忘れられない青がある(5/5)

  • 表紙
  • 目次
  • しおり
    • しおりを挟む
    • しおり一覧
    • 前へ
    • 5/5
    • 次へ

     水戸くんは、平和主義なんだと思う。みんながなるべく幸せな毎日を送れるように、いつだって一番丸く収まる道を、頑張って選んでいるんだ。争いを避けることがお気楽だとは私は思わない。むしろ、水戸くんが一番正しいとさえ思う——。

    「名前さん」
    「……ん、」

     夢を見ていた。幸せそうに笑っている春の夢。耳元で囁かれた声に、ゆっくりと目蓋を開ける。隣で眠っていたはずの水戸くんがヤンキー座りのソレで私を覗き込んでいた。「お目覚めですか?お姫様。」って笑った顔が、本当にどこかの国の王子様みたいで思わず、目をぱちくりとさせたり目を擦ったりする私に、もう一度柔らかく微笑みかけて彼は立ち上がる。

    「……さ、起きて。出かけるよ」
    「え……出かけるよ、って。え……?」

     おもむろに体を起こした私にハンガーにかけてあったらしい、水色のMA-1を差し出してくる。これってたしか高校のころも着ていたような……水戸くんって実は、物持ちがいい系男子なのかもしれないな。というか物を大切にする系男子か。そんな水戸くんに好かれる人ってやっぱり世界一幸せ者なんだろうな……。
     借りたジャケットを羽織って彼のあとを追ってアパートの外に出れば、まだ暗闇のなかだった。歩きタバコでタバコをふかしながら、ポケットに両手を入れてすこし先を歩く水戸くんが、右手をポケットから取り出し、タバコを口先から離す。

    「俺さ〜、昔からねぇ……」
    「……うん?」
    「名前さん見てるとさ、頑張ろうって思えるんだよねー。」
    「……わたしも。」
    「……」
    「水戸くん見てると、思うよ?」
    「……はは、両思いだな。」

     歩きながらすこし腰を屈めて、浅く笑ってそう言った水戸くんのうしろ姿を、背後から見つめていて、私は歩幅を広げて歩き彼の真横に並んだ。水戸くんは、とくに気に留める素振りも見せずにそのまま歩みを進める。

    「水戸くん」
    「はい、水戸ですよ」
    「手——繋ごうよ。」
    「え。」

     目を見開いてようやくこちらを見てくれた彼にニカっと笑って右手を差し出せばゆっくりとまた口先からタバコを取って、ふぅーと、口の端から煙を吐き出した水戸くん。
     彼はそのまま立ち止まり地面にタバコを捨て、足でぐりぐりと、吸い殻を踏み潰した。あぁ……もったいない。まだ、すこししか吸ってなかっただろうに。

    「それは恋人同士みたいだから遠慮しときます」

     眉をハの字に下げて、困ったような顔で言った彼は、そのまま私を置き去りに、またポケットに両手を突っ込んで、先を歩いていく。

    「両思いだなって、言ったくせに……」

     と、その場に立ち尽くしたままつぶやいた私の声が相手にも届いたらしく、ピタリと足を止めた彼が、背後を振り向く。顰めツラの私に観念したように苦い顔をしながらこちらに戻ってきた彼が私の目のまえに到着して立ち止まり、はァ……と溜め息を吐いた。
     
    「思いやり強めって、言った。」
    「無駄遣いしないの、そんなに」
    「だって、言ったもん……」
    「それは昨日な?もう、日が明けちゃったから」
    「なにそれ、モテないよ?そんな言いかたばっかしてると」
    「ははっ、モテなくて結構です」

     くちびるを尖らせて未だ差し出したままでいる私の右手を彼が渋々握ってくれた。残念ながら、恋人繋ぎではなかったけれど、並んで歩く二人の距離がさきのときよりもぐんと縮まる。すっかり機嫌を直した様子で隣を歩く私に、何度か視線を投げて寄越した彼はやっぱりずっと困ったふうな呆れたような顔をしていた。それでもこの温かい手のぬくもりだけは、本物だなって思った。
     しばらく歩いていると砂浜のほうに行ける小道に差し掛かり、水戸くんがそちらに向かって足を進めるので「なるほど、海が見たかったのか」とこのときようやく、自分のなかだけで理解した。

    「うわぁ……青い——。綺麗……。」
    「夜明けまえのさ……わずかな時間にだけ見れるらしいぜ? 青い光に照らされて見える現象。」
    「すごい。あたり一面が、真っ青だね。」
    「——あ、夜が明けそうだな。」
    「うん……いつもどおりの朝。」

     星の数ほどいる人のなかから出会って、好きな人と両思いになれて付き合えることってほんとにいくつになっても尊いことで、奇跡みたいなものかもしれない。そんなことを不意に考えていると私の心を読んだかのように彼がぽつりと言った。

    「奇跡」
    「え?」
    「こんな空が見れるのは、いつも通りの朝を迎えられたから。」
    「……」
    「それってさ、奇跡だと思わないかい?」
    「うん……奇跡。」

