あの日見てた夢のかけら(2/2)
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26歳 冬
― 26歳 冬 ―
ある日の早朝。海にやって来た俺は砂浜を歩きながら大切な人たちから言われた数々の言葉を、ひとつひとつ、思い出していた。
��もう少し、周りのことを考えて行動しろよ��
��もう関わるなよ……名前さんに��
��名前さんの優しい心を!!��
��こんな物が何になるんだよ。名前ちゃんが大切にしてたのはこんな物じゃないだろ!
三井サンそんな事もわからなくなったのかよ!��
彼女の父親に言われた『それ、預かっとこう。寿くんの幸せを見届けたら、そっと捨てておくから。だから幸せになりなさい』という言葉を最後に心の中にしっかりと刻み込み、はーっと両手を伸ばして深呼吸した俺は側にあったコンクリートに腰を落ち着け、目の前に広がる海を眺めた。
��なまえさんと幸せになってね、絶対��
��神様がいつまでもこんな物にすがるなって取り上げたんだと思うから��
そう悲しそうに笑って言った幼馴染の姿が蘇ってくる。��俺�≠ニいう人生の視聴者は俺だけど、だったら自分がその続きを見たくなるような物語じゃないと意味がない。俺は俺に期待したかったはずだ。なのに、今の俺は——
��私ひさしに聞いてみたい事があったの。ひさしは私の足がこうなったのは自分のせいだって思ってる?��
��だから結婚しようとしてるの?本当は責任感じてるだけ?ねぇ、そうなの?��
泣きながら問いただされた婚約者の言葉。人間関係というものは価値観が合うか器が大きいか、そのどちらかがないと厳しい。
彼女がおすすめしてくる物は、俺にはちょっとよくわからなくて、彼女が教えてくれる映画も、どれも面白くなかった。こんなに面白くない物を面白いって言うなんて面白いヤツだなって。無理矢理、そう思おうとしていたのかも知れないな。
「探し物は見つかったかー?」
突然背後から声をかけられて勢いよく振り返ると、そこにはまさかの——水戸の姿があった。
俺は驚いて目を見開く。同時に向こうに大きなバイクが停められている事に気づいて、偶然通りかかったのだろうと想定した。水戸は両手をポケットに突っ込んだままで中腰になりながら言葉を続けた。
「ほら、長ぁーいこと、何か探してるんだろ?」
と——。俺はまた正面、海の方に向き直って、後頭部を掻きながら、溜め息交じりに答えた。
「全然見つからねーよ、探し物も見つからねぇし答えも見つからねぇ……」
「ん?何のことかさっぱりわからんなぁー」
「いいっつの、おめぇには分からなくても」
と、俺が鼻で笑って言えば、背後で「そりゃーそうだわな」と軽い口調で言い返してきた水戸がその場にしゃがんだ気配を感じた。しばらく沈黙が続いたが、ややあって水戸が、独り言のように言い放った。
「災難ってもんは、畳み掛けるのが世の常だぜ」
「……え?」
「言い訳したらどなたか助けてくれんのかぁ?」
「……、」
「100点は無理かもしれない。でも、MAXならまだ出せるだろ?——どう?みっちー。」
「——。」
なくてもいいから愛したい。誰かを心の底からただ真っ直ぐに——。一番シンプルな事なのに、どうしてそれがこんなに難しいのだろうか……。
何も言葉を返せず口を閉ざしている俺に対して「そうだ、こないだ悪かったな」と、面食らって自嘲するように、水戸がぽつりと呟いた。そこで俺はようやく「……あ?」と言葉を返す。
「ほら、花道が……。あれ結構痛かっただろ?」
「あン?てか、なぁ〜んでおめーが謝るんだよ」
「何でってまぁ……保護者みたいなもんなんで」
