あなたを思う春に異彩を放つ

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  •  —『まもまく二番線に電車が到着します』—


     好きになっちゃいけないのに幼馴染の彼を好きになってしまった。好きと伝えなければ幼馴染で大事な彼と、ずっと一緒にいられると思ってた。

     一番近くて一番遠いふたりの物語は、あの日、彼から「好きだ」と伝えた時からきっと終わりに向かって進んでいたのかも知れない——。


    「寿!」
    「……」
    「最後に一つだけ......一つだけ聞いてもいい?」
    「……なんだよ」
    「成人式の……寿の成人式の、あの約束の日——どうして来なかったの?……ねえ、どうして、」
    「ンなこと……んなこと聞いて、どうすんだよ。今更そんなこと聞いて俺らどうにかなんのかよ」
    「それは……」
    「………どうにも、なんねーだろ」
    そうだね……そうだよ、どうにもならない……ごめんね、変なこと聞いて」

     そのまま幼馴染の彼は私に背を向け駅の階段を静かに登っていく。私はそこに立ち尽くしたまま彼の背中に向かって囁く。小さな声で幼馴染には聞こえないように……

     『 サ ヨ ナ ラ、』 と——。


     もう昔のように、こちらに振り向くことはない幼馴染の背中を見送り自分のアパートへと帰る。溜め息を吐きながらアパートの玄関前——鞄から鍵を取り出そうとして嫌な汗が私の胸元を伝う。無い……鍵が、見当たらない。そこで携帯を取り出すと、一件のメッセージ受信を確認した。

    『お疲れ様。名字さんトイレにポーチ忘れて行ったでしょ。失礼だと思いつつ中を開けたらアパートの鍵らしき物を見つけて……どうする?』

     ある人物からの突然のお誘いにつき定時に上がる事ばかりに集中して最後に軽くメイクを直しに行ったトイレにポーチを一式置いてきてしまったのか。会う人を想像していつもより気合いの入ったメイクに服装……と言うわけでもなく普段通りの格好だったが、一応おかしなところが無いかをトイレの鏡で確認をして仕上げにニコッと笑顔の練習をしてから会社を出た。
     外はここ数日、雨が続いていたせいか肌寒くて試しに吐いた息が、白くなる事こそなかったが、これはまた、雨が降りそうだ。

     向かう待ち合わせ場所は最近行きつけのBARの入り口前。今から会う人——高校時代の親友である彼から珍しく「ちょっと買い物に付き合って欲しいんだよねぇ〜」と頼まれた。では、のんびりウインドーショッピングでもしながら買い物をしようと言う事になり、平素なら彼の想い人から唐突に連絡が来て夜に待ち合わせをしてそのままBARへ直行というのが多かったのもあり珍しい彼からのお誘いに、普段より気分が高揚していたのは確かだ。
     待ち合わせ場所に近付いたところで、腕時計を確認すると約束の時間より十分早く到着してしまった。我ながら楽しみが先行して余裕が無かったようにも思えた。それから待つこと約、数十分。

    「リョータくん遅いなぁ……」
    「もしもし?宮城?!……なんだ、留守電かよ」
    「あ」
    「あ……」

     声が重なった。目の前には、此処に居るはずの無い人物の姿。困惑して言葉に詰まる私と、耳に携帯電話を当てがったまま硬直する元彼もとい、幼馴染。向かい合った状態の二人の間に少し長めの沈黙が流れたが始めに口を割ったのは彼のほうだった——。

    「……せっかくだし、少し歩くか。」

     意外な提案に目を見開く私に対して彼は「帰りまで時間あんだよ」と少し情けなく笑って見せたので、私は面を食らい、小さく肯いたのだった。


     *


     メッセージの内容を確認してから急いで連絡をくれた同僚の携帯を鳴らしたが圏外になっているようで、目の前が真っ暗になった。
     同僚とも連絡が取れず悪運は続くもので予想は的中——ぽつぽつと雨が降ってきた。当たり前に傘を持っていなかった私は雨に打たれ何だかもう動く気力もなくなり、アパートの玄関前に蹲っていた。お情け程度の屋根はあるものの、雨が容赦なく私に降りかかる。このまま土砂降りになったらどうしよう、笑えない。でもいいか、このまま濡れて私が風邪を引いたって誰も困らない……。

