夢か現か幻か(2/6)

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     ——忘れられない、人がいる。

     泣きながら改札を通って行った、スーツを着た女の子。左利きなのに右手でスマホ操作する人。ウインターカップの会場でファインダーを一心に覗いていた女性。
     高一のクリスマス、イルミネーションのそばで酔っ払いのおっさんに絡まれていた女子高生を、「俺の彼女なんで」と言って助けていた男の子。
     バイクで事故ったときに、救急車を呼びながら手当をしてくれたサラリーマン。あの人のことは今でも探している。

     プールの授業が終わったあとの、国語の時間。窓から入ってくる風。みんなからほんのり塩素の匂いがして何人かは疲れて爆睡していて。たまに風が窓際の何人かのノートをパラパラとめくってその窓の下に見えた、制服姿の一個上の先輩。

     届くはずのない太陽に手を伸ばして笑っていたあの笑顔。美しすぎて、忘れられない——。





     *


    「今日ここに来たのは自分の中でケリをつけたいことがあるからなんだろうなァ〜」
    「……」
    「きっとどっかで、信じていたかったのかもな。みんな、家族だって」
    「……」
    「今から父親の実家行くんだけどさ」
    「……」
    「妹と俺……たぶん父親が違うのよ」

     突然そんな事を言い出した水戸くん。なんだか今日はやけに饒舌だ。当たり前に動揺したけれどそれがバレないよう私は口を挟むことはせずに、彼の言葉に耳を傾ける。

    「母親がやべー人でさ。自分と血が繋がってねえ疑惑の子供を俺の父親が——ずっと面倒見てた」
    「……」
    「俺が高校卒業してからは、何回か会ったことがあったけど。まあ、匿ってやったって言った方が近いかもしれないけどな」
    「……」
    「俺も色々忙しくなって、一切連絡絶ったから」
    「……」
    「でも何年か前からしつこく父親の実家づたいに妹が会いたがってるって連絡もらっててさ。俺、ずっとスルーしてて」

     過去に、色んなところから入ってきていた水戸洋平伝説は——あながち嘘ばかりではなかったのかもしれない。

    「お母さんとも、たまに会うことはあったの?」
    「……ない」
    「……。」

     たとえ噂話が真実に近い結果だったとしても、それでも私は——水戸くん本人からの言葉だけを信じたい。

    「もしかして妹ちゃんに会わなくなったのって、お母さんと……会いたくなかったから……?」
    「……」
    「妹ちゃんと会うとお母さんと会うかもしれない確率が、高くもんね……」
    「いや……そもそも向こうだって俺のツラなんか見たくもねーんじゃねーかな」
    「でも……会いたかったとき、あったでしょ?」
    「……どーかな。わかんねー」

     なぜ同行者を私に選んだのかは、わからない。でも、だからこそ私は、いつもみたいに変わらず彼と接していたいな、って思った。それがいまの私に出来る、最大限の配慮だと思ったから。

    「花道だけは、会ったことあってさ。妹と」
    「……そう。」
    「今日は絶対に母親は来ないって約束で会う事にしたのよ、妹と」

     お父さんの実家——。水戸くんの育った町か、なんて……密かに超楽しみだなぁって思っていたんだけど。水戸くんにとっては、つらい思い出が詰まってる場所でもあるんだな、きっと。

    「……妹さんって今、いくつなの?」
    「えーっと、高校生——かな」
    「え!そんなに離れてるんだぁ。じゃあ彼氏とかいるかもしれないねぇ〜」

     え、ヤダな。と彼は呟いた。私は思わず豪快に噴き出してしまう。あまりにも、純朴だと思ったからだ。ひとしきり笑ったあとで、私は頷いた。

    「いいね。素直でよろしい、水戸くん」
    「いいね、って……だって、嫌なもんは嫌だろ」
    「あはは!いいよ、そういう水戸くん悪くない」
    「なんだよそれ」

     車は高速道路を下りる。しばらく走って彼は、砂利で出来た広い敷地内に車を停めた。どうやら目的地に到着したらしい。私が「帰りはこのまま朝までドライブしちゃう?」と、ふざけたように運転席を覗き込めば彼は目尻を下げて軽い口調で「いいよ」とだけ言った。