「っンだそれ。お前も苦労してんだな、色々と。でもよ……逆に目ェ覚めた、桜木のお陰で」
「そっか。それはそれは……良かったです」
俺がフッと浅く笑うとタバコに火をつけた音が背後から聞こえた。副流煙ってもんを知らねーのか、と文句を言ってやろうと思ったが先に水戸が言葉を発したので、俺は咄嗟に口を噤んだ。
「なんでさぁ、ここに海が出来たか知ってる?」
「あ?何でってそりゃあ……地表が冷えて大気の中の水蒸気が冷やされて、雨が降んだろ?」
「ほぉ〜?はいはい?」
「雨の水がたまって川とか池とか湖を作る。そういうのをくり返して、たまった水がつながって、海になんだよ。……おいおい、基本だろ?基本」
「へえ、さすがセンセー。まるでテンプレ。」
「ンなっ——!」
水戸はハハハ!と、声高らかに笑う。俺は唇を尖らせて「じゃあ何だ?おめぇなりの答えが他に何かあんのかよ」と半ばムキになって聞き返してやった。
「さぁね〜。俺も分かんねー。」
「はぁ?ずりぃーだろ、それじゃ」
「つーか、誰も分かんねーんじゃねぇかな。でも誰も分からんでも、ここに海は存在してる。その事実は変わらない」
「……」
「向こうにも、その向こうにも海はない。だけどここには確かに海が存在してる」
「……」
「海が存在したい場所を選べればいいけど。いやたぶん、それが運命ってもんじゃねーのかなぁ」
「……」
「運命だ。海は生まれた時から、ここに来る事もここに存在する事も、決められてたんだと思う」
人は去るけど思い出は去らない。忘れられない理由は「あの人」ではなく「あの人との思い出」なのかもしれない。
好きで仕方なかった恋をなかった事にしなくていいと、誰かに言って欲しかった。正しいとか、正しくないとかじゃなくて……本当にその恋しかなかったんだ、俺には。
「長い事生きてるとさ、どんなに頑張ってみてもどうにも変わらないことってあるだろ?そーいうのと一緒で、きっと運命は変えられないのさ」
「……」
「どんなに頑張ってみても、それは事実なんだ。誰にも変えられない」
「……」
「いや、結局のところ、ひとっつも変えられないんだろうなぁ。それが、運命ってやつなんだよ」
水戸はゆっくりと語り掛けるように言い終えて最後にタバコの煙をフゥーと大きく吐き出した。もう副流煙がどうのこうのと言う気もなくなっていた。呆然と海を眺めているだけだった俺に水戸が「あっ、食べる?」と言って飴玉を差し出して来た。突然海の事について語っていたかと思えば今度は飴を食べるかと聞く。本当にこいつの心は昔から読めない。別に、読みたくもないけれど。
「��ファーストキス�≠フ、味だってさ?」
「……何でこんなもん持ってんだよ、怖えーよ」
「んー?それね、ある
センパイ
(
・・・・
)
から貰ったのよ」
「センパイ……?ヤンキーの?」
「はは、まぁ……そんなとこ。」
俺は自然と穏やかな表情になりその飴玉を受け取った。水戸は「なんか今日は語りすぎました、じゃあ帰ります」と言い置き停めてあったバイクの方へと歩いていく。その背中を見つめていると「あっ」と不意に立ち止まってこちらに振り向くことはせず、思い出したように言った。
「探しもんなら——あそこらへん」
「……?」
「結構、穴場だぜ」
��あそこらへん�≠ニ親指で差し示して今度こそ帰るという合図なのか、軽く手を翳してバイクに跨り走り去って行く。それを見届けてから俺は、貰った飴玉を頬張った。
��運命は変えられない。どんなに頑張ってみてもそれは事実なんだ。誰にも変えられない��
��海が存在したい場所を選べればいいけど。いやたぶん、それが運命ってもんじゃねーのかなぁ��
そう言った、生意気な高校時代の後輩の言葉を思い返して口の中に含んだ飴玉を、カランと歯で鳴らし俺はまたある物を探すためジャージの裾を捲り上げて浜の方へと走り出した。
