本当の強さってきっと、誰かと比べて計るものじゃない。泣きながらでも前を向ける事、傷付いていない顔で笑える事、強いフリができる事……これだって、充分すぎる強さ≠セと思うの。

 ねぇ。大人になって、家族ができて、今の私は昔の私よりも少しは、強くなっていますか——?


 *


 四月——。今年も桜の開花予報をテレビで見かける季節になった。今日は、月一で開かれている元湘北メンバーとの食事会もとい飲み会だ。私と寿の間に第一子が生まれた頃から突如として始まったこの会は決まって水戸くんのお店で開催される。もうすぐ寿の実家の土地に私達の終の棲家が建つ予定なので完成したらこれからは水戸くんのお店か、新・三井家でこのような食事会やら飲み会が行われることになるのだろうと、私はすでに今から期待に胸を膨らませていた。

 この会の参加メンバーは言うまでもなく、桜木軍団、リョータくん、彩子、私と寿に我が息子。予定が合えば赤木先輩や木暮先輩に、晴子ちゃんなんかも顔を出したりする。赤木先輩や木暮先輩は仕事が忙しく晴子ちゃんは今、関東にいない。桜木くんはバスケを生業としているため歳を取るにつれてこうして集まる事は少なくなった。もうすっかり、元から海外で活躍している流川くんと同じような立場になってしまった。正直、寂しいけれど皆が目標に向かって歩んでいるという事に変わりはないので、喜ばしい事なのだとは思う。そう、思わないといけないのだ。

「そういやもうすぐ結婚式じゃねーの、あねごとリョーちん」
「そうなんだよなぁ〜でも式場迷っててさぁー」
「もう、ここでやっちまえよ」
「いや?ここは二次会候補♪」
「絶対そう言うと思ったぜぇ」

 軍団とリョータくんの会話を聞き捨てて、ちらとカウンターの方に目を向けると、お店が混んでいる時間帯のようで水戸くんはこちらの座敷席にまだ来れそうにない。それでも最近新しくバイトを雇ったらしく、前よりは彼の負担も軽減されたように思う。バイトに入ったのは厨房担当の若い男の子とホール担当の若い女の子の二人。なんとなく雰囲気が晴子ちゃんのお友達の藤井ちゃんに似ている気がするその子は私の見解で多分、水戸くんの事を好きなんだろうなぁって思っている。苗字も偶然藤井≠セったので、今ではみんなで親しみも込めて「藤井ちゃん」と、呼んでいた。
 そんなことはさておき、いま私たちの席では、誰が言い出したのか『永遠に感じた一瞬は?』と言う、何とも生産性のなさそうな会話が繰り広げられていた。興味が全くないと言いたげに彩子はずっと、我が子の相手をしてくれている。

「順番に言って一番激アツなの出した奴が次回の飲み代タダってのはどうだァ!?」

 大概こんな無茶振りを言い出すのは、決まって高宮くんだ。しかしそれに「賛成!」と乗っかるのは、残りの軍団とリョータくんという揃い組。「何だそれ」だの「また賭けんのか」と、文句を垂れつつもしっかり乗り気なのは決まって私の夫寿なのだ。まるで高校時代から変わらない光景。
 
「さぁ、てめーら!気合い入れてくぞ!」
 
 とガソリン注入と言わんばかりに「洋平ビール追加で5」と大楠くんがパーを作って手を高々と突き上げれば藤井ちゃんとカウンターの中で客の相手をしていた水戸くんが了解と言う風に目配せを返してくる。それにニカッと笑った大楠くんが「よし、じゃあ俺からなっ!」と声高らかトップバッターで永遠に感じた一瞬≠ニやらを、意気揚々と言い放った。

「次の日なんか気にしなかった、洋平の居酒屋」

 おー、と。思わず私と彩子もメンズに混じって声を出してしまった。一発目にまさかのエモい事を言われて次の番に控えていた高宮くんが、苦い顔をしている。そうして言いづらそうに続けた。

