君のつむじまで愛おしい(2/2)
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俺の両親との会食から数日後、改めて名前と新居について話そうと俺から夕食時に話題を振った。
「なあ、新居のことだけどよ……」
箸を動かす手をぴたりと止めた名前が驚いた表情で俺を見る。
「あ、いや……その……。一戸建て、まじで検討してみようかと思ってよ」
「……うん」
「どう思う?名前は……」
「ど、どう……って……」
俺からさっと視線を逸らした名前。箸を目の前に揃えて置くと、小さく咳払いをした。
「名前、なんか……顔色悪くねえか?」
「え?……そ、そう?」
「俺が洗いモンすっから、ゆっくり休んでろよ」
「この話はまた、今度な」と言い置いて俺はまた箸を進める。それをじーっと見ていたらしい彼女の視線を感じて、チラと名前を見やる。
「じゃあ……、お願いしちゃおっかな」
「おう、先に風呂入っちまえよ」
「……ん、ありがと」
彼女はガタン……と椅子から立ち上がる。それを目の端に追った俺の背後から数秒後に、まさかの声がかかることを、今の俺は知る由もない。
「ただの夏バテだし、大丈夫だから」
「……えっ、」
思わず振り返ってしまった俺に気付かずに名前は部屋を出て行った。……待てよ、この違和感。どっかで聞いたことのある台詞な気がする。俺は、これまでの彼女の言動を思い浮かべる。
——……グレープフルーツジュース。
——ただの夏バテだし、大丈夫だから
「……」
……まさか、あいつ……、妊娠——?
—
それから二日間、やっぱり名前の様子はおかしかった。何か悩み事があるのか、単純に体調がよくないのか、それは本人が口を噤むのでわからなかったけど。なんだか俺との会話も避けられてる気がする。
そんな彼女の態度に少しイライラしはじめていた俺は優しく対応して、出来るだけ冷静に問いかけるつもりで、またやらかしてしまうことになる。
夕食を食べ終えて、さっさとシンクに食器を下げる彼女の背中を見つめる。今日もほとんど飯を口にしていなかったな。昨日も……、一昨日もそうだったけど。
「——おい、」
俺の声に、水道の蛇口を止めた名前がこちらを振り返る。
「洗いモンあとにして、ちょっとここ座れ」
腕組みをしながら目の前の席を顎で指す。名前は少しだけ目を泳がせたあと、フウと小さく息を吐いて俺の指示に従った。亭主関白だと思われたって、もう知らねえ。
どうやら思った以上に俺は頭にきているらしいとこのとき改めて気付いた。優しく対応すると心に誓ったのに、冷静さを完全に無くしていた。
「……おまえ、俺に言わなきゃならねえことあるよな?言えよ」
「……ッ、」
「……なんで、いつもそうやって、泣き出すまで腹ン中にためたりすんだよっ」
「だ、だって……」
「俺、言いてえことを我慢されんのが一番嫌いだって、おまえがそれを一番、わかってんだろ!」
思わず俺は声を荒げてしまう。名前がビクンと肩を揺らす。こんな会話、以前にもあったことをふと思い出して俺は後頭部をガシガシと掻くと「悪い」と小さく吐いた。
「だって……、寿こそ、新居のこととか、いまはインターハイ前で頭がいっぱいだと思って……」
「……あぁ?」
「私は寿の負担になるのが一番イヤだよ……ッ、寿だって、一番それをわかってるでしょ……!」
「……」
「……」
「名前、おまえ……妊娠してんじゃ——」
「わたしだってそう思ったよっ!!」
俺の言葉をさえぎるように、名前が声を張った。俺は先の言葉をぐっと飲み込んでしまう。
「隠してた……わけじゃ、ないの……」
「……」
「まだ、調べても……ないんだよ……」
「……」
「……怖いんだよ……怖いの、わたし。」
名前はそう力なく言って、すとんと肩の力を緩めると、すぐにハァと深く溜め息を吐く。
「……っンだよ、それ。」
「……え?」
「おめぇだけの問題なのかよ!」
「……そ、それは」
「俺を何だと思ってんだ?!お前は俺と結婚したんじゃねえのかよっ!!」
「……ゴメン。」
名前は俺から視線を逸らして俯く。その姿を見てハッとして俺は一呼吸置くと席を立った。名前の横にしゃがみ込んで彼女の手を取って強く握る。
