君が泣くなら僕が傘を(2/4)

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     お店に入ったとき、既にリョータくんと彩子はカウンターに座って先に飲み会を始めているようだった。軽く店内を見回したが、水戸くんの姿が見えなかったので買い出しにでも行ったのだろうと少し安堵する。カウンター席には右から彩子、リョータくん、寿、私の順で座った。座敷席では桜木くん以外の軍団も集まって宴会をしていた。至って普通な、いつもと変わらぬ光景だ。

     水戸くんと会うのは、あの日以来だ。かれこれ二週間くらいは経過しただろうか。あの日以降、お互いにこれと言って連絡を取り合ったわけでもなかったので、気まずくないと言えば嘘になる。
     だが、相手はあの水戸くんだ。きっと私と寿の様子を見て察してくれるだろう。一緒にドライブをした事をまだ話していないんだろうな、って。絶対に彼なら気づいてくれる。そう思っていた。

    「——結果、三試合とも湘北が勝利ってわけだ」
    「静岡と? へぇ〜、強豪校は違うっスね〜」

     早速、静岡合宿の事を意気揚々とリョータくんに語っている寿。興味があるのかないのか適当に相槌を打って、受け答えしているリョータくん。そう言えば静岡合宿の最終日に水戸くんとドライブに出かけたんだっけ。それを知っている彩子は知らんぷりを決め込んでくれているようだ。それだけは本当にありがたかった。やはり、持つべきものは友だ。

    「でもよ。帰りにな、俺を庇って生徒が駅の階段から落ちちまってよー」
    「え、大丈夫だったんスか?その生徒」
    「ああ。病院連れてって、軽く捻っただけだからって先生から言われて親御さん来たから謝ったよすみませんでしたって」
    「監督ってのも楽じゃないんだねー」

     ちょうどそのとき、夢の中で水戸くんの訃報を知らせてきた野間くんと目が合った。どうやら、トイレに立ったらしい。目が合うや否やニヤリとほくそ笑まれてなんだか、いたたまれなくなる。彼は口笛を吹きながらトイレへと入って行ったがさっきのあの笑みはいったい何だったんだろうと思っていると、お店の入り口がガラガラーッ!と開いた。反射的に入り口を見やればそこには——スーパーの袋を持った、水戸くんがいた。思わず視線を逸らしてしまう。

    「私を庇おうとして転落しましたって素直にな」
    「ふーん、ワタシねぇ……」
    「僕ってキャラでもねーだろ。んで、現場を監督する立場の分際で、全て私の責任です、ってな」
    「三井サンって、ちゃんと先生やってんスねー」

     両手でジョッキを持って、肘をつきながら杯を煽って言うリョータくんに「ちゃんとって何だ、ちゃんとってよ!」と、当たり前に噛み付く私の彼氏、もとい幼馴染。

    「んでよ、宮城。俺、その生徒の親父さんから、なんて言われたと思う?」
    「……え、なに、その問題形式。めんどくせー」
    「仲間を助けようとするのは当たり前ですよ……だってよ。俺、返す言葉も出なかったぜ」
    「さすが〜、まだまだ半人前っスね♪」
    「うるせぇ」

     私は水戸くんの背中を目で追ってから、視線を目の前のグラスに移してそれを手に取り、中身を一口飲む。そのとき彩子の視線がこちらに向いているが目の端に映ったがあえて彼女の方は見ずに私は小さく溜め息をついた。

    「いらっしゃい」

     不意に目の前が翳ってカウンター越しに誰かが立っているのがわかった。そっと顔をあげれば、今日もビシッとリーゼントを決め込んでいる彼、水戸くんが眉をハの字に下げて優しげに微笑んでいた。

    「似合ってるね」
    「え……?」
    「その——ブレスレット」
    「……!」

     彼はピッと人差し指で私の腕を指し、ウインクする。私は、目を見開いて水戸くんを見る。水戸くんはくすっと笑って「同じのくださーい!」と背後から聞こえてきたお客さんの声に「はーい」と間延びして返事をし追加の飲み物を坦々と作りはじめた。
     び、びっくりしたぁ。私もこのブレスレット、とっても気に入っていたから無意識につけて来てしまったのか。彼氏に水戸くんと二人きりで会った事もまだ伝えられていないのにブレスレットをもらったことも言わなければならないのかと思うと、どんどん気が滅入ってくる。この際、ブレスレットのことは言わなくてもいいのでは。だって藤真さんから頂いた物も別に今でも使っていたりするし。それを全て彼氏に報告しているわけでもないし。そもそも、物に罪はないわけだし……。

