夢か現か幻か(4/6)

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     ラジオの音をBGMに、車は高速道路に乗って加速する。
     くだらない話を延々とした。黒い街、まばらなビルの明かりはまるで星みたいで、今この瞬間、世界に私と水戸くんが二人きりのように思えた。

     誰も知らない夜、騒がしい雨の街を抜け出す、特別な男の子と私。他には誰もいない。私だけが水戸くんと二人きりで海を見る。

    「怒られないの、彼女とかに」

     普段絶対に言わないようにしようと思っていた事を口走ったのもたぶんそんな夜のせいだった。隣に座る彼の目は漆黒の闇に迷い込んでよく見えなかったけれど、口元は柔らかく緩んでいた。

    「俺一人暮らしだし、彼女もいないからセーフ」

     初めてはっきりと聞いた『彼女はいない』の、その答えにじっと座っていられないような気分になり、私は助手席に座り直しながら「不良だ」と茶化した。

    「それを言うなら名前さんもでしょ」
    「そう。私たち二人とも不良」

     前から来た車のハイビームが私たちのライトとかち合って白く溶ける。眩しい白色に照らされた水戸くんがちら、とこちらを見た。

    「一緒だな、俺たち」

     その顔は、どこか嬉しそうに見えた。胸の奥の方が、ぎゅとしびれた。私は、水戸くんの横顔を見つめたまま何も言えなくなる。

    「なんか、似た者同士な気がするよな」
    「気がするんじゃないよ。似た者同士なんだよ」
    「あ、そうでしたか」

     彼は私の様子なんて気づかないみたいに、またへらりと笑った。車は、あっという間に街を抜け出し、しばらく駆けてから高速を降りた。

    「水戸くん。もう、着いちゃう?」
    「そうね、もうすぐ着いちまうね」
    「やだ、やめて」
    「ハハハ。じゃあ着かせねーよ?なんちゃって」
    「うん、絶対着かせないで。どんなに頑張っても着かせないで」
    「いいよ」
    「着きそうだな〜着きそうだな〜、着かないな〜って感じでやって」
    「ハハ、わかった」

     しかし舞浜を通って「ディズニーだ!」などとはしゃいでいた私にも流石に眠気が襲って来た。それを察したのか水戸くんが「ちょいっと、寄り道」と言って、やたらと駐車場の広いコンビニに車を停めた。どうやら彼も、煙草を吸いに行きたかったらしい。
     やがて水戸くんが、ビニール袋を提げて戻ってきた。運転席には乗らず、こちらに回ってきて、助手席の窓をこん、と一度ノックする。私は窓を開けた。

    「ちょっと下りない?飲み物買ったんで」
    「あ、うん」
    「そこにさ——ちょっと眺めのよさそうなとこがあったのよ」

     まだ帰るのは惜しいな、という気持ちが私だけではなかったようでちょっと嬉しい。滑るように車を下りて、私は水戸くんの後を着いて行った。
     水戸くんとコンビニの外で、山手からの景色を眺めながら彼が買ってきてくれたミネラルウォーターを飲んだ。

    「あーあ、どっか泊まっていきたいなぁ。ねえ、水戸くん、いかない?」

     下心ではない。ただ今日だけは、もう少しだけ水戸くんと、一緒にいたかったから——。

    「はい?」
    「グランピングとか、コテージとかないのかな。湘南と違うところで。この際、ラブホでもいい」

     なんちゃってー、と笑いながら口にするも相手から反応は得られない。というか努めて無視しているように見える。「馬鹿なこと言ってないで。そろそろ行きますよー」と彼は、ぶっきらぼうに言い放って、立ち上がった。

    「——や、ごめんね。セクハラじゃないからね?そういう意味じゃなくて」
    「わかってます」
    「だってさぁ?帰ったらまたいつもの変わり映えのない日常が戻ってくるんだよ?明日からお互いまた仕事だよ?」
    「へいへい、そっすねー」
    「だからちょっといつもと違うことがしたくなるんだよ、わかる?」
    「だからって、妙な絡み方はよしてくださーい。冗談じゃねえよ」

     心底嫌そうに、あの正義の味方戦隊からまるで舌打ちをしかねない表情で言われてしまう。
     水戸くんはもう一切マイナスイオンを放たず、とっとと車に向かって歩いている。私も仕方なく立ち上がって、あーあと思いながら後ろを付いていった。


     *


     車に戻っても、空気は気まずいまま。それでも彼が予定のルートから外れて、少しだけ遠回りをしてくれているのがわかった。
     何とか気まずい空気を打破できた頃、車の外に見慣れた風景が見えてきた。目の前の信号が黄色に変わる。水戸くんは真面目に停止する気らしく徐行運転をしながらウインカーを出した。


    「バイバイの時間よ」

     久方ぶりに彼の声が真横から聞こえた。私は、あからさまにブスッとして、帰る準備をしだす。

    「やだ?」

     また少し走行して最後だと思わしき信号が赤になった。それと同時に、優しげな声が耳に届く。きっと片手でハンドルを握ったまま顔をこっちに向けているのだろう。残念だけど気配でわかるんだから。だから絶対にそっちを向いてなんかやるもんか、って。私は軽く一度だけ頷いてさっさとバッグを肩にかける。

