あの日見てた夢のかけら(1/2)

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     人は皆、孤独と言うけれど、探さずにはいられない、誰かを。儚くて、壊れやすいものばかりを追い求めてしまうもの。

     あの頃に戻れたら私達はいったいどうするんだろう。きっと今までとそっくり同じ道を歩くんだろうな。例え、どんなに運命に逆らったとしてもこれが、二人の運命だったのだ。
     それでも私は、あなたに聞きたいことがある。あの時どうして……どうして……。

     見上げれば青。雲ひとつない、綺麗な青。青に溶けていく、優しすぎた思い出たち。





     *


     私が担当を任された、結婚特集の記事。内容は社内でも確認済みだったが、その雑誌の発売日に結局コンビニで買ってしまった。店員の心が読める。きっと「この人、結婚するのかな」と思っているのだろうって。私は心の中で答えた「お生憎様、そんな相手も予定も全くありませんっ」と。だが、明らかな結婚情報誌の見た目のそれを彼氏の住むマンションに堂々と持って行って、普通に読んでいるときにハッとした。こんな物を読んでいたらまるで「結婚したいです」と、圧をかけているようなものなのでは——?って……。
     彼が淹れたての珈琲を持ってきてくれた。そのカップを受け取ったとき、私の読んでいた雑誌を覗き込んできた彼に勘違いされないようにと私は先手を打った。

    「こ、これ!私が特集記事組んだんですよっ!」
    「へぇ……結婚未経験者なのに、結婚特集なんて請負ってるのか」
    「——あっ!なんか、なんか、その言い方っ!」

     藤真さんは浅く笑って、開いたページに載っていた三つの家具を眺めているようだった。後輩の女の子が「私なら絶対こっち買うな」と言って、ナンバーワン人気の物を指差していたことを思い出す。すると、そんな私の思考を読み取ったのか偶然か、藤真さんが問う。

    「どれがおすすめなの、編集者としては」
    「え?そうですねぇ……ちなみに藤真さんは?」

     藤真さんは「んー」と考えているふうを装って「これ。」とナンバーワンのソファを指差した。彼らしい選択だ。彼は��高い物は良い�≠ニいう、なんともプレーンな性格なので単純に一番人気の物を選んだだけだと思うが、私は「へえ」と言いながら二番目に人気の物を指差し「私はこれ」と言う。彼はそんな私を怪訝そうに眺めて言った。

    「書いた本人が、ナンバーワンを選ばないのか」
    「まぁ、人気な物と欲しい物は別なんですよっ」

     と、笑いながら私は雑誌をパタンと閉じて彼が淹れてくれた珈琲に口をつけた。
     彼が淹れる珈琲は相変わらず美味しい。大袈裟かも知れないがこの世の中の珈琲の中でナンバーワンなのではないだろうかと思う。が、そんな事を言ったらまた馬鹿にされそうなので言わないでおこうと、私は今日も口を噤むのだった。


     *


    「結婚特集!ねぇねぇ、ひさしはどっち選ぶ?」

     部活終わり、夕飯を済ませて風呂から上がると婚約者が何かの雑誌を読んでいて、あるページを俺に見えるように翳して問う。その手の話は面倒くさいと思いつつも雑誌をチラッと覗き込めば、先に相手が意見を述べてきた。

    「私は絶対に、このナンバーワンのソファー!」
    「椅子なんて座れればどれも一緒じゃねーの?」
    「もうっ!わかってないなー!ねえ、どっち?」

     成人式の日——元湘北バスケ部の連中と水戸の店で会った後の帰り道で幼馴染と交わした約束。

    『来週の日曜日開けとけよ。そん時海来ようぜ』
    『……行く!』
    『じゃあ部活あるから、三時に待ち合わせな』

     あの日の自分の決断が、正しかったかどうかはわからない。けれどこうして、ただ一緒にいる事で事故に遭わせてしまったこの婚約者を、幸せにできているのだろうかということはいつも考えている。

