そばにいるよ(1/2)
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『……ねえ、水戸くんにとっての愛って何?』
『俺にとっての、愛?』
『そう。ずばり、水戸くんにとって��究極の愛�≠ニは?』
究極の愛とは。一切のエゴがなく無償であり、見返りを求めず相手に尽くし、全てを注ぐことが出来ること。
『そうだなぁー、俺の思う究極の愛は……』
相手が幸せならそれでいいと。相手の幸せが、自分の幸せだと。全てに置いて利己的ではなくて利他的なこと。何も相手には望まないこと。
『 罪の、共有——。』
何が正しいか間違っているか、その判断が酷く遠いところにあるものに思えるほど、二人だけの共有が��罪�≠ネらば、犯罪ほど、それを証明するものはないだろう。
究極の愛、最大の愛とはまさしく
��秘密を共有�≠キることである——。
*
今日はあいにくの雨だった。まだ日が高いのに夏の夜の匂いがした。時計は19時を少し過ぎている。まだまだ明るい、ほのかに翳った空。
冬の電気を消したように突然暗くなる夕べとは違って夏の暮れ方は、少しずつトーンを落として夜を迎える。まだまだ帰りたくないなぁ、という童心じみたものを誘うようにして——。
「水戸くん。もう、着いちゃう?」
「そうね、もうすぐ着いちまうね」
「やだ、やめて」
「ハハハ。じゃあ着かせねーよ?なんちゃって」
「うん、絶対着かせないで。どんなに頑張っても着かせないで」
「いいよ」
「着きそうだな〜着きそうだな〜、着かないな〜って感じでやって」
「ハハ、わかった」
冗談もほどほどに運転席の彼、水戸くんはウインカーを出して左折した。入ったのはコンビニの駐車場。郊外のコンビニの駐車場は無駄に広くて車も一、二台程度しか停まっていない。こんなに広いスペースが必要なのかと疑問に思っていると彼が車を停めて下りて行った。どうやら、煙草を吸いに行ったらしい。
車内はヤニ臭さが充満していると言うわけではないけれど若干煙草の匂いが沁みついている気はする。私に気を遣って車内での喫煙を控えていたようだ。けれども彼の車は車用芳香剤なのか香水なのか、とにかくすごくいい匂いで包まれているので全然気にしなくてもいいのになぁとも思う。
やがて水戸くんが、ビニール袋を提げて戻ってきた。運転席には乗らず、こちらに回ってきて、助手席の窓をこん、と一度ノックする。私は窓を開けた。
「……ん、どうしたの?」
彼は人懐っこそうな顔で私を見上げ「ちょっと下りない?」と、密やかに誘った。私が少々動揺していると「飲み物買ったんで」と、持っていたビニール袋を軽く掲げて見せた。
「あ、うん」
「そこにさ——ちょっと眺めのよさそうなとこがあったのよ」
「……」
「誰かさんが着かないでって稲川淳二の真似して駄々こねるから……ちょっと運転休憩」
「あはは……うん、いいね」
まだ帰るのは惜しいな、という気持ちが私だけではなかったようでちょっと嬉しい。滑るように車を下りて、私は水戸くんの後を歩いた。
今日は珍しく少し遠出をした。「ちょっと付き合ってもらえない?」という水戸くんに、ついてきたのだ。今はその帰り道。
水戸くんとはふだん、彼の勤める居酒屋でしか一緒にならないのでこうしてひと気のない緑豊かな山中で二人きりになると何だか勝手が違う気がする。「こっち!生くださいっ!」と言える店内でもないし、がやがやもしていないし、二人ともしらふだし。
それでも私はすごくリラックスしていた。水戸くんって全身からマイナスイオンみたいなものが出ていると思う。どこに行っても水戸くんとなら大丈夫だ、という強い安心感がある。
「どーぞ」
「ありがとう。ここ? うわー、きれいだね」
そこには石で出来たベンチがあって山手からの景色が一望できた。空気はひんやりとしていて、濃い森の匂いがする。
私たちはそこに座って二人で黙って水戸くんが買ってきてくれたミネラルウォーターを飲んだ。
「ここから帰ったら、あと一時間くらい?」
「首都高乗りゃ、30分くらいじゃねーかな」
「そっか、ありがとね運転。くたびれてない?」
「いや運転好きだから。それに付き合わせたのはこっちですんで」
「うん、たしかに水戸くんって運転うまいよね。全然揺れないし」
彼は誉められると決まって困ったように、大人しい微笑を浮かべる。それが見たくてむやみやたらに褒めちぎりたいのを自制していた、昔から。
冷たい水が美味しい。酒も肴も今はいらない。もう少しゆっくりしていられたら最高なのにな。
「あーあ、どっか泊まっていきたいなぁ。ねえ、水戸くん、いかない?」
「はい?」
「グランピングとか、コテージとかないのかな。湘南と違うところで。この際、ラブホでもいい」