    「名前、よかったじゃねーか」
    「……へ?」
    「ちゃんと水戸が生きててよ」
    「……!」

     たしかにあの日、寿と会ったあの日……誰にも言わないで、とは言わなかった。そうでなくてもきっと寿なら言わないだろうと思っていたから。

    「水戸。」
    「はい?」
    「こいつ、お前とドライブしてお前が死ぬ夢見たんだとよ? なあ、名前」
    「……。」

     誰にも言わないでというよりも水戸くん本人にだけは言ってほしくなかったのに。それに、水戸くんに対してだって、私と寿の様子を見て察してくれるだろうって。ドライブした事をまだ話していないんだろうな、って。そう思ってくれているだろうなって信じていたのに第一声ブレスレットを話題に上げてきた。なんだか騙された気分だ。でもこれは、勝手に信用して二人を過信していた私がバカだった、というだけの話だ。全部自分の責任なのだ。
     異様な空気が漂う中、リョータくんが、私たち三人を交互に見ながら、おもむろに口を開く。

    「え……なんか、あったの?」

     私は口を噤む。私の隣の彼は不機嫌そうに舌を打ち鳴らしてからビールを煽っている。水戸くんはと言えば素知らぬ顔をして料理を作っている。
     そんな中、未だまったく持って状況をつかめていないリョータくんを見た彩子が、抑揚をつけて盛大に溜め息を吐き散らかした。

    「空気悪いわね……ちょっと私、お手洗い」

     彩子がそう言って席を立つ。しかし彩子の姿が見えなくなってからも、その場の無音は続いた。
     リョータくんもようやく何かを察したようで、それ以上は口を挟んでくることはなかった。このまま気まずくてもいいから、何も起こらずに時が経過してくれる事を願ったが、そんな上手い話があるはずもなく、突然、私の隣に座ってきた野間くんが水戸くんに向かって言った一言で、状況が悪い方へと180度、変わる羽目になる。

    「洋平ー。そう言や、久しぶりのばーちゃん家は楽しかったかー?」
    「ばーちゃん家?」

     リョータくんがお店の特製ポテトサラダを頬張りながら野間くんに聞き返す。私は、嫌な予感がして早く彩子が戻ってくるのを、ただひたすらに願うばかりだった。彩子がいてくれれば、何とか切り抜けられる気がしたから。これといった根拠があるわけではなかったけれども。

    「おうよ〜洋平、小せぇ頃は父ちゃんの方の実家で暮らしてたらしいからなー」
    「へえ、そーなんだ。人に歴史ありってやつね」
    「だな。なぁ洋平、こないだ行って来たんだろ?しかも、女の子(・・・)連れて」

    ��女の子�≠�あえて強調して、揶揄い口調で言う野間くんに「えっ!」と驚くリョータくんとそれ以上話したら殺す、と目で野間くんに訴える水戸くんと、なぜか私を横目で睨む幼馴染の彼。

    「こないだ、花道の試合会場で会ったんだよな、おめぇの父ちゃんと。洋平、来れなかっただろ?そんとき言ってたぜ、父ちゃん」

     興味津々に、野間くんの話に耳を貸すリョータくんと、尚も不機嫌そうにお酒を飲み進める寿。彩子はまだ戻ってこない模様。私の背中を、嫌な汗が伝う。

    「可愛らしいお嬢さんと一緒だった〜って——」

     その場が一瞬だけシーンとなる。しかしすぐにリョータくんが「へぇ〜!」とニヤニヤしながら水戸くんを覗き込む。それに対し水戸くんは軽く微笑み返しただけで野間くんも座敷席からお呼びがあったのか「後で詳しく教えろよ〜!」とだけ言い残して座敷席に戻って行った。ちょうどそのタイミングで彩子も戻ってきたが、先ほどよりも重い空気を察知して、彼女は再度、呆れたようにため息を吐いたのだった。

