夢か現か幻か(1/6)
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人間は、弱い生き物だ。どこかで自分に優しい言い訳を考える。
一度負ければ悔しい。しかし二度目、三度目と次第に悔しさは薄れていく。
精一杯やればいいと、負けてもいい事を前提にしてしまう。それが最後の分かれ道になる。
世の中はいつだって、
��勝者�≠ニ��敗者�≠ノ分けられるんだ——。
*
「夢を——みてたんだよね」
「……あ? 夢?」
「そう、夢」
寿の指先が、わずかにハンドルを傾けた。湘南ナンバーの彼の愛車は通り雨の降る高速を抜けて薄く雲が広がる空の下を走っていく。
「長い、夢だった」
仕事に行くときにはいつも上げている前髪は、今日は起き抜けのままにしてあって、その間から眼光の鋭い、けれども優しげな瞳が覗いていた。彼の視線がこちらを向いて「へぇ」と探るような相槌が返ってくる。
「いい夢だったのか?」
「悪夢かも……とびきりの」
「じゃあ話しておいた方がいいかもなー」
コノ先左カラノ合流ガアリマス——と、ナビが教えてくれる。
曲もラジオもかかっていない車の中で私の膝の上、右手首に付けていたブレスレットが揺れる。それを左手で触れ窓にそっとこめかみをつける。夏の夜の冷たさが、ひんやりと頭に凍みた。
「夢は話すと本当にならないらしいからなぁー」
彼がバスケ部の合宿から帰ってきて、一週間。終電間際のこんな夜更けに突然誘ったのに、彼はわざわざ車を出して、都内まで出向いてくれた。
「つーか、なんで急にドライブなんだよ?」
とは、私が昔の同僚と飲み終わり新宿の駅前で拾って貰った時に訊かれたけれど「そういう気分だったの」と言ったら、それからは何も訊かずにいてくれている。
寿はいい人だと思う。小学校の頃も中学の頃も高校の頃も。もちろん大学でも彼は人気者だったらしいし。今でも生徒や先生達から可愛がられている。彼を知る人はみんな「実際はどうなの」と訊いてくるがいい人だと思う。どうなの、なんて何回も訊かれたって答えは変わらない。うん——��いい人�≠セとは思っている。本当に。
私はひっそりと溜め息をついてから彼を見た。さっぱりとした好青年——誠実そうなその瞳は、あきらかに心配の色をしていた。
「それなら、話そうかな」
「話せ話せ、この三井寿さまが聞いてやらぁ〜」
「——なって……ほしくないし」
「は?」
「あれが本当になんて……なってほしくないの」
そう言ってしまってから舌がどうしようもないほどに渇いて私は炭酸の抜けたサイダーを一口、喉に流し込んだ。彼は黙って私が話し始めるのを待っている。
誰にも言わないで、とは言わなかった。そうでなくても彼なら言わないだろうとも思った。誰にも言わないでというよりも、これを本人にだけは言ってほしくなかったから。私は頬杖をついて、窓の外に目線を投げる。
「夜の……コンビニだったの。車の中。」
「……」
「——水戸くんとドライブした、帰りだった」
*
朝——まさかの四時半に目が覚めてしまった。
前日にようやく「これだ!」と決めた鞄と靴は床に、洋服は未だハンガーにぶら下がったまま。
名前
おはよ。今日、仕事?
