夢か現か幻か(3/6)
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自分が傷つけられているのだから相手を傷つけてもそれは立派な��正当防衛�≠ノなるんじゃないのかな、って。
三倍返しくらいまでは、正当防衛だ——って。たしか、習った気がするよ。
*
「ね、ねえ!ここじゃなんだから、中、入ろ?」
私が言うと水戸くんの妹は「そーだねー」とか言って背中に音符を背負って喫茶店の中に入って行った。気まずい空気を打破したのは水戸くんでお母さんと目は合わせずに顎だけをしゃくって、喫茶店の中に入るよう促していた。
「……ほら、名前さんも入ろ?濡れちゃうぜ」
「あっ……うん、」
なんか、私……のこのこと、着いてくるんじゃなかったな。水戸くんはこのあと、ひとりきりになりたかったかもしれないのに。
中に入って、テーブル席に座った私たち。私は水戸くんの隣に座って目の前には水戸くんの妹とお母さんが並んで座った。
四人分の飲み物が無事に到着して、この沈黙を一番に破ったのは、やっぱり水戸くんだった。
「今まで……色々と心配かけちまったけど、俺はこの通り、元気でやってっから」
「……」
「おふくろは?今の奴とはうまくいってんだろ」
「もちろんっ!」
アイスコーヒーのストローに、口をつけた水戸くんが妹のその元気で明るい声に、少しだけ目を見開いた。
「今のパパは私にもママにも、め〜ちゃくちゃ、優しいよ! ねっ、ママ!」
水戸くんのお母さんが優しげに微笑んで頷く。そして目を伏せストローに上品に口をつけ中身を一口飲んだ。その一連の流れを目で追っているとコップを置いた彼の母親が、ぽつりと呟く。
「そうだ、洋平……。その、お父さんとは……」
「ああ、これからはちょくちょく連絡取ろうかなって思ってるよ」
「……」
「花道とか……あと、この子たちもいるし。まぁうまくやってくよ」
「そう……なら、よかったわ」
「うん……。」
よかったね、水戸くん——。最後の��ケリ�≠ェついて。そして何よりも水戸くんが私のことを、いや、私たちがそばにいることを、当然のように話してくれたのが嬉しかった。
もう何があっても、きっと大丈夫だな、って。私はまた、水戸くんたちに守られて生きていく。私達は、みんなで支え合って生きていける——。
「あ、やべ。」
「ん?どうしたの、水戸くん」
「買ってきたやつ、車の中だ」
どうやら、妹ちゃんに買って来たプレゼントを車の中に忘れてきたらしい。それを取りに戻ると妹ちゃんに説明していた水戸くん。しかし彼女は当たり前に「着いてく!」と言って仲睦まじく、一緒に手を繋いで、店を出て行った。どちらかといえば、無理やり水戸くんの手を彼女が取ったといったほうが正しかったかもしれないけれど。
水戸くんのお母さんと二人きりになってしまい特に話すネタも見つけられずに、沈黙が続いた。
しばらくコップの中の氷が溶けていくのを見つめていた彼の母親が、小さく息をはいた。
「安心したわ、あなたみたいな人が……あの子のそばにいてくれて」
「え? あ……い、いえ。私は別に……」
「男には女が必要。女にも男は必要。女は、特にそうなのよね」
「そうでしょうか……そういうの、私にはまだ」
私は苦笑した。こちらも同様、完全に氷が溶けてしまった目の前のグラスのストローを咥えて、一口だけ飲み、咳払いをする。
早く水戸くんたち戻って来ないかなぁ、なんて思っていた矢先、彼の母親が「あの……」と口を開いた。
「はい」
「お金が、いるんですよ……」
「え?」
「百万あれば持ち堪えられるだろうって、主人は言っていたんだけど」
「……」
「久々に会ってそんな話を切り出すのは、なんだそれだけか……って、誤解されるかもしれないでしょう?」
今、私の目の前で何が起こっているのかを把握するのに、少々時間を要した。ちょっと前に喉を潤したはずなのに、すでに口の中が乾いている。
「こんなこと頼みずらいんだけど、あなたから、言ってもらえないかしら?」
「お金の……ことをですか」
「時間がないの。ほんとに、困ってるの。ほら、あの子、ずっと働いてたでしょ、だから——」
「やめてくださいっ!」
「え……?」
私は全く考えていなかった。水戸くんの家族や生まれ育った故郷。水戸くんが『 水戸洋平 』として形成された、人生の背景を。
別世界の人。本来なら、交わらないはずの人。だけど、それでも……彼は私にとってかけがえのない、ベストフレンドだから——。
「——私が、お支払いします。だからもう……」
「……」
「もうそれ以上、何も言わないでください……」
気が付けば私は、そんなことを口走っていた。私は鞄から封筒を取り出すと、それをすっと差し出した。彼の母親は、驚いたように目を見開いていた。悔しかったのはそれが、私の知っている、水戸くんの表情に、とっても似ていたってこと。