    「——はい、半人前チャーハン。」

     しかし、この重い空気を打破したのはやっぱり水戸くんでリョータくんが頼んでいたチャーハンをリョータくんの前に笑顔で差し出す。

    「やったね♪待ってましたー!いただきま〜す」

     いつもリョータくんが一人前だと多いと言うので最近出来た特別メニューその名も『半人前チャーハン』。半人前とはまさに半分のことを指す。食が命を救うとはよく言ったものでチャーハンの香りに私と彩子も「美味しそ〜」と目を輝かせていると突然、隣から苛立った声が聞こえてきた。

    「半人前半人前ってうるせーんだよ」
    「……はい? なに、急に三井サン」
    「じゃあ、どこまで行ったら一人前なんだよ」
    「え、なに? 俺がさっき半人前って言ったこと怒ってんの?こんな時間差で?めんどくさ……」

     せっかく重い空気が消えかけていたのにも関わらず、またもや空気を悪くされたのが当然の如く気に食わなかったようで、リョータくんも大人気ないのは承知の上か、チャーハンを頬張りつつも突っかかっていく。

    「こっちだってなぁ、俺にしか勝てなかった試合とか色々やってんだよ」
    「はい?何の話?俺にしか勝てねぇってナニ?」
    「あたりめーだろ、誰が湘北バスケ部をここまで強くしたと思ってんだ」
    「アンタさっき、自分で生徒の親御さんになんて言われたって言ったよ」
    「……っ、」
    「そんなこと言ってっから半人前なんだって。」
    「ほんとに俺にしかできねーから言ってんだよ」

     そこで彩子が「やめなさいよ」と仲介に入る。私はと言えば何も出来ずに、ただ黙っていることしか出来なかった。そして、私は察した。きっと彼は私と水戸くんの間に何かがあったという事に気づいている、と。思い返せば、何度も言われた『俺に何か話すことはないか』という言葉の意味を、ここでようやく理解した。彼は私から話してくれることを待っていたのだ。

    「関係ねーよ」

     ぽつりと、水戸くんが口を開いた。彼は目線を下に向けてお刺身を繕っていたようだった。その手は止めずに水戸くんは先を続ける。

    「相手が誰だろうがどんな時だってただひたすら準備をするんだ」
    「……」
    「心を、その一点だけに集中させる。雑念はいらない。一途一心だ」
    「……」
    「それを顧客に出す。それが職人ってもんです」

    「なんてね、俺のモットー」と、手を止めて顔を上げた水戸くんと目が合う。リョータくんが感心して納得したように「さすが水戸店長」と言って頷いてからチャーハンをビールで喉に流し込んだのを目の端に映していると今度は隣に座っていた彼が自嘲するみたいにハッと鼻を鳴らして笑ってから口を開いた。

    「ほぅ……ご立派なこったな」
    「……」
    「水戸テメェよ、その立派な感性で、ぜひ可愛らしいお嬢さんとのデートの話、聞かせてくれよ」

     確実に喧嘩腰のその物言いに、溜め息を吐いて言葉を返したのは水戸くんではなくて、リョータくんだった。彼は、半人前チャーハンを咀嚼しながら「あのさぁ、三井サン」と呆れ口調で言う。

    「……あ?」
    「まじでアンタ今日さ、いつもに増してめ〜ちゃくちゃ、めんどくせーよ?やめなってもう」
    「そうよ〜、三井先輩。せっかくみんなで楽しく飲んでるんだから」

     珍しく彩子もリョータくんに賛同する。するとリョータくんが今度は楽しげな口ぶりで言った。

    「三井サンも少しは水戸を見習った方がいーよ」
    「は?」
    「男はね、女の子に安心を与えてナンボなわけ。全くできてねーよ、アンタは昔から」
    「まあ、水戸洋平は高校時代も、ずーっとボディガードしてたからねえ、三井先輩の幼馴染の♡」
    「あはは!確かにね〜アレで付き合ってねえって言うんだから、もう湘北の七不思議だったよね」
    「先生たちまで言ってたわよね、名前と一緒にいるとあの狂犬が大人しい飼い犬になるって」