     過去についた深い心の傷を癒せたのは自分には価値があると思わせてくれる、大切な仲間がいたからだ。水戸くんと、湘北のみんながいてくれたから。そんな大切なことを私はこの数年間ずっと忘れていた。いや……忘れたフリをしていた。

    「まさに……青の、瞬間だね。」
    「……」
    「ほんとに、綺麗……」
    「名前さん」
    「……ん?」
    「俺から、一生味方でいる券を、贈呈します。」
    「え……」
    「証拠品として残るといけないから、実物はないけどな。名前さんの心の中にしまっておいて」

     そう言って隣に並んで空を見上げていた彼が、私の心臓の辺りをグーで軽くポンポンと叩いた。「受け取り拒否は受け付けてません」って、ウインク付きで。
     やっぱり水戸くんってぜったいに前世で地球を救ったんだろうな……うん、そうにちがいない。

    「それ、さ……桜木くんにあげなよ。私なんかにくれたら、もったいないって」
    「……残念。名前さんは二番目。もう花道には、ちょっとまえに渡してるよ。」
    「え?」
    「花道、アメリカ行きたいんだってさ。まだ俺にしか言ってないってこないだ、告白されました」
    「……そう」
    「アイツにはちゃんと伝わったかなー。伝わってないだろうなぁ〜、エアーのチケットなんて。」
    「伝わってるよ。桜木くん、渡したとき、どんな反応してた?」

     水戸くんは「んー」と言って、しばらく悩んだあと、眉間を寄せ片方の眉を吊り上げて見せて、こちらを見た。そんな彼と目が合う。私は思わずぷっ、と、吹き出してしまった。

    「こんな顔?」
    「ははっ、ごめん。それ、伝わってないかも」

     般若みたいだった顔を途端に柔らかく綻ばせて「だろ?」と言った水戸くんがまた地平線の先を眺める。悲しげなその瞳に、心に、触れたいな、って思った。そうして彼の横顔をじっと見つめていた私は、ぽつりとつぶやく。

    「寂しい?」
    「……」
    「寂しいよね……」
    「どうだろ、わかんねー。」
    「……」
    「寂しいって感情が、俺には未知数。」

     ——哭恋(こくれん)。ひどく泣きたくなるほど辛く悲しい恋愛を表した、空想の言葉。
     心ごとすべて置いて行けば哭恋の日々は消えてくれるのにね。なんだかいまの水戸くん、そんな恋をしているみたいな、悲しい顔をしている気がした。

    「ねえ、水戸くんって……さぁ?」
    「はい」
    「桜木くんのこと——好きなの?」
    「……は?」

     ぽかんと口を開けてこちらを見た彼から咄嗟に目を逸らして、吃りながら謎に身振り手振り付きで、やや矢継ぎ早に私は先をつづけた。

    「いや、なんか……あの、アリだと思う!うん。水戸くんがそういうのだと逆に納得っていうか」
    「……」
    「水戸くんがそうですって言うなら、なんかほら私も正直、新しい扉が開きそうって言うかさ?」
    「……」
    「なんか、いいかもって言うか。あの、わたし、そっち系は、その、よくわかんないけど……。」
    「……」
    「そのっ、いいんじゃない?愛の形も恋の形も、未知数だし……ね? うん……。ねっ?」
    「ははっ。俺が��ゲイ�≠ゥ?って聞いてんの?」
    「え——!?まぁ……はい……。です、ね……」
    「ふーん。じゃあ、そういうことにしとこっか」
    「え!!」
    「ハハハ」

     自分を一番好きになれるのは、自分のために、なにかをするときらしい。それって、自分が想うだれかを愛することもイコールなんじゃないかなって思う。
     人の感情はたやすく揺れ動いて目に映るものはみんなまやかしで、そこにたしかなものは、なにひとつとして無い。だけど月は欠けているように見えても本当は常に形を変えずにそこにあるっていうことを、忘れちゃいけない。

    「——カッコつけようって思わなくなったんだ、花道と出会ったときに。」
    「……」
    「ガキのころってさ、ヘンに、カッコつけようとしちゃうだろ? 男子は、とくに。」
    「……」
    「それがいらないっていうのに、なんとなく気づかされたんだよなァ……急に恥ずかしくなった」
    「……うん。」
    「モテる人は『モテたい』なんて言わないだろ?きっと。花道が、まさにそのタイプだなーって」
    「……。」

     その人が幸せならと強がってしまうけど本当はだれよりもそばにいて触れて笑い合って確かめて毎日でも、もっと好きでいたいよね、だれだってきっと。そこに異性だとか同性なんて関係ない。
     水戸洋平——。桜木軍団ナンバーツーは、ダテじゃない。桜木くん(ナンバーワン)のいちばんの理解者であり、保護者だって、ずっと思っていたよ、わたしは。