ずっと消すことのできなかった幼馴染との思い出を頭に巡らせながら必死に探す。不意に彼女にストラップを買ってあげた時の記憶が蘇った刹那視線の先に見えたのは……
「あった……あった!!」
見つけた砂まみれのストラップを持ち上げて、俺は大声で叫んだ。
挑戦しろ、感動しろと生徒たちに口で言うのは簡単だ。長く生きていると、結局思い出せることなんか本当に心がときめいた瞬間や心から感動した瞬間のことだけになっていく。時間は限られている。忙しい日々を惰性で生きていないかと自分にも問いかけてみる。
あと何回、心踊る瞬間が訪れるだろうか。そういう瞬間にはいつだって隣にアイツがいてほしいと心から願っている自分がいるという事に、ようやく……ようやく俺は、気づけたんだ。
*
日曜日、用事を済ませて公園に差し掛かると、先輩の婚約者に似た風貌の女性が一人で車椅子に座り、呆然と公園内の噴水を眺めているのを発見した。思わず公園内に足を踏み入れ、そっと背後から声をかけてみる。
「なまえ、さん?」
声をかけた私に振り返り「あっ、どうも」と、彼女はぺこりと頭を下げた。私も小さく会釈してベンチに腰を下ろし、彼女の顔を覗き込みながら問う。
「東京に来てたんですね、式の準備ですか?」
「あの、ちょっと……。今わたし、実はこっちに戻ってきてるんです……」
「……。よかったら、少しお話しませんか?」
少し驚いた表情を見せた彼女だったが、ややあってコクンと小さく頷いた。私は近くの自販機で飲み物を買ってきて彼女に差し出しまたベンチに腰を落ち着けた。互いに飲み物を一口飲んだところで、彼女の方から先に口火を切る。
「彩子さんも宮城さんも、私とひさしが別れた方がいいと、思ってますよね……」
「……かもね。」
「え……」
「ふふ、冗談ですよ。まぁ、少し前までは先輩と名前がくっつけばいいと思ってましたけど」
「……」
「でも先輩が、どうしてもなまえさんとは別れない——別れられない、って……」
「……」
時間っていうものは取り戻せないもの。だからこそ今を大切にして後悔しないように生きていかないと行けないんだと思う。恋には大事なことが三つある。出会い方、別れ方、そして忘れ方だ。
「三井先輩って優しいですよねー。真っ直ぐで、素直であたたかくて生粋のお人好しって言うか」
「……」
「言ってました、名前。あの頃の私は、寿のあたたかさで心の隙間を埋めようとしてすがっていただけなのかなって」
「……」
「なまえさん。私、みんなに幸せになってほしいんです。名前も三井先輩もリョータも、藤真さんも……」
「……」
「もちろん、なまえさんにもねっ」
そう言ってウインクを投げ掛ければ彼女は弱々しく笑って俯いた。私はそれを見て見ぬふりをして目の前の噴水へと視線を戻した。すると横から彼女が小さく呟く声が聞こえてきたので、そっと耳を傾ける。
「私も……私も、すがってるだけなのかなぁ……それだけなのかな……」
「……なんか恋愛って、いつの時代も難しいものですよねぇ」
「……」
「ふふ、ねっ?」
「……はい、難しいですね、ほんと。」
理想通りがいい恋なのかしら。いいえ、探してばかりでは見えない恋だってある。涙が出るのは頑張ったから。頑張ったのは、真剣だったから。
��悩む�≠ニいうことは、それだけ真剣に人生を生きているということだと思う。
速さ×時間じゃ出せない、二人の距離の求め方というものは。
*
私は鍵付きの小さな箱を開ける。年季の入ったこの代物は高校の時にお小遣いで買った宝箱だ。中には、幼馴染の彼との思い出が詰まっている。