「なあ、名前、よく聞けよ?」
「……」
名前がゆっくりと俺に視線を合わせる。瞼に溜まった涙を親指の腹で拭ってやると、名前はすこしくすぐったそうに首を竦めた。
「おまえのモンは俺の物だ。」
「……え?」
「だから、おまえの悩みも俺の悩みなんだよ」
「……」
じっと俺を凝視していた名前が、突如、プッと噴き出して俺は思いがけずぎょっとする。
「……あ?」
「だって寿……それ、ジャイアンじゃんっ」
「……う、うっせーよ」
先ほど涙を拭ってやった手で頭をガシガシと撫でてやると、名前はニコッと笑って俺に抱き着いてきた。俺もそれに応えるように抱きしめ返す。すると名前が俺の耳元で柔らかく話し出した。
「明日……検査キット買って来る。……検査するとき、そばに、いてくれる?」
「あたりめーだろが、明日は学校休むわ」
「ははっ、そこまではしなくて大丈夫っ」
「休むって、俺に出来ることならなんでも——」
俺の言葉を遮るように「いいの」と名前が笑いながら言った。
「寿の好きな物は、私の好きな物なの。だから、ちゃんとお仕事行って?」
「……でもよ、」
「生徒たちだって、バスケ部のみんなも……寿を待ってるから。」
「……わかった。」
俺はそう答えたあと、名前の身体を離して彼女の顔を覗き込みながら優しく声をかける。
「でも、具合悪くなったらすぐ連絡しろよ?」
「うん、わかってるよ。ありがと」
「もしも、仮に俺が繋がらなくても、水戸とか、あと暇そうな野郎軍団使えよ?」
「あーそれ言っちゃおーっと、水戸くんたちに」
名前は泣きながら笑うと言う得意技の高度な技術を披露して、それでも幸せそうに微笑んでいる。
この笑顔を神の前で——大切な奴らの前で、守り抜くと誓ったことを思い出し、俺は、その小さな手を再度握って、微笑み返した。
—
「で?」
二週間後、水戸の店で、久しぶりに宮城や彩子、野郎軍団と夕食兼、飲み会をしていた。って言っても、知らぬ間に偶然このメンバーが居合わせた感じだが。これもいつものパターンだ。
客が空いてきて、俺らの席に飲みに来た水戸の、その、「で?」という声に、思わず目を逸らす。
「結局、違ったわけだ?」
「そうなのっ!ただの、軽い胃腸炎だった。もう治ったけどねー」
名前は久しく口にしたらしいアルコールを存分に味わうかのように珍しくゴクゴクと飲み干した。それを見計らったかのように水戸が立ちあがりお代わりを作りにキッチンのほうへと戻る。
「じゃあ三井サン、もーすぐパパになるとこだったわけね?違ったけど。」
「だった、じゃねえ。なんの、そのうち必ず!」
「あーあ!!ミッチーそりゃあプレッシャーってやつだな、奥さんに対しての」
「大楠くんも、そろそろ結婚じゃないの?彼女と長いよね?」
「こいつはダメだ、全然だめっ」
「なんだと、この!!」
大楠と高宮のいがみ合いがはじまり、座敷席が、一段と騒がしくなる。ちょうどそのとき名前のおかわりを持って来た水戸がグラスを置きながら俺を見て、強調するように言う。
「はいよ、おかわり。
グレープフルーツ
(
・・・・・・・・
)
サワー」
「水戸くん、ありがと」
「……おいおい。名前、おまえ……グレープフルーツって、もしかして……」
「ねえ、ちゃんと聞いてた?いま水戸くん
サワー
(
・・・
)
って言ったでしょ? 正真正銘、お酒です」
「あ、そか……。」
そのやり取りを見ていた宮城と水戸が目ざとく、すぐさま突っ込んでくる。
「三井サン、あんまし名前ちゃんにプレッシャーかけちゃダメだよ?いやマジな話。」
「そーだぞー、みっちー。コウノトリが、運んでくるのを待たんとな」
「あーあ、うっせ。やっぱ、お前らに言うんじゃなかったわ」
抑揚付けて言えば、名前と水戸、宮城に彩子は顔を見合わせて、呆れたように笑っていた。
緩い宴もほどほどに、野郎軍団が一足先に帰り、店の中の客もいなくなったころ、彩子と名前は何やら込み入った話でもあるのか、少し前からカウンターに座ってあーでもない、こーでもないと女子トークを繰り広げている。