     そんな過去の話を蒸し返されて私は当たり前に押し黙る。水戸くんはと言えば相変わらず飄々としていて「陰でそんな事言われてたんだ」なんて言って、彩子たちと笑い合っている始末。しかし本来��飲み会�≠ニは、こういうもので、いちいち一つの話題にあれこれ模索して揉めたり、喧嘩をしたりなんてしなくてもいいはず。けれども相手が私の幼馴染の場合は、ちょっと違う気がする。そんなことを考えながら私はチラッと横目で隣の彼の様子を伺う。

    「そんなことより、三井先輩?」
    「……あ?」
    「さっき電話切られましたけど、浮気の件はどうなったんですかぁ〜?」
    「はぁ?」
    「名前から浮気現場見たって聞きましたよ、どういうわけぇ?」

     彩子のその言葉に、ぎくっと肩をびくつかせた私と何の事だと言わんばかりに呑気に首を傾げる私の彼氏兼、幼馴染。水戸くんは自分の杯を煽りつつも珍しく、ピクリと眉が反応していた。
     まさかここで親友の彩子にまで裏切られるとは思ってもみなかった私はみんなに甘えている事を心底思い知らされ情けなく目を伏せた。隣に座る幼馴染の彼氏は、私をフォローすることもなく、一つ息を吐くと、よし、と言ってつらつらと話し出した。

    「俺と一緒にいた女、同じ大学だった知り合いで今、人気のあるジュエリーデザイナーのヤツだ」
    「じゅえりぃでざいなぁ?」

     リョータくんが抑揚をつけて聞き返す。寿は、私の方を一切向くことはせずに「ああ」と呟く。リョータくんの方を見ながら話しているとはいえなんとなく私にわざとらしく言い聞かせるように話している風にも聞こえた。

    「大学が一緒だったヤツから紹介されたんだよ、そいつのこと」
    「へぇ」
    「好きだろ?俺の彼女。そーいう女っぽい趣味のもの。なんか最近も新しく、ブレスレット買ったみてぇだしな。聞いてねーけど」

     まるでその��俺の彼女�≠ェ隣にいる事を忘れているような口ぶりで話を進める寿。そして彼は、「おかわり」と短く言って、ビールのジョッキを傾けた。カウンターの中にいた水戸くんが、そのジョッキをカウンター越しに受け取る。

    「言っとくけど、そもそもあそこにいたのは俺と二人だけじゃねぇし。その同じ大学の野郎もはじめはいたしな」
    「……」
    「ダチが先に帰って、たまたま、ツーショットに見えるとこを見ただけだろ」
    「でも——手、つないでたじゃん」

     思わずここで私が声を発するとリョータくんと彩子の視線が私に向く。しかし寿はあいかわらずこちらを一瞥もせず、溜め息まじりに答える。

    「手ぇ?あぁ、指輪のサイズじゃねぇか、それ」
    「……」
    「彼女のサイズわかんねぇつったら、自分の手と比べてみればって、ちょっと触っただけだろ」

     じゃあ——頭を撫でていた件は……?とまでは怖くて聞けなかった。未だこちらを見向きもしないでぶっきら棒に言われた私は場もわきまえず、少し口調を荒くして責め立てる。

    「ちょっと触ったって、なんでわざわざその子の手で確かめなきゃいけないわけ?」
    「しょうがねぇだろが。その日しかセッティングできねーって言うし。オリジナルだからまた今度って訳にもいかねぇし」
    「……」
    「なにより、彼女に内緒で作ってんだぞ?」
    「だからって……」

     他人事のように言う彼のその言い種に私は苛立ちが収まらない。他の子と隠れて会っていた事がショックだったのか、他の子に気安く触れたのを目撃してショックだったからなのか、理由がどうであれ他の子に触ってるところなんて、見たくはなかった。そう思ったら冷静になれず知らぬ内に言葉が先に口をついて出ていた。

    「彼女は……喜ばないでしょ……」
    「あ?……なんだって?」

     ここでようやく彼がこちらを見てくれた。けれども今度は私が彼を見ようとしなかった。正面を向いたままで、グラスに口をつけながら、淡々と言い返す。

    「そんなんでプレゼントされたとしても他の女の子に触ってるとこを見て、あぁ、そういうことでしたかって、彼女が納得するわけないじゃん」
    「……あーそ。じゃあ、指輪いらねーんだな?」
    「本人にいるかいらないかなんて聞く?普通。」
    「チッ……ったく、女ってめんどくせぇな」

