僕はペガサス君はポラリス(1/3)

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     妙に——星が綺麗な夜だった。週明けの平日ということもあり思っていたよりも客足も少なく、今日は早めに店を閉めてしまうことにして居酒屋の暖簾を外し久しぶりに歩いて帰って星でも眺めようかと来るときに乗ってきた原チャリを店の裏へと移動させた。そんなささやかな思いつきは、残暑厳しい今日この頃、の暑さに吹き飛ばされてしまうこともなく頭の中で徐々に具体的な計画になっていく。最近になって何故か、星を見るのが趣味になりつつあった。かと言って夏には天の川冬には澄み渡った北斗七星——くらいしか知らんけれども。

     意気揚々と帰っていたまさにそのとき、薄手のジャケット、そのポケットの中で自身のスマホがメッセージの受信を知らせた。徐にそれを取り出してメッセージアプリを開けば相手は高校時代の先輩、三井寿からだった。意外な相手からの突然の連絡に少々警戒しつつ内容を確認すればそこには『結婚式の二次会の件で話がある』と打たれていた。そして、その珍しい相手から届いたメッセージの文末には猫でもウサギでもなく何故か犬の絵文字が尻尾を振っていた。しかも、ものすごく嬉しそうにして。

    「……え。なんで、犬……?」

     彼が、どんな意図で犬の絵文字を使ったのかは俺には全くわからない。メッセージの文章自体はまるでコピー&ペーストで送ったようなテンプレート通りの文面なのに、彼がどんな特別な意図を持ってこの絵文字を選んだのかと考えると根拠になりそうな箇所は、どこにも見当たらなかった。とはいえ人間はこの手のちょっとした絵文字一つで期待をしたりする生き物だ。彼においては同性なので、そういったのとはまたちょっと違うかも知れないが……。
     本当にただの記号でしかないはずなのにまるで何百光年先の天体から届く光よりも不確かな何かを読み取ろうとする自分に自嘲する。しかしそう思えば思うほど、ますますこのメッセージが頭上のどんな天体よりも遠くから送られてきたような気がしてならなかった。こんなのはなんというか久しぶりだ。自然と思い出した感情のおかげで、俺はなんだかどっと疲れてしまった。





     15歳、初夏
    ― 15歳、初夏 ―


    「——水戸くんって、洋平って名前なんだぁ。」

     最初にそう声をかけて来たのは俺が高校一年生の五月、大楠たちよりもひと足遅く花道のバスケを見に体育館に一人で向かっているときだった。大半の女子たちが俺たちが通ると、すこし距離を空けてすれ違うのに彼女は『君のパーソナルスペースはいったいどうなってんだい?』と言いたくなるほど近くに寄ってきて屈託なく笑ってそんなことを言う。無自覚なのだろうけれど、まるで、親友が想いを寄せている同級生のあの子みたいだなぁ、なんて思った。

    「うん、そう。……てか急に何?どうしたの?」

     親友と同じ部活の三年生、三井寿の幼馴染とはいえ会話するのは、ほぼ初めてという俺に彼女はずいぶんと柔らかい声で「うん、洋平って言うんだなぁーと思ってさぁ」と答えてくれた。

    「なんか、何とか平(へい)っていいよね。男子ぽくて」
    「んー、そう?俺にはよくわからないや」

     天邪鬼で心底大好きなはずのモノ——バスケを潰しに来た相手の幼馴染なのだからちょっと変わった子なのかもしれないな、と俺は勝手に彼女を印象付ける。相手は、会話のきっかけをつかめたかもと思って声をかけてきてくれたのだろうけど「わからないや」なんてすこし困ったように首を傾げた俺の顔を見て「これ以上会話を続ける自信はなくなりました」と言いたげに、彼女は分かりやすくもあっという間にシュンとしぼんでいた。

    「名前さん——でしょ?」

     「そっちこそ素敵な名前じゃん」というたったそれだけの言葉に、パァっと顔を綻ばせた彼女。その姿に先の言葉を飲み込んでしまうほど彼女の笑顔はかわいかった。——実際、魅力的だった。��天真爛漫�≠ニいう言葉がぴったりでまたそこは晴子ちゃんとは違う魅力があった。そんな彼女を目につけた同級生の男子も、複数人いたと思う。
    ……という話を風の噂で聞いたことがあっただけだけど。でもたしかにそれでいていつも明るくて花道とも楽しそうに話をする様子は気取ったところがなくて俺の知る人たちからも好かれていたと思う。俺はバイトもあったし先に一人で帰ることも多かったのであまり花道の部活中に長く会話に加わることは少なかったほうだと思うけれどエトセトラなんかとワイワイ楽しそうに話をする声の中に彼女の明るい声が混ざっているのを聞くのは心地よかった。何より俺たちと話すときはいつも彼女が自分の幼馴染の彼の話ではなく花道のことに関する会話をきっかけに話しかけてくれていたのが正直嬉しかった。