水戸も座敷席に座って、俺ら男三人はちびちびと酒を交わしていた。俺が「あ、そうだ」と思い出したように口火を切れば、二人の視線が俺に向けられる。
「俺たち、新居建てることになってよ」
「へえ、ついに。どこら辺?もう場所は決まってんの?」
珍しく、宮城よりも興味ありげに聞いて来たのは水戸だった。俺はゴホンとわざとらしく咳払いをして持っていたビールジョッキをテーブルに置いた。
「俺の実家の土地をもらうことになったんだよ」
「えっ!名前ちゃんスタートから同居すんの?」
「いや、親は藤沢の親戚ん家に引っ越すんだと。んで俺らがあの土地に新居建てることになった」
「へえ……名前さんの実家も近いし、これでお父さんのことも安心だな、名前さん。」
「ああ、俺も俺の親も、それがいいと思ってな」
個々に「ふーん」と感慨深く酒を煽る後輩ふたりを見ながら、俺も自分の酒を呷る。
「じゃあさ、バーベキュー出来るように庭は広く作ってね?」
「みっちー車持ってるだろ?車庫を広く作って、中でバーベキューとか出来るように初めから設計してもらえばいいよ」
「毎週開催しちゃおーよ、花道とかさ、あと流川もこっち帰って来たとき呼んでさ!」
「お、いーねえ。俺、給料出るなら塗装とか手伝うよ?」
「あのなあ、おめえらの別荘じゃねーんだぞ」
「いいじゃーん!友達の一戸建てでバーベキューやんの俺、夢だったし!」
「宮城、お前は友達じゃねえ、後輩だろが!」
コントみたいなテンポで会話が進んで、最後には三人で笑い合う。ひとしきりに笑い合ったあと、ふと起こった沈黙を破るように俺が躊躇いがちに「あのよ……」と言うと二人の視線がまた一斉に俺に注がれる。
俺はすこし前屈みになってコソコソ話をする要領でふたりに以前見たリアルすぎる夢の話をした。話し終わったあと、宮城は店内に響き渡るほどの大爆笑をして、水戸は背中を丸めて、くつくつと笑っている。
「おいおい、笑いごとかよ……マジでびびったんだぜ?」
「だって三井サン……それ、マジやばい。なんでそんな夢見んの?もう水戸と藤真大好きじゃん」
「勝手にさ、俺を登場させないでもらっていい?こりゃ出演料もらわんと、な?」
「かーっ、現金だよなー、ほんとお前ってよ」
「ハハハ、貰えるもんは貰っとくタチなんで」
「誰が出演料なんて払うかよ、逆にな慰謝料請求してーとこだぜ」
俺は鼻を鳴らし、ビールを豪快に煽る。チラと背を向けてカウンターに彩子と仲睦まじく並んで座って談笑している名前を見る。それに釣られたのか、水戸も宮城の隣で振り返ってカウンター席を見たあと、すぐに視線をこちらに戻して言った。
「みっちー、子供。」
「あ?」
「本気で欲しいんだ?」
「……ああ、まあな。でも二人でいんのも、何の不満も不足もねーし、急いではねえよ」
「三井サンと名前ちゃんの子かぁー。なんか変な感じ」
「あン? なにが。」
「えー、だってさー、高校からこーやってみんなずっと一緒だから、何かすげーことだよなって」
「たしかになー。バスケに関係ねえ俺らも未だにこうして仲良くしてもらってんの、なんか不思議だもんな」
急にシンとなる三人の空間。それは気まずいとかそんな空気では決してなくて、むしろ居心地がよかった。こうして今でも名前と居れて、結婚も無事に出来て、仲間とも一緒に過ごせるって確かに本当に不思議だし、奇跡みたいなもんだな、と思った。
「で、三井サンは何人ほしーの?ベイビー。」
「どーせあれだろー?野球チーム作れるくらいーとか、そういう感性なんだろ?」
「ふは、名前と同じこと言ってら。いや、俺はひとりでいい」
「ひとりっ?!え、三井サンにしては意外だね」
「バーカ取り合うこっちの身にもなれってんだ。ひとりで充分だっての」
「取り合うって……まさか、名前さんを?」
「あったりめーよ、毎日ガキと喧嘩してらんねーだろが」
「はっ、そーいう性格だよね、三井サンって。」
「ああ?!どーいう意味だ!」
俺が膝立ちして、宮城に鉄拳を食らわす素振りをしたところで、カウンターに座っていた二人が、こちらに歩いて来る姿が見えた。
「ハイハイっ、宴もたけなわですがー!!」
彩子がマネージャーのときのようにパンパン!と手を叩いて声を張る。それを合図に俺たちは残りの杯をぐびっと煽る。
