私はあなたのための黒

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     白雪のせいで悴んだ心。あの日、本当はどうすれば良かったのだろうか。未練の埋め合わせだと知っていて、まだ好きだった。どうしようもないくらい恋に落ちてしまった私の心は行き場を無くしていた。叶わない願い。二人の思い出が、雪に溶けていく。それでもまた、思い出してしまう。さよならのあとだけど冷める事を知らない恋心が逸れて離れた。もう側にはいないのに。忘れようとするほど離れなくて目蓋の裏に二人の思い出が蘇ってくる。雪が舞う、まるであの日の夜みたいだ……あのとき優しく抱きしめる事が出来ていたのなら、もしかしたら今もまだ——。

     ずっと見ていて欲しかった。独り占めしたかった。きっとこうしてこの先、なんども冬の匂いに誘われては思い出すのだろう。ちゃんとしたサヨナラも出来ないままに時だけが過ぎる。覚める事を知らない二人の夢を見ている。ああ……どうしたら、ずっと側にいられたのだろうか。





     —


     転校してきてから初めて迎えた冬休み。それが明けてから次の日もその次の日も、またその次の日も彼はここ、二年一組——リョータくんの元へとやって来る。帰りの支度をもたもたやっているのは、いつも私だけ。
     部活を引退した直後から、三年生の帰宅時間はすこぶる早くなった。予備校に通う人も多いのだろうと思うがそれでも私の元彼、三年三組の三井寿は、冬の選抜までバスケ部に残るらしい。

     マイペースに自身の鞄に教科書や参考書を詰め込んでいる内に、その人物、元カレはあたり前のように私の視界に現れる。学年が違うから階段をわざわざ降りてまで遠路はるばるやって来るこの男を、いまでも私は好きだ。期待したくないのにせざるを得ない状況を作るのだこの人は。それが無意識であるからして、私はさらに憤りを感じてしまう。

    「宮城ー、昨日言ってた雑誌持ってきたぜー」

     でかい図体——もはや犬。上級生とは思えないその人懐こい性格。ガラが悪いようで、爽やか。なんと言うか、いつもこう……はちゃめちゃで。いや違う、あべこべなのだ。

    「あっ、せんきゅ〜ぅ!三井サン♪」
    「何よリョータ、あんたまた三井先輩におつかい頼んだわけ?」

     ふっ、と口角を吊り上げて笑う元カレ——寿。リョータくんが私の方に身体を向けて、私の席の前の椅子に座っている。そして彩子は、私の席の隣という恒例の並びで座る中、なぜか元彼が私の机の上にバサッと持っていた雑誌を置いた。
     その後のリョータくんとの会話を盗み聞く限り彼が持ってきたのは彼のクラスの女子が読み回ししていたとか言うファッション雑誌だった。どうやらこの雑誌には丁度さっき私たちも話題にしていたリョータくんのタイプのモデルさんが載っているらしい。

    「で、リョータくんの好みの子ってどれなの?」

     ——正直リョータくんのタイプなんかどうでもよかった。私はただ彼と同じ時間を共有する口実が欲しかっただけなのだ。だって、こうでもしないと、彼と私の間にある時間は消えちゃうから。理由がないと消える関係なのだ、今となっては。

    「えっとねぇ〜、これこれ!この白いふわふわのコート着てる子!」
    「あー、なんかわかるかも」
    「へえ、リョータの好みねぇ」
    「彩ちゃんの次にだけどねっ♪でも、かっわいーよねー。ちとアイラインは濃いけど」

     うん、かわいい。私が寿から言われた事もないそんなストレートな形容詞を、この紙面のモデルさんはさらっと言ってもらえる。なんだか不公平にも思う。でも結局のところ、女は顔らしいので仕方あるまい……って、昨日テレビで言ってた。

    「あ、じゃあさ、三井サンの好みは?」
    「あ?」
    「この雑誌から選ぶとしたら」

     リョータくんは真横に突っ立っている彼に雑誌を突き出して問う。よかった、リョータくんから話題を振ってくれて。これでもう少し、彼と同じ空間に居れる時間が増えた。

    「は?俺?あー、そーだなァ……」

     意外にも素直にそれを受け取りぺらぺらと丁寧にページをめくる彼の指先を見ていて相変わらず細くて白くてきれいだな、と思った。
     一枚の机。彼が大きな足を広げてしゃがみ込んだ。そうして私の机に頬杖をついた俯き加減から短い髪の毛が強調されている。私が少しでも身を乗り出せばキスできる——言わばそんな距離だった。今では簡単には触れることのできないこんな距離をもどかしく思う。