彩子
おはよう。今日はテレワーク
午前八時半。その返信を受け取りすぐに彼女に電話をかける。数秒で出てくれた彼女に「テレビ電話にするね」とだけ言い今こうして顔を見合わせて、テレビ電話をしている真っ最中ってわけ。
「この服、変じゃない?なにかアクセサリーとか付けた方がいいかな」
携帯を立てかけて、私がファッションショーをしている様を呆れたような顔で見ている親友——もとい、彩子。
『それ、こないだ買ったばかりのワンピースじゃないの。たしか、奮発して買ってなかったー?』
「えっ!?」
『なによ、おめかしして。もしかして三井先輩とデート?』
ぎくっ、と肩をびくつかせた私が素知らぬ顔で「今日から静岡合宿」とだけ伝えれば彼女は軽くああ、と相槌を打った。
『テレワークって言っても仕事中なんだけど?』
「ごめんってば!だってこれは……今世紀最大の大事件なんだよ!」
私が早口で言うと彩子は「なにそれ」と、やっぱり呆れ口調で、優雅にコーヒーを啜っていた。
今日は確かにデートと言えば、デートかもしれない。ただ、相手は彼氏ではない。相手はあの、��天下の水戸洋平さま�≠ネのだ。
『で? 誰と出かけるのよ?』
「えっ!? み……水戸くん」
『水戸洋平? ふーん……。アンタ平気なの?』
「な、なにが」
『三井先輩、知ってるわけー?』
「え……まあ、出かけるとは、言ったけど……」
そんな挙動不審な私に彩子はやれやれと言った様子で最後の最後まで呆れたように抑揚をつけて大きな溜め息を吐いたのだった。
*
昨日は朝から晴れていたのに、夜になって急に雨が降り出した。
「ちょっと付き合ってもらえない?」
という連絡を数日前、水戸くんからもらった。誘ってきたのは彼だったけれども、わざわざ車を出して彼は来てくれた。「電車でもいいよ」って言ったら「せっかくだから、ドライブしよーよ」とのこと。
「なんで急にドライブ?」
とは、駅前で合流したときに訊いたけれども、「そういう気分だったんです」とだけ言われて、それからはお互い、なにも話さなかった。私は、ぼんやりと車の外を見る。
「雨ひどくなってきたなァ」
久方ぶりに声を発した彼が、へらりと笑った。私はちょっとだけ怒ったふうにして言葉を返す。
「なんで笑うの」
「いや、べつに?なんか面白くて」
「面白い?」
「うん。今日は静かだなーって」
彼は言って、眉毛を下げた。その素直な反応が面白くて私はまた、彼に興味が湧いてくる。
水戸くんって、ほんとに不思議な子だ。若い子たちが言っている��沼る�≠チて、こういうことを言うんだろう、きっと。
「みっちーに怒られたのかな、って」
えっ、と。私は言葉に詰まる。チラとこちらに視線だけ向けた彼は、またフッと柔らかく笑う。
「ちゃんと言ったかー?」
「な……なにを」
「
水戸くん
(
・・・・
)
と今日、
二人きり
(
・・・・
)
で会うんだーって」
わざとらしく��水戸くん�≠ニ��ふたりきり�≠�強調させて言うその様に、何だか居心地の悪さを感じて私は小さく咳払いをした。
「で、でかけてくると、だけ……」
「そっか。俺、殺されちゃうなー」
「え」
「冗談」
「え、冗談なの?あはは!なんだぁ、やめてよ。びっ、びっくりするじゃーん」
完全に緊張と動揺で落ち着きのない私に彼は、特に反応を返してくることはなかった。そのときぱっと、信号が青に変わった。水戸くんが静かにアクセルを踏み込む。
「時間、早いかも」
「え、どうするの」
「ちょっと、デートでもする?」
「デっ?……えっ?」
くすくすと彼が笑う。気がつけばここは東京、新宿だ。駅に向かって駆けていく、人の波。雨の新宿の街——青信号が明滅する。
「今日ねぇ〜実は……妹に会うんです」
彼がそう言ったのは信号が赤になったのと同時だった。私は、まじまじと水戸くんを見た。だが彼にふざけている様子はなく、あくまで穏やかに私を見つめ返している。
「……妹?」
「うん」
「い……いたの?」
「うん」
水戸くんが近くのパーキングに入る。この辺は駐車料金が高いのになぁなんて思っていると彼が慣れた手つきで運転席の窓を開け、駐車券を引っ張った。パーキングのバーが上がる。
「ごめんね。ちょっと、俺の買い物に付き合ってもらってもいい?」
いつもは優しげな視線を送ってくるはずの彼のキリッと目つきの悪い瞳に射抜かれた私は、うんうんっと、何度も縦に頭を振った。
こ、これは——!?初めて耳にした水戸くんの妹さんへのプレゼント大作戦!?
なにそれ、めちゃくちゃ楽しそうじゃん。そういうことなら任せてよ!!不器用なお兄ちゃんの贈り物選び、ぜひ私に付き合わせてくださいっ!