*
「洋平、怪我とかしないようにね」
「へーき。丈夫なカラダに産んでもらったから」
「……お友達とも、仲良くね」
「ああ。つーか送ってこうか?まずくねーなら」
「ううん。この子と、電車で帰るから」
「あ、そ? りょーかい。」
水戸くんたちが戻ってきて早々に私たちは店を出た。水戸くんが珍しく甘えたような口調で話すその光景に、私はもう、その場に立っているのがやっとだった。
水戸くんの妹が駅の入り口付近に停まってあるドーナツ屋さんの車を見て食べたいと水戸くんにせがんでいる。それに対し水戸くんは仕方ないという顔をして250円しかないと言っていたはずの財布から千円札を二枚引き抜いて彼女に渡した。それを見たとき、ふと蘇ってきた記憶——。
『……え、なんですか?これ』
『財布忘れたんだろ? 昼とか、困るだろ』
『で、でも……』
『あげるなんて言ってないぞ、貸すんだ』
現金と一緒に「いつでもいいから」と、自身の名刺を添えて、半ば無理やりに渡された二千円。私が頭を下げると「じゃあな」と言って彼はまたタクシーに乗り込んだ。窓越しに、こちらを向くでもなく運転手に何かを話していて間も無くしてタクシーは発車した。
お金と一緒に渡された名刺に視線を落とすと、そこには、大手一流企業の会社名の刻印と氏名。
ねえ、藤真さん……善意って、愛っていったいなんだろうね。
私が我に返ってきた頃、水戸くんの妹はといえば、笑顔で兄から受け取った二千円札を握りしめ駅の方へと走って行ったところだった。
「——水戸くん、」
「ん?」
「私、先に車に戻ってるよ」
「あ、そう? じゃあ……はい。車の鍵」
にこりと微笑んで、水戸くんが車のキーを差し出してくる。私はそれを受け取り彼の母親に軽く頭を下げてから駐車場の方へ駆け足で向かった。
苦しい、悔しい。涙が頬を伝う。肩が震える。目敏い水戸くんにバレないよう私は必死に震えを抑え込んで、ただただ、前だけを向いて歩いた。
だってそれが今の私にできる最大限の配慮だと思ったから——。
「……彼女にも、よろしく言っておいてね」
彼女の背中を母親と二人で見送って、その姿が見えなくなったとき母親がぽつりとそう言った。俺は条件反射で母親の方を見て少し声のトーンを上げて答える。
「うん」
「ありがとう、って」
「……ん?」
「正直言うとやっぱり無理かなって諦めてたの。今さら会いに来て——お金の工面を頼むなんて」
「……。」
俺は一瞬にして体が凍りついた。顔が無意識に引き攣る。やっぱりかという諦めみたいな感情も同時に湧いた。
「だけど困ってるなら当然だって。母親だから、素直に頼って来てくれたんだろう……って、ね」
「……」
「これは、二人で貯めたものだから気にしないでって。」
「……」
「きっと照れ臭がるから……本人には言わないでくださいって、言われたんだけど……」
言葉も出ない。油断した。これは、完全に隙を作った自分の責任だ。俺はいったい何を期待していたんだろうか。もうここまで来れば自分自身を嘲笑うしかなかった。
「でも、嬉しかったから。どうしても洋平には、お礼が言いたくて……」
「……」
「ありがとう、洋平……。」
「——いくら」
「え……」
「彼女、いくら渡したの」
「……洋平?」
「いくら?」
無表情な俺から視線を逸らして、心底言いにくそうに「えっと……」と、母親が答える。もはやこれも、この人の演技かもしれない。
「百万……だけど」
『百万円持ってるんだ〜!今だけお金持ちっ♪』
『これはさ、未来への貯金。次は絶対に、幸せにならなきゃね』
俺は眉間を寄せて目を伏せた。奥歯を噛み締め喉の奥で、舌打ちをする。そうして溜め息を吐くように呟いた。
「……そう」
「困ってたの、本当に!」
「そう」
「だけど、あなたに会いに来たのはそのためだけじゃ——」
「今、俺の携帯から振り込むから。……それさ、返してもらっていい?」
「え……でも、」
「口座は昔と変わってないだろ」
俺はポケットからスマホを取り出し操作する。過去に何かあればと念の為に登録していた口座を確認して、早急にお金を振り込んだ。なんとも、便利な時代になったもんだ。まさか、こんな形で使う羽目になるとは夢にも思ってなかったけど。
「はい——振り込んだ。彼女のお金、返して。」
「……洋平、」
「ほら、早く。電車の時間遅れるぜ」
「……ええ、じゃあ。」
母親は銀行の紙袋を俺に渡し妹のいる方へ歩いていく。妹がお目当ての物を買い終えたらしく、こちらにブンブンと手を振っている。俺は、手を振り返すことはせずに二、三度だけ頷いてそれに返答した。
駅に入っていく二人の後ろ姿を見送って、俺はしばらくじっとしていたがやがて弾かれたように駆け足で二人の後を追った。
