優しすぎた思い出たち(1/2)

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     とても好きで、好きで。その気持ちは1ミリも変わらないのに、好きだけじゃ駄目な恋もある。それでも本気で好きだった想いは、いつか優しい気持ちに変わると信じていた。今はそう思えなくても、いつかは必ず——。
     残る物は寂しさだけじゃない。例え別れても、離れてもう会えなくても『愛していた』と本気で思える人がいたことは幸せな事だと思う。別れてしまっても、また同じように出逢ったならきっとまた好きになる。そんな、恋をした。だからもう自分の好きを疑わない。自分の好きを試さないし自分の好きを迷わない。自分の気持ちに、自信を持つ。自分の好きを貫いていこう。

     いつだって、人の本当の心は見えないもの。
    笑っている顔で、泣いている心もあるってこと。
     出逢いはきっと、かけがえのない人生の宝物。長い人生の中で、ほんの一瞬でも心が繋がったのなら、それは素敵な運命だ。

     誰の声を聞きたいか——誰に一番会いたいか、誰を必要とするのか、誰と一緒にいたいのか。
     考えなくてもすぐに頭に浮かぶ人が、いま一番自分の中で大切な人。





     *


    「だから、いいってば……」
    「はぁ!?なんでだよっ!」

     土曜日の夜、バスケ部の練習を終えた彼と待ち合わせをして焼き肉を食べに行った帰り道で——「みんなにちゃんと、報告してぇ」と言い出した彼に、しなくてもいいと言い返したのがきっかけだった。当然、報告の所在をめぐって「なんでだよ!」「いいってば」の応酬で押し問答になる。かれこれ、三十分は経過しただろうか。
     彼の愛車が停めてある駐車場へ向かう途中で、普段は硬いバスケットボールを掴んでいる手の平が私の耳を包み込み髪の毛をくしゃりと掴んだ。優しい手の平でゆっくり引き寄せられて少しだけ見上げてみると、とても優しい眼差しの幼馴染と目が合う。

    「……な、なに?」
    「え?むちゃくちゃかわいー顔してんなーって」
    「……はっ?」
    「だから、かわいー顔」
    「……し、してないっ」
    「してるって、俺のこと大好きっつー顔」
    「寿だって!そ、そーいう顔……してる、よ?」
    「そりゃあ俺ァ……名前の事が大好きだからな」
    「なっ——!?」

     彼がくすくす笑う度に、微かな吐息がかかってくすぐったい。自然な流れで、耳元に添えられている腕に擦り寄ると、彼の瞳がばちりと見開かれた。何か驚くようなことでもあったのだろうか。

    「名前、ほんとかわいーな……ずりィって」

     言うが早いか——そのまま彼の唇が、チュッと一瞬だけ押し付けられる。すぐに離れたその顔はいまにもとろりと溶けそうなほどに甘い。

    「なあ、名前……頼むよ」
    「頼むって言われてもなぁ……」
    「みんなによ、ちゃんと報告してーんだって」
    「うーん……」

     困り果てる私を見てフッと笑った彼が再び顔を寄せてきたので、触れ合うだけの優しく柔らかい口付けに応えるために、私はそっと瞳を閉じた。しかし、唇には特に触れられた感触はない。目をゆっくり開けると同時に額にデコピンを食らって驚き、額を押さえる私と、私から離れていく彼。

    「されると思ったんだろ?」
    「はっ!?な、なにを!?」
    「あー?……接吻?」
    「——!!?接吻って言うな、接吻って!!」
    「ふははっ」
    「……もう。揶揄わないでよね……サイテー」

     この笑顔を、ずっとそばで見ていたい。自分で出した答えなら、それがきっと正しい。
     少しの寂しさと、優しい思い出を抱えても尚、前に進む自分を誇らないと。泣いた日々も強さに変えて——。





     *


    「あっ……、寿っ!」

     週明け——待ち合わせた駅の改札口。幼馴染の彼、寿は大きく伸びをしながら改札を出て来た。漆黒の髪の毛は夜になっても街頭の光を反射して輝いていて、私の声に反応した顔もかっこよくて思わず見とれてしまう。

    「おぅ!待ったか?お疲れさん」
    「……」
    「ほら、名前も。」
    「え?」
    「お疲れさんは?」
    「あ……うん。お疲れ……さま。」

     小さく返したその声は自分でも何だか緊張しているようにも聞こえた。そのまま二人とも無言で駅を出て歩く。それは目的地の近くまでずっと。そして最後の信号で止まったとき彼がおもむろに口を開いた。