     いい人だと、思われたかった。でもだんだん、いい人だと言われる度に、そんな自分が崩れたらどうなるんだろうかと考えて、期待に応える事が自分を守る事なんだと思うようになっていった。そうしないと、そこにいられない気がして、また高校三年生の春、体育館に殴り込みに行ったあの時のように、全てをぶっ壊してしまいそうな気がして……不安でたまらなかった。

    「あー......これ。」
    「えー、二番目に人気のやつぅ?なんでぇ〜?」
    「なんで?いや、なんでって言われてもなぁ…」

     ずっと人の声に振り回されて、ずっと人の声に期待して自分が蒔いた種から伸びた蔓で自分自身を縛り付けていた。
     独りになりたくないだけだった……大丈夫だと思われたかった。そのために得意になったんだ、がまんすることを——。

    「なぁーんだっ、趣味が合いませんねぇ私たち」
    「人気なモンと……欲しいモンは違うだろーが」
    「んー、そうなの?よくわかんない。変なのっ」
    「……わかんねーなら別にいーだろ。ほっとけ」

     あの頃に戻れたら、俺たちはいったいどうするんだろう。きっと今までとそっくり同じ道を歩くんだろうな。
     それでも俺には忘れられない景色がある……。そう、優しすぎた——あの、思い出たちが。





     25歳、夏
    ― 25歳、夏 ―


     一生気持ちが変わらないなんて言うのは、あり得ないと思っている。むしろ、変わっていっても好きでいることが大切で、それが理想なんだと。

     藤真さんのお母さんと顔合わせをした数日後、仕事終わりに職場を出た先で、車椅子に乗った、一人の女性が目に入った。私の姿を見つけてぺこりと頭を下げた女性に反射的に私も頭を下げ返してから、その車椅子の女性の元へと駆け寄った。

    「……なまえ、さん?」
    「突然すみません、待ち伏せみたいな事をして」
    「いえ……でも、びっくりしました。」

     ——懐かしい、あの恋が。でも、もう会えないんだ……彼には。忘れられない、あの気持ちを。忘れられないのは幸せだった自分を諦められないからなのかもしれない。

    「東京、来てらっしゃったんですね……」
    「……。実は私、友人の結婚式があってこっちに帰ってきてたんです」
    「あぁ、そうなんですか。いいですね、結婚式」
    「あの、それで……手紙でもお聞きしなかったんですが、一つ、どうしても聞きたい事があって」
    「聞きたいこと?」
    「ひさしとは、どれくらい会ってなかったんですか?高校以来ずっと会ってなかったんですか?」
    「え……」

     まさかの質問に思わず息を呑む。動揺を悟られまいと繕う私を見てか、彼女が「ごめんなさい、結婚前だから神経質になっていて」と困ったように言う。私は小さく息を吐き何とか言葉を返す。

    「高校を卒業してから、一度だけ、会いました。
     ......一度だけ」
    「……いつ、ですか?」
    「寿の成人式の時です。その後に、約束してたんですけど……」
    「それでその日はひさしとは会ったんですか?」
    「ううん、会いませんでした」
    「会ってない?……どうして?」
    「寿が、来なかったからです」
    「え……?来な、かった……」

     もしあの時、寿が来ていたら、そのあと二人の関係はどうなっていたのか。いくら考えても答えは出なかった。寿は来なかった。ただそれだけ。

    「約束しておいて失礼な奴ですよね?だけど……来なかった……それがきっと、寿の答え」
    「……、」
    「あの時以来、寿とは会っていません。だから、なまえさんが心配するような事はありませんから」
    「……。」

     無言のまま、何かを考え込んでいた彼女が徐に携帯の画面を開いて「最後に一つ、これご存知ですか」とバスケットボールが付いたストラップの写真を私に見せてきた。思いがけず私は目を見開き、そうして一度だけ瞬きをして頬を緩ませた。