なんちゃってー、と笑いながら口にするも相手から反応は得られない。というか努めて無視しているように見える。あれ?と思っていると「馬鹿なこと言ってないで。そろそろ行きますよー」と彼はぶっきらぼうに言い放って、立ち上がった。
「——や、ごめんね。セクハラじゃないからね?そういう意味じゃなくて」
「わかってます」
「だってさぁ?帰ったらまたいつもの変わり映えのない日常が戻ってくるんだよ?明日からお互いまた仕事だよ?」
「へいへい、そっすねー」
「だからちょっといつもと違うことがしたくなるんだよ、わかる?」
「だからって、妙な絡み方はよしてくださーい。冗談じゃねえよ」
心底嫌そうに、あの正義の味方戦隊からまるで舌打ちをしかねない表情で言われてしまう。
水戸くんはもう一切マイナスイオンを放たず、とっとと車に向かって歩いている。私も仕方なく立ち上がって、あーあと思いながら後ろを付いていった。
*
車に戻っても、空気は気まずいまま。それでも彼は安全運転で発進する。ちらと横顔を見るが、怒っているのかいないのかもともと無表情だからわからない。
これはまずい事を口走ったものだ。水戸くんはたぶん下ネタがきらいなんだ。知ってたのにな。
『——それではここで一旦明日の天気予報です』
車内では、ラジオが淡々と流れている。無言の今の空間には、とてもありがたいことだった。
「……」
「……」
「……ねえ、よかった。明日は晴れるってさぁ」
「……みたいね」
「……。」
ダメか……うん、私が悪い。しゅんとしていたけれど、だんだんと、何でそんなに怒っているのかな、という疑念が湧いてきた。しかし、これを理解しなければ、いよいよ水戸くんから境界線を引かれてしまうだろう。
時計をみると19時25分。空は紺色に、木々は影絵のように正体を隠しはじめている。
「水戸くん、ごめんね」
「ん。謝んなくていーよ。怒ってねえし」
「うん」
「……」
「……」
怒ってない、というのならこちらを少しくらい見てほしい。流石にずっとノールックは寂しい。
「名前さん……俺、本当に怒ってないよ」
「うん」
「だから、いつもどおりにして。名前さんが静かだと、逆に気が散るっつーか……」
「……うん、ごめん」
「……」
何かを言わんとした水戸くんは、ちょっとだけ口を開き、けれども、やっぱりその口を閉ざしてしまった。
「……水戸くん、昔っから、そのテの話きらいだもんね。私、ほら。デリカシーないから……」
「べつにそういうわけじゃ……それに名前さんの場合、デリカシーつうか天真爛漫なだけ」
「あはは。ポジティブな表現にしてくれてありがとうございます」
「俺、昔からそう思ってたよ。ネコみたいな人だなーって」
猫。猫かぁ……って、あ、あれっ?水戸くん、ちょっと照れたみたいな横顔になってる。何だか私も釣られて照れてしまう。
トンネルの中で視界がセピア色の色彩になる。すこしずつ、雰囲気も和らいだ気がする。ほっとして──でも、と思った。
「高校のときにもさぁ、水戸くんを怒らせたことあったよね。結構えげつない下ネタ言ってさ」
「……んなこと、あったっけ」
「うん、なんだっけ?あ、そうだ、思い出した」
「なに?」
「えー?ヤダ。また怒られるから言ーわないっ」
「ハハ。なんだそれ」
あれはたしか——私が高校三年生、水戸くんが二年生の時の話だ。湘北の最寄り駅で、元カレの変な噂を軍団から聞いて。それでたしか、ヤケになって水戸くんに絡んで……と、私が場のディテールを思い出していると「あれも怒ってないよ、べつに」と遮られた。
「うそ、怒ってたよ?」
「あれは——名前さんが自分のこと卑下するからそれで、」
「ほら……怒ってたんじゃん、やっぱり」
「怒ってないって」
「でも、優しいよね。相変わらず」
「……」
珍しく水戸くんの方が言葉に詰まった。私は、ちょっとだけ勝ち誇った気分になりそっと視線を真横の窓の方に向けて、そのまま小さく呟く。
「て、いうか……覚えてたんだね」
「え、まあ……ね?」
「でも、今回のはショックだったなぁ」
「ん? なにが」
「私のこと、そ〜んなに嫌だったなんてさ」
「……」
「まあ自分が水戸くんのタイプじゃないってのは昔から、わかってるけどさぁー」
水戸くんの運転している横顔。お世辞ぬきに、男前だなぁと思う。彼はどういう女の子ならいいんだろう。実は何度か、考えてみたことがある。きっと可愛くて、優しくて、素直で、素敵な子。私とは正反対のそういう女の子なんだろうな、とそんなふわふわとした根拠のない空想をする勝手さを彼は、いとも簡単に打ち砕いた。
「……からかってんの?俺のこと」
「……、」
今度は私が言葉に詰まる番だった。はあ……と漏れた溜め息が横で冷たく響く。車はゆるやかにカーブを切って、先ほどの彼の予言通り首都高に向かっていった。
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