思わずブルッと震えてしまうくらいに寒い午後の八時過ぎ。ここのところずっとこの時間帯に私は校舎を出る。校舎と言うか、体育館だけど。
目の前に迫るのは、冬休みにクリスマス。そして幼馴染にして彼氏、寿の高校生活最後の部活の大会、全国高等学校バスケットボール選手権大会——ウインターカップだ。
寒いのが苦手な私は授業が終わった時点ですぐに帰りたいのに、彼はそれを許してくれない。日が短くなってきたから危ないとか滑って転んで死んだら厄介だ、とか言って。
でも学校終わりはまだ明るいし、地面が凍結するほど気温だって下がらないだろうし、と返事を返しても、お前のことだから予想外のことが起こるんだよ、って、なぜか胸を張って言われる始末。
それ、確実にディスってるよね?わたしもう高校生だよ?大丈夫だよ。ちょっと過保護が過ぎる。いや、かなり過保護。控え目に反抗したところで結局「黙って待っとけ」と、片付けられてしまうだろうから。
それに向こうの本心はバスケをしている姿を見守っていて欲しい一択だろうということを理解しているからいつも私はそれ以上何も言わないのだ。
正門前で白い息を吐きながら待っていると、目の前に女子生徒が現れた。私と同じように白い息を吐いて校舎の方をそわそわと窺っている。
誰を待ってるのかな、なんて思って盗み見ていたら柔道部らしき軍団が来て、その中の一人と一緒に肩を並べて帰って行く。みんなの少し後ろから着いて行って人目を忍んでそっと手を握り合った二人のシルエットに思わず笑みが零れた。
「——悪ィ、待たせたか」
少し不安げに背後から掛けられた声。聞き慣れたその声に振り返る。私の姿をしっかりと確認したらしい寿が、両手を学ランのズボンのポケットにしまい込むのが見えた。微かにふーっと白い息を吐く仕草も。私はそれを確認して、自然と溢れる笑みを向け、駆け足で彼の元へと向かう。
「寿、」
「あ?」
「雪だね!」
「は?」
「雪、ほら。降って来た」
「……ああ、雪だな」
私がもう一度微笑み掛けると寿は当たり前に私の隣に肩を並べる。そうして二人で正門を出て駅へと歩き出す。
「積もるかなぁ〜」
「積もらねぇだろ」
「いや、積もるな。これ絶対に積もるやつだ」
寿はそんな私を一瞥して微かに目を細めた。そしてふーっと息を吐く。吐いたそれが思ったよりも白くて横を並ぶ私の視界にも映った。もう、すっかり冬だなぁ……。
「雪の中でバスケットしたら、あれだね」
「あ?」
「どんどんボールが大きくなるね」
「はぁ? どういう意味だ?」
「えー、だって雪だるまってさ、転がして大きくなるでしょー?」
「……あー、ボールに雪がついて大きくなるって意味か」
「そうそう、なるでしょ。雪だるま的に」
「はー?なんねーだろ」
「えぇー、なるよー!」
「なんねぇーって、そもそもバスケは室内球技だっての」
「いやいや、今度外でバスケしてみ?雪だるま、作り放題だよ?」
駅の階段、不意に立ち止まった私を不思議に思った寿も反射的に立ち止まる。外は相変わらず雪がちらちらと降っていてあたりが白く霞んでいる。
「シィー.........」
私は目を瞑って人差し指を鼻の先に当てる。そうして、ゆっくり目を開いて空を見上げると寿もつられて空を見上げた。しばらくの間、降ってくる雪を静かに二人で眺めていた。
「静かだねぇ」
「……」
「雪降ると、静かだよねぇー」
静寂の中、雪の舞ってくる夜空を見上げたままの寿が無表情で、ぽつりと言った。
「ゴミ、みてェだな」
「ねぇー、ほんと空気が読めないよねぇ」
「ああン?……だって、ゴミみてぇだろ」
「ゴミじゃないよ、雪だってば」
「あっそ、雪か。へいへい」
「うん。……ねぇ、静かだよねっ?」
それには特に何も返してこなかった寿だけれど、ややあって隣から呆れたように鼻にかかった息を漏らした気配を感じた。
「……ったく、うるせぇーなァ」
「んん?」
「名前の声、うるせーって言ったんだよ」
「寿…………。静かだねーっ!!」
「ふは、うるせーよ! シィー......」
こんどは寿が自身の鼻に人差し指を当てる。いつもボールをゴールに投げ込む綺麗なその指先に思わず見惚れてしまう。大きくて男らしいごつごつしている寿の手。それでも筋張っていて日に焼けていないからか、女の子の手みたいに白かった。
ワイルドな顔つきなのに、それがアンバランスで、でもとても綺麗だなって思った。珍しく雪の降る、こんなシチュエーションだからそう思ったのかもしれないけど。
私たちは階段を登り、ホームに立って電車が来るのを待つ。間もなくして到着した電車にふたりで乗り込み、当たり前に隣同士で腰を降ろす。
ガラガラの電車に揺られて、スライドする景色を眺めながら今日の出来事を振り返ってみる。
ふと反対側に視線を向ければ、無邪気な寝顔と、無意識の内に恋人繋ぎをされたらしい私の右手。私は繋がれたその手のひらから伝わる温もりを感じながらさり気ない小さな幸せを見た気がした。