    「ええ、寿から貰ったお揃いのストラップです。寿……まだ持ってたんですか、これ」
    「はい……ずっと、つけてますよ。大学の頃からずっと——」
    「大学の……頃、から……」

     本当に好きなら価値観の違いで別れないというのが恋愛の真実らしい。けれど人の気持ちなんて一瞬で変わる。長続きするかどうかは、許せるかどうかなのだろう。相手ばかり優先していたら、幸せにはなれない。好きだけど離れる事も必要。タイミングを逃したら、そこで終わり。

     きっと声も匂いも温もりも全部、彼だから好きになった。彼にとって愛しい時間が——この先もずっと、続きますように。

    「特に深い意味はないと思いますよ。何でもないけど捨てられない物って誰しもありませんか?」
    「……」
    「何となく捨てられないって物、って言うか…」
    「……」
    「だから寿も何となく……そういう感じですよ」

     彼女は私の回答に納得できたのだろうか。その心まで汲み取ってあげる事はできなかったが彼女は私の言葉には何も返さず黙って俯いて「本当に突然すみませんでした、失礼します」と、その場から去って行った。彼女が帰った後、一人残った私は、幼馴染の彼との事を思い出していた。

     一度出会ってしまった以上、出会わなかった事にはできない。ねぇ寿、教えてよ。どうしてあの時、あなたは来なかったの? 教えて、寿——。
     そうだ。こんな日は、早く寝た方がいい。夜は寂しくて虚しくて、自然と……病むものだから。





     25歳、秋
    ― 25歳、秋 ―


     朝、カーテンを開ける。空の青は、涙を呼ぶ。私は大きく深呼吸をした。
     きっと何もかもうまくいく。根拠はないけれど誰が何を言おうと自分の事だけは最後まで信じてあげたい。みんながそれを、教えてくれた。私は間違っていないと、私なら大丈夫だと——。

     軽く身支度を整えて、アパートを出た。近くの珈琲チェーン店で珈琲とサンドイッチを買って、公園へと足を踏み入れた。ベンチに座り目の前の噴水をぼうっと眺める。
     買って来た珈琲を一口飲んだとき、不意に元婚約者の彼が挿れてくれた珈琲が飲みたくなった。同時に突如蘇ってきた記憶。彼と付き合って間も無くの頃、今と同様にこのベンチに座って仕事の昼休憩と取っていたら突然声をかけられたあの日の事を思い返しながら、私はそっと目を瞑った。


     『サンドイッチ、食わないなら俺にくれよ』


     隣に座った人が話しかけてくる。チラッと横を見た瞬間に時が止まった。ここは彼の生活圏ではないはずなのに……その相手とは数日前に交際をスタートしたばかりの商社マンの彼だったのだ。

    「藤真さん……」
    「昼休み終わっちゃうぞ」

     チラと私が手に持ったままでいたサンドイッチを見て言った藤真さんの携帯が鳴り電話を取った彼が手帳に何やら書き込んでいた。そして今度は彼が電話を切ったのを確認した私が独り言のように言う。

    「藤真さんって、サウスポーだったんですね」
    「え、ああ。気をつけてるんだけどな。気を抜くと、つい……」
    「……」
    「それより、お前はいつも、そんな辛気臭い顔をして仕事をしているのか?」
    「え……」
    「上司の心労はいかほどかと察するな」
    「……。」

     いつものように反論をしてこない私を不思議に思ったのか、ややあって彼が、少し困ったように溜め息交じりに呟いた。

    「どうした、元気ないな」
    「藤真さんこそ……怒らせてくださいよ」
    「はは。初めて聞いたぞ、そんな頼み事。ほんとおもしろい奴だな、お前は。見ていて飽きない」
    「……得意かと、思いまして」

