ」
    「そんなことねーって。つか俺、体育館に横になったときガキの頃、近所の奴らと遊びながら地面に寝転がったこと、ふと思い出したんだよなぁ」

    その台詞が耳に飛び込んできたとき……きっと、近所の奴らって、名前のことなのかなあって思った。でも言わない。——いや、言えない。


    体育館の天井がとても高くて、床がうんと硬いこと、そしてなぜか寝心地がいいこと……目を瞑って耳を澄ませば、今でもバッシュやボールの音が聞こえて来そうな錯覚。自分もそのまま体育館の床に一体化してしまいそうで……

    そういえば、あのとき、名前も一緒に寝転んでいた……ように記憶している。あの頃から今の彼氏を好きだった私を連れて、一緒に体育館に名前と行ったこと。そして、バスケ部員と一緒になって床に寝転がったこと。

    セーラー服で体育館に寝転がって、名前は私に笑顔を向けていた。名前はいつも笑っていた。白い歯を見せて、目をぎゅっと細めて、お腹の底から笑っていた。

    私は、どんなに名前と仲がよかっただろう。夕暮れの帰り道を、二人で歩きながら笑っていたし私の家でホラー映画を観たときも、怖がる私に名前は笑っていた。なにかを食べては、おいしいと言って笑い、まずいときは、もっと笑っていた。

    彼女は誰かをいつも笑顔にさせることができて、しかも嫌なことまで忘れさせてくれる、明るくて芯の強い子だ。彼女の笑顔にいったい何人の人があらゆるものを見出したことだろう。

    けど、そんな名前でも、笑顔を掻き消すときがあった。それは、三井先輩を見つめているときだ。名前は、三井先輩のことを思っているときは、いつも傷ついたような顔をしていた。

    名前は真剣に三井先輩を好きだったのだ。心から本気で恋をしていたのだ。


    『名前、三井先輩が好きなんでしょ?』

    と気軽にいった私に名前はふと口を噤み、静かに肯いた。

    『ないしょにしてね。寿は私の気持ちを知っても困っちゃうだけだから』

    どうして…?あんなに三井先輩と仲がいいのに?ふたりは、うまくいってるんじゃないの?と私は思ったけど、なにも言えなかった。名前がどんどん、暗い顔をしていくのが、わかったからだ。今思えば、引っ越しが決まってからそんな顔をすることが増えたようにも思う。

    名前は三年生の卒業が近づくにつれて、三井先輩のことをあまり話したがらなかったけれど、彼女が転校してから一度だけ地元に帰ってきたとき開かれた同級会のとき、三井先輩がグレたらしいと噂に聞いていた私たちをよそに、「寿は怖い人じゃないよ、いい人。すごく優しいんだから」と訴えていたっけ。

    もちろんグレたらしいなんて誰も言っていない。ただ、同級生の一人が「三井先輩の高校、不良が多いんだってね」と、言っただけのこと。

    みんなは、名前の言葉を聞き流していたけれど、名前がそこまで言うのだからと、以前のように妙な噂を信じたりはしなかった。みんな、名前のことが大好きだから、彼女の言うことを信頼していたのだ。

    結果、本当にバスケットから遠ざかりグレていた三井先輩は、そんな名前の気持ちに気付いていたのだろうか?


    雨は通り雨だったらしく今はアスファルトに僅かな光が射している。私はスープの匂いを嗅ぎながら、窓の外を眺めている三井先輩を、そっと見上げた。

    もしいまここに名前がいたら、きっと私も三井先輩も笑っていた。名前がにこにこ笑って他愛ない話をするのを、私と三井先輩は頬笑んで聞いていただろう。そう、あの頃のように——。

    私は……そうであったらよかったのにと思った。名前の子どもみたいな笑顔が今とても、恋しくてたまらなかった。

    名前には、また会える。だって地元に帰って来たのだから。あの笑顔が、失われるはずがないのだから。


    三井先輩と別れたと言った名前の言葉は、単に聞き間違いであったような気すらした。あの子から三井先輩を振るわけがない、あの子に、三井先輩以外の人なんて似合わない、だって三井先輩が傍にいたら、太陽みたいに輝ける子なのだから。

    だが鼓膜に焼きついたあの日の彼女の声。それはたしかに、名前の声だった。


    『私から振ったの、寿のこと。』

    しばらく名前と向き合ったまま立ち尽くしてしまった。やがて名前が「寿が幸せならそれでいいの、私。」と言った。

    その声は、名前の人間性や長所のすべての個性を含んだ、名前のすべてを意味しているかのような印象であった。でも逆に、名前が三井先輩と別れるわけがない、三井先輩を嫌いになるなどありえないと思いこむ私を、なじるような感じでもあった。

    二人が終わったなんてありえない、けれど、あの胸がえぐられるような声でつぶやいた彼女の言葉は、真実なのだろう。それでも、信じられない。信じたくない。

    だって二人は——、武石中のみんなの理想だったんだもん。二人が揃って笑っていると、周りまで自然と笑顔になれたんだから。

    なのに三井先輩はそんなことがあったというのに平然としているのだ。眉一つ動かさず。名前と別れたのに……名前に、フラれたのに、そんな平常心なはずがない。つまり、名前と三井先輩は別れていない——って、ことでしょ?