     ぼそりとつぶやいた彼に、益々カチンときた。自分達のことを話しているんじゃないの。なのになんでそんなにぶっきら棒なの。しかもしれっと指輪を買うような匂わせまでしておいて。
     彼が水戸くんと私の事で苛立っているのはわかっている。だけど、こっちだって腹を立てるのは同じことだ。どっちが先だった、と言うだけの話ではないか、ここまでくれば。私は、悪くない。

    「じゃあ——付き合わなきゃいいじゃん」
    「……は?」
    「めんどくさいなら付き合わなきゃいいじゃん、彼女なんか、作らなきゃいいじゃん!」

     手を触っただけでめんどくさいと思うのなら、水戸くんとドライブした経緯を包み隠さずぜんぶ話したら、めんどくさいだけじゃすまされない。やっぱり、自分たちは付き合っていくには無理があるのかもしれないと思ってしまった。元々は、一度終わった関係なのだから、と。

    「別れた方がいいのかもね」

     ついつい呟いた言葉に過剰に反応したのは彼氏ではなく目の前にいた水戸くんだった。どうしてわかったのかと言えば私が彼氏ではなく水戸くんを見ていたからだった。彼は珍しく動揺して手に持っていた皿を床に落とした。カシャン!と皿が割れる音がして、水戸くん以外の店員が「すんませんでしたー!」と、店内のお客さんに向かって大きな声を出す。

    「なんだテメェら……テレパシーでも送り合ってんのかよ」

     私と水戸くんを見ていたらしい寿が、悪びれもなく言う。私は何も答えずに俯く。いや、と気まずそうに水戸くんが困った顔をして眉を下げ寿を見る。私はなぜか顔に熱が集まってきた。なにに対しての羞恥心なのか。でも、そんなことよりもどんどんとエスカレートして、腹が立ってきた。

    「あんな、ひと気のないとこでわざわざ会わなくても、よかったんじゃないの?」
    「あぁ……?名前、テメェ……まだ続けんのか」
    「付き合えば?私はもう関係ない」

     大人気ない台詞が止まらない。そんな私の子供じみた態度と言葉に同じ温度感で反応を示す彼。見なくてもわかる、きっと大層ご立腹で、不機嫌そうに眉毛を般若の如く歪めていることだろう。

    「付き合えばだと?」
    「めんどくさいとか言われてまで一緒にいたいと思わない」

     私はそう吐き捨てて立ち上がろうとした。だがグッと隣から腕を掴まれてひっぱられたので立ち上がることは叶わなかった。

    「なにバカなこと言ってんだよ、座ってろ」
    「放してよ!」
    「うるせぇ!」

     思い切り掴まれた腕を振り解いたが声を荒げられて唖然と彼を見返すしかなかった。驚いて目を見開いて固まっているリョータくんと彩子を置き去りに水戸くんが寿の目の前におかわりのお酒の入ったジョッキを置いた。それに見向きもしないで、寿は続ける。

    「おい、どういうことだ」
    「どういうことって、そのままでしょ」
    「何だよ、あの女と付き合えばいいってか?」
    「だから。そのままだって言ってるじゃん!」

     怒っているのに、涙が頬に落ちる。ぽろぽろと泣きながら叫ぶように私は言った。しかし店内が賑やかなせいか特に目立つこともなく背後からは楽しげな笑い声が聞こえてくるだけだった。

    「名前、お前、海岸で何見たってんだよ……」

     静かに涙を流している私を、今度は心配そうに見つめてくる幼馴染の彼に対して、私は目を逸らしたまま呟く。

    「頭、撫でてるとこ見た……」

     思い出しただけで心臓が痛くて、どんどん涙があふれてくる。そんな私は水戸くんと誰もいない密室、車の中で抱き合っていたと言うのに。
     自分のことを棚に上げて私は、どうして泣いているのだろうか。私は狡い。そんな事はわかっている。本当は別れたくない。でも……許せない。

    「——迂闊だった。悪かった。謝る。」

     すんなりと罪を認めて素直に謝る彼の姿に私はショックを受けた。心臓が一瞬で冷え切ったような感覚に陥る。それと同時に、徐々に頭も冷静になっていく。
     諦めることが得意だった。いつもこうだ。私はきっと、物事に冷めるのが早いのだ。昔はそんなことはなかったはずなのにいつの頃からか物事を冷めた視点から見るようになった。
     嫌なら、別れればいい。苦しい思いをするなら先に捨ててしまえばいい。まるであのエリートな元カレが言いそうな台詞が頭の中を過ぎる。

