親しき仲にも悪意あり(1/2)
表紙
目次
しおり
しおりを挟む
しおり一覧
前へ
1/2
次へ
「はい——もしもし?」
『おー姐さん。悪いんだけどよ、洋平のアパートまで行ってやってくんねーか』
「は?」
『洋平には連絡してあるからよ。もし追い返されたらまた俺に連絡入れてくれ。じゃあ、頼んだ』
「えっ? ちょっと……野間く——」
珍しい人から連絡がきた。携帯の液晶画面には��野間くん�≠フ文字。急に告げられた用件の理由を聞こうと相手の名前を口にしたときにはすでに電話は切れていた。
時刻はまだ外も明るい16時。今日は特に予定もなかったので家にいたのだが、こんな時間帯に水戸くんが自宅アパートにいるはずがない。かと言って野間くんだって仕事中だろうし再び電話をかけ直すのも忍びない。
一旦、最近復縁したばかりの彼氏、寿に連絡をしようかと考えあぐねたが今は緊急事態である。さっきの野間くんの雰囲気からして条件付でならかけ直してもいいような口振りだったため、とにかくそのままスマホを鞄に入れて私は水戸くんのアパートへと向かった。
*
朝から頭痛がしている上に、計ってはいないが寒気が多少あったため自力でなんとか病院に行き点滴などの応急処置を行ってもらった。いつもはそれでどうにかなっていたのだがよりにもよって忠に気付かれた。頑なに大丈夫だと否定したが、相手はそれを許さず、俺の店なのに「帰れって。あと明日も来なくていいぜ。来たら、ぶっ飛ばすからな」とシッシと手を振って門前払いをされた挙句、仕舞いには「明日はちょーど仕事も休みだから店番してやるよ」と仕事先のバイク屋からの帰宅を余儀なく命じられた。
とは言え仕事をしない訳にもいかず自宅についてもベッドで休むことなくパソコンの前に座り、溜まっていた備品の発注をしたり、居酒屋の方の経費の確認等、業務を行っていたが突如スマホが鳴り、ディスプレイに忠の名を確認したのでとりあえず電話に出た。
『おぅ、生きてたか?』
「お陰様で。まだ生きてるよ」
『姐さんに、お前んとこ行くように連絡してあるから、そろそろ来ると思うぜ』
「ぇ……ねっ、姐さんって名前さん……!?」
頭痛に耐えながらも必死に体を回転させようとしている間もなく、インターホンが鳴る。
『——来たか、じゃあな〜』
「ちょ、忠、お前……っ!」
アイツは何を余計なことをしているんだと溜め息を吐きながら仕方なく立ち上がり、モニタ付のインターホンの前まで重い足取りで向かう。
風邪を移したくはないため、誰一人として呼ぶつもりは毛頭なかったがこうなってはどうしようもない。
「名前さん?」
「あっ、あの……ごめんね、急に」
「いや、状況はわかってるから……」
追い返そうと思った。しかしここで、風邪だと言って追い返してしまっては相手に心配をかけてしまう上、忠の事だ……更に何か他の手を打っていそうだと思ったのだ。しかも、今以上にめんどくさくなりそうな手を。
「……どうぞ。部屋の鍵、開いてますんで」
あえて余所余所しく言い、暫くすればカチャと音を立てて玄関のドアがゆっくりと開き、申し訳なさそうな表情の彼女が入ってくる。その手には重そうなスーパーの袋が持たれていた。
「ハハ、随分重そうだなー」
「こんな早い時間に水戸くんが自宅にいるなんて絶対に風邪か何かだと思ってさ……」
「そう……」
見事に言い当てられてしまった事に驚きながらそれを認めてしまおうか躊躇した、そのとき——再び激しい頭痛が俺を襲う。彼女に気付かれまいと必死に隠そうとするが自然と眉間には深い皺が寄る始末。
「え……水戸くん、ほんと、大丈夫?」
「あ、うん……多分……」
いくら彼の親友からの言付けだとしても家主にはかなり迷惑だったようであると、私は悟った。水戸くんの眉間には珍しく深く皺が刻まれていてそのまま顔を顰めて黙ってしまった。でも、水戸くんの性格なら——野間くんに言われて来たという経緯があるため、追い返す事はできないなぁと思っているんだろうなって。
「ごめん、やっぱり私、帰るね。野間くんには、ちゃんと伝えておくから……」
落ち込んだ様子を見せまいと口早に伝えると、そのままへ私は、玄関のドアノブに手をかける。
その時、ふと手首を掴まれ歩みを止められた。驚いて振り返れば顔を歪め、もう片方の手で頭を押さえる水戸くんの姿が間近にあった。
「はぁー、キツイな……」