    「やだとか言いながらさっさと帰ろうとしてる」
    「……」
    「早く帰りたいんだ?」
    「——帰れ、みたいな顔してたから」
    「してないって」
    「俺、今日は疲れたんだよなぁ〜……って」
    「そんな顔してません」
    「いや、書いてある。」

     ここでようやく私は、運転席側に顔を向けた。やっぱり予想した通り水戸くんは右手をハンドルに乗せたまま、顔を助手席側に向けていた。
     私が「なんかここら辺に」と言って水戸くんの頬の辺りに人差し指を持っていき、エアーで円を描く。そこで目の前の信号が青に変わった。彼はゆっくりと正面に向き直って、静かにアクセルを踏み込んだ。私も正面に向き直って、なおも嫌味ったらしく抑揚をつけて言う。

    「明日も俺仕事なんだよな〜、はよ帰れや〜って書いてある」
    「……」
    「じゃあ、元気でね。またお店に遊びに行くね」
    「……元気じゃない」
    「……。」

     水戸くんをチラッと横目で盗み見れば、彼は、相変わらず無表情で真っ直ぐに正面を見て運転をしていた。

    「元気で——」
    「元気じゃねえって」
    「……、」

     今度はやや強い口調で遮られる。けれどもやっぱり彼は表情を変えないままで、ただただ正面のフロントガラスを見据えていた。

    「水戸くん、元気だったじゃん……さっきまで」
    「元気じゃないよ」
    「……。」

     それ以上、私は何も言えなくなってしまった。無言のまましばらくして、だだっ広い路肩に車が停車した。他に誰も通らない、しんとした道だ。車内はひたひたと暗がりが満ちている。水戸くんの輪郭は見えるけれど、表情はよくわからない。

    「……水戸くん?」
    「……ごめんな、急に停まって」
    「あ、……ううん。……」
    「……」

     ハンドルを握る手が、するりと滑る音がする。ゆっくりこちらを見る目と、目が合った。
     暗いから、見えにくいから。つい見つめ合ってしまう。このとき初めて彼からごく僅かな、しなやかな香りのフレグランスを感じた。昔はもっと香りが強めな香水をぶっかけていたイメージだったので逆に何だかドキッとした。なんていうか、彼も、大人になったんだなぁ……って。

    「この先にラブホがあんだよね。営業してんだかしてねえんだかわかんねえ年季の入ったとこで」
    「……へ、」
    「これからそこに、行こうかと」
    「え?」
    「……いやなら、そう言いな?」

     切れ長の熱っぽい瞳。湿った、厚みのある声。ためらいがちな悔いるような口元。暗いからこそ丹念に観察した。そして彼の方も同じように私の心情を読み取っている。

     確かにどこかに泊まっていきたいと言ったのは私だ。しかしあれは冗談で今日は地味で着古した下着だし(関係ないかもだけど)それに汗もかいてるし。おまけに化粧ポーチも持ってきていない。
     でも、だからといって、いやだと言うつもりはなかった。地味な下着やすっぴんを見られることより今日の水戸くんを傷つけて永遠に失うことの方がずっとずっと、いやだったから。
     健やかなるとき病める時も、あなたはあなたで居られますように、私は私で居られますように。
     何もできなくなったとしても、私はいつでも、ただ、そばにいたいって、そう思ったから——。

    「——いいよ。行こう」
    「いいのか?」
    「いいよ」
    「名前さん………意味、わかってる?」
    「水戸くんこそ」
    「……」

     ぎしっとシートを軋ませて水戸くんの神経質な手が私の肩を抱き寄せた。寡黙な唇に堰き止められていた感情がひりりとした空気の振動となって発露した。彼の愛煙のほろ苦い、香りがする。


    「ずっと、こうしたかった——。」

     呻くように、苦しげにそう囁いた声にうなじがそわそわと粟立つ。もしかして水戸くん、怒ってたんじゃなくて、我慢してたの……?
     近い、強い、力が——そんな、長いような短いような沈黙のあと、彼はゆっくりと離れて行き、私の瞼を細くて繊細そうな指でなぞった。季節はしっかり真夏なのに彼の指先は少し冷たかった。

    「ちょっと、引けたな……腫れ。」
    「……、」
    「よかった。」

     至近距離。水戸くんはフッと微笑んで、そして眉間に皺を作った。私はまた何も言い返せない。

    「ごめんね」
    「……」
    「俺が寂しいの見抜いて——名前さんが汚れ役を買って出てくれたんだよな」
    「だって水戸くん。まるでひとりぼっちみたいな顔してるから……」
    「……」
    「きょうは私が水戸くんの——正義の味方戦隊になってあげる」

     抱きしめ返した彼の肩越しに、デジタル時計が19時55分を指していた。
     今朝からひっきりなしに鳴り続けている携帯のマナーモードとラジオから流れてくる——ベタな究極のラブソングをBGMにして。


    「……ありがとう、名前さん」
    「うん」
    「名前さん——」
    「ん?」
    「今日だけは、もう少し一緒にいて。」
    「……いいよ、もう少し一緒にいよう」

     景色も、水戸くんも、完全に夜の顔になった。
     時計を見る余裕も、鳴り響いている携帯電話を見る余裕も、今夜はもうないだろう。

     このままラブホテルに辿り着いて、あの喧騒に帰って、そのあとは……どこへ行こう。
     今度は鎌倉で待ち合わせとかしてみようかな、なんて考えて、私はそっと目を伏せた。

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