    「深夜料金は安いらしいよ?」

     私が受け売りの知識を教えると水戸くんは、「それは助かるねぇ」と、シートベルトを外す。

    「でも俺いま、財布の中に現金250円しか入ってないですけど?」

     それに笑いながら私もシートベルトを外した。水戸くんが車から颯爽と降りていくのを見送って私も車から下りる。彼の少し後ろを歩いてついていく私。
     それにしても、水戸くんに妹がいたなんてね。この水戸洋平と血の繋がった兄妹なんてどう想像しても羨ましい人生しか思いつかないのに……。水戸くんって妹と一つ屋根の下にいたらどんな事をしてどんな話をしていたのかな。でもきっと優しかったのだろうとは思う。それだけは確実だ。

     ピンポーンと、目の前の屋敷のインターホンを水戸くんが鳴らすと中から「はい」と声が返ってきた。……ん?てか、待って?で、でかくない?な、何じゃこりゃ! ここは——旅館ですか!?

    「あー、俺。」

     隣で私が屋敷と水戸くんを交互に見ているのを無視して彼は小さくあくびなんかしている始末。するとすぐに中から慌てた様子で、中年くらいのおばさんが出てきた。

    「洋平おぼっちゃま〜!!」

     言葉の通り、「おぼっちゃま」と呼ばれた水戸くんが、優しげにも困ったように微笑む。

    「久しぶり、元気そーだね」

     水戸くんが軽く片手をあげる。それを見ておばさんはなぜか涙ぐんでいた。見た目からして彼のおばあちゃん、とかではなさそうだ。あきらかにこの人——お手伝いさんですよねぇ!?と、いうことで、さっそく命名『お手伝いさん(仮)』。

    「まぁまぁ……おぼっちゃまも元気そうで何よりです。さあさあ、中へ——」

     そう言ったお手伝いさん(仮)が、私の存在に気づいて視線を投げて寄越す。そしてまじまじと私を見るなり、嬉しそうに首を傾げて問う。

    「あら……こちらのお嬢さまは?」
    「あっ!初めましてっ! わたし、名字——」
    「……ああ、この子は俺の。」
    「!?」

     ——お、おれの、とは……?

    「あらあら、可愛らしいお嬢さまだこと」

     水戸くんが淡々と遮ってくれたお陰でまともに自己紹介も出来ず終いだった。それより、なに?『俺の』って。まるで人を、モノみたいに……。
     でたよ、でたでた。ダークサイドの水戸洋平。でもなんだろう。ちょっと……嬉しかったかも。なんて、絶対に誰にも言えないけどさ。

     水戸くんと一緒にお城の中……いやいや、彼のお父様の実家の敷地内に入ると和様で立派な玄関から一人の男性が出てきた。すぐに彼の父親だとわかった。だって——めちゃくちゃ水戸くんに、そっくりだったから。

    「ただいま」

     水戸くんが短く言うと困ったように眉を下げて水戸くんのお父さんが小さく頷いた。目を伏せる仕草なんか、ほんと水戸くんそっくりで。
     似てる、顔も声も。水戸くんってば思いっきしお父さん似だ……。

    「は——はじめまして!名字名前です!ふつつか者ですけど、どうぞよろしくお願いします!」

     地面につくほどに深々と頭を下げたあと、私は何を言っているんだろうと、赤面する。そのまま恥ずかしさのあまり顔をあげられないでいると、「ははは」と水戸くんではない別の人の柔らかい笑い声が聞こえてきて、私はそっと顔を上げた。

    「可愛らしいお嬢さんだな」

     う……うわぁ。笑った顔もそっくり。ちょっとだけ、眉毛をハの字に下げて笑うところなんて、もう水戸くんそのもの。そして何よりイケオジ。

    「親父——」
    「……」
    「花道が会いたがってたぜ。今度あいつの試合、見に行ってやってくれよ」
    「……ああ、いつでも見にいくよ」

     そっか……水戸くんのつけたかった��ケリ�≠ヘこの家に帰るためでもあったんだね。
     本当はずっと、ここに帰ってきたかったのかもしれないな。





     *


     水戸くんとお父さんが話している最中、私は、座敷で待たせてもらう事にした。美味しい淹れたてのお茶を啜っていると水戸くんが戻ってくる。

    「ケリ、ついた?」
    「……ああ。」
    「……」
    「やっぱ俺の推理は正しかったな。父親と妹は、血が繋がってませんでした」
    「……そっか。」