    「なぁ……お前、今日なんか変だよな?」

     ぼーっと目の前の赤に光っている歩行者信号を見つめていると不意に彼が顔をのぞき込んできてとてもびっくりした。その澄んだ瞳が心配の色を含んで、こちらを見ている。

    「え、えっ、えと……そう、かな?」
    「おぅ、変だ。昨日の電話では笑ってたのによ」
    「……、」
    「声小せぇし。何かあったのか?誰かに変なこと言われたか?」

     眉をしかめる幼馴染。信号が変わって、そばにいた人達が流れ始める。彼が「お、渡ろーぜ」と一歩踏み出すのを、手を掴んで止める自分に驚いた。当たり前に彼は目を丸くする。私も私にびっくりして、でもやってしまった事はどうしようもない。半泣きになりながら、「ねぇ、待って」と言って、彼の手を掴む手に力を込めた。暫くしてまた信号が赤に変わる。今はもう信号待ちをする通行人は誰もいなかった。「どうした?」と少し困惑していた彼もさすがにここまできたら何かを察したらしく、じっと黙って私を見ていた。

    「あの、ね?」
    「おぅ」
    「あの、さ?」
    「……あ?なんだよ」
    「……、」

     深呼吸、深呼吸。心の中の自分が「まずは落ち着くこと」とアドバイスをくれた。息を整えて、彼をまっすぐ見る。視線がかち合う。漆黒の瞳が今も私だけを見つめている。
     私はチラと自身の鞄の中を見下ろして、視線をまた彼に戻した。そうして肩にかけていたトートバックから白い小箱を取り出した。お気に入りの向日葵色のインクで小さく「To.寿へ」と書いてある小箱。

    「あの……まずは、これ」
    「……ん?」
    「今日、その……時間があったからさ」
    「……」
    「作ってみたの……試作品だけど……」
     
     包み紙に包まれた箱を目の前に差し出すと彼は無言でそれを見下ろした。そうして大袈裟なほど慎重に受け取って「開けてもいいのか?」と不安そうな表情を貼り付けて聞いてくる。

    「うん……もちろん」
    「マジで開けるぞ?」
    「はい……」
    「……は?これ……クッキーか?」

     彼はコクンと頷いた私を一瞥してから、三つのバスケットボール型のうちの一つを長い指でつまんで、パクッと口に入れた。

    「……うん、うめぇ。店の味みたいだわ」
    「ははっ、大袈裟……」

     ふは、と微笑む幼馴染の笑顔が眩しい。かっこ良くて思わず顔がにやけてしまう。いけない……見えないように後ろ手で手の甲をつねって、私はなんとか真顔を取り戻すことに成功した。

    「あのね、寿……」

     彼が唾を飲み込む音が聞こえた。少し間が空いて「おぅ」と返事がある。深呼吸、深呼吸……。吸って、吐いて、そして——

    「やっぱ、今日さ?——水戸くんのお店に行くのやめない?」
    「はぁ?……なんで?」
    「その、まだ……心の準備ができてないって言うか……みんなと会うの、ほんと久しぶりで……」
    「……」
    「彩子とかリョータくんとも久しぶりに会ったの実は。だからその……寿の成人式以来、あの……他のみんなとは、全然……」

     ぽつり、ぽつりと語る。わずかに顔を曇らせた彼がすぐに眉間に皺を作った。強い口調で怒鳴られるかと思いきや意外にも気まずそうな雰囲気を纏って言った。

    「……水戸、とも——会って、なかったのか?」
    「へ?……み、水戸くん?」
    「ああ。てっきり俺、水戸とは——」
    「会ってないっ!全然。まったく!」
    「……そ、そうか。」

     しまった……つい、嘘をついてしまった。食い気味に遮った私をじっと見つめる彼から、咄嗟に目を逸らしてしまう。
     そうじゃない。会ってないわけじゃないけど。いや、会ったのは、かれこれ一ヶ月も前の話で、寿に会いに行った前日に会ってはいるけれども。でも……わざわざあの日の出来事を蒸し返すのはなんだか、違う気もする。だって言ってどうするの?だって、だってね?……あの日は——、

    「あんなに仲……よかったのに、な……。」
    「……、」
    「あいつだって会いてぇと思うけどな、お前に」
    「……。」

     幼馴染が私を見つめている。今のうちに、言いたいことを全部言っておけと心の中の私が叫ぶ。
    ——でも、だけど……

    「俺よ、大学卒業する年、だったか?宮城から、お前と水戸が付き合ってるらしいって聞いてよ」
    「……え?……は、はい?」
    「まぁ、結局はエイプリルフールの、くだらねえ嘘っぱちだったっつーオチだけどなぁ〜」
    「……」
    「桜木に電話して探り入れたんだぜ?けどアイツ知らねー本人に聞けとか言うし野郎軍団にも聞いたりしてアイツら面白がってそうだとか言うし」
    「……」
    「だから、宮城からこないだお前に��いい人�≠ェいるってこと聞かされたとき真っ先に相手は……水戸、なんだろうなーって……よ?」
    「……、」
    「ま、実際は違ったんだけどな……」

