願わくばそう、悲劇よりも、喜劇よりも見ていたいのは、いつの日だって奇跡のような当たり前を照らす、この日常だった——。
一番幸福な思い出と、一番きつい記憶は、俺の中じゃ、いつもセットだ。
毎日、あいつの顔を見るたび、ちょっとした瞬間に思い出す。出会った頃の、健気な気持ちとか、初めての気持ち。初めてキスした部活からの帰り道とか、一緒に笑えて、どうしようもないくらい楽しかった記憶とか。
一方でやっぱり思い出す。あいつの、たぶん一生消えることのない心の傷を。まるで洗っても洗ってもこびりついた血が、流れ落ちた気がしないような、そんな記憶——。母親への気持ちと、俺への気持ちは彼女にとっては心の中である種の大きな傷だろうから。
でも、もしもあのとき……母親の後を追って名前が死んでいたら、俺は一生、名前を許せなかったかもしれない。あいつが母親を許せなかったよりも、もっと強烈に。
俺にとって名前を想う気持ちは、恋愛感情なのか、友情か、家族愛に近いのか、もうよくわからない。もはや、全部なのかもしれない。
時々、考える。もし、あいつと出会ってなかったら、あのとき、あの時間を一緒に過ごしていなかったら、もっと平穏で気楽な人生があったんじゃないかとか。
でも、あいつと出会っていなかったら、もしかしたら、今もちょっと臆病で弱虫で……。どっちが幸せだったかはわからない。
—
名前と寄りを戻して、互いに元婚約者との再会やら何やら色々とあって、結局俺たちはうまくいかなかった。過去の失敗を克服する間もなく、俺と名前は別れる道を選択した。
彼女とは結果的にこうして別れてはしまったが、以前、彼女の元婚約者とのことでいざこざがあって、一回目の破局の危機を迎えたとき言われた「友達やろうね」の言葉。
いいのか悪いのか、今回迎えた破局のときも同じ台詞を言われた。もちろん俺は同意した。その言葉の通り、たまに二人で食事に行ったり、今までと変わらず水戸の店で顔を合わせれば話をしたりと、彼女の希望であった友人関係≠、何とか今は貫いている現状。
互いの恋愛の話こそしなかったが、風の噂で国内に戻って来たらしい藤真と、復縁した、別れた、また復縁したとかいう話は俺の耳に入ってきていた。でも同時に、藤真にろくな扱いされてねえとかいうゴシップを耳にすることも多々あったわけで、聞き流すには限界だなと感じていたとき。
宮城から聞かされた。藤真ともようやく切れて、いまはどういう風の吹き回しか、あの……水戸と付き合っているらしい、ってことを。
それでも水戸は俺の居る場で彼女の話はしなかったし、俺も宮城が無理なら水戸だったら、まあ、安心できるかな、と思ってやり過ごしていた。
それでも俺があいつを想う気持ちは、ずっと昔から変わらぬまま。俺はこうして誰とも恋をせずに一生を終えていくのだろうと、今では九割くらい自分でも納得がついている。
願っていたことだ。アイツが……名前が幸せならそれでいいって。
もうこれ以上、同じことを繰り返すわけにはいかない。一番好きな人とは結ばれないとよく言うけれど、どうやらその迷信は本当らしかった。そういう運、そういう人生なのだ、俺なんか。
そう思って、諦めていたのに……。
—
名前がぶっ倒れて入院した。見舞いに行ったが病室から出てきた彩子に今は誰とも会いたくないと言っていると伝えられ、そのまま帰宅した。道行く親子の姿を見て、もしかしてアイツ……と、嫌な予感が脳裏をよぎる。
そう思ったのには理由があった。体調を崩したかもと少し前に本人が言っていたときも「ただの夏バテだし大丈夫」と言い切っていたわりに、気持ち悪いと言って何度も席を外したこととか、ここ最近、水戸の店でも決まって頼む飲み物はノンアルコールのグレープフルーツジュースだったことが要因だ。
あと、宮城の会社の野郎が子供を孕ませてばっくれた話のときに、人一倍怒鳴り散らかしていた。それに対して何でアンタが怒ってんのよ、と彩子に突っ込まれたとき「分かんないけど母性本能とか?」なんて言ってて……俺はそんな記憶が一気に蘇ってきて、ぞっとする。
