今日も明日もただ、君が好き(1/2)

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  • 五月の初旬、真夜中。
    目を覚ますと携帯の明かりに照らされた寿の顔がぼんやりと見えた。

    静かに体を寿のほうへと向けて、その顔をじっと凝視してみる。いつもに増して眉間に皺を寄せる愛しい人の顔。

    画面をスクロールしては小さく溜め息を吐いてみたり何に納得しないのか、うーんと小声で唸ったりしている。どれだけ見つめていても私が起きているということは想定外のようで寿の視線が私に向くことはない。もうすこしだけ、寿のほうへと体を寄せたとき。

    シーツの擦れる音とともに異変に気付いたらしい寿の視線が、ようやく携帯画面からチラと私のほうへと向いた。


    「うおっ!!」
    「ぎゃ!!」

    驚いて大きな声をあげたと同時に携帯電話を手放した寿のせいで私の顔面にその携帯電話が降ってきて私も素っ頓狂な声をあげてしまった。謝罪するでもなく「びっくりさせんな!」と怒られたうえに、しれっと携帯電話を拾った寿にイラっとしてチラとその携帯電話の画面を覗き込んでやった。


    「——婚約、指輪……?」
    「!!?——ばっか、覗くんじゃねえ!」

    寿はカチャと携帯電話の脇にあるボタンを押して画面を消すと枕元にその携帯電話を置いて布団を被り直した。

    私に背を向けるように布団にもぐった寿の背中にピタッとくっついて腕を回し、「ねえねえ?」と揶揄い口調で声をかける。

    「……声掛けんな。寝てんだよ」
    「起きてるじゃーん」
    「はい、寝た。グー、グー......」
    「あれぇ〜、寝ちゃったのかなぁ?」

    私はわざとらしく抑揚つけて言ったあと、ひとり言のように話し出す。

    「検索バーに、『婚約指輪 女性 人気』とか、わかりやすく入力してたなあ〜」
    「……っ」
    「まだOK≠チて……言ってないのになあ〜」
    「——オイっ!」

    寿が勢いよく私のほうへと体を向ける。

    「……起きてるじゃん」
    「ンなことどうでもいいわ!待てよ、まさか断る気じゃねえよな?」
    「えー? うーん、どうしようね……」

    今度は私が寿に背中を向けて布団を被り直した。寿はさっき私がしたように私の背中にぴったりとくっ付いて腕を回し私の耳元に話しかけて来る。

    「断ったらまた首絞めんぞ……」
    「こわー、ヤクザみたい」
    「じゃあもういまここでOK出せよ」
    「やだよ、脅されて言ったみたいになるじゃん」
    「……名前」
    「……ん?」

    暗がりの中、私がゆっくりと体を寿のほうへと向き直す。すぐに正面からぎゅっと寿の腕が私を抱きしめた。この距離感だと顔が見えなくても寿の体温を直に感じることが出来るし彼の小さく熱い吐息も聞こえて何だか安心する。

    「……断んの?」
    「……」
    「ここまで引っ張っといてか?」
    「……」
    「なあ……名前、」
    「……ッ——、」


    寿は、ズルい——。

    私がそうやって甘く名前を呼ばれたら、素直になることを知っているのだ。

    「……寿?」
    「ん」
    「わたし、いらないよ?指輪。」
    「……え?」

    寿の体から顔を離してその顔を覗き込んでみれば、暗がりに目が慣れて来たのか驚いているような寿の顔がぼんやりと見えた。

    「もう、もらってるもん。」

    言って右手をピッと寿の目の前に出して見れば、彼も暗がりに目が慣れてきたのか微かに目を細めたのがわかった。そして優しくその差し出した手をぎゅっと握ってくれた寿は、そっと私の額にキスを落とす。

    ちゅ、という可愛らしい音が寝室内に響く。くちびるが離れていったとき、寿がじっと目を凝らして私の瞳を見据えたあと、勝気な笑みを浮かべて言った。


    「誰もお前にあげるなんて言ってねえんだけど」
    「えっ?!」

    すーっと寿の体が離れていき、次いで寿のワッハッハという乾いた笑い声が聞こえてきた。

    私に背を向けて「おやすみ」なんてさらっと言った寿の肩を思わず私は強めにポンポンと叩く。

    「え、どーいうこと?私にじゃないなら、誰に買うんですかー?」
    「いつまでもOKくれねえ奴になんざ買うわけねえだろーが」
    「……本当そこ拘ってるね、しつこい。嫌いだわー」
    「……ああン?」

    寿がまた、ゆっくりとこちらに体を向ける。そしてベッドに片方の肘をついて、その手に頭を乗せた。私を見下ろしているその目が眠そうで、だけど明らかに不機嫌そうに歪んでいる。