「みっ、水戸くん?」
「名前さんの言う通り、どうやら風邪っぽい」
「え?」
水戸くんは私を抱き寄せ、私の肩口に額を付けた。これが今まで通り何もない日常の瞬間で相手も体調を崩していない世界線であればきっと私はギャー!とかワー!とか、声を発していたに違いない。でも——
『 帰んないで 』
「って言ったら、困るよな」と、弱々しく呟いた彼の声に私は、ひくっと小さく息を飲み込んだ。
「と、とにかく。ベッドに、ね?帰らないから」
黙り込み、顔を伏せたままの水戸くんを支えながらベッドの方へと向かい彼をベッドに座らせることに成功する。
「飲み物とか用意してくるから、水戸くんはとりあえず寝てて」
水戸くんの腕を自分の体から離そうとするが、離そうとすればするほど腕の力は強まるばかり。このまま彼に体を倒されれば彼の上に乗ってしまう状態となり、私は当たり前に焦る。
「水戸くんっ!?す、すぐ戻ってくるからっ!」
「飲み物も食べ物も大体その袋にあるんだろ?」
「……そ、そうだけど」
「ここにいて……それなら寝ない事もないかも」
顔は見えないものの、私を抱きしめる腕の力は強まるばかりで。
ここまで弱々しい彼を見るのは正直初めてだったので、戸惑いながらも自分を頼りにしてくれている様子の水戸くんに、何だか嬉しさを感じた。
「わかったから、ちゃんと布団に入ろう。ね?」
そう諭せば腕を少し緩め体勢をかえ布団に入っていく水戸くん。
何となく自然ともう一人が寝られるスペースを作っているようにも見える。気まずい沈黙が流れる。その空気に気圧されて空いたスペースに大人しく入り、そっと水戸くんの背中に腕を回した。
「ごめん。みっちーに殺されるね、俺」
「いっ、いいから……寝て、おねがい」
「ハイ」
安心した様子の水戸くんは素直に目を瞑りすぐに寝息が聞こえ始めたことに安堵して私は小さく息を吐いた。
その寝息につられるように自分も目を閉じて、「この事は墓場まで持って行かないと」と半分夢の中に落ちていきながらも心に誓ったのだった。
*
ピピピピピ……と。小さな音が閑散としていた室内に響いた。
死んだように眠っていた相手を起こすまいと、音量を限界まで下げて付けていたテレビを持っていたリモコンでピッと消してからそーっとベッドの方まで、膝立ちのままで近づく。眠っていたと思っていたが目を覚ましたのか、枕の横に置いておいた体温計に気づいたらしく律儀に熱を計っている姿に、思わずクスッと笑みがこぼれた。
「熱、ある?」
「ん、40度」
「えっ!?」
「……マイナス2度」
こちらに背を向けたまま、布団をかぶっている相手がボソッとそう呟いたので、ほっと胸を撫で下ろした。つまり、38度ってことね……。
「名前さん」
気がつけば鼻まで布団をかぶった彼がこちらを向いていて名を呼ばれた。声には出さず「ん?」と首を傾げれば、熱っぽい瞳が私に向けられる。
「腹へった。おかゆ作って」
「たまご入ってるやつ」と、まるで子供みたいな台詞を吐いた彼に笑顔で「うんっ♡」と言い返し私はキッチンへと向かった。
水戸くんってば可愛い。「腹へった」だって。しかも「たまご入ってるやつ」なんて……この際ずっと風邪ひいててくれればいいのになぁと思いながら、ご希望通りとろっとろに煮込んだたまご入りのおかゆを作り、近くにあったお盆に乗せてベッドまで運んで行けばいつものリーゼントヘアではなく、髪の毛を下ろした状態の水戸くんが、上半身を起こし、リモコンを手に持ってテレビのチャンネルを回していた。
その場に突っ立ったままで暫く彼の動向を窺っていればこれだと決めたのか日本代表のサッカーの試合のチャンネルに合わせた後、ぼうっとテレビ画面を眺めはじめた。私は、止めていた歩みを進めて「水戸くん」と声をかける。
「できたよ、たまご入ってるやつ」
「ん、ありがと」
ベッドの横に座って彼の膝の上にお盆を乗せれば彼は姿勢を少しだけ正してレンゲにお粥を取りフーフーと冷ましてから、それをひとくち口へと運ぶ。
水戸くんが髪を下ろしているのを見るのはこれで何回目だろう。高校時代にも一度だけ見た事があったかな。あれは確か寿が高校三年生の夏——インターハイで広島に行ったときに泊まった宿泊先だったと思う。あとは、藤真さんと別れて水戸くんに会いに来た日の夜。それと、今日。
