きみのためなら死ねる

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     高校二年生——冬。時刻は夜の七時過ぎ。そろそろ、彼氏の部活が終わる頃だろう。
     私は、江ノ電に揺られて帰宅中。今日は用事があるからとバスケ部の見学へは行かずに本屋さんとかパン屋さんとかで適当に時間を潰して、いまこうして自宅へと帰っている真っ最中。この時間の車内はわりと混んでいるけれど、運が良ければ座れたりもする。今日はその、座れる日だった。
     ラッキーだなぁ、って。たまにこうして平然と座っているとチラチラと会社帰りのサラリーマンに「席をゆずれ若僧」みたいな目で見られるけどこっちだって色々あるんだ、ヘトヘトなんだよ、とか思って、素知らぬふりなんかでごまかす。

     マフラーに顎を埋めて目を閉じれば最近新しく買った柔軟剤の匂いが、微かに鼻孔をかすめる。過去に一度この柔軟剤を使ったとき、この匂いがいいって、幼馴染の彼氏が言ってくれたからまた買ったやつ。我ながら単純王だな、と思う。
     電車が停まった。とある駅で、人が一気に下車する。やったぁ、空気がキレイになった。タバコ臭いおじさん達もいなくなり静まる車内。電車がまた走り出して、私もなんだか眠くなってきた。でもいけない、あと二駅で私の最寄り駅だから。寝過ごしたら大変だ。

    「……、」

     たまにあるんだ、こう、なんとも説明しようのない、どんよりとした気分に飲み込まれて全てが嫌になってしまう瞬間が。きっと月イチの女子にだけ訪れる不公平極まりないペリー来航のせいもある。あ、ペリー来航って生理ね、生理。最近、二年生の女の子の間ではそんな呼び方をするのが流行っているんだってさ。
     そしてあっという間に二駅目、私の降りるべき駅名を車掌さんがアナウンスした。

    『——お出口は左側です』

     電車が停車して進行方向から左側の扉が開く。人がまた降りていく。でもその中に紛れて、私もさっさと電車から降り立つ。

    「……寒っ、」

     思いがけずそんな声が漏れてしまう。また深くマフラーに顔を埋めて、通い慣れた道をひたすら俯き加減で早歩きで足を進めていく。そして自宅に着くや否や手洗いうがいをしてお父さんが作ってくれた晩御飯を食べてお風呂に入って、部屋でぼーっとしていた。
     マナーモードのままにしていた携帯電話が鞄の中で二回ほど震えたのは気付いていた。たぶん、相手は一人しかいない。『部活終わった』『なにしてんの?』とかそんな内容のメールを受信したんだと思う。けれどそれは開かず、手ぶらのまま私は一階に降りた。

    「ちょっと友達と駅で会って来る」

     お父さんにぶっきら棒にそう吐き捨てて玄関に座って、学校に履いて行っているローファーではなく、スニーカーに足を通す。リビングからお父さんが顔を出した気配を感じて振り返った。

    「友達って、学校の子か?」
    「……うん、会って話そうって」

     すぐにお父さんに背を向けて立ち上がり、そう言えばややあってから「そうか、気を付けて」と投げかけられた。
     私は心の中でほっとしつつ玄関を開き放ち外に出た。向かった先は言わずもがな目の前に広がる海だ。部屋着のままそばにあった薄いアウターを羽織って来ただけなので、当たり前に寒い。マフラーも着けて来るんだったな、と後悔しながら、砂浜に腰を降ろして体育座りをして膝を抱える。

    「……。」

     月イチのこの一週間だけはどうしてもダメだ。とくに冬。夏ならまだいい。この鬱々とした気分だけならやり過ごせるけれど、お母さんのことを思い出すゾーンにハマってしまうと抜け出すのに一苦労する。だからこそお父さんには知られたくなくて思春期真っ只中の女子特有の浮き沈みですよぉ〜的な雰囲気を醸し出して乗り切る。でも、今回はなんか、本当にだめだな。なんていうか、真っ暗って感じ。
     不意に上着のポケットに手を突っ込んで寒さをしのごうとしたとき、指先に何かが触れた。取り出すと無くしたと思っていたお気に入りのコードレスイヤホンが出て来た。このあいだ新しいのを買っちゃったのに、こんなところにあったとは。これこそ、灯台下暗しというやつか。
     なんとなくそのイヤホンを両耳にかけてみる。もちろん、音なんか何も聞こえないけれど潮風をわずかにさえぎってくれたお陰で少しだけ寒さが和らいだ。耳の寒さだけだけど。私はそのまま、また膝を抱えてうずくまる。