     そこで一旦言葉を切った彼と視線を合わせる。情けなさそうに苦笑している彼を見て、なんだか居た堪れなくなった。
     寿の成人式のあと、一度だけ駅で彼を見かけた事があった。周りに同じ部活の人らしき集団と、女の子の群れ。私よりも綺麗な子が、たくさん。容姿も顔も、抜群な女の子たち。
     今思い返してみればその中に、あの元婚約者の彼女もいたのだろうと思う。こんなに身近に何人も美しい人がいるんだから私が声をかけては駄目だよねって、そう思っていた。

    「……寒ィっ。雪降ってくんじゃね、これ……」
    「……。ん、かもね……」

     でもね……��好き�≠チて不思議だよね。あの時寿の周りにいれる女の子たちに多分、嫉妬しちゃったんだと思う。寿が、困った顔をしているのを見て私と一緒にいるときの寿の笑った楽しそうな顔を思い出して。私がまた、笑顔にしたいなって思っちゃったんだよなぁ。
     まったく……自分勝手な話だ。その髪や瞳も、相変わらず今でも尊いと思うけれど話すとき目をしっかり合わせてくれるところとか、今でも昔の友人たちを大切にしているところとか教師になって、毎日こつこつ努力しているところとか。そういうところの方が、もっと好きだよ。

    「好きだよ」
    「……あ?」
    「私、ずっと寿が好きだった」
    「……。」

     言葉が変だったかもしれない。でも一生懸命に伝えようとして——それで、彼が昔のように照れ笑いをしていることに気がついて、気が抜けた。

    「ったく……せっかちだな、名前は。」
    「……へっ?」
    「そういうのはよぉ、先に男に、言わせろよな」
    「えっ、その、え?……ご、ごめん……?」
    「別に謝らなくていーって。つか、そりゃつまり全部を通り越して、俺と結婚してぇってこと?」
    「……は?ちょ、ちょっと、それは違う気が、」
    「じゃあずっと......一緒にいてぇってことか?」

     えっ、と固まったあと私は、コクリと頷いた。向こうは「マジかよ!?」と口を覆ってオーバーリアクションで天を仰いだ後こちらに向き直ってやや早口で言う。

    「それじゃあ尚更、今日ちゃんと報告しような」
    「え。」
    「じゃねえと、水戸に取られっかも知んねーし」「だから……なんで、水戸くん?」
    「俺たちはその——また、あのぉー......なっ?」
    「ゆっくりで良くない?報告なら、尚更……。」
    「だーっ!!もう、うるせぇ!俺は!おまえを!ちゃんと好きなヤツだって紹介してーのっ!!」
    「だから——!……え、えっ?なっ、なんで?」

     上手く私の想いが伝わらなかったみたいなのでもうこの際はっきりと「水戸くんとはまだ会いづらい」と言ってしまおうと思わず大きな声を張った時、彼の顔がなぜか真っ赤になっていた。肌が白いから余計に目立つ。自分で、好きなヤツだと紹介したいなんて恥ずかしいことを言っておいて照れているのかなと思ったら何だか可愛く見えてきて、プッと吹き出してしまった。

    「ったく、笑ってんなよな……」
    「ごめん、ごめん」
    「ちゃんと、先の事も考えてる相手だって……」
    「いや、あの、それはとても嬉しいんだけど」
    「あ?……けど?」
    「まだその、みんなに会う自信がなくてさ……」
    「……なんだよ、自信って」
    「……」

     自信——。そうだ、みんなに会う自信がないと言うよりも私、水戸くんにはまだどうしても直接会う勇気が持てないだけだ。でもこれはきっと、��逃げ�≠ネのだろうと思う……逃げる必要なんてないのに、向き合う勇気がまだ、どうしても……

    「いや、あのね?寿とこうして一緒にいれるのはその……嬉しいし、色んな人に迷惑かけたことは責任を持ってちゃんと謝るべきだと思うし……」
    「おぅ」
    「教師してる姿は、一生懸命でかっこよかったし尊敬してる。生徒からの信頼も厚いみたいだし、努力家だし」
    「うん。ん?……う、うん?」

     逃げて怒られるのは人間くらいだ。他の生き物たちは本能で逃げないと生きてはいけないのに、どうして人は「逃げてはいけない」なんて答えにたどり着いたのだろうか。

    「あの日——寿に会わなくて、本当によかった」「……あ、あの日……?」
    「会っちゃったら、涙を見られるところだった」
    「……」
    「すごく会いたかったの。何をしていても、頭に浮かんだし、お酒も飲んだりしたけど、やっぱりすごく……会いたかった」