「んじゃあ……五時間目の古典の授業っ!」 

 リョータくんと軍団がガハハハと品なく笑う。野間くんが「そりゃおめぇ昼寝してっからだろうが」と、しっかり突っ込む。そんな野間くんは、お題に自信があったのか「なんだお前ら青いな」と言い憂いを帯びたふうに目を伏せて呟いた。

「ウエディングドレスを着た元カノが、目の前を通り過ぎたとき……」

「重い重い重い」と大楠くんと高宮くんが綺麗にハモった。「あれは本当に感動とは違う涙が」と野間くんが、わざとらしく涙を拭うふりをする。次はリョータくんだ。「どうしよっかなー」とか言いながらも一度杯をぐびっと煽ってゴホン!と咳払いをし背筋を伸ばして得意げに言い放った。

「ふたりで抜け出して一本のラムネを飲んだ——文化祭」

 お〜!と大楠くんの時よりも大きな歓声が上がったが、私がチラと彩子を見やれば、不意に目が合った彩子が「何よ」と言いたげに澄ました顔を向けてきて私はふっ、と小さく笑った。何となくそのまま視線を側のテレビに向けてみるとテレビからは、NBAの試合が生中継されていた。私が視線をまたみんなの方に戻したとき、野間くんが「次、ミッチーだぜ」と寿に持っていた箸の先を向けた。それを受けた寿は眉間をやや寄せて少し考えるふうに、目玉をぐるりと回してから言う。

「インターハイに届かなかった最後のシュート」

 おお……と、今度は感心にも似た声が上がる。きっと去年の湘北バスケ部のインターハイ予選のときの事を言っているのだろうとすぐにわかった私はそっと目を伏せた。そうして烏龍茶の入ったグラスを持って一口だけ飲んだ私にまさかの声が掛けられる。

「次、姐さんだぜ」
「え」
「そうだそうだ!逃げようったって、そうはいかねーぞ?」
「え、え……!?私も強制参加なのっ!?」

 うんうん、と大きく首を縦に振る揃い組。チラと寿を見れば「やれよ」的な視線を寄越される。私はあからさまに目を泳がせたあと先のリョータくんと同様にゴホン、と小さく咳払いをしてから視線を斜め下に落とし込んで、小声で呟いた。

「まだ咲かないねって二人で歩いた……桜並木」

 やべ〜!とか、いいねぇとパチパチ拍手付きで軍団やリョータくんから称賛され私はほんのりと頬を染めた。逆に称えられると恥ずかしくなってくる。ただでさえ私は今日アルコールを注入していないのだから、もうこれは赤面するしかない。

 未だに私の発言で盛り上がっている面々を差し置いて何となく痛い視線を感じ、隣を見れば寿が私をジト目で見下ろしていて、私はさっと視線を逸らした。そんな私達の空気を知りもしない軍団とリョータくんは、すでに二周目に入ろうとしていた。我が子の子守りをしてくれている彩子は、どうやら当たり前にパスをしたらしい。

「あの子と二人で待つ踏切っ!」
「帰り道の押しボタン信号っ!」
「これで最後だって隣でタバコを吸った時間!」
「改札口からあの子の姿が見えなくなるまで!」

 大楠くん、高宮くん、野間くん、リョータくんの順で何やらいつの間にかエモいことを言ったもん勝ち選手権≠ノ切り替わっていたようで、何とも痛い言葉がその場に飛び交っている。そんな中、冷めた目で正面を見据えたまま、自分の杯を煽っていた寿の番が回ってきて、リョータくんが「ほら三井サン」と言ったのをきっかけに、彼は持っていたジョッキをテーブルに置くとゆっくり口を開いた。

「——幼馴染っていう、ポジション」

 おおー!!と、テンションが爆あがりしている軍団とリョータくんが、またも拍手を送る。その騒ぎ声に周りのお客さんも「何してるんだろ」と視線をチラチラ寄越してきて、それに対して水戸くんが「すんませんね、うるさくて」と困った顔でお客さんに謝っていた。みんなは盛り上がっているけれど何故か私だけが気まずくなる。彩子は相変わらず我が子と楽しそうに救急車のおもちゃで遊んでいる。どうやら助けてくれそうにない。