アイツの態度がおかしいことは長年見てきた俺だからこそ分かる特殊能力みたいなものだ。でも、間違いない……たぶん、アイツは……。
名前と病院で会えなかったその日、日付を越える間際の11時過ぎ、俺は、水戸の店に向かった。ちょうど店から出てくる水戸と鉢合わせになる。向こうも俺の出現の意図にすぐ気付いたらしく、やっぱり来たか、と言いたげに溜め息を吐いた。そのまま水戸の少し後ろから、真横に流れる海をぼーっと眺めながら二人で見慣れた道を歩く。
「水戸……」
「……」
俺の問い掛けに、水戸がゆっくりと足を止めた。しかし、奴は俺には背を向けたままだった。
「おまえ、名前とヤルときゴム付けたのか?」
「……」
しばらく無言だった水戸が俺に背を向けたままポケットから煙草とライターを取り出す。その仕草にイラっとした俺は、水戸の肩をぐいっと掴んでこちらへと振り向かせる。
「答えろ!」
「……付けたよ」
ハア、と溜め息をついた水戸がぽつりと答える。その手に持たれていた煙草とライターを奴は吸わずにまた、乱暴にもポケットに仕舞いこむ。
「毎回かよっ?」
「あ、ああ……」
「入れるまえから?」
「ああ。」
「嘘つけ!ちょっとくらいナマでやったろ?!」
「やってねえよ!」
珍しく声を荒げた水戸に、俺は押し黙る。水戸の肩を掴んでいた手をさっと放して今度は俺が水戸に背を向ける。
「——なんっで、」
「……」
「何でそんなにクソ真面目なんだよテメェは!」
「なに言ってんの、みっちー……」
「……」
「真面目で悪いかよ、ガキが出来たって養う金もねえし当然だろ……」
そう言い置く水戸に俺は体を向ける。水戸は俺とは目を合わせずに、もうひとつ溜め息を吐いた。俺は蚊の鳴くような声で呟く。
「……藤真の、……子、なのか?」
「……おいおい、アンタが泣くな!泣きてえのは俺のほうだって!」
「おめえの子じゃねえならそー言えよ!そしたら名前だって産んだりしねーよ!」
「そんな……責任逃れみたいなこと言えるかよ、ヤッたからには俺の子である可能性もゼロじゃねーだろ」
「……」
「それに名前さんだって……たぶんそいつの子だって、分かってんじゃねーのか?」
「……は?」
「だからアイツに相談したんじゃねえのかよ?」
「……」
「でなきゃ、あいつと会ったりするわけねえし、会うはずねえんだ……」
思考回路がショート寸前だ。嫌な汗が背中と手に滲む。その拳をぐっと強く握ったけど感覚がなかった。どうすれば、いいんだ?どうすれば——。
「……切れて、なかったってことか?藤真と。」
「……ああ、たぶんな。」
「なあ……、おまえが、父親になればいいだろ」
「——、なに言ってんの、そんなこと簡単に言うなよ」
「金ならなんとかなるだろ!俺らだって協力するし!だいたい藤真がうっかり出来ちまった子供を認知するわけねーだろっ!」
「……。するって、言ってるみてーだよ」
「え……」
「たとえ、俺の子でもな——。」
このときはじめて水戸と目が合う。俺はその鋭い視線から逃れられなかった。まるで、高校のときこいつにぶん殴られたときと、同じように——。
「——、そんなの名前を独占するための手段だろうが!」
「……」
「子供を利用して自分のもんにするつもりなんだよ、あの野郎は!」
「アンタだってそーじゃねえか!」
「——っ、」
「俺を使って名前さんを自分の物にしたいんだろ?もう、いい加減にしてくれよ。みっちー絶対おかしいって……」
「……」
たしかに——。俺はどうかしている。何度も同じことを繰り返さないと誓っても、結局はこうして逆戻りだ。どんどん悪化していく。
どこで、俺たちは選択を誤ったのだろうか。どうすれば……ずっと一緒に笑い合うことが出来たんだろうな。もう、よくわかんねーよ……。
「そんなに言うなら……」
「……」
「みっちー、アンタが父親になってやれよ……」
「……あ?」
「アンタが——アイツの子を可愛がれるとは思えねーけどな。」
「——!」
——可愛がれねえよ……。
可愛がれるわけがねえだろ……。無理だ、頼む、名前……
産まないでくれ——!