    「……まあ、つっても。本人はまったく気づいてないけどなァ〜!」
    「……、」
    「あいつがさ、世界でいちばんかっこいい男だと思うよ……俺はね。」
    「——。」

     さすがモテ・オブ・モテを極めた人物。自分のことは一切語らず、まるで自分のことのように、他人を褒めちぎる。しかもこれって下心も計算もなしのただの本音だ。だからこそ、モテ・オブ・モテなのだ。いや、もはやこれは、モテ・オブ・モテならずトップ・オブ・トップだろうと思う。うん、それでしかない。恐るべし——水戸洋平。

    「俺がいなきゃ、なにもできないようなヤツにはなって欲しくないんだ」
    「え……?」
    「俺のことなんか、いつでも捨てれる男になって欲しい。」
    「……」
    「それでも俺が、追っかけて行くような男でいて欲しいよ、ずっと……花道には。」
    「……、」
    「なーんてなっ、ハハッ。冗談。ゲイって勘違いされたから、揶揄ってみましたっ」
    「……。」

     ウソ。冗談なんかじゃないくせに。水戸くん、それはもう、友情とかでは到底測れないくらいの壮大な桜木くんへの深い深い��愛情�≠セよ。私はそんなふうにだれかを思えないし愛せない。でも水戸くんはそうではない。ちゃんと己を貫く強さがある。それだけでも、私とはちがうのだ。
     モテ・オブ・モテを極めた水戸くんに好かれる人物を、見つけた。やっぱり、桜木くんだった。たとえそれが恋愛感情では無くても、桜木くんは正真正銘、世界イチの、幸せ者だろう。

    「——で? これから、どうするんだい?」
    「うん、私ね……寿と今度こそ、お別れしてくるつもり」
    「……」
    「まだ��さよなら�≠チて……ちゃんと言えてないから。」
    「そう……。」
    「……うん。」

     さよならを言うのがこんなにも辛い相手がいるなんて、わたしは、なんて幸せ者なんだろう……そう、水戸くんが教えてくれたから。

    「お別れするときこそさ、ぜーんぶ、相手に渡さないと、ダメだぞ?」
    「……」
    「中途半端にすると、自分のなかに最後は結局、残っちゃうから」
    「……未練が?」
    「んー、思い出……かな。思い出が残ると、厄介だから。投げつけてきな?」
    「投げつける?」
    「そう。ガーンって、ダンクみたいに、ね?」

     大切な人とさよならをするのは悲しいけれど、人生において、出会えたことには感謝している。そしてそんな自分はとても幸せ者だったといまの私なら、すこしは前向きになれる気がする。

    「ふつう、大切にとっておけとか言わない?」
    「いーの、いーの。そのうち美化されて原型なくなっちまうんだから」
    「……」
    「いいかい? 投げつけて来れる?」
    「……出来るかな?」
    「出来なかったらそれは、お別れしない方がいいってことさ。オッケー?」
    「うん……、オッケー。」

     完全に夜が開けた。あの初恋に、エンドロールなんて必要なかったって、いまだと思うけれど、とっても辛くて、苦しい恋だった。それでもあの恋が最も愛おしく思える。今回終わってしまったあの綺麗な茶色い髪の毛をした彼との恋にだって私は後悔しない。ぜったいに、しない。だけど、ふと考えるといまはまだ、涙しか出てこないし、やっぱり辛い。
     うん。本当に、好きだった。大好きだった……たとえ一緒になることができなくても大切な人の幸せを願う。そんな愛しかたもあるはずだから。

     誰かをすごく好きになって自分にはそう想える人がいて生きていて良かったって思える。それはだいぶ、すごいことな気がする。その人がどこにいても誰となにをしていてもそれは変わらない。だからそれで十分。十分だって思おうって……。


     「名前さん」


     返事をする間も無く私の体がぐわんと傾いた。それは彼——水戸くんに、抱き寄せられたからであった。
     蘇る、高校三年生の三月。卒業式に三年三組の教室で、こうして力強く抱きしめてくれた記憶。あのときとおなじタバコの匂いとムスクの香りがわたしを優しく包み込む。
     世の中のどんな宝物も��友達�≠ノは、敵わないことを知った、二度目の瞬間。


    「頑張ろう——。」
    「……、」
    「一緒に、頑張ろうな。」
    「……うん——っ。」

     自分の人生は自分次第だって、今もそう思っている。けれども人は誰しもそんなに強くなれないことを認められるようになった分、あの頃よりも優しくなれた気がしているよ——。










     止まった時計が動き出すとき
        いつもそばには 君 がいた。




    (送ってくれて、ありがとね。)
    (……ああ、気にすんな……元気でな。)
    (うん、寿もね。)
    (……)
    ( さよなら。)


    ※ image song『 hanataba/milet 』
    ※ Men's by『 fallin'/ATSUSHI &清木場俊介 』
      Women's by『カムフラージュ/竹内まりや』
     

    • 前へ
    • 5/5
    • 次へ
     Back / Top
    VERTEX