「じゃあ、はいっ!名前ちゃんの番!」

 珍しく頬をすこしだけお酒で赤らめたリョータくんから笑顔を向けられて、その流れで夫以外のメンバーからの視線を総なめした私は喉の渇きを覚え一度グラスの中身を飲んでからそれを置き、ふう、と小さく息を吐いて仕方なく言葉を紡ぐ。

「死ぬほど……甘やかしてと言われた深夜二時」

 ピュ〜!と何故か指笛が鳴り響く。これは確実に馬鹿にされている気が、なんて苦笑していたら悪ノリ代表のリョータくんから「もう一丁!」とアンコールを求められてしまった。「ええ?」と困惑していると「アンコール、アンコール」と、軍団からの煽りにより急かされ焦って頭を捻った私に突如舞い降りてきた、ある言葉と、あの日の情景——。


「結婚しよう……と言われた、朝——。」


 シン……と静まり返る座敷席。みんなの視線がなぜか寿に向いた気配。そこでハッとして、私も恐る恐る視線を横に向けて見れば変わらず正面をじっと見据えていた彼が、ぽつりと言った。

「——それ、ぜんぶ俺じゃねぇつの……」

 やや唇を尖らせて言った彼のその言葉に、野間くんとリョータくんが口に含んでいたお酒を豪快にブーッと吹き出した。汚ぇ!だの何やってんだだのとわたわた側にあったおしぼりでテーブルを拭く大楠くんと高宮くんを置き去りに私は苦笑いを浮かべるしかなかった。隣からは凄まじい程の殺意を感じる。目は、合わせない方が良さそう。

 心の中で言ったつもりだったのになぁ。だってそういうシチュエーションでの記憶を求められてしまうと、今になって思い出すのは寿じゃなくて決まって、あの人——。





 *


 ——赤ん坊の泣き声がする。あやそうにも声の出どころがわからない。しかし赤ん坊特有の泣き叫ぶような、耳にキンと伝わるような泣き方ではない。ぐずぐずと小さく何かを強請るように泣いている。胸のあたりが温かく、くすぐったく感じられた。どうやら赤ん坊は私の胸に抱かれているようだ。けれども、その意識はあるが、どうにも存在を認められず確認をするために私は手を動かしてみた。

「藤真、さん……?」

 さらりと、やわらかい感触が指先にした。軽く掴んだそれは、ふわふわと温かい。髪の毛をいじられた彼が、私を見た。先程までの状況が夢だと判断出来るまでに、わずかな時間を要した。

「起きたな……」

 そう言った彼は、気が付けば私に覆い被さっており両手で私の胸を谷間が作られる程度に寄せて遊んでいた。

「……」
「……」

 わざと起きるように仕掛けたのか……。私は、無言でそれを眺めたが彼は悪びれる様子も見せずやわやわと、手に込める力に強弱をつけている。胸なのかそれとも肌触りを売りとしているルームウェアの生地なのか。いずれも、感触を楽しんでいるようだ。
 合鍵を渡してあるにしろ、平素なら必ず事前に連絡をくれるはずだし、特に、深夜帯であるなら尚更だ。そんないきなりの訪問に、そして寝起き半ばに襲われていると言っても過言ではない状況に私は多少の困惑を覚えたがほのかなアルコールの匂いが漂ってきて、思わず声を漏らした。

「……酔ってるん、ですか?」

 問いかけられた彼は、ゆるゆると動かしていた手を止めて私の顔の横に肘をつけ、ぐっと自身の顔を近付けて上から私を見据えた。距離を詰めるために両脚は押し広げられ臍より下の辺りに硬いものが当たっている感触。