     弱々しくも憎まれ口を叩く私に彼はまたひとつ小さくため息をこぼす。そうして少し面白そうに口角を上げて「あれだ、昔の男だ」と言った。

    「あの、もうそれ……やめませんか?」
    「怒らせてくれって言ったのはそっちだろ?」
    「……っ」
    「俺は、人前で泣く女は嫌いなんだ」
    「知ってますってば。てか、泣いてないし。もうしません。人前で……泣くなんてことは」

     あの時の自分の決断が正しかったのかどうかはわからない。ただこの人の優しさは変わらない。

     突然、目頭が熱くなってしまい意識していなかったのにも関わらずポロポロと瞼から溢れた雫が頬を伝う。慌てて袖で拭って隠そうとしたがそれに気づいた彼は泣いている私の頭をそっと自分の肩に引き寄せてくれた。私は驚いてひゅっと息を飲み込んだ。

    「昨日になんて戻れない。昨日と今日の自分は、ちゃんと別人だ」
    「……、」
    「過去なんてもう気にしなくていい。自分らしく生きていれば、それでいいよ」
    「藤真、さん……」
    「——って、今朝……今年の新入社員がプレゼンしてたよ」
    「え……」
    「新入社員のようにパワフルになれとは言わないが、まぁ……元気出せ」

     思いがけず勇気づけられたことに驚いて彼から体を離した私をチラリとも見ずに膝の上に自身の肘を乗せて指を絡ませた藤真さんが正面の噴水を眺めながら言葉を続ける。

    「車も同じだ。バックミラーばっかり見てたら、事故るだろ。過去よりも未来に目を向けてみろ」
    「……」
    「あと、無理して笑うなよ」

     まるで私の心を読み取ったみたいに痛いところをつかれてしまい思わず「ごめんなさい」と返す私に少しだけ目を細めた彼。目が合った時、また心が読まれそうで気まずくなって私はそっと目を空に向けた。
     見上げた空は青かった。幸せがこの空のように綺麗で広がり続けますように。涙はきっと笑顔の準備をしているのだと、形がない幸せだからこそ一日一日広がりますように。涙が笑顔に、繋がりますようにと——そう、願ったのだった。

     そうして暫くして一緒に公園から出た私たち。別れ際、私は無意識にポツリと呟いていた。

    「初恋だった……だから、特別なんです」
    「……」
    「やっぱりずっと忘れられないかも知れない……だからもう、一生誰の事も好きにならないって、そう思ってて……」

     そう、ぽつりぽつりと言葉を繋ぐ私に、呆れたように「何だよそれ」と藤真さんが、私の言葉をバッサリと遮った。

    「俺だって——初恋だよ……」
    「え……?」

     近くを救急車が通ったせいで上手く聞き取れなかった。聞き返そうと思った刹那、彼は私を真っ直ぐに見ながら言った。言い淀む事もなく、ただ真っ直ぐに——。

    「一生って長いんだぞ」
    「……」
    「二度目三度目があるから初恋だろ、勝手に終わらせるな」
    「……、」
    「まぁ——元気出せよ。また近々、何か美味い物でも食いに連れてってやるから。……じゃあな」
    「あっ、はい……じゃあ、また。」

     恋が終わって悲しいのは、傷ついたことより、一人になる事よりも最後の最後まで相手と自分を信じられなかったことじゃないのかなって思う。
     悪い人なんて、いっぱいいる。優しい人ばかりじゃないんだ、この世の中は残念なことに。それでも彼の優しさは変わらない。彼は、藤真さんは確実に——��優しい人�≠セった。


    ��もし二人を同時に愛してしまったら後に好きになった人を選ぶべきだな��


     高校時代、ベストフレンドが言っていたことを不意に思い出した。もしも先に好きになった人を本当に愛していたのなら、もう一人を愛する事はなかったはずだから、と——。
     好きな人を好きなまま別れる恋がある。本当はずっと一緒にいたい。本当は誰より側にいたい。けれど、好きな気持ちだけじゃ駄目な時がある。何度も思い悩む。本当にそれでいいの?と。でもこれ以上、傷つけたくないし傷つきたくない。誰よりも大切な人だから。誰より好きな人だから。
     きっと離れても、何度も思い出す。後悔もたくさんするだろう。でもいつか「これでよかった」と、思える日は来る。