    「いねーな」
    「えー、ほんとにィ?一人くらいいるっしょ?」
    「こんな髪の毛ぐるんぐるんな奴らヤダっつの」

    「みんな同じに見えね?」と彼は軽く息をつきながらそう吐き捨てた。それでも気だるげにまだ雑誌のページをぺらぺらと捲っている。無表情で。

    「……じゃあ、どんな人がいいの?」

     ぽつりと私が問うとリョータくんと彩子の顔が彼と一緒に覗き込んでいた雑誌から勢いよく私に向けられた気配を感じる。その視線を受け流して私はコホンと小さく咳払いをする。彼も一瞬だけページを捲っていた手を止めて私を見たがすぐに視線を雑誌に戻して「あー」と首を傾げた。ややあって、彼の唇が微かに開く。

    「——名前……みてぇなの」

     そう、言った。確かに元彼の口から、そう告げられた。待って、落ち着け私。ちょっと待って、だって、それは……問題発言だと、思ったから。思考停止状態の私を置き去りに、当たり前にその場に沈黙の時間が流れる。どうしよう、何か言わなければと考えあぐねて、少し声を上擦らせつつ顔をほんのりと赤くしながら言った。

    「——う、うそつけー」
    「あン?うそじゃねーよ」
    「うそつき嫌い。わたしほんと、うそつき嫌い」
    「だから、うそじゃねーって」

     いままでだって、付き合っていたときはこんな距離で話したこと、たくさんあったはずなのに。今、近く感じるのはどうしてか?他愛もない会話にこんな罠が張られていたなんて——しくじったやってしまった。私が安易に彼との時間をすこしでも共有したいなんて、浅はかな想いを巡らせたから、罰が当たったんだ。

    「じゃあ……どういう、意味?」
    「そのまんまの意味だっつの。好みのタイプ」

     あーだこーだと考えつつも、どういう意味か、なんて質問をしてしまう私は大馬鹿野郎だ。それでも彼はなんだか楽しそうにそうやって言い返してきたあとに笑っていた。リョータくんと彩子は今はじっと彼の方を見ている。私じゃなくて彼の方を。咄嗟に私は、声にならない声を出す。

    「だっ、だけ……ど……」

     その声は、思った以上に震えていた。でも結局そのまま先の言葉に詰まって押し黙る私。そんな私を見下ろした彼は急にふっ、とあざ笑うような表情になった。見たことないそんな顔。この人はこんな顔もできるんだ。ってなんとなくそう思った。ちょっと怖いかも、って。しかし彼は、そのあざ笑うような表情から一変、眉間に皺を寄せて「——でも」と低く呟く。それに続く言葉は……


    「好きではねーな」


     だった。……わかってる。わかってた。叶いもしないこんな私の想いなんか。彼がまた私を好きになる、そんな儚い私の願いなんかは。
     ——たとえばこの世に全てを知り尽くした人間がいるならきっとそれはこの、私の目の前で愉快そうに笑って誰も知らない事実を全部否定した、他の誰でもない三井寿だと私はこのとき思った。

    「まぁ、タイプはタイプだからなァー」
    「……」
    「好きな人とは、また違うんじゃね?」

     なぜかリョータくんが咎めるように三井サン、と、彼の言葉を遮るようにして、小さくその名を呼んだ。それでも当の本人はふはっと浅く笑って笑顔を作る。望むならば絶望を——って。そんな表情で。ネガティブすぎかな?いや、でも本当にそんな雰囲気を感じ取ったのは、事実だから。

    「——楽しかった?」

     今度は私がそう言って、眉間に皺を作る。彼は「……あ?」と、きょとんとして私を見ている。ややあって私が眉間に寄せていた皺を解き、口を開いた。

    「自惚れた私の相手はさぞかし笑えたでしょ?」

     視界がぼやけ始めた。人前で泣くのはいつぶりだろうか。涙なんて枯れてしまったと思っていたのに。まだ出てくるなんて、逆に驚きだ。
     すぐ側でリョータくんと彩子が焦っているのが目の端に映った。それを見たからか、彼も途端に焦りはじめて「——いや」とか言って吃ってる。

     ——あぁ、もう完璧にだめだ、私。なにもかもだめなんだ。そうやって心底落ち込んでいる私を置き去りに、彼はしゃがんでいた体勢から今度は立ち上がって窓の外を見た。私もなぜかつられて同じ方に目を向けた。窓硝子に映る、自分と彼の姿。外は、この季節のせいで暗くなるのがいやに早くて、何だか無性にむかついてくる。