     話が逸れていって、何やら訳のわからない言いわけを語っていた私は語りすぎて逆に落ち着き、ぎゅっと唇を引き結んで黙った。そうして、彼が意を決したようにこちらをバッと見た瞬間に目が合い、今度は彼が言葉を紡いだ。

    「だったらやっぱ、会いに行かねーとな!」
    「……え?」
    「みんなに、会いに行こうぜ?なっ?」
    「……わ、わかったよ……行くよ、行けばいいんでしょ……」
    「よっしゃ!じゃあほら、急ぐぞっ!」


     人が相談をするときは、傷を癒したくて味方を欲しているのだと言う。忠告も大事だけど、それ以上に共感のワンクッションが必要だと。
     相談に乗るということは��問題解決能力のある自分のプレゼン�≠�するわけじゃない。彼はよくそれを心得ている人物だった。出会った頃から、ずっと。今回もまた、そんな彼——水戸くんに、まんまと傷を癒されて、味方になってもらった。

     あの日——伝わる手の温もりだけで、あんなに安らげて眠りにつけたことを、私は一生忘れないだろう。がんばれ、よりも、お互いがんばろうの方が、百倍��がんばれる�°Cがした。
     だけど、会ってしまえば彼との今までのこと、これらも全てが終わる気がして、もう会えないと思っていたけれど——


     ——ガラガラガラー・・・


    「いらっしゃいませー」
    「よぅ……」
    「おー、みっちー。——と、あれ?……ははっ、名前さんか」
    「……」
    「なんだ、綺麗になってて分かんなかった」
    「……、」
    「久しぶり(・・・・)だな、名前さん。」
    「——うん。」

     幸せが始まる音がする。だって、ほらね。彼はいつだって「わかってたよ」って「大丈だよ」と言いたげに優しく微笑みかけてくれるんだから。


     *


     水戸くんのお店に到着して、二人一緒に店内に足を踏み入れると彩子やリョータくんはもちろん桜木くん含む桜木軍団や木暮先輩なんかもいて、私たちを見るや否や皆、時が止まったように目を丸く見開いて固まっていた。どうやら私が一緒に来る事は知らされていなかったようだ。
     カウンターに彩子、リョータくん、木暮先輩。奥の座敷席に、桜木くんと桜木軍団。水戸くんはカウンターで彩子たちと話していた模様。他にも店内には、数名のお客さんがいた。

    「悪ィな、遅くなっちまった」
    「……こ、こんばんはぁ……」

     シンと静まり返る店内。しかしすぐに騒がしい空気を取り戻し、私たちが座敷席に向かうとカウンターに座っていた三人もすぐにこちらにやってきて結局はみんなが顛末を聞きたがり、つっかえながら一から十まで話したらみんな揃って「この男は〜」と、愚痴を言い始めた。

    「水臭いわね。結局は三井先輩のとこに行ったんじゃないのよ!私、行ったら?って言ったのに」
    「常に覚悟を持つべきだね、結局はこうなる運命ってか、オチ?だったんだって。ね、彩ちゃん」
    「ははは。宮城たちも色々と大変だったんだな」
    「ほんとスよー木暮サンっ。あーあ、ご祝儀包む前でよかった、マジで」
    「急に俺達まで収集かけられたからよ、次は何が起こるのかと思ったぜ、なあ?花道!」
    「ぬ?」

     と、おしゃべりが止まらない。結構、遅くまで語り尽くして今では桜木くんを含む軍団はテレビゲームに熱中している。
     私がトイレから戻ると、カウンターにいた水戸くんと目が合った。カウンター席へ座るよう視線だけで促されて挙動不審になりながらも彼の目の前に腰を落とせば「どーぞ。」と、飲み物を差し出された。

    「……え?もしかしてこれ、日本酒?」
    「そう。今日はちょっとだけ思いやり強めです」
    「——。」

     人間なんてどうせ最後は皆、幸せになるのだ。物語の終わりはいつだってハッピーエンドに決まっているのに、どうしてバッドエンドにしたがるのか。もしかすると理由を見つけて「自分は不幸だ」と思おうとしているだけなのかも知れない。思わなければ、ずっと幸せでいられるのに……。

    「もう……それ、悪趣味。揶揄わないでよねっ」
    「はは、別に揶揄ってません」
    「またァ……嘘ばっかり」
    「ははっ」

     結局のところ、勝手に緊張して逃げていたのは自分だけだったということを知る。情けないな、私は溜め息をついてから貰ったお猪口に口をつけ目を伏せた。

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