「……」
「……」

 これは、あえて当てられている。アルコールが入っているにも関わらず元気な人だ。私は眠気がぼんやりと瞼を撫でてくる中で、そう確信した。
 彼が酔う程に、いや、酔うまででなくても気が大きくなる程度に酒を呑むのは決まって仕事関係で何かがある時くらいだ。そしてこう言うのは、今回が初めての事でもない。片手で数える程度ではあったが、今日で数回目になる。

「……ねえ、当たってる」
「うん、当ててるんだよ」

 私は彼の仕事についての話を持ち掛けることはしなかった。一昔前の決まり文句のように男のやることに口を挟む女は好まれない≠ニいうのを気に掛けているのではなく彼の唯一、心が落ち着ける場所でありたいと純粋に思っていたからだ。献身的である一方で自分以外の女には絶対に成し得ないであろう、確立された立場に居たいという欲も、少なからずあった。

「酔ってはいない」
「じゃあ、何か悲しいことでもありましたぁ?」

 むっとした表情を見せる彼の瞳は上気しているのも手伝って、泣いているようにも見えた。既に忘れかけていた夢で見た赤ん坊と彼の姿を重ねてしまっていたのもあったかもしれない。
 そっと彼の頬に手を添えるも、あくまで内容は訊かない。私が訊かない事を知っている彼はそのまま私の首筋に顔を隠すように埋めて、深く息を吸って吐くと、黙って動かなくなった。一見して分かり難いがこの一連の流れは彼が精一杯、私に対して表現出来る甘えだと、今では知っている。

「疲れたなら一緒に寝ましょ?私もう眠たいし」

 せめて夜が明ける前には寝たい。多少重たいが我慢できる。このまま温順しく、眠ってくれないだろうか。そう思いながら私は不器用な甘え方をしてくる彼を宥めるように彼の背中に両腕を回し髪の毛を片方の手で優しく梳いてやった。しかし逆にそれが誘われたと思ったのか彼は埋めていた顔を上げ、私の唇を食らうように重ねて舌を捩じ込んできた。上顎を舐め上げる、遠慮を知らない舌の根の方は、アルコールが未だ残っている。

「……んっ、」
「……っ、」

 急な行動に対応し切れず息継ぎの頃合に無理やり顔を逸らしたところで履いていたルームウェアのショートパンツを脱がされかけた私がその手を制した。珍しく、素直に不機嫌そうな顔を晒した彼が、私を見下ろす。

「ねえ、明日の朝……早いんですけどぉ……」
「それは俺も同じだ」

 抗議を物ともせず着々と身につけているものを脱がしにかかり彼は自身の着ているワイシャツも脱ぎ去ると、再び覆いかぶさり唇が重ねられた。

「こういうの、実は嫌いじゃないだろ?」
「です、けど……っ」
「名前」

 吐息にも似た声で名前を呼ばれて「ん」と甘く返事を返してしまう私も大概馬鹿なのだろうが、彼が憂いた切ない瞳で見下ろしてくるから、私はその頬を慈しむようにそっと両手で包み込んだ。


「死ぬほど……甘やかして——。」


 彼の唇から発せられる一言一言に耳を傾けて、一所懸命に聴くのが実は好きで。彼の言葉は私の五感を振るわせる作用を持っていた。今日のこの言葉も情景もきっと、私の記憶に刻み込まれる。しかし今日に限っては、きっちりと最後まで付き合えと暗に言われているような気がした私は早々に抵抗する事を諦め、彼に身を委ねる事にした。

 駄々っ子を甘やかし過ぎるのも考えものだなと思いながらも、ここから逃げ出せないのならもうどこへもいけなくていい……なんて思う私の方が重症かもしれないと彼の腕に抱かれながら、どうしようもなくこの人が好きでたまらないと想いを募らせた、深夜二時——。

 今あなたの隣には、目一杯に甘えられる誰かはいますか?いてほしい。彼を強く強く抱きしめてくれる誰かが、いてくれますように——。





 *


「あっ!名前、てめぇコラ!何を思い出してニヤニヤしてんだよ!浮気もんがっ!」
「えっ!?し、してないよ!しかも、浮気って」
「してただろ、ニヤニヤ!それにもっとあンだろ俺との事とか山ほどっ!」