    「——ごめん、帰るねっ」

     私はガタンと席を立ち、脇に下げてあったスクールバッグを勢いよく持った。勢いが余って彼をバッグで殴ってしまったみたいになったのは申し訳ないと思ったけど、もういい、どうでも。
     教室を出る間際「あ、ちょ!名前ちゃん!?」というリョータくんの声が、背後から追いかけて来たけれど、振り向かず一目散に走った。
     昔から恋愛なんて苦手だった。そんなのは彼が一番わかってくれていると思っていたのに。あんなふうに離れてまでも揶揄ってあざ笑うんだあの人は。彼の輝かしい将来の切符を手にした代わりに彼がくれる永遠もその笑顔も、私にはもう手にできない。でももしかしたら、彼から与えられていた優しさも笑顔も自ら手放してしまっていたのかもしれないなと思う。だから言ったでしょう。私は、昔から恋愛は苦手だって——。

     走って走って階段を降りた先で、これまた後ろから勢いよく手を引かれた。思わず階段の手すりを支えに立ち止まる。振り向きはしなかったけど踊り場の硝子に、自分と元カレが映っていた。
     私はこれから先も誰を見つめても誰と過ごしても彼を忘れられる日なんて来ないのだ。ひっそりとこの胸の中で愛し続けるけど、もう、一緒にはいられないんでしょ?それを知っているから——

    「辛い——」

     階段の踊り場の窓越しに、彼と私の目が合う。そのまま私から放たれた言葉。喉の奥がつっかえて、苦しそうな声だってことが自分でもわかる。

    「わかってるから、辛い」
    「……なに言ってんだ。振って来たのは、どっちなんだよ……」

     たとえどんなにひどいことを言われたとしてもこの目だけは離さない。それがたとえ、硝子越しだったとしても——。
     少しだけ細められた彼の目が心臓に痛くて堪えきれなかった。私のワガママな液体が瞼から溢れ出て頬を伝いはじめる。その瞬間「好きだ——」と言った彼の声が誰もいない階段に響き渡った。

    「——なんて言ったら、お前……どーすんだよ」

     握り締めていた手に彼の手が重なる。大きい。そしてすこしだけ冷たい、彼の手。——ねぇ寿。いま、どんな顔してるの……?

    「無理にでも笑ってねぇと、まだ怖えーんだよ」
    「……」
    「ふられて丁度、一ヶ月だな」

     目を逸らして俯いた彼の私の手を握る手の強さが増す、痛いくらいに。
     遠くからは生徒達の声、私の嗚咽。鼻水を啜るひどい音。彼の優しさを私は知ったつもりでいたのに。彼は私の中の忘れられない人。全てを捧げた人。もう二度と、戻れなくても——。

    「まだ、好きなの……?わたしのこと」
    「……、さぁな。」

     はぐらかしたって私にはバレバレだ。そうじゃなきゃ、こんなにも彼の手は震えない。
     私は微かに、その震える彼の手を握り返した。そして「——それでも」と声に出し彼を真っ直ぐに見つめる。しかしそこには、無表情な彼の顔。


    「わたしは寿が……好き、だったよ——」


     はぐらかしたって、きっと彼にはバレバレなのだろう。そうじゃなきゃ私の手だって震えない。けど何が起きたって何て言われたってこの事実は変わらないから。

    「俺と同じくらいバカだな、名前」

     ——大丈夫、まだ笑える。大丈夫、いつかまた寿のことを掴まえる。出会えたこと、この奇跡を感謝してる。かえがえのない日々も後悔も痛みも悲しみさえも、いつか必ず、輝かせてみせるよ。

     誰よりも愛しているけど、選んだこの道を私は歩いていくから。たとえ、生まれ変わっても愛し続けるけど、もう一緒にはいられないね——。
     だって人生には、綺麗なだけのラブストーリーなんてきっと、存在しないから。


    「……それは、認める」

     ぽつり、観念したように呟いた私の小さなその声に彼は嬉しそうに笑った。ただ私は彼に優しく彼に哀しく、彼に痛みを知って欲しかっただけ。










     傷 つけた 手 で、撫でられたい。



    (——あ、雪……雪だよ、寿)
    (おぅ……雪だな。積もりそうだ)
    (うん、積もりそうだね……)


    ※『 Love Story/安室奈美恵 』を題材に
    ※ Lyric by『 白雪/マルシィ 』

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