    私はいつのまにか自分が嗚咽して震えていることに気づいた。熱い涙がこめかみに流れてゆく。

    くちびるを強張らせて、わなわなしている私を、三井先輩が覗きこんでいた。彼氏は横にいなかった。どうやらまったくもって登場しない他のメンバーを心配して外に見に行ったらしかった。

    三井先輩は、手に掴んだポテトを口に咥えようとしてやめた。そしてその手で、私の額に手を当てがった。


    「——三井、先輩……」

    三井先輩は私の体調を案じたようだったが、私の額から手を離して、右手で頬杖をつくと、困ったようにも片眉を歪めて、ふっと笑った。

    「三井先輩、」
    「……」
    「名前と——別れたの?」
    「……。」

    私の声は震え弱々しくかすれていたが、三井先輩の耳に確かに届いていたはずだ。三井先輩はやや眉をよせ、そしてさっき食べ損なった、ポテトを口に運ぶ。

    「……」
    「……」

    名前と別れた……。私は自分の言葉を反芻する。名前と別れた。三井先輩と別れてしまったのだと、彼女は言った。そんなわけがないのに、そんなことが起こりっこないのに。

    でも、いま私は自分で言ったではないか。名前と別れたのかと、無責任に、三井先輩に言いつけたではないか。そんなこと、起こるわけがないのに——。


    「——もしかして、」

    三井先輩はポテトを咀嚼しながら言った。それをゴクンと飲み込む、三井先輩の喉仏が上下する。

    「名前から、聞いたのか」
    「……」
    「ああ。俺が高三の、クリスマスイブにな。」
    「……っ」

    なぜ、そうあっさりと言い捨てることができるのだろう。私は、膝に置いていた拳を握りしめた。掌を解けば内側に私の指の形がくっきりと刻まれる。その手はまた膝の上に置き去りにされる。


    『寿は、私の気持ちなんて知ってもどうしようもないから』

    『私は、何もしてあげられないの。』


     『寿は………』


    この続きを名前はなんと言いたかったのだろう?三井先輩は……?名前の声は耳元でささやいているかと思えば、次にはうんと遠くに感じられた。


    「名前——」
    「……、」

    息を吐くみたいに彼女の名前を呼んだ三井先輩。自嘲するかのようにふ、と鼻で笑って目を伏せる。

    「あいつにはずいぶん迷惑かけた。ほんとにいい奴だ。誰からも好かれてたしな」
    「……そうだと、思います。」

    三井先輩は、ふーっと溜め息を吐いてぼんやりと窓の外の、すこし曇った空を見上げた。

    私は、三井先輩の横顔を見て、彼が名前のことを思い出しているのではないと知った。その瞳は、まるで時計を見るときのような、もっと現実的なことを考えているような鋭い表情を浮かべていたから。

    名前のことをいい奴だ≠ニ言いながら、別のことを考えている。私は、三井先輩になにか攻撃的な感情を抱いたが、けれども、そんなことをしても名前が喜ばないこと、そしてなにより、私のことを信頼してくれていることを思い出して、ぎゅっと飲み込んだ。

    「三井先輩、名前と中学のときから一緒に帰ったりもしてましたよね?……すごく、仲がよかったですよね?」
    「ああ。俺、見ての通り高校入ってからは口下手でな。人付き合いが悪くてよ」
    「……」
    「そんな俺に、アイツはずっと変わらずいてくれた。昔と変わらず、俺を見てくれてたんだ」
    「……」
    「あいつ転校して来てからもみょうじの話、よくしててよ。おかげさんで俺、みょうじとまともに話したことなかったのに、お前の人柄よく知ってたぜ」
    「同じですね。私も三井先輩の事よく聞かされましたよ。優しくておもしろくて、いい人だって」
    「そりゃ買い被りってもんだな」

    三井先輩は右の眉を持ち上げ、目の前のポテトを手に取り口に運ぶ。

    「そんな事ない。私も今、そう思ってますもん」
    「おだてても何も出ねーぜ。けど、人の悪口なんか絶対言わない奴だったからな、名前は。他人の長所を見つけるのが得意で、お人好しで」
    「あの子——転校してからもよく電話で三井先輩の話、してました」
    「……そうか。」
    「……名前と本当に別れちゃったんですか?」