 駄々っ子のような子供じみた彼の発言に私含む全員が一斉に目を見開いて、彼を見る。彩子は、「汚い言葉は聞いちゃダメですよ〜」と我が子の耳を優しく覆う。そして軍団とリョータくんは、やれやれというように呆れ顔で溜め息を吐き正面に向き直って、自分たちの杯を個々に煽る。私は呆れつつ吃りながらも一応、応戦する事にした。

「え、だって……な、ないじゃん実際のところ」
「あんだろが!告白したのとかプレゼント渡したときとか、もっと……なんかとか!」
「な、なんかって、言われても……」
「老夫婦じゃねーんだからもっと俺との思い出を引っ張り出してこいよっ!もっと頑張れって!」
「はぁ……めんどくさ……」
「おい!めんどくせーは傷つくから止めろ!!」

 素直に本当のことを言ったのにそれが気に食わなかったらしく、私は真横の激おこぷんぷん丸の彼からデコピンを喰らう羽目になった。痛った、と額を両手で抑えて睨みを効かせた時「だめ!」と、私たちの天使が私を小さな体で抱きしめた。

「ちーダメっ!ママをいじめちゃダメなのっ!」

 寿はロボットの如くギギギ……と、その天使を見下ろす。周りからは「おーいいぞ、やれやれ」と応援なのかヤジなのか、とりあえずそんな揃い組の援護の声が聞こえてくる。私の体に短い腕を回して頬を膨らませている我が子に観念して寿は眉を下げて、優しげな笑みを浮かべた。

「ごめんな、もうしねーよ。ちーが悪かった。」

 ガシガシとその小さな頭を撫でつけた彼はそのまま、ひょいと我が子を抱き上げあぐらをかいていた自身の膝の上に乗せた。勇敢なるヒーローの登場によりその場に穏やかな空気が流れる。彼の隣に座っていた大楠くんが、ポンポンと我が子の頭を愛でるとニコッと笑った天使が、今度は大楠くんの膝の上へと自ら移動した。そのとき、水戸くんが料理や頼んだ飲み物を運んできた。それを受け取りながら野間くんが、唐突に問う。

「なあ、洋平ー」
「んー」
「お前はねーのかよー?永遠に感じた一瞬=v
「へ?」

 水戸くんが目を見開いて返したと同時にテレビから、わっ!と歓声が湧いたのが聞こえてきた。みんなで反射的にテレビに視線を送ればどちらかのチームがダンクシュートを決めたようだった。バラバラに全員が視線を元の位置へと戻したとき未だテレビの画面に視線を向けていた水戸くんがやや低くも、真っ直ぐに通った声で言い放った。


「ダチが海外へ旅立つ飛行機を、眺めていた時」


 刹那的に沈黙が流れる。テレビ画面いっぱいに笑顔で映っていたのは真っ赤な坊主頭がトレードマークの、あの……桜木くんだった——。
 
「あ〜!!はなみちだぁ〜!かっこい〜っ!!」
 
 我が子が大楠くんの腕の中から、ぴょんと飛び出てテレビの真ん前まで行き画面に手を伸ばしてジャンプしている。目を伏せる桜木軍団と、誇らしげな顔でテレビ画面を見つめる水戸くん。そうして野間くんが、鼻先で笑いながら呟いた。

「結局また洋平が全部持っていきやがった……」

 まるでタバコでもふかしてるみたいにして溜め息混じりに言ったその言葉に続いて大楠くんが、「ずりーよなー、洋平はー」と言い「カッコつけんな」と高宮くんが続く。そんな中、水戸くんが持ってきた出来立ての肉じゃがに箸をつけながらリョータくんが、ニヤッと口角を上げて言った。

