放課後——バスケ部の練習開始がいつもよりも遅くなると新キャプテン、同級生のリョータくんから伝達があった。それを現在でも部活動に勤しんでいる受験生の彼氏に伝えに行くべくスクールバッグを肩にかけて前髪をちゃちゃっと直し私は自分のクラス、二年一組の教室を元気よく飛び出た。勢い余って、クラスメイトと正面衝突しても「ごめんね〜!」と両手を合わせながら急ぐ私の足取りは軽かった。

 掃除班のみちらほらと残る三年生の校舎。三年三組の教室の入り口に立ち中を見渡してみれば、窓際、後ろから二番目の席に座って湘北の番長、堀田先輩含む同級生たちと、高らかに声をあげて笑っている彼氏の姿を発見した。
 こっちに気付け、と言わんばかりの眼光にいち早く気付いたのは窓の淵に背をあずけていた番長堀田先輩であった。

「三っちゃん」

 言って寿の肩をポンと叩いたあとこちらに指を差した堀田先輩にならって、寿が教室の入り口に視線を向けてくる。「おいで」と言うように堀田先輩が手招きしたことで残り少ない寿のクラスの生徒らも、ちらちらと私を一瞥する。

「お、……おじゃまします」

 一応そう小さく呟いてから三年三組の教室内へと足を踏み入れた。寿が片手で頬杖をついたまま機械的な感じで二ッ、と私を見て口角をあげたので私も機械的に「二ッ」と口角をあげてみせた。
 堀田先輩とその他の舎弟に囲まれながら、一人だけ席に座っていた寿の目の前にたどり着けば、ようやく「どうした?」と、楽し気に歪んだ唇が聞き慣れた低い声を発する。

「部活、ちょっと遅いんだってさ。スタート」
「ああ、宮城からか?」
「うん、伝えてって。」
「ふうん」

 そんな私たちの会話を聞いていた堀田先輩達が目配せしているのがチラと目の端に映った。すぐに「どーぞ、俺ら帰るしな」と堀田先輩が言ったので、思わず堀田先輩を見ればハハ、と気まずそうに苦笑いを返された。きっと「どーぞ」とは、あとはふたりで仲良くやってくれという意味なのだろうと何となく察する。「……ここ」と言って私がピッと寿の前の席を指差すと寿はやっぱり「あ?」と聞き返してきた。

「座ってもいい?」
「どーぞどーぞ」

 と、それに応えてくれたのはこのクラスの住人ではない堀田先輩だった。

「あ?ダメ。座んな」

 にやにやと堀田先輩の言葉のあとに言う寿に、私は頬を膨らませる。そうして反射的にまた堀田先輩を見上げれば、一瞬ぎょっとした視線を私に向けた堀田先輩がすぐに呆れたように眉をさげてやれやれというように小さく溜め息を吐いた。

「もー素直じゃないんだからー!……って思ってます?」

 私のその問いかけに堀田先輩らの舎弟がブッと噴き出したと同時に寿がぐっと喉を詰まらせやや顔を赤らめる。

「おっ!さては見聞色の持ち主だな?」

 意外にも乗っかってきた堀田先輩がわざと驚いたような動きのジェスチャー付きでそんなことを言うので私は意気揚々とに返した。

「そうなんです。私、見聞色の覇気を極め過ぎて相手の先の言葉が読めるんです」
「ほぅ。懸賞金、10億5700万ベリーか……」
「オイオイてめぇら、なんの話をしてんだよ」

 さっきまで赤面していた寿がすでに顔色をいつも通りに戻し溜め息交じりにそう言い放ったあと右手で机に頬杖をついた。

「えー寿、知らないの?海賊漫画ワンピース。」
「知らねーよ、俺マンガ読まねぇもん」

 寿は頬杖を解くと今度は椅子にだらしなく背をあずけた。そんな彼を見下ろし睨みつけていた時堀田先輩が「じゃ」と口火を切って手をあげた。そのまま教室の入り口に向かって行く堀田先輩にならって、他の舎弟も「俺ら帰ります」みたいな仕草を見せるので「バイバイっ」と私がみんなの背中に満面の笑顔を向けて手を振れば寿が「敬語を使え」と、ご丁寧にも注意を促してくる。
「じゃーな三っちゃん」とか「部活頑張れよ」とか「喧嘩すんなよー」とか、そんな台詞を言い置いて、堀田先輩たちは教室を出て行った。