宮城が帰る支度をしながら名前に何やら余計なことを話していて名前が楽し気に笑っている。水戸がいつものように軽くテーブルを片付け始めるとそれを頼まれたわけでもないのに彩子が手伝う。
「みっちー。」
片づけながら不意に、水戸から声を掛けられた。俺は「あン?」と、いつものように返事を返して水戸のほうを見る。
「正夢になるといいな」
「あ? なにが」
「悪夢はさておき、子供が生まれるってやつ」
「ふはっ、……だな。」
いくら歳をとっても、こうして気心知れた仲間たちと、愛するひと、名前と……あと、今の水戸の言葉。
もうすぐこの中に、俺と名前の愛の結晶が仲間入りするのかと思えば、柄にもなく頬が緩んでしまった。
——数年後。
時々、考える。もし、あいつと出会ってなかったら、あのとき、あの時間を一緒に過ごしていなかったら、もっと平穏で気楽な人生があったんじゃないかとか。
あいつと出会ってなかったら、誰かを強烈に好きになることもなかったかもしれないけど、そのかわり、あそこまできつい思い出や、ドロドロした感情も経験しないで、それなりに仲間とわいわいやって、恋もして、きっとそれはそれで幸せで。
でも、もしかしたら今もちょっと臆病で弱虫で。どっちが幸せだったかはわからない。
でも……俺は、今の自分が案外嫌いじゃない。
生まれ育ったこの土地に、自分が住んでいたときよりも少し大きくて広い庭もあって、後輩からのアドバイスを活かしてしっかりと立派なガレージも設けた。
耳を澄ませば遠くから聞こえてくる電車の音と、波の音。いまはこの家で待っていてくれる存在があることも、そこへ帰るとき、なんだか、ほっとして、いい気分になることも。
俺は、幸せになったんだな。……たぶん。
「あーっ!!ドアを蹴破るなーっ!!」
扉がバン!と開いたかと思うと、ズボンを持った名前が、こっちにめがけて駆けて来る。
「ちょっと!男の子くん! お願いだからズボンはいて!」
その前を、オムツでミツバチみたいにでっかくなった尻を振りながら、同じように、俺をめがけて駆けて来るスーパー二歳児がいる。
誰に似たのかヤンチャで言うことなんてまったく聞きやしない、小さな、俺たちの欠片。
「寿っ!」
「……」
「捕まえてーーーっ!」
昔、まだ小さかった俺たちがこの場所で、二人で必死になって自分たちが持つには大きすぎるバスケットボールを追い掛けたときのように——。
俺の投げたボールを必死に捕まえたときみたいな顔で、名前が叫んでいる。
ひょい、と手を出して抱えると、男の子は簡単に捕まった。一度は手放してしまったあの、バスケットボールなんかよりもずっと簡単に思えるけど、とんでもない。
いまこうして、男の子を抱き上げるまでに積み重ねてきた時間は、砂の中にあった。
迷って、戸惑って、目の前が見えなくなって……何度も何度も足を取られて、つまずいて。そして俺たちは、今も、時の砂の中にいる。
片手には男の子を抱え、もう片方の手で、名前の手を握る。名前は俺のとなりで、ただ微笑んでくれている。
『名前は、そばでずっと笑ってるだけでいい』
そう、過去に伝えた俺の想いを、しっかりと体現してくれている、そんな名前が俺の幼馴染で、本当によかった。
こんな俺と出会ってくれて、好きになってくれて心からありがとうと伝えたい。一生を掛けて大切する。俺が名前を、幸せにしてやるよ。
君の隣で笑うより、君に笑っていてほしい。欲を言えばキリがないけど、どんな言葉で伝えようとも足りないくらいに、今が愛しいんだ。
君が、君でいるために、そこに光が差すように、どんなときもそばにいたいんだ。名前がいてくれれば、どんな日もきっと、輝くんだ。
二つの、この手をずっと、離さない。
この今も、砂は流れ続けている。
二度と戻らない、時を刻みながら——。
願わくばそれが、
愛
でありますように。
(……ただいま、名前。)
(おかえりなさい、寿。)
※『 Ordinary days / milet』を題材に。
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