    「……っ、」

     お母さんに会いたいとかそういうんじゃない。自分でもどうしてこんなふうになってしまうのかいまだに分からない。分からないから、苦しい。こういうときにいつも、実は私って、闇を抱えているんじゃないのだろうかと、不安になって更に落ち込んでしまう。
     きっと、この痛みは、誰も理解してはくれないだろうと思う。でも——彼なら、もしかして……


    「やっぱここにいたのか」


     波の音に混じってそんな声が聞こえた気がして思わず反射的に背後を振り返る。
     はたしてそこには、幼馴染の彼が立っていた。

    「ぜってーココだと思ったわ」
    「……」
    「……あ?」
    「………っ」

     目が合った。私は、ズズっと品なく鼻を啜る。相手は、部屋着っぽい上下スエットにダウンジャケットを羽織っている。両手はそのジャケットのポケットに仕舞いこまれていた。寒いのか、肩を竦めて眉間には深く皺が刻まれている。

    「なァーにしてんだ?こんな遅くに」
    「……寿こそ、なにしてんの?」
    「あ、俺か? 俺ァ……」

     目を左右に動かして、何かそれらしい言い訳を言おうとしているのが丸わかりで、ほんと分かりやすいヤツ、と、笑いそうになるのを抑え込む。それに気付いたのか無意識か彼が少しだけ不機嫌そうに顔を顰めて言った。

    「散歩、でも——してみっかな〜って感じ?」
    「うそ」
    「——!」
    「……ここに来るの、見られちゃった?」

     そう質問して私は相手の返答を聞く前に、また海の方に体を戻す。すぐに背後から砂を踏む音が聞こえてきて、気付けば隣に腰を降ろして胡坐をかいた幼馴染の姿が目の端に映った。

    「……なに聴いてんだ?」
    「一緒に……聴きたい?」

     それにはイエスともノーとも答えなかった彼。けれど、そっと片方のイヤホンを耳からもぎ取られて、彼はそれを自分の耳に入れた。

    「……なんだよ、波の音しか聞こえねーぞ?」
    「波の音を聞いてたんだよ」
    「ンだそれ、変なの」
    「変だもん、わたし」
    「おーおー、機嫌わりィなぁ……ったくよ」

     突如おとずれる沈黙。でも、気の利いた言葉を紡ぐ気は起きない。なにもしたくない。考えたくない。今はただ、ぼーっと、海を眺めていたいんだよ、わたしは。

    「——さっき、」

     密やかな彼の声が隣から聞こえた。相手も真っ直ぐに海を見つめているようだ。彼が隣に座ったときに、チラッと盗み見たから分かる。

    「おまえの父さん、回覧板届けに来てよ」
    「……」
    「ちょうど部活から帰ってきたときだったから、受け取ったんだよ、俺が」
    「……へえ、」
    「おまえが友達に会いに、駅まで出て行ったとか聞いて、んで……」
    「……」
    「寿から電話きても言わないで、って言い残して出てったって言われてよぉ」
    「……っ」

     即バレじゃん。たしかに、玄関のドアを閉める間際、お父さんにそう言い残した。
     まったくもう。お父さんの中の��お願い事�≠ニ��秘密�≠フ概念を知りたいもんだよ。

    「ふはっ。そりゃ名前、探してくれって言ってんのと変わらねェぞ?」
    「……」
    「おまえ、そーゆうとこ可愛いよな」
    「探してって頼んでもないし、可愛くもないよ」
    「おっ、ちゃんと口付いてたのか。何も喋んねえから、口もげたのかと思ったぜ」
    「ほんと、揚げ足ばっか取るんだね」
    「性分なんだよ、諦めろ」

     私はふぅ、と溜め息を吐く。吐いた息が、白く登っていって消えた。それを見たのか彼も小さく息を吐いてから、そっと囁く。

    「どうしたよ」

     って。優しいその声色に涙が溢れてきた。どうして私、寿の前だけでは感情が剥き出しになってしまうんだろう。一番隠し通したい相手なのに。

    「なんか、あったのか?」
    「……」

     その言葉につい、弱音が零れた。誰にも言えなかった本音が。いつの間にか強がることを覚えて曝け出せなくなった、弱い自分のこと。寿が卒業してしまうことへの不安。あと……お母さんへの気持ちとか。
     ぼろぼろと泣きながら、支離滅裂なことを言う私の言葉を彼は、ただ隣で聞いていた。私を抱きしめて慰めるでもなく、かと言って、無言というわけでもなく、たまに相槌をうってくれて。その距離間が、私を安心させて饒舌にする。

    「たまに思うんだよね、わたし」
    「……ん?」
    「寿と、逆だったらよかったのにな、って」
    「逆?」
    「うん。私が三年生で寿が二年生。そしたら卒業していくのは私だし、これから先の不安を感じるのも寿担当でしょ」
    「……」