—
「——し、……さし、……ひさしっ!」
俺はパチリと目を開ける。見えるのは、見慣れた天井……ではなく俺の幼馴染にして最愛の相手、名前だった。
「……はぁ、……はあ……」
俺はゆっくりと体を起こす。彼女は、さっと俺の背中に手を当てて補助してくれた。息が荒いし、何だか体がベタベタする。思わず俺は首筋を手で撫でつけた。べったりと嫌な汗が手に付く。
「びっくりした……すっごいうなされてたよ?」
「もう少しで救急車呼ぶとこだった」と名前は片手に持っていた自身の携帯電話を目の前のローテーブルに置いた。そのまま床に座り込んで俺の顔を覗き込んでくる。
「水、飲む?」
「あ?ああ、いや……大丈夫だ、サンキュ。」
うん、と息を吐くと名前はすっと立ち上がってキッチンのほうへと向かう。どうやらソファでうたた寝していた俺は夢を見ていたらしい。ったく、どんな悪夢だよ。いや待てよ、こっちが夢か?どっちが現実なのかいまいちよくわからないほど、リアルな夢を見ていた気がする。
「買い物から帰ってきたら寿がうーうー唸っててさー?ほんと、びっくりしちゃったー!」
買って来た食材やらを冷蔵庫にしまいながら名前がすこし声を張って話す。
「ああ……、疲れてんのかも、しれねーな」
額に手をあててうな垂れるように言えば「はい」と水を差し出してくれる俺の最愛の妻。いらないとはいったものの体は正直らしく、ごくごくと飲み干すことが出来た。すぐに俺の隣に座り直した彼女は「で?」と俺が飲み終わるのを待って顔を覗かせて来る。
「どんな悪夢みてたの?」
「……え、」
困った……。まさか今さっき見た悪夢の全貌を話す訳にもいかない。残酷過ぎる。まあ……もはや今となれば、あまり内容も覚えていないけれど。
仮に説明したところで名前は笑って聞き流すかもしれない。が、無駄に傷つけてしまう可能性だってある。だから俺は「あんま覚えてねえ」と曖昧な返事を返した。それに納得したのか彼女は「そっか」と言って立ちあがり。またキッチンのほうへと向かう。
「今日の夜は寿のお義父さんとお義母さんと食事でしょー?」
「ああ……だったな、忘れてたわ」
「ちょっと早めに出る?私の実家にも寄ってお父さんに顔出したいし」
「……だな。よし、早めに出るか」
俺の方に顔を向けて「うん」と明るく返事を返して来た名前に、やっぱりさっき見た夢の話は墓場まで持って行こうと、このとき心に誓った。
—
今日は久しぶりに実家ではなく四人で外食をしようと父親から提案があった。どうやら母親が準備に追われずたまには自分も俺たちとゆっくり飲みたいと言ったのだそう。
早めに実家方面に向かい、名前の家に顔を出して少し彼女の父さんと会話をし、実家に向えば、すでに準備を済ませていたらしい俺の両親が玄関先で待っていた。よそ行きの格好をした二人に思わず吹き出してしまう。
事前に名前が選んで予約してくれた店に四人で向かう。俺は運転があるためアルコールは飲めないので運転手をかって出た。それに気をよくした父親も今日はとことん飲んでやると言っていた。
店について家族団らんを絵に描いたような緩く穏やかな時間が過ぎていく。昔から俺の奥さんを知っているとは言え、本当に俺の両親と彼女は仲がいいと思う。たまに買い物なんかもこの四人で出かけることもあるが、本当の家族と間違われるほどに、名前は上手く俺の親を手なずけていると思う。
むろん俺も自分で言うのもなんだが彼女の父親とはいい関係を築けているほうだと思う。数えるくらいしかないが、彼女の父親の趣味らしいゴルフやら野球観戦に二人で行くような仲だ。毎回会うたびに、本当にこの親にしてこの子供かと言いたくなるくらいに名前の父親は品がある。俺の親がガサツすぎるってだけの話かもしれないけど。