    「今日の占い絶対、最下位だわ……」

     ハグ≠ニ泣く′果——。ハグするとストレスが40%軽減されまた泣く事でもストレスが40%軽減されるらしい。だから無理して強がらなくてもいいし、我慢しなくてもいい。辛い時は誰かとハグしたほうがいいし泣ける時は泣いてもいいのよ——先日、親友の彩子から言われた言葉だ。確かに。人間ってそんなに強くないから……どうしよう、私いますっごく、誰かに抱きしめてもらいたいかも……我ながら弱いなぁ、私って。

     意外と傷心していたのか、そんなことを思っていると蹲ったまま地面に向けていた視界が不意に翳った。体を濡らしていたはずの雨が遮られる。ゆっくり視線を持ち上げてみると上質な深い紺色のスーツにスプリングコートを着た彼が私に傘を差し出しながら立っていた。一瞬、本当にどこかの国の王子様に見えた。シルエットがすっきりとしたパンツのおかげで長い脚が際立ち、見慣れた背景の景色さえも違うもののように見えてさっきまで鬱陶しかったはずの雨さえもが一層彼を引き立たせ、まるでモデルのようだ。いや、王子様。


    「藤真、さん……?」

     私がじっと彼を観察するように眺めていると、睨めっこ遊びと同じような雰囲気になってしまうのか、彼がふっと零すように笑った。それでも、彼を視界に入れた瞬間に、飼い主を見つけた犬のように先までの心細かった気持ちが救われたような気になってしまい私は勢いよく立ち上がった。が、彼との至近距離に驚いてよろけてしまった。しかし私の腰に彼の腕がやんわりと回され後ろに倒れる事は免れたようだ。その拍子にふんわりと彼が普段つけている香水の匂いと彼自身の匂いが一緒くたに服の隙間から香ってきて、何ともたまらない気持ちになる。

    「お前は……犬か、何かなのか」
    「え?」
    「箱があったら、まるで捨て犬だな……」

     なんとなく自分で思っていたことを、そのまま伝えられてしまって面を食らったが、私に尻尾が付いていれば多分、ちぎれそうなくらいに左右に振り回していることだろうとは思う。

    「雨が降っているのに何で家に入らないんだ?」
    「実は鍵を……会社に、忘れてきちゃいまして」
    「……お前らしすぎて、かける言葉も出ないな」
    「あ!今かけたんですか!?鍵を掛ける≠ノ」
    「……」
    「す、すみません……」

     呆れたような物言いの割には、私に回した腕を解こうとすることもなく藤真さんはやさしく頭を撫でてくれた。くすぐったいけど、嬉しい——。

    「え……藤真さんは、どうしたんですか?」
    「ああ……近くに用事があって。今日は久しく、このまま帰るところだったから寄ってみたんだ」

     藤真さんはそう言いながら私からゆるく離れて傘を持っていない方の手で私の手を繋いで、先を歩いて行く。ふと真横に並ぶ彼を見上げると寒さからか、耳がほんのりと赤くなっていて、いつも気難しそうな顔をしている彼に失礼かもしれないが、なんだか似合わないなと思ってふっと笑ってしまった。

    「ん……?」
    「耳が……ちょっと赤いです。寒いですか?」
    「……いや、照れてるだけだよ。気にするな」
    「——!またそうやって揶揄うんだから……」
    「そう?揶揄ったように聞こえた?」
    「……っ、もう……っ」

     繋いだ手をぎゅっぎゅっとリズムをつけて握られる。藤真さんの手は冷徹そうな容姿からは想像もつかないくらいにあたたかい。返事をするように私も握り返せば満足したのか、彼の口元が緩くなるより先に眉間の皺が薄くなった。
     通り雨も過ぎ去り向かった公園内は池や噴水があって散歩コースなども設けられている。来年の春にもまた来たいなぁと、公園内を網羅する前に桜が満開な頃を想像していると彼が「名前の好きそうなドッグランがあるな。行くか」と意地悪そうに笑いながら言ってきた。……失礼な。いつから私は犬系彼女になったんだか。まあ……確かにさっきは、尻尾を振っていたように見えたのかも知れないけどさ……。

    「……ねえ、藤真さん」
    「ん?」
    「結婚≠チて、どんなタイミングでするんだと思います?世の、男女たちは……」

     傘を畳むため一度立ち止まった彼にならい私も立ち止まる。畳み終えて、また手を握られたので私も先と同様に、その手を握り返し歩き出した。私からの唐突すぎる問いにも特に焦る様子もはたまた考え込む様子もなく無表情に近い面持ちで、藤真さんは言葉を紡いだ。