中学の卒業式の時に貰った第二ボタン。高校の時に使っていた電池の切れた携帯電話。飲み物のおまけでついてきた、おもちゃのキーホルダー。流行りに乗っかってお揃いで作ったミサンガなど彼との事を思い出しながら一つ一つ出していく。
湘北高校に転校してきて、ようやく、お互いの気持ちを打ち明けあったあの日——『会いたかった』と言ってくれた時の彼の声音と表情が蘇る。初めて彼と結ばれた日、『帰したくねえ』と抱きしめられて、一緒に過ごした事。
幼馴染の彼からもらった思い出と品物を並べてから、またその全てを宝箱の中に仕舞い、カギを掛ける。そうして私は宝箱をそっと胸に抱いて、声を殺して泣いた。
海でストラップを見つけた後は、そのままご機嫌で職場、湘北高校へと向かった。いつも通り、部活を終えてから自宅へ帰ると部屋の中は真っ暗で声を掛けても返事がなかった。留守かと思い、俺はとりあえずリビングへと向かう。
「うおっ!……なんだ、居るんじゃねーかよ」
暗闇の中に人影が見えたので「電気くらいつけろよな」と言ってリビングの電気を付けた。尚も背を向けている彼女に少々苛立ちながら「返事ぐらいしろよ」と小言をつくが、どうにも今日は、機嫌が悪いのか話したくないらしいと悟り、俺は気にせず独り言のように話し続けた。
「今日の練習はきつかったわ、まぁ試合もちけーし仕方ねぇけど」
肩に掛けていたバッグをソファーの脇に置いて冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した刹那「わたし、同情は嫌!」と、彼女が叫んだ。
「……!?びっくりした、なんだよ急に」
突然の大声に驚き、持っていたミネラルウォーターを床に落としてしまった。蓋が閉まっていた事に安堵し、やれやれとそれを拾い上げる。
「ひさしは知らないかもしれないけどこの世の中には、私をちゃんと好きになってくれる人なんてたくさん居るんだからね!」
車椅子を俺の方に向けて目の前まで来た彼女が、「ひさしは私を見くびりすぎだよ」と、微笑む。
「ちゃんとリハビリだってすれば、歩けるようにだってなる」
「……え?」
「ごめん、私リハビリさぼってた……歩けるようになったら、ひさしが離れていく気がしてちゃんとリハビリしなかった」
「——よかった。よかったなあ、本当に!」
「ひさし……?」
「よかった……」
思わず彼女を抱きしめた後、体を離して彼女の手を握った。彼女は眉間に皺を寄せる。そうしていくばくかの逡巡を持って彼女は意を決したように言った。
「私……東京戻って、もっと大人な人探す。私がワガママ言っても、笑って相手にしないような人探すんだからっ」
「なまえ……」
「わたし、ひさしとは結婚しない」
「……」
「だからもう、自分の気持ちに嘘はつかないで」
「——。」
二人の距離の求め方は速さ×時間では表す事が出来ないのだと改めて知った。
わかってたよ、私を好きじゃないことぐらい。最初から、わかってた。それでもただ......一緒にいたくて。私はずっと知らないふりをしていた。彼は私が好きだと嘘をつく。だから私は、嫌いと嘘をついたんだ。彼はあの子のナンバーワンになりたい、私は彼のオンリーワンになりたかった。
心地よい場所から飛び出すと決めた。必ずそれに見合うものが、いつか得られると信じて——。
25歳、冬
― 25歳、冬 ―
人が一生に流す涙の量が決まっているとすれば私は随分と高校時代に無駄遣いをしたかもしれないなぁ、なんて思っていたけれど、涙は変わらず流れてくるのだと知った。今になってようやく、寿がどれくらい大事だったかを、この涙が教えてくれた気がした。
あの日の決断が、正しかったかどうかはわからない。ただ今も昔も、寿の優しさは変わらないと言う事だけは確かだ。幼馴染の彼を傷つけてばかりいた、16才の私……。