「そうだ、寿。」
よかった、俺の存在がないものとして扱われているのかと錯覚した。あまりにも俺抜きで三人いつもの俺無しワールドを繰り広げているので焦っていたところ、父親から声をかけられる。
「あ? なんだよ」
「きょう、声をかけたのには理由があってな」
「ああ、なに?」
父親がチラッと母親を見やる。品なく名前と笑い合っていた母親はその目配せにゴホンとあからさまに咳払いをして、背筋を伸ばし姿勢を正す。
「実は、藤沢のおばさんたちが県外に引っ越すんだそうだ」
「へえ、おばさんの実家にでも行くのか?」
「ああ。藤沢の家は建て替えて間もないだろう?そこで、お前たちに譲るって話が出てな」
なんだか言いにくそうに話す父親に、俺は思わず名前を見た。それでも彼女は驚きを顔に出すこともなく「とりあえず話を聞けば?」と言いたげに俺に目配せをする。こういうとこほんと肝が据わってるよなと感心するし、昔から尊敬している。普段は、擬音の飛び交うただのうるせー泣き虫のくせして。そーいうのひっくるめて好きだけど。
「それにほら。寿、あんた、新居を建てたいっていつだか言ってたでしょう?」
「あー、……言った、かもな。覚えてねーけど」
「だからお父さんと相談してね?藤沢の家が嫌なら、今の実家のある土地を二人に渡そうかと思ってるの」
「今の実家って……俺の?」
「ああ、そうだ。あそこを取り壊して新居を建ててもいいかなと思ってな」
「ちょっと待てよ、初っ端から同居するつもりかよっ?!」
思わず声を荒げてしまう。そう淡々と話を進められても困る。それに、今言った話は三井家≠フ問題で、いや、コイツも、もう三井だけど……。とにかく名前や名前の父親の意見も聞かねえと。
「そうじゃない、父さんと母さんが、藤沢に引っ越そうかと思ってるんだ」
俺の荒々しい態度を宥めるように父親が落ち着いた声で言った。突如生まれる沈黙。それが気まずかったのか、父親が目の前の日本酒をくいっと呷った。すかさず次を注ぐ名前を感心している間もなく、母親が続けて言う。
「名前ちゃんのお父さんが側にいるでしょう?名前ちゃんも、あそこに住んだら、いつでも顔出せるかなと思ってね」
「お義母さん……そんな……」
父親に酒を注ぎ終えた名前が恐縮するように正座に座り直す。それを見て俺は後頭部をガシガシと掻く。
「あのよ、土地がどうこうって話は後にしたってよ、まだどこに住むかも全然決めてねーんだぞ」
「ああ、わかってる。すぐって話じゃないんだ。そういう選択肢もあるってことをだな」
「いや勝手すぎんだろ。そもそも何も名前のいる場で、ンな話しなくたって」
「嬉しいです——!」
危うく父親と言い合いになりそうなタイミングで止めに入るわけでもなく名前が言葉の通り、本当に嬉しそうに俺の言葉に割って入る。シンと静まりかえる空間に、彼女がきょろきょろと俺ら三人を見たあと、穏やかな口調で続けた。
「実際、父のこれからのこと心配してたんです。私はあの場所が好きです、海も目の前で慣れ親しんだ場所で……」
「……」
「寿と、出会った場所でもあるので……」
「名前……」
父親もあぐらから正座の姿勢に切り替えた。母親は相変わらず娘を見るように慈悲の視線を彼女に向けている。
「こんなこと、寿と……お義父さんとお義母さんにしか言えませんけど……」
そこまで言って言葉に詰まった名前に俺が彼女の背中に手を添えて言う。
「待て、いまそんなこと言わなくていいって」
「ううん、言わせて。お願い。」