    「こいつと一緒に幸せになろう≠ニかこいつに幸せにしてもらおう≠ニ言うよりも——」
    「……」
    「こいつとだったら、不幸になっても後悔しないって言う相手と巡り会えたら、その時に考えるんじゃないか」
    「……」
    「理想論でもそういうのが最高なんじゃないの」
    「……ええ。最高だと思います、ほんと……。」

     藤真さんには、簡単に忘れられない人がいるのかな……。藤真さんにもそんな経験ありますか?って問いかけたらなんて答えるんだろうか。でもきっと今の藤真さんなら「あるよ、俺は忘れなくてもいいと思うな」って言ってくれる気がする。

    「だけど結婚なんてのは若いうちにしなきゃダメだ。物事の分別がついたら出来なくなるからな」
    「……」
    「なんだ……ああアレか。例の、昔の男?」
    「……っ」
    「ほんと……分かりやすい奴」
    「ち、違いますってば!……ゆ、友人の!友人の話ですから、友人からそう聞かれただけでっ!」
    「ふーん?」

     そのとき背後から何かが転がってきて藤真さんの足にぶつかって止まった。私たちも、反射的に足を止めて手を離し振り返る。遠くからは小学生くらいの少年と少女の二人組が走ってきた。藤真さんの足にぶつかったのは紛れもなくバスケットボールであった。彼はそれを拾い上げて、駆けてきた少年に手渡す。その瞬間、目を細めて微笑んだ彼の表情に釘付けになった。なんて優しい顔をするんだろう、って。
     心を奪われるって、こういう瞬間のことを言うんだろうなって……今思った。何度でも会いたい景色……彼の隣はいつだって夕日も夜景も静かに望める、綺麗な場所なのだろう。

    「お兄さんっ!ありがとうございます!」
    「……どういたしまして。転ばないようにな」
    「はいっ!ほら、行くぞ」

     そう言ってボールを受け取り腰に谷折りさんがあるのかと言うくらいに90度に腰を曲げた少年は乱暴に少女の手を取って来た道を走って戻って行った。その二人の後ろ姿を何となく眺めていた私たち。その体勢のままで彼がぽつりと言った。

    「——大丈夫だ、男なんて星の数ほどいる」
    「……でも、その……友人・・にとってその人が……太陽みたいな存在、だったとしたら……?」
    「その人が本当に太陽なら——お前・・の顔はいつも晴れてたはずだろ」
    「——。」

     なんて結局は名言を残して決着してしまった。私は「だから私じゃなくて友人の!」と訂正したが、藤真さんは「ハイハイ」と、軽く鼻先で笑うだけで「そうか」とも「わかってる」とも言ってはくれなかった。
     そのあと公園内に更に進んで行くと、なにやらライトアップがされていて、この時間帯でもまだ多くのギャラリーがいた。そうして売店も並んでいる。何かのイベントを催しているらしい。近くにベンチがあり、そこから公園の芝生や、向こう側の景色を眺められるように設置されていた。

    「あ!」
    「なんだ。飲み物でも買うか」
    「はい!それと、ジェラート……」

     この雨が降った後の寒い気温の中、ジェラートだと?とでも言いたげな藤真さんの顔が、恐いと思った。初めて見たかも、そういう表情……。
     まだ少し早いかも知れないが季節外れにもジェラート屋さんが開いていて、美味しそうな彩りのジェラートに、アイスに、まさかの、かき氷まで用意されていた。レジの隣には温かい飲み物コーナーとして、ウォーマーも置いてある。

    「……甘いものが食べたいのか」
    「はい……そうなんです……。」

     静かな攻防戦の後にしばらく売店を眺めた藤真さんが諦めたように溜め息を吐くと「何味が良いの」と言いながら繋いできた時と同じ様にゆるく手を離して、財布を取り出しそのまま店員さんに注文をしていた。
     藤真さんの指……長い。呑気に、そんなことを考えてぼうっと指先に見惚れていた私は、自分の分のお代を支払うタイミングを失っていた。いつ言い出そうかと、じっと彼の後ろに立って頃合いを待っていると彼が店員さんから何かしらを受け取って振り返る。そして、そのジェラートを手渡されてしまえば自分の顔の筋肉がゆるゆると解けるのが分かった。彼の手にはホット缶コーヒーと温かいお茶のペットボトルがある。お茶はきっと私のために買ってくれたのだろう。そういうところにも、気持ちが高まっていく一方だ。