会いたいと言わないと会えない気がして、会いたいと言ったら彼が困る気がして「会いたい」と言われないと彼に会えない私は、ずっとずっと、独りぼっちだった。私はずっと、独りだった。
嫌いになること以外に——忘れること以外に、諦めることは出来ないものなのかな。
最後の最後に嘘をついた。さよならを言えずに縋りついて、それでもちゃんと「さよなら」を、伝える事ができたのに……なのに最後に嘘をついたの。
『なまえさんと幸せにならないと、私は藤真さんと、ね?』
本当は私なしで幸せになんかなりませんようにって心の奥では願っていたくせに。あなたが幸せならそれでいいなんて、そんな綺麗事言えない。私があなたを幸せにしたかったし、私はあなたで幸せになりたかった。
あなたにとっては私なんてなんでもないのに、手を離してしまえば繋がることはもうないのに、あなたからたくさん愛してもらったと言うのに。
好きだってことを忘れてしまうぐらい、いつもあなたのことが、好きだったよ。さようなら……最愛の人。前を向いて、生きてください。笑顔でいてください、私があなたに送る、最後の言葉。もう届くことはない、空の文章を——。
婚約が破談になって仕事も辞め、全てを失った私が最後に辿り着いた場所はやっぱりこの、思い出の海だった。このまま思い出の地に残って人生をリスタートするか、いっそのこと誰も知らない地に行って、新しい人生を歩んでみるか……。
二筋道の手前で私は��生きる意味�≠�ひたすら探した。大切な人が幸せになる。それだけで自分も幸せになれる。それに気づけたら、私は本当の幸せを手に出来るような気がしたのに——遠くにあなたが見えた。
「ストラップ……?」
無くしても無くしても、私の大切な物たちは、最後には必ず私の元へと戻って来る。そう、幼馴染の彼——寿の手によって。
足元に転がるそれを見たとき、波の音や風の音までもが全て消え去り、まるでその場だけ時間が止まった気がした。私はそのストラップをそっと拾い上げる。
「探すのどんだけ時間かかったと思ってんだよ」
耳に届いた聞き慣れた声。もう振り向かないと決めた、大好きだった声——。
拾い上げたお揃いのストラップを強く握り締め私は静かに瞳を閉じた。
「休みの日も部活終わってからもずーっと探してたんだぜ?」
近づいてくる足音。そんな彼の、フッと笑った声が耳に届いた時——無性に愛おしくて。
そんなことを思ってもいい権利なんて、私にはもうないはずなのに。振ったくせに、まだ好きだなんて自己中だよね。ごめんね。
「アイツが……お前に手紙を書いたって知った時めちゃくちゃ動揺した」
「……え、手紙?」
「問い詰めたら、いけないのかって。ただの幼馴染なんでしょ、だったら手紙のやり取りしたっていいでしょ、って……」
「……」
「嘘つきって言われちまった。ストラップだって捨てずに大切に持ってるじゃない……ってよ?」
「……」
「だから捨ててくるって言ったんだよ、俺を信じろって。俺が捨ててくるって」
気取らないこと。とにかく、飾らない。自分を大きく見せようとする段階で人は傷つくしそれはすぐに見破られる物。だけど——
「じゃあなまえさんの心配もなくなったでしょ」
「……」
「私も捨てる。寿との思い出、全部捨てるから」
彼が私の真横に立つ気配。正面を向いて、海を眺めているであろうその姿が、視界の端に映る。
「確かにアイツの言う通りだ。俺は嘘つきだな」
「え……?」
「俺——捨てられなかったんだよ」
「……」
「捨てたらダメだ……捨てねーといけねぇ思い出なんか、俺たちのあいだにねーはずだろ」
「……違う、違うよ。確かに寿と過ごした時間は大切だったけど、その思い出にすがったら私またダメになる」