「見てっかなー安西先生も。常識を超える逸材がここに、いるんだぜ……?」
「それも——二人も同時に、な……」

 大きな液晶画面の中——。鳴り止まない歓声をBGMにして、リョータくんの言葉に、そう付け加えた寿。そんな二人の会話に釣られるように、またテレビ画面に視線を向けた私達の目に映ったのは画面全体を独占している流川くんの姿。キラキラと光る汗を長い腕で拭うその仕草はあの頃と何も変わらない。

「そう言や花道、カメラ気にしなくなったな〜」
「そーなんだよ、リョーちんっ!アイツも大人になったぜ!」
「流川は全く相手にしてねーな桜木の煽りをよ」
「さすがミッチー目敏く見てるな!それは互いに今も健在よォ!」


 みんなそれぞれに、大切な人と永遠に感じた一瞬≠フ、かけがえのない思い出を抱えて生きている。一緒に汗を流した仲間、一緒に泣き合って笑い合った友。互いに愛を確かめ合って、別れを選んだ相手——今はみんな離れ離れでも、笑って楽しく、全員が幸せであればいいなと思う。
 たとえ一瞬≠ナ終わった出来事でも、それがもし永久に記憶に残るほどのものなら……それはきっと永遠≠謔闥キい——。

 みんなといると運命とか赤い糸とか、そういう刹那的じゃない何かを、信じたくなる。みんなが好きすぎて、愛しすぎて、今が幸せすぎて、もしみんながいなくなったら、なんて悪い想像で泣きたくなっちゃうから……考えないようにしてる。
 誰だって立ち上がり続ける限りいつでもそこが新たなスタートラインになるんだって知ってる。

 今は離れている大切な仲間へ。今は離れ離れになってしまった大切な人たちへ。たまには弱くてもいいけれど、ただ、元気でいてほしい。いつもそれだけを、願っている——。





 *


 運命の人≠ニいう存在が実は二人いることを知っていますか?

 一人目は『愛を失う辛さ』を教えてくれる人。二人目は永遠の愛という『幸福』を教えてくれる人。一人目の運命の相手とは、結ばれずに終わるけれどその別れがあってこそ二人目の運命の人に出会えるという。
 一人目の運命の相手とは、一瞬で恋に落ちる。その人のことで頭がいっぱいになって、その人のことしか考えられなくて相手を好きになればなるほどすれ違ってしまう。「この人しかいない」と思うほどの苦しい別れを経験したとしても自分に何が足りなかったのか次の恋愛でどうするべきかを、あなたに教えてくれます。

 二人目の運命の相手とは、穏やかに恋が始まります。特別なデートをしなくても、ただ傍にいるだけで、心から満たされて、幸せな気持ちになります。激しく燃え上がるような恋ではなくても、「この人とずっと一緒にいられる」という確かな確信を持ちます……。


「——牧、待たせたな」

 窓が一面に広がるこの部屋は彼専用のオフィスらしい。俺は読んでいた本をパタンと閉じて立ち上がり、彼に軽く手をあげて返事を返す。

「いや、顔だけ出そうと思ったんだがな。ここに通されたときは、驚いた」

 俺の座っていた椅子の目の前の席に、腰を落ち着けた彼にならって俺もまた今座っていた席へと腰を下ろす。それを見計らっていたように、コンコン、とこれまた窓硝子で出来た入り口のドアをノックする一人の女性。彼が目配せした事でその女性が入ってきて、俺の目の前にカップに入った珈琲を置いたので、ぺこっと挨拶を返す。そしてその女性が出ていったのを見送った彼が先に口を開いた。

「いつ戻るんだ?日本へは。」
「明日だ。いい休暇だったよ」
「そうか……あ、飲んで」

 涙袋に影を落とす睫毛が揺れてすっと手を差し出して促した彼に苦笑し、さっき置いて行かれた珈琲に口をつけた。彼はまた目を僅かに伏せる。影がそっと睫毛の先と重なる刹那はわかりにくい中でもやわらかく、口元を緩ませているような、なんとも穏やかな瞬間であった。
 俺がじっと相手を観察するように眺めていると睨めっこ遊びと同じような雰囲気になってしまうのか彼はふっ、と零すように笑う。昔から変わらないその仕草にカップを持ったまま、座り心地の良いソファーに背を預けた俺の目の前、彼がふと窓の外に視線を向けた。