    「女がめんどくせぇって言ったのは本心だけど、それでもお前が思ってるようなことはねーから」
    「許せないよ」
    「あぁ。それでも別れたくねぇし。お前だけだしこれからぜってぇあんなことしねぇし。お前以外触んねぇし」
    「浮気者」
    「浮気者……?テメェが言うのか、それ」
    「……はい?」
    「俺は……浮気したつもりはねーぞ」

     俺は——とは?私は思わず彼を勢いよく見た。私からの睨みつけるような視線を、彼はちゃんと受け止めつつ、至って真面目な好青年の顔をした幼馴染の彼が、そこにいた。
     まるで、私が悪者だ。なに?私は浮気をしたとでも言いたいわけ?私に読唇術なんか使えない。はっきりと言ってくれないと、わからないよ。

    「じゃあお前は浮気してねえって言えんのかよ」
    「……何、言ってんの?」
    「彼氏に隠れて夜更けに車の中で、男とコソコソ会ってることは、浮気にならねえってのかよ」
    「……!」
    「お前ホントは水戸の方がいいんじゃねーのか?実は高校の頃からずっと……なあ、違うのかよ」
    「……、」
    「どいつもこいつも水戸、水戸って。俺とコイツの何が違うってんだよ。もう俺はうんざりだぜ」

     きっと私たちは、デートをすることよりもセックスをすることよりも、話し合いが必要だった。そんなこと、ずっと昔から、わかりきっていた事だったのに——。

    「水戸くんが、いいよ……」
    「……あ?」
    「だって水戸くんは優しい。少なくとも、友達がいる場でこんな風に無様に喧嘩なんかふっかけてこない」
    「……」
    「気づいてよ。いつも寿が空気悪くしてるんだよ面白くないことがあるなら、寿が出て行きなよ」
    「あっそ……わかったよ、出てきゃいいんだろ」

     変わりたいのに変われない。私達はいつまでもこうして、同じ過ちを繰り返すだけなのかもしれない……。





     *


     いつもの痴話喧嘩の末、今回は三井サンが店を出て行って、そのあとを追いかけるようにして、彼女も結局店を出ていった。水戸は特に気に留める様子も見せずに、淡々と仕事をこなしている。
     喧嘩の内容や原因なんかを詳しく聞かなくても水戸と彼女の間に、三井サンが思っているようなことはなかったのだろうと俺ですら想定できるのに、どうしてあの二人はいつもこうなるのかと、俺は疑問に思う。それと同時に、恋愛ってめんどくさいな、とも思ってしまう。

    「三井先輩って心の奥に不安や恐れを感じているタイプよね。昔っから独りよがりだけど」

     グラスを傾けた彩ちゃんが横で呟く。俺は彼女に目をやった。綺麗な横顔で目を伏せた彼女は、ため息まじりに続けざま言った。

    「だからこそ目の前の事に集中できなくてずっと不安定なんでしょうね」
    「彩ちゃん、三井サンは何を抱えてると思う?」
    「さぁ?」
    「彩ちゃんにもわからないんだ……なんつーか、昔から水戸が絡むとあの人って不安定だよねー」
    「所詮、土台は不安定なわけだからね。そのうち崩れるわよ。もう、自滅しちゃえばいいのに」
    「え、それ本気?」
    「冗談よ、バカね」

     そんな俺らの会話を聞いていたのかいなかったのか、水戸はサービスで俺たちの前に刺身の盛り合わせを置いた。それを受け取った彩ちゃんが、明るい口調で水戸に問いかける。

    「水戸洋平、アンタこうなる事くらいわかっててあの子を誘ったんじゃないの〜?」
    「さぁ……どーでしょう」
    「あの子から当日に電話もらったのよ、アンタと二人きりで会うって」
    「そう」

     俺は二人のやり取りをただ傍らで聞いていた。すると水戸が腰掛のエプロンを外してバイトの子たちに店番をしておいてと声をかけ始める。そうして俺たちにも律儀に「ちょっと出てきます」と言い置いて、水戸は店を出ていった。

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