    三井先輩は今度は即答せず、すこし黙っていた。そして、「ああ」と答えた。「別れたよ」って。

    「……」
    「……」

    では、いま、私と同じように、どこかで名前が悲しんでいるのだ。私は、名前が三井先輩を失って笑顔で過ごしていることがどうしても想像できなかった。二人は別れた。もうこれは、受け入れなければならない、真実なのだろう。

    「三井先輩、名前のこと好きだったんですよね?私たちが二人と知り合うずっと前から」
    「……」
    「……じゃあ、少しは好きでしたよね?惹かれるところが、あったんですよね?きっとたくさん」

    三井先輩はポテトを無心に食べる手を止め、私を一瞥した。外で鳥がぎゃあぎゃあと人間のような声で啼いている。窓の外見上げた三井先輩の目の前に広がる空は、雲がぐんぐんと動き不穏な気配が、見慣れた街をすっぽりと覆ってしまった。

    さっき一度は止んだらしい雨。でもまたきっと、すぐに雨は降るだろう。彼氏、濡れて寒い思いをしていなければいいけど……。

    「なにを言いてぇのかはわかんねーけど、感傷に浸るのはもうすこし後にしたほうがいいぜ」
    「感傷に浸ってほしいんです、三井先輩に」

    私は、熱い目をこすりながら言った。

    「名前のために感傷的になってほしい。だめですか?」
    「……たしかにな。」
    「……」
    「俺は——名前を好きだ、いまでも。」
    「——!」
    「ただ今は——幼馴染≠ニして、な?」

    三井先輩はまたポテトを取って唇に挟んだ。それを歯で噛んで上下に振ってみせる。たぶん、食べたいわけじゃなかったんだろうな、ポテト。

    「辛いとき、いかに冷静でいられるかってのが、大切だと俺は思ってんだよ」
    「……」
    「だから名前のことは、俺が勝負に負けたら、また、ゆっくり話そうぜ」
    「……」
    「言っただろ?感傷に浸るのは、もうすこし後にしたほうがいいぜって、さっき」
    「……」
    「いまはその時期じゃねえ」
    「勝負……って?」
    「……。そりゃみょうじの、想像に任せとく」

    三井先輩はポテトを口の中に収めて咀嚼する。ゴクンとそれを飲み込んだあと彼は二ッと笑った。

    「まあ、ひとつはっきりと言えることは、俺は、諦めが悪い≠チてことだな」

    思わず目を見開いて息を呑む私に三井先輩は優し気に目を細める。

    「わりィな。俺はどーも気遣いってやつに欠けるらしい」
    「違うんです、私のことなんか、気を遣わなくていいんです、けど名前が」

    ——名前が、
    寂しい想いを、してる気がするから。


    三井先輩は小さく溜め息を漏らして、また頬杖をつき窓の外を見た。

    「三井先輩、」
    「……ん?」
    「連絡は、一切取ってないって聞きました」
    「……あぁ」
    「名前に連絡しようって一度は思いました?」

    鳥が高いところでちちちと囀っている。空が曇りなことを除けば、清々しい環境であるといえた。やっぱりまた雨が近いのか、空気は水分を含んでいるしもしも外にいたらここちよく素肌を包んでくれそうだ。


    「——思った。」

    三井先輩は私の眼を見て、瞬きもせずつぶやく。

    「一回だけな。発信は、押さないつもりでも。」

    三井先輩の瞳は真っ黒で、どういったことを考えているのか私にはさっぱりわからない。その瞳は私を見ているけれど私の向こう側を見ているような、遠い眼をしていた。

    「そうなんだ……」

    私は肩を竦めてほっとして息を吐く。三井先輩は嘘を言っているのかもしれない。私を満足させるために、名前のためでなく、私の心の安息のためにそう言ったのかもしれない。

    「よかった」

    という私に三井先輩は目を細めて頬笑む。そして「お前の未来の旦那は、どこで道草食ってやがんだ」と言うと、フリスクをポケットから取り出した。

    こんな質問をして三井先輩から強引に回答を得てだからといって名前が報われるわけではない。

    けれども、つぎに名前に会ったときに、おみやげ話にはなったらいいな——三井先輩は、名前のこと大好きだよって。名前のことを思ってたって。いまでも、って。


    差し出されたフリスクに手を伸ばしながら、私はそんなことを考え、微笑む。

    もらったフリスクを口に運んで目を閉じる。目蓋の裏に、鮮明な名前の笑顔が、よみがえった気がした。










     いつか、おとぎ話をきかえてね



    (おまたせー!)
    (おぅ三っちゃん!久しぶりだな!)
    (おせーっての。もう帰ろうかと思ってたぜ)
    (てか、二人でなに親密な話してたんだー?)
    (そうだぞ、外から丸見えだったぜー!)
    (あ?なにって……恋バナ・・・だよな、みょうじ。)
    (——はい。いまは・・・悲しい恋の話ですよね)
    (ふは、今ねえ。安心しろって、俺諦め悪ィから)
    (……信じてますからね、三井先輩——。)

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