そばにいるよ(2/2)

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    「着いちゃうぜ」

     本当に予言通り約30分も走ると見慣れた風景が見えてきた。
     高速を降りた先にある一つ目の信号が、黄色になった。水戸くんは真面目に停止する気らしく、徐行運転をしながらウインカーを出す。
    �� 青は進め、黄色も進め、赤は急いで進め �≠ニ大昔から受け継がれているヤンキーの常套句は、もう今の彼には必要ないのかもしれないな……。

    「早かったね」
    「早かったな」
    「水戸くん、飛ばしちゃうから」
    「飛ばしてないです」
    「ビュンビュン行っちゃうんだから」
    「全然飛ばしてないって、五キロで走ってた」
    「嘘つき」

     カチカチ、というウインカーの機械音が車内に小さく響いている。信号が青に変わり、車がまた走りだす。私は無言だった。水戸くんも、なぜか無言だった。車内は未だ、ラジオが流れている。

    『TOKYO FM開局45周年スペシャル——本日は��究極のラブソング�≠ニ題して、リスナーの皆様から、様々なリクエストをいただいております』

     彼のことだ。きっと実家の目の前に停めたら、色々と面倒だと気を遣って、ひと目のつかない、でも危なくないところに降ろしてくれるだろう。だが心配しなくても私の彼氏はアパート住みなので実家に帰ってくることはないと思う。そもそも今、湘北高校は夏休み真っ只中で彼も部活の合宿のため、静岡に行っている最中だ。ただ今日は、今日だけはもうちょっと水戸くんと一緒に……。


    「バイバイの時間よ」

     久方ぶりに彼の声が真横から聞こえた。私は、あからさまにブスッとして、帰る準備をしだす。

    「やだ?」

     最後だと思わしき信号が、赤になった。それと同時に優しげな声が耳に届く。きっと片手でハンドルを握ったまま顔をこっちに向けているのだろう。残念だけど、気配でわかるんだから。だから絶対にそっちを向いてなんかやるもんか、って。
     私は軽く一度だけ頷いてさっさとバッグを肩にかける。

    「やだとか言いながらさっさと帰ろうとしてる」
    「……」
    「早く帰りたいんだ?」
    「——帰れ、みたいな顔してたから」
    「してないって」
    「俺、今日は疲れたんだよなぁ〜……って」
    「そんな顔してません」
    「いや、書いてある。」

     ここでようやく私は、運転席側に顔を向けた。やっぱり予想した通り水戸くんは右手をハンドルに乗せたまま、顔を助手席側に向けていた。
     私が「なんかここら辺に」と言って水戸くんの頬の辺りに人差し指を持っていき、エアーで円を描く。そこで目の前の信号が青に変わった。彼はゆっくりと正面に向き直って、静かにアクセルを踏み込んだ。私も正面に向き直って、なおも嫌味ったらしく抑揚をつけて言う。

    「明日も俺仕事なんだよな〜、はよ帰れや〜って書いてある」
    「……」
    「じゃあ、元気でね。またお店に遊びに行くね」
    「……元気じゃない」
    「……。」

     水戸くんをチラッと横目で盗み見れば、彼は、相変わらず無表情で真っ直ぐに正面を見て運転をしていた。

    「元気で——」
    「元気じゃねえって」
    「……、」

     今度はやや強い口調で遮られる。けれどもやっぱり彼は表情を変えないままで、ただただ正面のフロントガラスを見据えていた。

    「水戸くん、元気だったじゃん……さっきまで」
    「元気じゃないよ」
    「……。」

     それ以上、私は何も言えなくなってしまった。無言のまましばらくして、だだっ広い路肩に車が停車した。他に誰も通らない、しんとした道だ。車内はひたひたと暗がりが満ちている。水戸くんの輪郭は見えるけれど、表情はよくわからない。

    「……水戸くん?」
    「……ごめんな、急に停まって」
    「あ、……ううん。……」
    「……」

     ハンドルを握る手が、するりと滑る音がする。ゆっくりこちらを見る目と、目が合った。
     暗いから、見えにくいから。つい見つめ合ってしまう。このとき初めて彼からごく僅かな、しなやかな香りのフレグランスを感じた。昔はもっと香りが強めな香水をぶっかけていたイメージだったので逆に何だかドキッとした。なんていうか、彼も、大人になったんだなぁ……って。