    「……藤真さんって、ほんとモテるでしょ」
    「モテないよ」
    「……う、嘘つきは、舌抜かれますよっ?」
    「興味のない相手にジェラートなんて買わない」
    「……っ」

     心臓がどくどくしている。聴こえてないかな?この何とも言えない心の震えに、自分自身が飲み込まれてしまいそうになる。ここに……あなたに恋してる人がいるよ。あなたの事これ以上好きになったら……どうしたらいいですか?でもこれが恋であってほしい。ううん、恋が——いい。

    「あの、藤真さん、お代は……」
    「いいよ。……そこに座るか」

     促されてベンチに座り買ってもらった白いジェラートを口に含めば、甘い牛乳の味がした。美味しいなぁ。隣には缶コーヒーとお茶を両手で包んで持っている藤真さんが、ぴったりとくっついて座っている。あの駅で声を掛けてもらったときは一人分空けて座っていたのに。不思議で温かくて心地の良い感覚。その横顔を盗み見ると彼は遠くの景色を眺めているようだった。ほんと、かっこいいなぁ……。
     その綺麗な横顔を、視線を——、こちらに向けさせたくなって「はい」と、スプーンに白い塊を掬い目の前に差し出してみた。寒いから要らないとか甘い物は苦手だと、ひと蹴りされるかじっと睨まれるかの二つに一つと考えていたが、予想に反して彼は、ぱくりとそれに齧りついた。

    「……」
    「……」

     驚きをそのままに「美味しいですか」と聞いたら「寒い」と言うのと同時に軽く唇が左瞼に重なった。目元にひんやりとした温度が伝わる。ドキドキする。唇にはしてくれないのかな。藤真さんのキスってどんな感じなんだろうか……。いつか唇にもキス——してくれるかな?

    「愛の完璧さって言うのは……不完全なところにあると、俺は思っている」
    「……え?」
    「今日、港区でイルミネーションがあるらしい。行くだろ?」
    「……!はい、行きたいです!」

     誰でも問題は抱えているけど、みんながみんな不幸なわけじゃない。
     高校時代の彼の亡霊は言う『そばにいて』と。高校時代の私は答える『あなたでいて』と——。そんな、馬鹿みたいにいつまでも握ったまんまの口約束なんてもう、何の権利も価値も持たない。
     あの日、駅のベンチで泣いていた私は心が死んでいくのを直に感じ取っていた。そんなとき——彼の手が、現実の苦しみから掬い上げてくれた。温かくて優しくて……そっと寄り添ってくれた。
     気まぐれで優しくしてくれているだけかも知れないってわかっている。それでも何もできなくて何も持たない私を必要としてくれる事が嬉しくて幸せで。あなたと、一緒にいたいの——……。

     バイバイ愛しの思い出と私の夢見がちな憧れ。優しくなれたよ、少しね。強くもなれたみたい。
     どんな未来も受け止めてきたの、今まで。たくさん夜を越えた、そして今も。
     この恋の行く先なんて分からない、ただ想いを今、伝えて行くから。私の裸の心を受けとめて。


    「ディナーに何を食べたいか、考えておいて」

     そう言った彼が煽る缶コーヒーの匂いと、私の口の中で広がる甘い牛乳は、ずっとずっと優しい味がする。

     恋なんてしなきゃよかったと、あの時も、あの夜も思っていたの。いま私、また恋をしている。裸の心を震わせて。
     この恋が実りますように。少しだけ、少しだけそう思わせて。いま私、恋をしている。裸の心を抱えて——。










     あなたと同じで息がしたい。



    (あっ!ハヤシライスが食べたいです!)
    (おっ、奇遇だな。俺も同じことを考えてた)
    (え!!運命ですね、大運命です、きっと!)
    (大運命か……ところで今日は何をしてたんだ?)
    (えっ?まあ……過去の遺品整理ですかねぇ……)
    (……ああ、アレか。例の、昔の男の遺品整理だ)
    (っ、もう!早くイルミネーション行きましょ!)
    (はいはい……)


    ※『 永遠/ZARD 』を題材に
    ※ Lyric by『 裸の心/あいみょん 』

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