 気付けば、掃除班もとっくに下校してしまったみたいで三年三組の教室内は私と寿の二人っきりになっていた。しばらくそのまま教室の入り口に視線と向けていた私に対し「座らねえのか?」という声が不意に聞こえてきて、私は寿を見やる。

「座れよ」
「はぁ?ダメって言ったじゃん、立ってるよ」

 まさかの返しだったのか、きょとんとしたあと寿は「素直じゃねえなあー」と抑揚つけて言い、ガハハハ!なんて笑っている。そんな彼氏に向かって、どっちが……という言葉を飲み込んだ私は寿の前の席の椅子を引き、そこに座った。横向きに座って肩にかけていた鞄を机の脇に置いた刹那私の右頬に、温かい感触が走る。ちら、と横目に見れば、寿が楽し気に私の頬を人差し指で突いていた。

「……なに?」
「ええ?餅みてえだなって思って」
「はあ?太ってるってこと?」

 思い切り寿の方に顔を向けたことで、その反動からか私の頬を触っていた寿の手が離れた。未だ触れられていた肌に、ほんのりと残っている熱を感じながらも、私は気にしていない素振りでそっぽを向いてやり過ごす。

「はぁ?言ってねえだろ、ンなことひと言も」

 少し不機嫌そうな感じで溜め息まじりに言った寿は自分の机にあがっていた、さっきまで読んでいたらしき雑誌を手に取り中をパラパラと捲ってまた読み始める。

「なに見てんの?週バス?」
「いんや?ファッション雑誌」
「えっ!?ファッション雑誌ィィ?」

 驚愕の声のあと中身を覗き込んだ私に寿はあからさまに嫌そうな顔をする。興味津々に目をキラキラと輝かせている私をチラッと上目遣いで見た彼が、鬱陶しそうに小さく舌打ちをした。

「えっ?買ったの?」
「借りたの」
「えー、誰から?」
「ああ?誰だっていいだろ……」

 そう言って不満そうに唇を尖らせたので「別に興味ないけどさ」と天邪鬼精神で返せば、再度、ちらと私を上目遣いで見やったあとすぐに視線を雑誌に戻して「あぁそうかよ」と冷めた声で流した彼に私はまた膨れっツラをしたが、もはや見てもくれない。私は姿勢を変え、椅子にまたがって寿と向き合う体勢を取る。なおも雑誌を読み進めている彼氏の目の前に両手で頬杖を突いて、その様子を眺めている私に彼は、視線を雑誌に向けたまま言う。

「なァに、嬉しそうにニヤニヤしてんだ」
「ええ?してないよ」
「いや、ニヤニヤしてるだろ、確実に」
「してないって」
「ったく、可愛いツラしやがって」

 さも当然かのように、さらっとそんな事を言ってのける寿にドキッとした私は、目を泳がせた。すると寿は読んでいた雑誌をスッと下ろし、そこから目を覗かせて私を、じっとを見据える。

「俺から可愛いって言われんの嫌なのか?」
「いや、べつに!そーいうわけじゃないけどぉ」
「じゃあ、どういうワケだ?」
「………嬉しいよ?とっても」

 やや顔を赤くしてプイッと背きながら言う私を見てフッと満足げにひとつ笑った寿は再び雑誌に視線を戻した。そして、お互い何も話さないまま沈黙の時間がしばらく続く。


「…………ねぇ、」
「んー?」
「私のために、おシャレ研究してるの?」
「……なっ、!!」

 予想外の質問だったのか読んでいた雑誌が寿の手からバサッと机の上に落ちる。すると目の前に現れたのは、困惑して頬を赤らめている寿の姿。私は思わず、笑いそうになるのをぐっと喉の奥で抑えた。

「——私、このひと好きだよ?」

 机の上に落ちて広げられたままの雑誌のページをペラッとめくり、私は指を差して言う。寿は、やや眉を寄せて「……ええ?どれ」と問う。私が
「ん」と今度は顎で指して伝えれば「あ?コイツ?」と言って、怪訝な顔をしながら寿はピッと雑誌の中の人物を指差した。

「うん。かっこいいよね」
「……ど、どのへんが?」
「んー、ワイルドなとこ?ドラマとかバライティーもチェックしてるよ、私」
「……へぇ」
「なんでも出来るよね。スポーツ、歌、演技」
「……」
「声もかっこいいし色気あるし、なにより笑顔が最強」
「……。彼女いるって、ぜってえ」
「いてもいいよ、かっこいいのには変わりないもん」
「……」
「身長も高いんだよ?183センチ?だっけ、そんくらい」
「俺のほうがでけえな」