ずっと、ずっとね、思ってたの。私はいつか、この恋を思い出して、きっと泣いてしまうって。私たちは今……かけがえのない時間の中にいる。二度と戻らない時間の中にいる、って。
「——俺、考えたんだ。彩子にも自分の幸せ考えろって言われて考えた。考えてどんだけ考えてもやっぱり俺……名前じゃないと駄目だ」
「……寿」
「ずっと、……ずっと会いたかった。」
彼は私を優しく抱き寄せた。大きな波が押し寄せたあと、海は静かになった。彼のおかげだ。
どうしていつも、私を救ってくれるんだろう。彼がいなければ、海はもっと荒れていた。今願うことは一つ。第二波が、きませんように。予想外だったのは、風向きが変わったこと——。
「俺と一緒にいてくれ、俺を幸せにしてくれ」
その言葉に私は彼の胸に手を押し当て無理やり体を離した。そして俯き「ごめん」と言って首を横に振った。彼はそんな私に「自信ねーのか?」と問う。その問いかけには何も答えられずにまた俯いた。この人に、私の愛が釣り合っているかと悩んでしまったからだ。
「名前」
「……」
「俺の目を見ろ、名前。」
ゆっくりと顔を上げた私の目の前に真摯な瞳で私を見据える幼馴染が居た。この真っ直ぐで偽りのない瞳が好きだった。昔から……ずっと。
好きだよ、だけどこれ以上は、泣きたくない。でも、ごめんね。やっぱり、あなたが好きなの。
「何もしなくていい、笑ってればいい。ただ隣で笑っていてくれるだけでいいんだ」
「……」
「名前じゃないとダメだ、俺と一緒にいてくれ……俺を、幸せにしてくれ」
「——。」
私は、その真っ直ぐな彼の瞳を見つめ返して、コクンとゆっくり頷いた。
夢なんて、そんな大袈裟なものはなくてもいいんだ。きっと、目標程度でも——
「幸せにする、私が寿を……幸せにする。」
彼は、その私の言葉に微笑んで私の体を優しく引き寄せて強く抱き締めた。そして互いに自然と体を離したあと、彼は私にキスを落とした。唇が離れると、私たちは自然と笑い合う。
彼の腕の中にまた引き戻された私は静かに目を瞑った。波の音と一緒に聞こえた幼馴染の心臓の音に耳を澄ましている刹那——彼の乾いた唇が、私の耳朶に触れた。そうして、大好きな彼の声が優しく私の中に響いた。
『ずっと、一緒にいような』
今日の特別な瞬間が明日の思い出となる。寿と出会わなければ、私は永遠に迷子だった。
好きな人って、居て、見るんじゃなくて見たらそこにいるんだよね。恋をすると嬉しいだけじゃなくて切なくなったりもする。きっと人が淋しいという気持ちを持っているのは誰かと出会うためなんだと思う。
何かを変える事のできる人間がいるとすれば、その人はきっと、大事なものを捨てる事ができる人なのだろう。��大変�≠ニ書いて、大きな変化。
変わらなくてもいいと、あなたは言うけれど、今度こそ変わりたい。胸を張ってあなたを愛せる愛してると言える素敵な大人の女性に。誰よりもずっと傷つきやすいあなたのそばにいたい……、今度は、きっと。
昨日になんて戻れない。だって、昨日と今日の自分は、ちゃんと別人なのだから——。
出会えたから、
もう
約束
はいらない。
(名前)
(……ん?)
(二度と、お前の手を離さねぇから覚悟しとけよ)
(……うん、)
(あー、でも約束はしねーからな)
(え、なんで?)
(もう破る理由が一個もねぇから)
(何それ、いまいち信用できないんですけどー?)
(うっせ!黙って手ェ握られてろっ!)
(ふふ、はいはい)
※『Time after time 〜花舞う街で〜/倉木麻衣』をお題に
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