     離れても運命の人は運命の人。誰よりも「幸せに」と願う。「ありがとう」と、心から思う。
     そうやって、静かに遠くから見守る愛がある。たとえもう話せなくても、たとえもう会えなくても好きな人を好きなまま、別れる恋があるのだ。


    ��今あるものを大切にしなさい。自分を想ってくれる人、今まで積み上げてきた自分の人生、その全部全部を大切にしなさい��

    ��本当に大切な物なら、神様だってそう簡単には取り上げたりしないわ��


     病院で、私が目を覚めるまでそばにいてくれた親友から言われた言葉が脳裏を過ぎり私は閉じていた瞼をゆっくりと開いた。
     空は相変わらずの快晴——雲ひとつない青空だった。こんな当たり前の景色を綺麗だと感動できる心を、ずっと忘れずにいたい。

     寿と出会ってから、本当に色んな事があった。悲しい事も全部、私の中に降り積もってる。
     いつも寿の事が好きだった……ううん、違う、好きとか嫌いとか大切とかじゃなくて、寿は私にとって生きる理由だった。寿は私の全てだった。

     あの日——藤真さんと最後に会った、雨の日。行く宛もなく彼の住む街へと来てしまった。なぜか、来てしまった。会いたかった。元気で明るい笑い声を聞くだけでもいい、最後にひと目だけ。
     しかし思い出の海で彼とのお揃いのストラップを無くした事に気がつき、必死に探したけど結局ストラップは見つからなかった。
     神社に行った後、久しぶりに訪れた母親の墓の前にしゃがみ込んで、私はその事実を報告した。

    「お母さん……私、ストラップ無くしちゃった」

     今の私を見たら母は何て言うだろう……。お母さん、私ね。寿にずっと傷つけられてる気がしてたけど実は私が彼を傷つけてたって気づいたの。全部いい思い出のはずなのに、なぜか悲しいんだよね。いい思い出の中の自分が笑っていないからなのかな?——ねえ、お母さん。教えてよ……。
     
     その後は自然と足が実家へ向いていた。実家の前、車から降りて、自宅に入るところらしかった父親の後ろ姿が見えた。なぜか声をかけることが出来ずに、私はそのまま、その場を立ち去った。
     そうして最後に向かった場所は私が避け続けていた彼がいる場所——水戸くんのところだった。


     *


     婚約者が家を出て行ってから俺は久しく実家に顔を出した。そのまま泊まっていけという父親の言葉に甘えてその日は実家に泊まり、朝を迎えて職場でもある湘北高校へ向かおうと自宅の玄関を開け放てば目の前を幼馴染の父親が通りすぎた。目が合ったと同時に、向こうが立ち止まって声をかけてくる。

    「おはよう、寿くん」
    「あ……おはよう、ございます……」
     
     やや尻すぼみしてしまった俺にも、にこやかに微笑む幼馴染の父親は「今日は久しぶりに電車なんだ」と言った。俺は「そうなんすか」と当たり障りのない返しをして、とりあえず幼馴染の父の隣に並んだ。それを待っていたかのように向こうが先に歩き出したので、それに倣って俺も歩みを進める。少しの間無言で歩いていたが思い出したように「そう言えば、寿くん」と彼女の父が話し始めた。

    「名前と最近、会ったりしなかったかな」
    「え?名前……ですか?い、いや……会ってないですね」
    「そう。いやね?実は昨日母さんの墓に行ったら花が——供えられていたもんだから」
    「……花?」
    「うん。それが母さんの好きな花でね。名前かなって思ったんだけど」
    「そ、そうなんですか……」
    「もし名前なら家に寄らないわけはないし、名前に電話をしても、何でかあの子、出なくてね」