     お茶を啜りながら目を伏せると、水戸くんが、私の隣に腰を落ち着けた。そのとき、ひっそりと並べられている本棚に目がいく。目敏くもその中から幼稚園のアルバムらしき物を発見し私はパタパタと駆けより「これ見るね」と了承される前にアルバムを開いた。「あっ」と言った水戸くんを無視して。

    「キャー! かっわいい〜!これ水戸くん!?」
    「え?……うん」

     水戸くんもこちらに来て、やれやれと頬をかきながら言う。私は、パラパラとページを捲った。すると何枚か貼っつけていなかったらしい写真が床の上に落ちた。裏返しのそれを拾い上げようとしたとき光の速さで水戸くんがその写真を拾ってそそくさとズボンの後ろポケット隠してしまう。

    「あー、なになに〜?初恋の女の子の写真〜?」
    「違います」
    「じゃあ見せてよ!」
    「いやです」
    「きっと今どこかで、のほほ〜んと暮らしているその子が見たら、びっくりするんじゃなーい?」
    「しないだろーねぇ、今さら」

     ため息を吐いた隙を見て私は彼の後ろポケットから、先ほどの写真を引き抜いた。裏返しのその写真を私がひっくり返したのと水戸くんが言葉を発したのが、同時のように思えた。

    「とっくの昔にフラれてますんで、俺。」
    「……、」

     待ってよ、この写真——今どこかでのほほんと暮らしているその子って、まさか……。

    「本気で惚れてた時期があったの、こー見えて」
    「……っ」

     それは高校時代、私の卒業式の時に軍団の誰かが、嫌がる水戸くんをうまく丸め込んで撮った、水戸くんと私の……ツーショットの写真だった。

    「でも、自分のもんにしたかったわけじゃなくてその子が幸せなら、それで満足だったんだよな」
    「……、」
    「今思えば、それってほとんど家族愛だったなーって、さ?」

     わかる……わかるよ。私だってあの時期、一番淋しい時にそばにいてくれたのが水戸くんだったから。そんな水戸くんは私にとって、肉親以上に家族だったもん。それなのに私ったら、卒業してから連絡を絶って挙げ句の果てには姿を眩ませて寿以外の人と結婚するってなって、婚約が白紙になって。それからまた、しれっと現れて——でも待ってよ。ぜったい、おかしい……ってば。

    「フラれた、って……私、フった記憶ない……」
    「……あー、ははは。」

     ははは……って。ほら、また。冗談なのか本気なのかわからない、その見えない壁。水戸くんに笑って誤魔化されたらそれ以上何も言えない事を知っていて、そうやってまた、はぐらかすの?
     ねえ、水戸くん。私のことずっと、本当はどう思ってたの——。

    「つーわけで、そろそろ出ますけど」
    「……」
    「お嬢さま(・・・・)は、そこで一人で落ち込んでおく?」
    「——! おっ、おちこんでなんかないもん!」
    「へぇ〜、そーでしたか」
    「そ、それに!私、お嬢さまじゃないからっ!」

     ハイハイ、といつものように柔らかく笑う水戸くんを軽く叩いて、私たちは一緒に部屋を出た。


     *


     家を出る際もうお父さんはいなかったけれど、ちゃんと実家とお父さん宛にお土産を渡していた水戸くんを見て、さすがだなって。さすが、水戸洋平だな——なんて思っちゃった。

     また水戸くんの車に乗り込んで私たちは、次の目的地へと向かった。お父さんの実家に近い駅で水戸くんの妹さんが待っているのだそう。本当はお父さんも一緒に同行する予定だったが私に気を遣ったのかお父さんは行かない事になったらしく水戸くんも「そっちの方が気が楽だ」と言った。

    「あ、そうだ水戸くん」
    「ん?」
    「帰りにどこか、コンビニ寄ってもらえる?」
    「いいけど、なんかあった?」
    「うん、へっへっへ〜! 実は私ねぇ〜」