「藤真——。お前は帰ってないのか?日本には」

 藤真健司という男は昔から平素難しい顔をしている。とは言っても、怒っているわけではない。どちらかと言えば彼は気がかなり長い人間であった。眉間に皺が寄るのはどうも大人になってからの癖らしい。人の上に立ちその威厳からか近寄り難さが自然と身についてしまったのだと思った。
 その——いわゆる怖い顔≠ェ当たり前だったためか微笑んだ顔と言うにはあまりにぎこちない表情だな、と思っていると、ちらとこちらを見た相手が今度は溜め息を零し「いや」と、首を軽く横に振った。

「そうか、」

 と、相槌を打って俺も窓の外を見る。休暇中に出向いたここアメリカで、何となくこっちにいるらしい藤真に連絡を取り、会話の流れから昨日は一緒にNBAの試合を観戦しに行った。コートの上には過去ライバルだった、桜木と流川がいた。久々にバスケを観戦したらしい藤真も二人の活躍には、えらく感心していたようだった。

「部外者をこうして迎え入れるのは普通なのか?お前の会社は。すごいな……さすがアメリカだ」
「そうだな……特に規定はないけど。まあ、来たのはお前と花形くらいだよ」
「花形か。こっちにいるんだったな」
「うん。とは言っても、お互い時間が合わなくて最近は会えていないけどな」
「俺もまたいつ会えるかわからないからこうして最後にまた、顔を見れて良かったよ」

 その言葉にわずかに顔を綻ばせた藤真は、そのまま立ち上がり窓際へと向かう。その姿をじっと見つめていると、奴が不意につぶやいた。

「自分に期待する事で初めて物事は可能になる」
「お、マイケル・ジョーダンの名言だな」
「あの桜木が、シカゴ・ブルズの選手、か……」
「本当……高校の頃は考えてもみなかったよな」
「ああ、残念だが尊敬に値する人物になったよ」
「……」

 藤真は振り返って、微かに笑う。しかしすぐに無表情になった。彼はその凛とした目の中にある琥珀色にも似た瞳の色を真っ直ぐに据えて相手の目どころか心臓までをも易々と射抜くのだ。矢が突き刺さったように、その視線によって捕らえられてしまえば負けだ。過去にコートの上で戦ったときから俺は、ずっとそんな事を思っていた。
 藤真はまた俺の目の前に腰を下ろした。そしてそばに置いてあった、さっきまで読んでいた本に視線を向けて「何読んでたんだ?」と問う。俺は「ああ、エッセイだ」と、その本を手に取り差し出す。徐にそれを受け取った藤真は、パラパラと中身を流し読みしながら独り言のように言った。

「運命の人……か」

 ぽつり、そう呟いてすぐにその本を俺の方へと戻してきたので、それを受け取り今度は俺がその本をパラパラと捲る。普段この類の本は買わないのだが先日なぜか友人から渡されて読んでみてと言われた。なお、その友人とは同級生であり恋人同士だったという過去もあるが、今では良き友人関係を続けている。

「意外と面白いぞ、これはこれで」
「エッセイは読まないからな、俺」
「そうか……」

 パラパラと本を捲りながら視線をその本に落とし込んだままで俺が「……なあ、藤真」と言えば奴が「ん?」とこちらを見た気配を感じた。特に勘繰るつもりはなかったのだが何となく、聞いてみたくなったのだ。なぜかはわからないが、俺の本能が今、そう思ったのだろう。

「婚約者が、いたんだって?」
「……」
「小耳に挟んだ。まあ、随分と前の話だが……」

 パタンと本を閉じて彼を見据えれば先にじっとこちらを見ていたらしい奴と正面から目が合う。「聞いたら悪かったか?」と言う意味も込めて、眉をやや顰めれば彼はふ、と笑い、また窓の外に視線を巡らせる。