    「嫌いなのかよ、こーやって同じベッドの中で寝てんのにか」
    「……」
    「さっきまで俺の腕の中で散々、喘ぎ声出してたヤツがか?」
    「……っ、」
    「お前は嫌いな男から平気で抱かれんのかよ」
    「だって、意地悪言うじゃん……」
    「だってOK出してくれねーじゃねえかよ」
    「……」

    言葉に詰まった私を見た寿はフッと浅く笑ったあと「嘘だって」と言って、もう一度わたしの額にくちびるを押し当てた。そして「今度こそおやすみ」と言い置いたあと私に背を向けて寝る体勢に入った。しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてきて私はフウ、と安堵の溜め息をつく。


    わざと意地悪をしてプロポーズの返事を流しているわけではない。もうすぐ寿の誕生日が来るので、その日に言おうと思っていたのだ、実は。

    寿は欲しい物を自分で求めて買ってしまうタイプなので何をプレゼントしようか迷っていたとき思いついた案だった。プロポーズの返事を誕生日プレゼントにしようって。そう、サプライズ——。


    けれど、それにもそろそろ限界がきた。
    寿はきっと私が本当にOKしていいのかと悩んでいると思っている。いま改めて、そう思った。だって、さっき見せた「今度こそおやすみ」と言ったあとの寂し気な微笑みが、そう語っていたから……。


    寿の誕生日まであと、すこし——。

    それまで引っ張れるのかなあ、と若干の不安を抱えながら私も静かに眠りについた。





    翌日、寿が仕事に行ったあと私の携帯電話に寿以外の人物からメッセージが届く。見れば相手は彩子だった。内容は午前中で仕事が終わるのでランチをしようとのことだった。

    待ち合わせ場所は以前、私が働いてたビルの側にあるお洒落なお店。一度入ってみたかったと彩子に伝えたら、じゃあそこで、という流れになったのだ。


    すこし早めに到着したので先にコーヒーを飲みながら新しく取得しようと思っている資格の参考書を眺めていると、すうーっとその参考書が奪われる。見上げれば参考書を奪った犯人は彩子だった。

    彩子は私のコーヒーカップの隣に奪い取った参考書を置いて「お待たせ」と笑顔で言った。


    彩子とランチしている最中、彩子が出し抜けに「今日アンタと会った理由なんだけど」と、切り出す。

    「あんたさ、緑風高校って知ってるでしょ?設立されてかなり新しい高校なんだけど」
    「緑風?……ああー、あのお金持ちの私立高?」
    「そうそう、一回わたしたちもインターハイ行く前に練習試合やった高校よ」
    「うん。その高校がどうしたの?」
    「当時のあそこのお嬢様マネージャーがね?今コーチやってるんですって、緑風高校バスケ部の」
    「へえ。……で?」
    「本業は外資系で働いてるらしいんだけど、まあボランティアよね、コーチは」
    「うん……てか、急に何?なんかあったの?」

    いつまでも本題に入らない彩子を怪訝な顔で覗き込めば、彩子はチラと私を見たあと気まずそうに視線を逸らして言った。

    「——今日、湘北に行くそうよ?」
    「湘北? なにしに?」
    湘北バスケ部・・・・・・に、用事だそうよ。」

    彩子は言い終えて、品よく運ばれてきた食後のコーヒーを啜った。

    「……」
    「……」

    私もつられるように二杯目のコーヒーを啜る。
    しばらく沈黙が流れたが私から会話を繋げた。

    「——で、それがどうしたの?」
    「藤沢恵里。」
    「え?」
    「なんでわざわざ湘北を選んだのか気になるのよねぇー」
    「………、寿、目的?」

    言った私の言葉に、彩子がぴくりと眉を動かした。

    「ほんと三井先輩のことになると勘が働くのね、アンタって」
    「他でも勘はいいほうなんですけどー」
    「えー?どうかしらねっ!……てか、あのお嬢様なら海南あたりに話を持ち掛けそうなのに」
    「……」
    「当時からタカビーなマネージャーだったからねえ〜」
    「……、」
    「なんか、嫌な予感がすんのよ。あんた、気をつけなさいよ」

    その彩子のストレートな忠告の言葉に、なんだか背筋がぞっとしたけれど……まあ、きょう寿が帰ってきたら聞いてみようっと。








    「ディフェンス甘めーぞ、一年!」
    「三井先生〜!」

    バスケ部の練習中、生徒が綾瀬はるか似と豪語する教師が体育館の入口に立って俺の名を呼ぶ。それに気付いた俺はマネージャーとキャプテンにあとを頼んで駆け足で体育館の入口まで向かった。

    「はい、」
    「三井先生宛にお客様です。緑風高校のバスケ部のコーチをしている女性の方ですが……」
    「は?緑風高校?」
    「はい、生徒指導室が空いていましたので、先にお通ししました」