ホームには、電車が停車していた。階段を駆け上がっていくと、二人の背中を見つけた。発車のベルが鳴り響く。妹が先に乗り込み、中年の男が母親の鞄を受け取っている。母親は、にこやかな笑顔を返していた。
やがて男が気づいて、チラリとこちらを見た。母親も、その視線を辿る。だが母親は、俺の姿を見つけても微笑みもせず、ぼんやりと俯いただけだった。そしてすぐに二人は電車に乗り込んだ。無情にも、電車が発車する。
「……バイバイ。」
不意に浅く笑った俺は、ゆっくりと階段を降り彼女の待つ、駐車場へと向かった。
*
私ったら、何で泣いてるんだろう。水戸くんの過去だってたいして知らないくせして。ほんと、薄情者だ。
もしかすると、ベストフレンドだと思っていたのは私の方だけだったのかもしれない。恋の悩みは聞いてくれたけど、家庭の難しい話は私なんかじゃ相談相手にもならなかったのかもしれない。自分の将来もまともに決められない、私なんか。
心底自分自身の不甲斐なさに落ち込んでいると水戸くんが戻ってくる姿が見えた。私は急いで、涙を袖で拭って素知らぬ顔をする。しかし彼は、運転席に乗り込むなりポケットから分厚い封筒を取り出して、私に手渡してきた。
「立て替えてもらったみたいで」
「え……」
「さすが。しっかり者だねー、恐れ入りました」
「お、お母さん、これ水戸くんに……?」
水戸くんはサイドミラーを直しながら二、三度頷く。私がすかさず「もっとちゃんと口止め」と言った言葉を遮って、彼が淡々と言う。
「お礼言われた、ありがとうって」
「……」
「やっぱ優しいよなぁ、名前さんは」
「——、」
私は極端でこうと決まれば猪突猛進してしまうと、過去に二人の男性から言われたことがある。
『お前ってよ、極端なところがあるよな。もはや危うさすら感じるわ』
『こうと決めれば猪突猛進するだろ。けどな今の俺から見れば考えが明け透けだ』
寿……
『お前は……極端なところがあるらしい。お前の男にも言えることだけどな。危うさを感じる』
『こうと決めれば猪突猛進してしまう。しかし根が善良な為に他者から見れば考えが明け透けだ』
藤真さん……
『私は、名前さんみたいに強くないから……』
晴子ちゃん……
『根が優しいからな、すぐにそうやって自分一人で全部抱えようとするもんな』
『そのうち、悪い奴らに利用されんぞ。その——お人好し精神がよ』
寿、藤真さん、晴子ちゃん……水戸くん。私、強くなんか……優しくなんかないよ。
私はお人好しでも、強い人でも、優しい人でもはたまた善良な人間でもない。私はただ、ずるいんだよ——。
『善良な人間ほど、罪悪感に弱いものだからな』
罪悪感……。過去に藤真さんに言われた言葉をふと思い出した。私が水戸くんに罪悪感を感じていたってこと?それとも私の中の��母親�≠ニいう像に何か思うところがあったからなのだろうか。
いや、違う。私が彼の母親にお金を渡したのはあれは、私の精一杯の——正義感だった。
「ごめんな……泣かせちゃって」
「……」
「こんなことで、名前さんが泣くことない」
「……、」
「俺なんかのために、泣かなくていいからさ」
「……っ」
ようやって、また笑う。困ったように、眉毛を下げて。やめてよ……やめて。俺なんかのためになんて言わないで。
やっぱり彼にはバレていた。私の演技なんて、すぐに見破られて当然だけど。それに相手が水戸くんだったら尚更だろう。謝るのは私の方だよ。ごめんね、ごめんね水戸くん。こんな薄情者で、ずるい私で——。
「男がホームに迎えに来ててさ。あの人……俺に見せる顔とは違った顔してたよ」
「水戸くん……」
「いーんだ、お陰様でちゃんと言えたから」
「……」
「バイバイ、って——。」
シートベルトを絞める、かちっと鳴る音に妙にどきどきした。彼の繊細な指がナビの上を滑る。
「さてと。次はどこ行こっかー?」
「え? え……っと、どこでもいいけど……」
「帰りはこのまま朝までドライブしちゃう?」
「……それ、私が言った言葉。真似しないで」
「ハハ、うそうそ。ちゃんと送り届けますっ」
「あ、」
「ん?」
「……海とか、行きたいかも」
「おっ、ありだねぇ」と言いながらナビの画面を慣れた手つきで叩き水戸くんは近辺の適当な海岸にピンを刺した。
「ではでは、お嬢さまのご希望どーり海が見える道でも通りながら帰るとしますか」
「……はい。てか、そのお嬢さまって呼びかた、やめてってば——」
「じゃあ、発進しまぁす」
「お、お願いします……」
ハンドルを確かめるように握り彼はゆっくりとサイドブレーキを下ろした。
車は、滑らかに駐車場から出て、人もまばらになった、雨の街を走り始めたのだった。
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