「1センチ」と得意げに言いながらも、やっぱりおもしろく無さそうな表情を浮かべる彼を見て、ちょっと揶揄い過ぎたかなぁとも思ったが、どうしても意地悪心が先行してしまう。

「でも付き合えるものなら一日くらいデートしてみたいよね〜ほんと好き、この人」

 そこまで言って自分の発言した言葉を思い返したら、とたんに恥ずかしくなってきた私は俯いて顔を赤らめる。そんな私を睨むように見た寿が、「……あ?なに照れてんだよ」とばかにしたように言ったので「だってぇ……」と私はさらに顔を赤くさせる。

「あン?」
「なんか恥ずかしいこと言ってない?わたし」
「……」
「……」
「——大丈夫だって、心配しなくてもよ」
「え?」

 私は俯かせていた顔をぱっとあげて寿を見た。寿は雑誌を持ったまま横向きになると足を組んでパラパラとまた雑誌をめくる。

「付き合えることは一生ねえから、コイツと」
「……」
「そんなにいい男かよ、だってコイツ——」
「でも、寿のほうが何億倍もかっこいいよ?」

 寿の言葉をさえぎって私が真面目腐ったようにサラッと言えば寿がまたバサッと今度は床に雑誌を落とした。そしてさっきまでは不機嫌に、いや不服そうに唇を尖らせていたのにも関わらず嬉しいのか恥ずかしいのか、それとも照れているのか今はほんのりと頬を赤くしていた。そうしてまた二人の間に沈黙が走る。

「………、はいはい」
「ん?」
「同じ服買えばいーんだろ」

 寿はぶっきらぼうに言い放って、落ちた雑誌を拾い上げ再び読み始める……が、よく見ると表紙が逆さまになっていて今のそれが照れ隠しの行動だということは明らかだった。
 そんな彼氏を見ていたら何だか可笑しくなってきて、あははっと私は声を出して笑い出す。

「オイ、なに笑ってんだよ……」
「ええ?だってさぁ……」

 頬を赤く染めながら睨みを効かす寿に私は満面の笑みを向けて二ッと歯を出す。それを流し見てチッと舌を打ち鳴らした彼は雑誌をバサッと乱暴に机の上に置いた。そんな彼の行動を、私はニコニコと未だ微笑みながら机に両手で頬杖を突いて眺めていた。——そのとき私の後ろ、教室の壁に掛けられている時計に寿が視線を向けた。

「そろそろ練習、始まるんじゃねーか」
「うん、そうだね」

 私も背後を振り返り時計を見てそう言い返す。そのまま私が席を立ったとき未だ席に座ったままの寿が、両手で顔を乱暴にガシガシと擦っている姿が目に入った。顔を擦り終えると「はぁー」と大きく溜め息を吐いている。次いで、ポケットに両手を突っ込んで椅子を少し後ろへ揺らしながら頭をうな垂れさせている彼氏に私は揶揄い口調でさっき言われた言葉を、そのままそっくり今度はこちらから言い返してやった。

「なぁーにニヤけてんの〜?」

 寿は「ああん?」とメンチを切るが、その顔はやっぱりほんのりと赤くなっていて本人は気付いていないのだろうけれど隠しきれない喜びの笑みみたいなやつが、口の端から零れ落ちて、口角が少し吊り上がっていた。

「さっきの言葉、嬉しかったんだ?」
「うっせ!黙れ、しゃべんな!」

 私がハハハ!と笑っている刹那、グイッと腕を引かれて今まで座っていた席に引き戻される。
 とたんに至近距離に寿の顔があって私は乱れてしまったスカートの裾にすら気が回らないほど、心臓がドクドクと高鳴り掴まれた腕はそのままに身体が硬直してしまう。

「なぁ……悪いことしよーぜ」
「わ、わるいこと?」

 動揺して声が上ずる私に、さらにぐいっと顔を近づけてきた寿の、低く甘い声が二人きりの教室内に響いた。


「教室でキスすんの初めてだな」
「え、」

 抵抗する間もなく、ちゅっと軽くその楽し気な唇がリップの潤いを無くして渇いていた私の唇へと重なった——。










 放課後の 教室 で。



(俺とさっきの奴、どっちが好きなんだよ?)
(……、寿に決まってんじゃん)
(よしっ、合格。)
(なにそれ)
(うっせ。ホラ、もっとキスさせろよ——)
(ちょ——、んーっっ!!)


※『ささやかな祈り/Every Little Thing』を題材に

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