    「この先にラブホがあんだよね。営業してんだかしてねえんだかわかんねえ年季の入ったとこで」
    「……へ、」
    「これからそこに、行こうかと」
    「え?」
    「……いやなら、そう言いな?」

     切れ長の熱っぽい瞳。湿った、厚みのある声。ためらいがちな悔いるような口元。暗いからこそ丹念に観察した。そして彼の方も同じように私の心情を読み取っている。

     確かにどこかに泊まっていきたいと言ったのは私だ。しかしあれは冗談で今日は地味で着古した下着だし(関係ないかもだけど)それに汗もかいてるし。おまけに化粧ポーチも持ってきていない。
     でも、だからといって、いやだと言うつもりはなかった。地味な下着やすっぴんを見られることより今日の水戸くんを傷つけて永遠に失うことの方がずっとずっと、いやだったから。
     健やかなるとき病める時も、あなたはあなたで居られますように、私は私で居られますように。
     何もできなくなったとしても、私はいつでも、ただ、そばにいたいって、そう思ったから——。

    「——いいよ。行こう」

     素直に応じると水戸くんは目を細めた。奥歯を噛み、肉のない輪郭が、ますますきゅっとなる。わざと脅かすように睨む瞳には、微かな感情の、揺らぎみたいなものが見えた。

    「いいのか?」
    「いいよ」
    「名前さん………意味、わかってる?」
    「水戸くんこそ」
    「……」

     ぎしっとシートを軋ませて水戸くんの神経質な手が私の肩を抱き寄せた。寡黙な唇に堰き止められていた感情がひりりとした空気の振動となって発露した。彼の愛煙のほろ苦い、香りがする。


    「ずっと、こうしたかった——。」

     呻くように、苦しげにそう囁いた声にうなじがそわそわと粟立つ。もしかして水戸くん、怒ってたんじゃなくて、我慢してたの……?
     近い、強い、力が——そんな、長いような短いような沈黙のあと、彼はゆっくりと離れて行き、私の瞼を細くて繊細そうな指でなぞった。季節はしっかり真夏なのに彼の指先は少し冷たかった。

    「ちょっと、引けたな……腫れ。」
    「……、」
    「よかった。」

     至近距離。水戸くんはフッと微笑んで、そして眉間に皺を作った。私はまた何も言い返せない。

    「ごめんね」
    「……」

     まただ。そうやってすぐに謝る。昔っからそうだった。
     水戸くん、私ずっと言いたかったことがある。謝ってほしいんじゃないよ。こんなにもあなたのことを気にかけてるヤツもいるんだってこと——もういい加減、気づいてほしいんだよ……。

    「俺が寂しいの見抜いて——名前さんが汚れ役を買って出てくれたんだよな」
    「だって水戸くん。まるでひとりぼっちみたいな顔してるから……」

     たくさん助けてもらった。悲しいとき、寂しいとき、いつだって私のそばには正義の味方戦隊、水戸洋平がいてくれた。恩返しをするのならば、きっと、今しかない。
     泣きたい時は泣けばいいし、辛いときは弱音を吐いたっていい。寂しいときは誰かと一緒に……笑えばいいんだよ。


    「きょうは私が水戸くんの——正義の味方戦隊になってあげる」

     抱きしめ返した彼の肩越しに、デジタル時計が19時55分を指していた。
     今朝からひっきりなしに鳴り続けている携帯のマナーモードとラジオから流れてくる——ベタな究極のラブソングをBGMにして。

    「……ありがとう、名前さん」
    「うん」
    「名前さん——」
    「ん?」
    「今日だけは、もう少し一緒にいて。」
    「……いいよ、もう少し一緒にいよう」

     景色も、水戸くんも、完全に夜の顔になった。
     時計を見る余裕も、鳴り響いている携帯電話を見る余裕も、今夜はもうないだろう——。










     きみとぼくで、共鳴 しよう。


    (ねえ、水戸くん。ホテル行ってさ、なにする?)
    (そーねぇ……もっといっぱい、話を聞かせてよ)
    (え、私の話?たとえばどんな話を聞きたいの?)
    (詰まらない話でも下らない話でもどんな話でもいい)
    (……)
    (今日はただ名前さんの声を、たくさん聞きたい気分)
    (……そっか。じゃあ、桜木花道選手の話でもしよっか)
    (ハハ、いいね)


    ※ image song『 雫/sarA 』
    ※ Lyric by『 そばにいるよ/Uru 』

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