     どうやら今言った通り、墓参りに行った彼女の父が供えられている花を見てそう思ったと言うが何故だか俺は不安がよぎる。最後に彼女と会ったのは藤真の母親との顔合わせの時だ。その後に、直接藤真に謝罪をしには行ったものの、それ以降宮城や彩子からも特に連絡は入っていなかった。

     駅に到着した俺たちは、向かう方向が違うとの事でそこで別れた。電話をしても出てくれないと言った彼女の父親の不安そうな表情が脳裏に焼き付いて、しばらく離れなかった。
     その日は何となく集中力も散漫していて気合いを入れようと自販機で栄養ドリンクを買っているとき、一学年の先生から声を掛けられた。

    「三井先生、うちの問題児知りませんか?」
    「問題児?ああー、赤坊主すか?」
    「ええ。登校してるのは見かけたんですけどねぇずっと授業に出席していないようで……」
    「わかりました。自分、次の授業ないんで探してみますよ」
    「毎度毎度すみません……では、お願いします」
    「いいえ、バスケ部員なんで。任せてください」

     ニコッと笑みを返し手に持っていた栄養ドリンクを一気飲みした俺は、我が部活の部員でもある問題児の捜索をするためまずは屋上に向かった。しかし屋上にはおらず、次は校舎を出てみると、正門前に突っ立って、何処かを茫然と眺めていた目立ちすぎる、赤い坊主頭を発見した。俺は駆け寄り声を掛ける。俺の存在に気付いて我に返った赤頭の問題児が振り返り罰の悪そうな顔をした。

    「なァーにサボってんだよ」

     俺が生徒の頭を軽く小突けば「痛って……」と言って、生徒は小突かれた頭を大袈裟に抱えた。

    「ミッチーこそ何してんだよ」
    「お前を探しに来たんだろ?」

     その言葉には唇を尖らせるだけだった問題児。不貞腐れて、そのまま無言で正門の壁に背を預け腰を下ろした姿に不意に笑みがこぼれる。無言で俺も隣に腰を掛け、ややあってから俺が先に口を開いた。

    「今日はいいなァ」
    「……はぁ?」
    「サボるには絶好のお天気日和だ」

     そう言って空を仰ぎ見れば隣に座っていた問題児が明らかに落ち込んだ風に俯く。そんな彼の姿を横目に見て俺は正面に向き直り言葉を続ける。

    「まーだ気にしてんのかよ、試合の事」
    「だって……あれは……」

     口籠る生徒を流し見たあと鼻で笑う。そうして遠い過去に同じ頭の色をした後輩の問題児を思い出しながら、彼がきっと今、一番欲しいであろう言葉を真っ直ぐに送ってやった。

    「お前のリバウンドが無かったら、もっと散々な試合だったよ」
    「ミッチー......」
    「さ、学校戻るぞ」
    「おう、でも……」

     一緒に立ち上がり先に歩き出した俺がその声に反応して立ち止まって振り返ると、生徒は校外を見つめたままで未だその場に立ち尽くしていた。

    「どーした?」
    「いや、なんで俺の気持ちわかったのかな、あの人……」
    「あの人?」
    「うん。俺がミッチーに見つけて欲しいの知ってたんだ」


     ——知ってた?