     これをわざと言っているのなら私は人が悪いしわざとでないのなら気遣いがなさすぎる。そんなことわかっている。でも、言ってしまう。なぜかこの人にだけは——。

    「あと、たとえばね?たとえば……」
    「……」
    「水戸くんみたいな人が彼氏だったらさぁ?私は大人なフリをして、去ってくだけ。残された方が苦しいし、悲しいし、寂しいのかなって」
    「……なんでそこで、水戸なんだよ」

     さっきまで軽く相づちを打ったりただ私の話を聞いていただけだったはずの幼馴染の彼が、心底不機嫌だと言いたげにそんなことを言う。
     思わず私が「え?」と訊き返せば「チッ」と、あからさまに舌を打ち鳴らした彼が不機嫌なまま私の目を見張る。

    「年下彼氏の例えネタなら宮城とかでもいいじゃねーかよ」
    「え、リョータくん?」
    「ああ。宮城なら一緒に卒業すんだし、わざわざ水戸を題材にしなくたってよ……」
    「でもさ、どっちでもいいんだけど……やっぱ、置いてかれる立場は、やだなって……」
    「……」

     私の幼馴染は正直で抜き身すぎる性格が原因で何かと他人と口論になりがちだが、良い面も悪い面も隠さずさらけ出しているからこそ信用できる人だなって思ったりするんだよね。こんなふうに思ってる人、けっこう多いと思うだけどな。

    「お前ってヤツはよぉ、まーた、自分勝手なこと言うんだな」

     彼がフッと息を吐くように言い、すこし目線を下げて鼻で笑う。まつ毛が長くて、微かに潮風に揺れるそれを私は、じいっと見つめていた。

    「今の立ち位置で俺が不安じゃねえとでも思ってんのか」
    「え……」
    「俺は新しい環境にぶっ込んで行くんだぞ?はじめのうちは忙しくて大学、部活、帰宅、寝るって繰り返しだろうし……あっという間に一年なんて過ぎちまうだろうな」
    「……」
    「けどお前は、いまある環境の中で、気心知れた仲間もいて相談も乗ってくれるだろうし助けてもくれるだろうよ」
    「……」
    「ンな環境下で相変わらず水戸とか流川とか……俺だって不安だし心配だし心臓がなんぼあっても足りねェ状況だっつの」

     何も答えずに私は一度、正面に向き直ってからまた、彼のほうにゆっくりと顔を向けた。それに気付いた相手もゆっくりとこちらに顔を向ける。再度目が合う。彼は「あ?」と言いたげに片方の眉毛をくいっと吊り上げた。

    「……このまま、このまま……さぁ?」
    「ああ」

     ザザッと砂が鳴ったのは、彼が体ごとこちらに向いたからだった。
     彼は私と距離を縮めて私の手を掴んでぎゅっと握る。私がそっと視線を下に落とすと、私の手を掴む相手の力が強くなる。

    「このまま、どっかに逃げよ?一緒に」

     私のあるかなきかの小さな呟きをちゃんとキャッチしたであろう相手にまた視線を合わせれば、一瞬だけ目を見開いた彼が「あー」と、なにかを考えるみたいにして斜め上を見やる。

    「未成年だし、ラブホじゃ泊まれねーしな。もう10時過ぎてるしよ」
    「じゃあ、カラオケは?」
    「……」

     やばい。絶対に引かれた。まずった、と思った私は気付けば即座にそんなことを口走っていた。けれど彼はまるで私を慈しむみたいな優しい顔をして、こちらを見ていた。だって、��逃げよ?�≠ネんて、そんなの……できるわけないのにね。

    「なあ、名前」
    「……ん」
    「一緒に、逃げっか」
    「……」
    「もう、なんつーか……俺も辛くてよー」

     泣きそうな、今にも泣き出してしまいそうな、幼馴染の彼の声が、しっかりと耳に届いた。
     なんでかな、私の視界がだんだん滲んでいく。他の人に見られちゃうよ、どうしてくれるの。
     誰にでもあるんだ。どんなに明るい彼だって。泣きたい日くらい、あるよね。


    「……どこにでも付き合うよ、バカ寿。」

     そう返して、私も彼に少しだけ寄りかかった。震える指を重ねて。繋がったままのイヤホンは、そのままにして——。










     君となら 何処 までも。



    (バーカ、逆だっての)
    (なにが)
    (俺がおまえに付き合ってやんだよ)
    (……え?)
    (よろこべ、名前)
    (……)
    (大好きな三井様がどこまでも付き合ってやるよ)
    (……バカ。)


    ※ image song『 ねっこ/King Gnu 』

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