こうしていると
まるで幸せを独り占めしたみたいだ。
つられて私もそっと目蓋を閉じれば、夢見心地なままに揺蕩う肩にまかせて寿を心に浮かべながら感じるのだ。いつもどうりの幸せで、愛に溢れた未来を——。
—
「寿ー」
「ん?」
「寒いよーっ」
「……どうにもなんねェこと言うなよな」
「だって、寒いもん」
「俺は寒さを止めれる術は持ってねーぞ」
「じゃあクリスマスプレゼントに頂戴よ」
「ふは、それ以外ならいいぜ。物にしろ、物に」
最寄り駅に降りて、また肩を並べて歩き出す。
校舎を出てからの私たちとまったく同じ流れ。
「雪、止んじゃったね」
「ああ、だな」
「雪、積もらないかなぁ」
「あほ。いくら寒いっつったってよ、関東なんてそうそう降らねえだろ」
「えー、じゃあ何でさっき降ったの?雪。」
「知らねーよ、お天気姉さんに聞け」
「寒くても、雪が積もればたのしいのに」
「はっ。人一倍、寒いの嫌いなくせしてよ……」
「ゲンキンなヤツだな」とかいう寿の小言はシカトして私はハァと息を吐く。相変わらず白い息。白いもやがほう、と出て、瞬間に消えた。ああ、今日は星が綺麗だ。冬は澄んで見えるんだよね。
「寿ー」
「名前ー」
「ん、なに?」
「あ?真似して呼んだだけだ」
「……。ねぇ、寿ぃー」
「あー?」
「手ぇー、つなごーよぉー」
「な、……嫌だ」
「えぇー!」
まさかの返しに驚愕する。私たちが付き合ってから約半年になるけれど最近、校舎の周りは人目があるから(ガヤ連中が多いかららしい)と、手を繋ぐ行為を避けていた寿。それでも最寄り駅から自宅までの距離は必ず自ら手を握ってくれるのに今日はなぜだかそれを嫌だと言う。
別にクールな訳でもなんでもなくて、たまに発動する、ただの恥ずかしがり屋なヘタレ寿が降臨しただけだろう。特に、ベタベタしたいと思ってる訳じゃないけれど、でも手ぐらいは、ねぇ。もう誰も知り合いなんか周りにいないんだし、さぁ?
「寿ー」
「あンだよ」
「部活、お疲れさま」
「……お、おう」
「今日も、かっこよかったよ」
「——! ま、まあな……。」
「……流川くんが。」
「てめ……」
「あははっ」
うそうそ寿がいっちばんかっこよかったよ。言わないけど。手繋いでくれたら言ってもいいけど。
「……」
「……」
こうやって他愛もないことを話してるときって、しあわせ。寿はころころ表情を変えてくれるからおもしろい。
「寿ー」
「おー?」
「すき」
「は!?」
「なによぉ、彼女がすきだって言ってるんだからそれに応えなよねぇー!」
「うぇ? あー……えーと……」
「うじうじしなーい!男を見せろ、三井寿!」
「え、あーっと……オレも、好き、だ」
「……ふっふっふ」
不気味な笑いの私をジト目で見て来る寿。気持ちわる…とか言っちゃうそれは照れ隠しか本心か。
「ひっひっひ、」
「あン? なに笑ってんだよ」
「あだっ!」
チョップされた頭。その行動にさっきの「気持ちわる」という台詞が照れ隠しだったのだと知る。これ結構痛いんだぞ、あほ寿。まあ、その赤面に免じて許してやろう、うん。だって、幸せだし。
「寿ー」
「……」
「寿、ひさしぃー」
「……だー!もう。なンだよっ。」
「ん、」
寒さに赤くなったカサカサの手を少し前を歩いていた彼に向けてぐっと突き出す。にこにこしながら待っていると、寿は手を取るかわりに羽織っていたジャージを私の肩にかけてきた。
「……」
「……あ?」
私は小さく溜め息が漏れる。思わず眉を顰めて俯くと、途端に目の前が陰る。しかめ面のまま目線だけを上げれば寿が含み笑いを堪えて片眉を吊り上げながら私の顔を覗き込んでいた。
「……なんつーツラしてんだよ」
寿は溜め息をひとつ衝いて、やさしく自分の左手で私の右手をとってくれた。そのまま寿に引かれるようにして私たちはまた歩き出す。
「……寿ー」
「……ん、」
「星が綺麗だねぇ」
「………そーだな」
「寿ー」
「はいはい」
「顔、真っ赤だね」
「——!? だ、黙って歩け!」
最寄り駅から自宅までの道を、肩を並べて歩いて行く。校舎を出てからの私たちとまったく同じ。
ひとつだけ違うことは——いまはしっかりと
私と寿の手が繋がれている、ということ。
いつだって愛に溢れた日々へ
言葉どうりの、愛と平和な日々に
わたしはいつも、憧れている。
でも今は、こうして手を繋いで歩めれば
それだけでいいと思うんだ。
やさしい て のひら
(家がすごぉーく遠くなればいいなぁー)
(ヤダっての、こんなに寒ィのに)
(いいよぉ、照れ隠ししなくても)
(……うっせ、黙って歩け)
(……)
(……なんか、喋れよ)
(ふふ、どっちだよー、もぅ)
※『 帰り道/Hiplin(feat.kojikoji) 』を題材に
※BGM『 silent main theme/得田真裕 』
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