    「——誰だ!?」
    「あ?」
    「名前、言ってなかったか!?」
    「聞いてねーよ、でも……ミッチーの幼馴染って言ってた」
    「——!」

     こっちはいつも揺さぶられるんだ、昔も今も。今何してんだろとか何考えてんだろとか、こっち向いてくれねーかなとか、気づいてくんねーかなとか。なぜかいっつも考えちまって、そんなの、ずっとアイツだけだった。だから——お前を想うこの気持ちは、今でもきっと……。

     これからの人生がかかっている。永遠の問いに区切りをつけて未来を向けるように、俺にできることは、全部してやりたいと思った。





     26歳 冬
    ― 26歳 冬 ―


     彼女が湘北に突然顔を出した日。一緒に食事をして海に行って、彼女を駅まで送り届けた。
     その日の夜彩子からの電話により彼女が倒れて病院に運ばれたことを知る。

     今の自分にできることは何なのかと、無い頭で必死に考えた結果——俺とお揃いのストラップを無くしたと言っていた事を思い出し、思い当たるところを探したが見つからず新しい物を買った。それを知った桜木達と揉めてそれでも東京に足を運んだが宮城と彩子にまで制されてしまうオチ。
     俺は気付けばまた……この海へと訪れていた。海辺のフェンスに寄りかかり宮城に投げつけられたストラップを海の方に翳してぼうっと眺める。

    「あれ?もしかして……寿くん?」

     誰かに声をかけられた。振り返るとそこには、彼女の父親が立っていた。驚いて言葉が出ない俺に「最近よく会うね」と言い明らかに様子のおかしい俺を気遣ってか、彼女の父親は俺の隣に立ち海を眺めながら気にしない素振りで話し始めた。

    「いやぁ〜、体力を付けようかと最近こっそりとウォーキングをね……。寿くんは?こんな時間にどうしたの」
    「……」
    「……寿くん。」
    「……あ、はい。」
    「何か……あったのかい?」
    「——、」

     未練をなくす方法なんて最後まで好きでいると言うことくらいしか思いつかない。途中で諦めた恋の未練がなくなるわけなんてないのだから。
     こういう想いの行方はどこへ向けたらいいんだろう。同じ想いをしている人が今も昔もたくさん居たんだろうなと思う。その人たちも俺も結局はずっと相手を、想うことしかできないのだ。

    「俺、ダメな男なんですよ……俺、結婚するのに結婚するって、決めたのに……」
    「……」
    「名前との思い出が捨てられないんです……」
    「寿くん……」
    「どうしても捨てらんなくて。俺は最低だ……」

     俺はそのまま俯き、歯を食いしばる。しかし、そんな俺にも彼女の父親は優しい口調で言った。それは、全く予想もしていなかった言葉だった。

    「寿くん、感謝してるよ」
    「え……」
    「母親がいなくなってどん底の時、あの子を救い上げて支えてくれたのは、寿くんだ」
    「……」
    「楽しい思い出をいっぱい作ってくれたのも……全部、寿くんなんだよ。本当にありがとう」

     彼女の父親はぺこっと頭を下げた。そして顔を上げると「感謝のしるしに、それ預かっとこう」と言い「誰にも分からないように仕舞っておくから」と、バスケットボールの付いた真新しいストラップを、俺の手から抜き取った。

    「寿くんの幸せを見届けたら、そっと捨てておくから。だから、幸せになりなさい」
    「……」
    「名前の事はもういいんだ。自分の幸せをみつけなさい。君は絶対、幸せにならないといけない」
    「……っ」

     彼女の父親は、優しい眼差しと声色で言った。しかし、それが確実に今の俺を救ってくれたのは間違いなかった。

     愛してくれない人よりも、愛してくれる人を。大事にしてくれない人よりも、大事にしてくれる人を。価値観で違いを突き放す人よりも受け入れてくれる人を大切にしないといけない。生徒達に常々伝えているテンプレだ。わかってる、そんなこと、わかってるけど……。

     俺のずっと好きだった人は、会えなかった時の寂しさを会った時に一瞬で消してくれるような人だった。そして「またね」と手を振って別れた時に、一瞬で寂しさをくれる人だった。
     俺は、アイツに幸せになってもらいたい。その対象が俺じゃなくても応援するつもりだったのに途方もなくお前の事が……俺は、心配なんだよ。

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