どの女・・・だろう?いつの話だろうな、その噂は」
「言うほどそんなに器用じゃないだろ、お前も」
「はは、言うじゃん。まあ、いたよ?随分前に」

 その返しに俺は小さく笑って、そう言えばと、徐に携帯電話をジャケットの胸ポケットから取り出して画面を操作し、それを翳して見せる。彼は少し目を見開かせたあと、俺から携帯を受け取りその画面を眺めた。

「昨日あいつらを見て思い出した。数年前に三井の結婚式の二次会に、顔を出したときの写真だ」
「……三井?」
「ほら——元湘北高校のシューティングガード」
「……ああ、シューティングガード——ねぇ。」

 全員で撮った写真なので少し見づらかったのか藤真はその画面に映し出されている写真を見て、目を細めていた。

「結婚式の写真も貰ったから左にスワイプすると見れるぞ」

 言われた通り横に動かす奴の指があるところで止まった。その親指がゆっくりと画面を撫で付ける。まるで、慈しむようなその指の動きと、目を細めた奥に見える優しげな眼差しに誰を見ているのかと不思議に思って、写真に写っている全員の顔を思い浮かべてみた。

「参った……。花のように、綺麗だな……」
「……ん?……ああ、元マネージャーか?」
「……、うん」

 喉の奥でそう言って小さく頷いた藤真が携帯を返してくる。それを受け取り、今一度その写真を確認してみれば確かに昔から大人びていたように記憶している、湘北バスケ部の元マネージャーの姿がそこに写っていた。

「お前は、こういうタイプが好みだったんだな」
「……好み、か。うーん、俺も意外だったよ。」
「……?」

 奴の整えられた眉がぴくりと反応した。すっと流された瞳が再び俺を捕らえる。奴の目の表面に反射する光を追うように見つめ返すと相手は目を伏せて、消えるか消えないか微かな掠れた声で、「日本は——」と、言った。

「桜の季節か……」
「ああ、そうだな。そろそろ満開は過ぎた頃だ」
「桜は賢いよ。ちゃんと飽きられる前に散るんだからな……」
「……藤真、お前、花見が好きなのか?」
「花見ねぇ……いや桜と——花火が好きなんだ」
「花火……へえ、そうか。」


 ——たとえその幸せに自分が関係ないとしてもただただ幸せになって欲しいと願う気持ちこそが愛だと……恋人ごっこ≠ニ付き合う≠ヘ別物なのだと学んだ。離れてから気づいても、遅い。初めて経験した失恋≠、他の人で埋めようとしても君を思い出す無限ループだ。だったら俺はもう生涯、一人でいい。
 『わかれよう』と言ったのは紛れもなく自分でそのたった五文字で、他人より離れてしまった。

 結局、遠かれ近かれ、自分は他人なんだと突き離した心で考えた結果、逆に優しい接し方が出来たりするものだ。優しさか醜さかはわからない。けれど所在無さげな心の矛先と足が向かう場所と慈しみ見下ろす相手もいなくなった今では、興奮する素直さなんて、俺には必要ないのだ。
 
 しくじった……惚れてしまった。彼女は、桜のような人だった。いつも君の前では素直だった。そんな俺が君についた、最初で最後の嘘——。


 『 結婚、おめでとう—— 』


 輝いてた記憶からは消えていくのに、ふとした瞬間にいつも、あの微笑みばかりが浮かぶ。

 この街の何処にも君は居ないけれどもう二度と会えないはずの君が、俺の名前を呼んでいる気がする。振り返る場所も無い、聴こえたのはきっと俺の心の中だけ。いつも、心の中だけだ——。










 あなたといたかった 季節



(分かっていても、感じていたいよな……)
(ん?何をだ)
(毎年、桜の花が散るまでは——)
(……藤真?)
(あ、いや……こっちの話だよ、気にするな)
(あ、ああ……)


※『 愛のカタチ/海蔵亮太 』をお題に
※ Lyric by『 STAY/コブクロ 』

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