「……」
いつになく真っ直ぐに向けられる視線に、俺は、そうか?と返すように何度か首を縦に振ってから姿勢を両親のほうに戻した。
「あそこには……母の思い出が詰まっています。父にも……寿にこそ言ったことはないですけど、あの地に住めたらいいなって考えたことは何度もあるんです」
そう言い切ってビール瓶を取った名前は「お義母さん」と酒を注ぐ姿勢を取る。それにならって「ありがとう」と母親もコップを両手で持った。ビールの注がれる音が微かに鳴り響く。
「ねえ、寿?」
「……、あ?」
「土地代、浮いちゃったね!」
まるで、この気まずい空気を打ち消すかのように笑顔を向けて言う名前に、思わず俺は面食らって笑ってしまう。それにつられるように父親と母親も嬉しそうに笑った。
「寿、おまえはいい嫁さんをもらったな」
「……あったりめーだろが。」
—
結局あのあと、名前のお陰で楽しく食事会を済ませられたわけだが……。俺だけシラフの状態で、結構な重大話をされたもんだと溜め息が出る。実家に二人を下ろす際にも名前はすかさず車を降りて二人が自宅に入るまで見送っていた。ほんと、俺はいい妻を持ったもんだ。
そんなことを考えている間に、バタンと助手席の扉が開閉される音がして助手席を見やれば、しっかりとシートベルトを締めて「さ、帰ろ」と笑顔を向けて来る俺の奥さんに見惚れてしまう。
マンションまでの道中、俺に気を遣ったのか名前から声をかけてくることはなかった。なので、思い切って先ほどのネタを振ってみることにした。
「……悪かったな、急にあんな話。」
「ううん、ぜーんぜん?」
「俺も今日初めて聞かされてよ、参っちまうわ」
「でも、一戸建て建てたいねーって前々から話したりはしてたじゃん」
「まあ……してたけどよぉ……なんか、な。」
「とってもいい案だと思うけどね。」
「え……?」
「だって、どっちにしたって私はもう三井の姓になったわけだし、お義父さんとお義母さんが私のいる場で話すのは筋が通ってると思うもん」
たしかに……。名前の言い分も一理ある。こいつ実は頭いいのか?いや……それはねえな。俺と、どっこいとか、そんなもん……
「寿は——」
くだらないことを頭の中で巡らせていた俺に名前が真っ直ぐ正面を向いたまま話し出す。
「嫌?自分の実家を建て直すの……」
「……嫌、とかじゃなくてよ……お前の意見とかお前の父さんの意見も聞かねーと……」
「え?お父さん、絶対に賛成すると思うなー」
楽し気に話すこいつを見ていたら、なんだか色々と解決のできないようなことを悩んでいるのが馬鹿らしくもなった。確かにあの土地は俺と名前にとっての原点でもあるし、こいつの親の側にいれるってのは、彼女が出来る精一杯の親孝行になるだろう。いくら娘が三井≠フ姓になったとしても、きっとこいつの父親も喜ぶはずだ。
まあ、前向きに。この話はまたゆっくりと二人で話し合うとして……そう言えば、と思って不意に問いかけてみた。
「なあ、今日なんで飲まなかったんだ?」
「え?」
「え? あ、いや……酒。飲まなかっただろ?」
「あ、ああ……うん」
「まさか、気遣ったのか?今さら?お前が?」
「失礼な……。そんなんじゃないですー。」
「じゃあ、なんだよ」
俺の執拗な態度に、名前はすこし困ったように顔を背けた。
「……グレープフルーツジュース。」
「はっ?」
「グレープフルーツジュース、飲みたい気分だったの」
「……へえ。まあ、いーけど別に」
「……うん。」
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