*
「チョコレートとか、甘いものはどうかなって」
「昔から甘いもの好きだった気ィするし」と付け加えてスクランブル交差点の近くで雨宿りをしているあいだ、水戸くんは言った。
「う〜ん……きっとお兄ちゃんからなら何を贈られたって嬉しいに決まってるとは思うんだけど」
「……」
「消えちゃうものは、呆気ないと思うよ?」
「消えちゃうものねぇ……」
彼の手には、あきらかに一人用のビニール傘が持たれている。ぱっと、信号が青に変わる。彼が傘を広げて、私の方を振り向いた。
「やっぱ時間やばいかもな。走れる?」
「——無理、って言ったらどうするの」
咄嗟に、そんな事を口走っていた。彼はしばし私を見つめてぽり、と頬をかき斜め上を見やる。
「困ったなぁ」
そう言いながらもまったく困った様子は見受けられないから不思議。新宿の喧騒は強さを増した雨の音で、かき消されていく。青信号がまた明滅する。
「——まあ、いっか。遅刻しても」
「……」
「いい男は、遅刻するもんらしいし」
「なにそれ、水戸くんの世界の話?」
「ハハ。そーいうことにしとこっか」
信号が青にならなければいいな、なんてそんなことを夢想した。どうしてここに着くまでの間、彼ともっと喋っておかなかったんだろう、って。もう少しだけ妹さんのことも含めて、水戸くんと深い話なんかをしてみたかったなぁ、って。
「ねえ、さっきの話の続きだけどさぁ……」
「ん?」
「ずっと身につけていられる物とかはどうかな?プレゼントなら尚更」
「ほぅ」
「水戸くんをそばに感じられるような物とかさ」
「そう? どんなの?」
「うーん……」
私は女の子みたいに人差し指を顎に添えて天を仰ぐ。そして閃いた!と言わんばかりに、右手をぽん、と左手の手のひらに押し付けた。そして、水戸くんの腕を引き信号を渡った先のお店に直行した。
*
「こんなに人が多いと、すぐはぐれちゃうかも」
なんとか買い物を済ませて、店を出た先の目の前の信号が青に変わるのを待ちながらぽつり私が言葉を漏らす。
過去にここで高級車に乗った彼と待ち合わせをしていたときの事を思い返しながら、そんな事を言ってみる。水戸くんは私を見て目を瞬かせて、「そうかもねぇ」と、目尻を下げた。
彼はまたビニール傘を開き私に差した。私達は小雨の降るの中、水戸くんの車が停めてあるパーキングを目指す。
「でも、俺の髪は目立つから、たぶん大丈夫だ」
「あはは……たしかに」
「花道もすぐわかるだろうな、デニスロッドマンヘア?」
「わかる。すぐに見つけちゃう」
「……あの人も、すぐ見つけられたでしょ」
「え?」
「綺麗な茶髪の、エリートサラリーマン?」
私は、まだ赤色に点灯している信号をちらっと見て、それから彼の顔を見上げて、首を傾げた。
「誰のこと言ってんの、私さっぱりわかんない」
「いいよなぁー、茶髪。俺もしてみたい」
「そぉ? 黒髪似合ってるよ?清潔な感じで」
「えっ、ハハ。アリガトーゴザイマス……でもさ染めてみてーなって。あれ、どこの美容院?」
「あれ、地毛だってさ」
「地毛? うそだ」
「さぁどうでしょうねー桜木くんも地毛でしょ」
「さぁどうでしょうねぇ」
くふくふ、と珍しく変な笑い方をして彼は髪を指先で撫でつけた。それはリーゼントをしている人の癖なのかもしれない。彼のその細めた目に、私は不思議と釘付けになっていた。
「穴開きそう」
「へっ?」
「名前さん、見つめすぎ」
「みっ、水戸くんがこっち見てたから」
何ともあからさまな嘘を吐き散らかして視線を自分の足元へと落とす。すると今度は相手がこちらを見ているのが、目の端に映った。キョロっと目玉を動かして見れば、正面に向き直ったらしい彼が飄々と言った。
「まあ、見てたかもなー」
「……?」
「名前さん、今日はお洒落して来てくれたから、見惚れてました」
「また……そうやってすぐからかうんだから!」
「だって嘘じゃないぜー? すごく似合ってる、可愛いよ」
「——も、もう……アリガト。」
「ははは、どーいたしましてっ」
水戸くんも、今まで出会ったどんな人とも違う特別な男の子だ。綺麗な茶色い髪を靡かせていたあの、彼のように——。
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