    不思議に思いながらも「わかりました」と言い置いて急いで生徒指導室に向かった。

    ガラガラーと扉を開けると女性がひとりソファに座っていて俺の姿を見るや否や立ち上がり一礼する。後ろ手でドアをしめながら俺もとりあえず「どーも」と軽く頭をさげる。

    俺がソファに座ったとたん彼女は鞄の中から分厚い資料らしきものを取り出し、机の上に置いて俺の前へとすーっとその資料を差し出した。

    「わたくし現在、緑風高校のバスケ部のコーチをやっております、藤沢恵里と申します。」

    言って慣れた感じで名刺を差し出され、取りあえずそれを受け取る。

    「はあ……、で? なんですか?」
    「単刀直入に言いますわ。わたくし、高校生のクラブチームを設立しようと考えていますの。その資料に内容は書いてありますので、あとで目を通して?」
    「……クラブチーム?高校生バスケットの?」
    「ええ。有力な選手を集めておりまして、そこで湘北高校の監督をやっている元中学MVPの三井寿≠ノ、そのクラブチームの監督をお願いしたいのですわ。」
    「ですわ、って……いや——やれねーですよ?」
    「え?」
    「湘北高校で手一杯なもんでな。」

    俺の言葉に固まる彼女。そのときガラガラーと先ほどの教師がお茶を運んで来た。「すんません」と言い置きすぐに手に取ってズズ…と品なく茶を啜ったあと一応「あ、どーぞ」と相手にも茶を飲むように促した。茶を運んできた教師が部屋を出て行って、またも二人の間に沈黙が流れる。

    「……申し訳ないですけど、自分」
    「湘北高校の元OBからは、すでに宮城リョータさんと赤木剛徳さんにコーチのお声がけをさせていただいておりますの」

    俺の言葉をさえぎるように言った彼女の言葉に、思わず先の言葉を詰まらせてしまう。

    「仙道彰さん、流川楓さんとは連絡が取れず」
    「……」
    「牧伸一さんと藤真健司さんは現在、国内におらず連絡は取りましたが、藤真さんの方からは資金提供ならいつでも手を貸すと、舐められた返事が返ってきましたの」

    思わずフッと揶揄うように笑ってしまった俺を見た彼女が、すこし不機嫌そうに顔を歪ませた。

    「でしょうね。——ヤツは、外車を何台も持ってるような金持ちなんでな。」
    「……」

    不機嫌な表情のまま俺を見据える彼女から視線を解いて、目の前に差し出された資料を手に取りざっと中身に目を通す。

    「……へえ。専用の体育館を設けんのか」
    「ええ。専用のトレーニングルームや宿泊施設、サウナなんかも設ける予定なんですのよ」
    「ふうん。」
    「いずれは全国から選手を集めます。奨学金制度なども作って、バスケットをやりたい優秀な子たちを集める予定なのよ」
    「……」

    資料からチラと視線を彼女に向ければ彼女用語で言うところの「なんですの?」と言いたげに彼女が眉をぴくりと動かした。バサッと資料をテーブルに置いて俺が言う。

    「——つか、あんたとどっかで会ってねえか?」
    「……」
    「会ってるよな?」
    「……え、ええ。一度、三井監督が高校三年生のとき我が校に練習試合に来ていただきましたわ。」
    「……高三?……ああー、はいはい。あんときのマネージャーか」
    「……」
    「久しぶりだな、元気そうじゃねえか」
    「え?」

    俺の言葉に驚いたように素っ頓狂な返事をする彼女に「あ?」と言えば「いえ…」と動揺しながらも目を伏せた彼女。

    「——まあ、バスケットやりてえ子たちを集めたりっつーのは、いいことだと思うけどな」
    「……」
    「でも、監督やらコーチやらを引き受けることは出来ねえ」
    「……」
    「つっても俺には資金提供する金もねーけどな」
    「それはこちらでやりますので、お気遣いなく。手当も手厚くしますが。」
    「そういうんじゃなくて。どっちもだと手が回らねえから出来ねえって話をしてんだよ」
    「……。」

    あきらかに悔しそうに顔を歪める彼女。……これだから金持ちっつーのは苦手だ。自分のことしか考えてねえ、なんでも金で解決させるっつーのが、俺の性に合わねえんだよな。(藤真への嫌味も含まれるけど)


    「悪ィけど、他当たってくれよ」

    すっ、と資料を彼女のほうに差し戻すと、それをぴたっと止めた彼女の手が俺の手に触れる。

    「わたし、諦めませんから」
    「はっ?」
    「わたしの辞書に、諦めなんて言葉はありませんのよっ!」
    「——なっ!?」

    すくっとソファから立ち上がった彼女は「また来ますわ」と言い置いて颯爽と生徒指導室から出て行った。それでもバンッ!と勢いよくドアをしめたのを見れば相当腹立たしかったのだと理解は出来た。そして……ほんとうに諦めが悪そうで思わず溜め息が零れる。

    なんか……
    めんどくせえことになりそうだぜ……。

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