     そう言って私は「ジャジャ〜ン!」と鞄の中から分厚い封筒を取り出す。水戸くんは運転をしながら、ちらちらと、こちらの様子を伺う。

    「百万円持ってるんだ〜!今だけお金持ちっ♪」
    「おー、そりゃすげーなぁ。え、なんで?」
    「結婚が決まって、色々と準備に必要かと思って下ろしてたの。でも必要なかった」
    「ああ……エリートな元婚約者がぜんぶ、払ってくれたから?」

     私はイシシと笑って短くそう、と言い置いた。両手に抱えた封筒に視線を落として私は続ける。

    「結婚が無くなって今度はまた現金が必要になるかなって思ってて、でもその心配もなくて……」
    「……」
    「ずっと、実家の箪笥に眠ってたの……リアル、箪笥預金ってヤツ」
    「……そう。」
    「これはさ、未来への貯金。次は絶対に、幸せにならなきゃね」
    「……うん。」

     少し車を走らせると目的の駅に到着した。近くの駐車場に車を停め外に出ると先ほどまで止んでいたはずの雨が、またポツポツと落ちてきた。
     車を降りて私と水戸くんはまさかの本日二度目の相合傘をしながら、待ち合わせ場所に指定していた駅の近くの喫茶店へと向かった。


    「洋平にぃ〜!!」

     店の中に入ろうと水戸くんが傘を畳んだとき、向こう側から走ってくる女の子が見えた。制服のスカートをしっかり短くした超絶可愛い女子高生だ。その子は私達の元へ来るなり、そのまま水戸くんに勢いよく抱きつく。
     その瞬間に鼻を掠めた懐かしい香り。それは、高校時代に水戸くんがつけていた香水と同じ匂いだった。

    「元気そーだな。いい子にしてたかー?」
    「あったりきじゃーん♡」
    「よしよし。ちょっと見ないうちに背縮んだ?」
    「なにィ〜!?めっちゃ伸びたんですけどっ!」

     水戸くんは笑いながら、わりーわりーと言って未だ彼に抱きついて離れないでいる彼女の頭を、ぽんぽんと撫でている。

    「……え?もしかして、洋平にぃのカノジョ?」
    「あー、まあそんなとこ」
    「えー!!聞いてなぁ〜い!めっちゃカワイイ!よろしくお願いしまぁ〜すっ!」

     無駄にテンションの高い彼女から満面の笑みで握手を求められ、その勢いに気圧されて否定する間も無く私は苦笑しながら握手を交わしていた。

    「学校帰りかー?」
    「そうそう!私、サッカー部のマネージャー!」
    「今どきサッカー?バスケにしろって、バスケ」
    「私のことを好きな人がサッカー部にい〜っぱいいるから誘われたの、マネージャーに!」
    「え、おまえ……モテんの?」

     あからさまに嫌そうな顔をした水戸くんを見て私はそこで思わず、プッと吹き出す。水戸くんはハッとしてやっちまったと言わんばかりに珍しく目を少しだけ泳がせていた。

    「でも大丈夫、きちんと全員お断りしてるから」
    「全員お断り?」
    「だって〜洋平にぃのほうが、もっと、も〜っとかっこいいもんっ!」

     私はフッと笑って、彼女にバレない程度に水戸くんの腰を突いた。水戸くんも安心したのか呆れているのか、安堵にも似た溜め息を吐いていた。

    「あっ!ママ〜!! こっちこっち〜!!」


     え——。


    「ママが洋平にぃに会いたがってるのに、全然、連絡返してくれないんだもん。だから私、連れて来ちゃった!」


     うそでしょ……こんなの。


    「洋平にぃも、会いたかったでしょ〜?ママに」


     妹ちゃんのカレシよりも、まずい展開だ——。
     つい数時間前に、水戸くんのお父さんの実家に向かう車の中で交わした彼との会話が、頭の中に蘇ってくる。


    『そもそも向こうだって俺のツラなんか見たくもねーんじゃねーかな』

    『でも……会いたかったとき、あったでしょ?』

    『……どーかな。わかんねー』



     水戸くん……


    「……元気?」

     彼が呟いた、物悲しげに微笑んで。気がつけば目の前——水戸くんの妹の隣に、綺麗な女の人が立っていた。

     ねえ、水戸くん。会いたかったんじゃないの、ほんとは。自分を産んでくれた、お母さんに——

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