初めて彼が髪を下ろしている姿を見たときは、「てっきり生まれつきの天然リーゼントかと思ってたけど違ったね」なんて揶揄った記憶がある。普通に考えて、そんなことはないんだけれども。でも彼は私のくだらない子供じみたノリにもいつも笑って乗ってくれた。昔からそういう人なのだ��水戸洋平�≠ニいう人は。
「……」
「……」
水戸くんとお付き合いしたら——こんな感じで言葉はなくても落ち着いた空気のまま、穏やかな気持ちでいられるのかななんて考えてからハッと現実世界に戻ってきた私はそんな邪念を誤魔化すようにして、彼の顔を覗き込んで問う。
「おいしい?」
「んー、味覚ない」
「あ、そっか」
明日以降、水戸くんと会ったらなるべく、さり気なく聞いてみよう。「私のこと、抱きしめたの覚えてる」って……。きっと、たいしたことじゃない。「覚えてないなぁ」って彼なら言ってくれる。例え覚えていても、逆に深い意味があったとしても、しなくても。彼なら言ってくれる絶対にそうやって。だから、さり気なく——
「名前さん」
「……えっ?は、はい! な、何……?」
じっと未だ熱の持った目つきの悪い一重が私を見つめていた。目を逸らす余裕もなく、私もまじまじとその瞳を見つめ返してしまった。そのまま数秒のあいだ見つめ合ってから先にそっと視線を逸らした水戸くんが、また黙々と目の前のお粥を食べ始める。
「ずっと鳴ってるけど、出なくて大丈夫?」
「え?ずっと、鳴ってる……って、何が?」
「ん? スマホ。」
水戸くんの趣味らしい黒のローテーブルの上に置いたままでいた、自身のスマホが震えている。ずっと存在を忘れていたそれを手に取ったとき、ちょうど着信が切れた。履歴を見れば不在着信で画面がいっぱいに埋め尽くされている。言わずもがな、不在着信の主は��三井寿�=c…私の現在の彼氏だった。さーっと顔から血の気が引いていく気がした。
やばい……これは、まずいかも。本気で携帯の存在を忘れていたので急いでメッセージアプリをひらけば『今終わった』から始まり『晩飯食ったか?』とか『風呂?』とかいう��生存確認�≠ノも近い内容の短文が、立て続けに飛んできていた。そうして、最後に送られてきていたメッセージの文章を見て青ざめた私は、勢いよく立ち上がる。
「やばい……」
「みっちー? なんだって?」
「��今から家行っていい?�=c…って」
「ハハ、そりゃまずいな」
「え……」
え——。「そりゃまずいな」ってあのね、水戸くん……笑ってる場合ですか!?いや、まずいって!どうすんの、これ!どうしよう!!
なんてワタワタ焦り狂っている私をよそに水戸くんは「ごちそうさまでした」としっかり両手をパン!と合わせてからベッドから降り自らお盆をキッチンへと片付けに行った。そのまま食器等を洗い始めた彼の元まで素早く歩み寄り「ど、どうしよう」と彼の肩を揺さぶる。
「どうしよーって、もうオレ平気だから、帰ってもらっていーですよ?」
「違うくて!そういうことじゃなくてっ!なんて説明しよう……嘘、ついてもいいかな!?」
「ハハ、俺に聞かないの。名前さんの好きなようにしたらいいさ」
「えぇ……! そ、そんなぁ……」
あからさまにがっくしと肩を落とす私を横目でチラ見した水戸くんはキュッと水道の蛇口を捻って水を止めたあと、私の方に上体を向ける。上目遣いで見上げればやっぱり水戸くんは困ったように眉をハの字に下げ、溜め息をついた。
「名前さん」
「はい……名前です……」
「墓場まで持ってった方が身の為だな、きっと」
その言葉に顔をあげて彼を見返せばフッと笑った水戸くんが、穏やかな声色で言った。
「俺が弱ってて、名前さんに甘えて抱き着いちまったことも、添い寝してもらったことも」
「——!!」
「お互い、まだ長生きしたいし、なっ?」
一気に顔を真っ赤にした私に反して水戸くんはパチン、とウインクをしてハハハ、と笑う。
最低!全部ちゃんと覚えてるんじゃん!!そーいう奴だよ、君はそういう人でした、忘れてましたっ!!
結局その後もこの危機的状況を打破できる策は見つからなかった。そもそも良い案など思い浮かぶはずがないのだ。だって相手はあの、寿だし。
とりあえず今は一先ず帰ることとし、「駅まで送ってくよ」と言ってくれた病人に甘えるわけにもいかず、丁重にお断りをして、私は水戸くんのアパートを後にしたのだった。
前へ
1/2
次へ
Back
/
Top