    「ねぇねぇ?」
    「んー?」
    「なんで、洋平って名前にしたのかなぁ?」
    「え」

     この日も花道の部活を見学している時だった。突っ立ったままの俺に、しゃがみ込んでコートを見ていた彼女が、突拍子もなくそう訊ねてきた。しゃがんだまま、首だけクイっとこちらに向けるようにして。

    「さ、さぁ……俺の親に聞いてみて」

     生まれて初めて聞かれたと思われるその質問になんだか内心すごく嬉しかったのだけれど、変に意識をしたら二度と普通に会話ができなくなってしまうような気がしてなるべく平静を装って答えた。

    「太平洋みたいに、穏やかで広い心を持つ人間になって欲しい——とかかなっ!?」

     そのときの楽しそうな彼女の表情を、俺は直視できていない。よくもまあ、そう脳ミソが柔軟に動くよなぁ、と感心してしまったのもあるけど。

    「あっ! なんか絶対そんな気がしてきたっ!」
    「……名前さんって、おもしろいね」

     俺のそのセリフに驚いた彼女が顔を上げると、ばっちり目が合ってしまった。ギョッとして少し目を見開く俺に彼女はにっこりと笑顔を見せた。
     そういえば、高校を卒業してから何年も経ったあとで言っていたけどこの会話以降、彼女は俺のことを友達と認めてくれたらしい。

     中学は喧嘩に明け暮れ、学校はサボってばかりだった俺には友達と呼べる友達が本当に少なかったと思う。それでも高校に通うのはそれほど嫌ではなかった。
     いまにして思えば、中学も高校も三年間おなじクラスになった花道が俺を友達として認めてくれたおかげで今の俺の居場所ができたのだと思う。彼女が高校を卒業するとき、何のきっかけだったかは忘れたがそんな話をしたら彼女は「私もずっと友達だよ?」なんて不安そうな顔をしていたっけ。彼女の卒業式にそんな湿っぽい話をしてしまったことを後悔しつつ「そうだな、友達だな」と返した俺に安心して笑った彼女の笑顔はいまでも容易に思い出せる。好きとは違う、何というか、年上だったけど妹みたいな存在だったのかも知れない。


     *


    「——犬、飼ってるんだ?」

     あるとき、俺の携帯電話の待ち受け画面を見て彼女は言った。

    「あー、うん。こいつ捨てられてたんだよねー」
    「ふうん。優しいね、水戸くん」
    「……。名前さんは、犬派なの?それとも猫派?」

     それは——なんの気もなしにとっさに出た質問だった。彼女はすこしだけ考えた後こう答えた。

    「私は、そうだねぇ……どっちも好きかなぁ」
    「そっか」
    「でも、水戸くんってたしかに、犬っぽいよね」
    「……へ?」

     そう言ってちょっといたずらっぽく笑う彼女の表情が犬っぽいのか猫っぽいのか俺にはよくわからなかった。そうやって困惑している俺をよそに彼女は「ほらぁ、桜木くんに忠実だから」なんて言っていた。

     高校二年生になったとき同じクラスの奴が俺に彼女を紹介してくれと言ってきた。彼は一年生のときも同じクラスで普通に俺や花道に声をかけてきてくれる数少ないクラスメイトの一人だった。
     
    「あー俺、そーいう注文は受け付けてないんで」
    「頼むよー、最初は話をするだけでもいいから」

     聞くところによると、体育祭かなにかで彼女を見かけて以来、一目惚れをしたらしい。俺が度々彼女と話をしているのを見かけて紹介してくれ、というわけなのだそう。正直、最初はあまり気が進まなかった。なぜ気が進まないのかは自分でもよくわからなかったけれど、何だか億劫だった。とはいえ彼は誤解されやすい性格だけれど良い奴であることは確かだ。顔が整っていて人懐っこい印象を与えるからどうしてもチャラくて不真面目な奴だと思われがちだが。
     結局俺は、彼の頼みを聞くことにした。彼女にその話をする直前、脳裏に過去ボコボコに殴ってしまった先輩の不服そうな顔が浮かんで来たのには、思わず苦笑したけれど。

    「なんかさ、名前さんと知り合いになりたいっていうクラスメイトがいるんだけど、どうする?」

     律儀にも約束を守ってそう彼女に話したとき、彼女はなんだか、ぽかんとした表情をしていた。その表情は初めて見るような気がして、少しだけ新鮮だった。

    「んー、何かよくわからないけど、断ってもらえたら嬉しいかも……ごめんね?」

     彼女はしばらく考えてからそう答えた。俺は、なんとなくざらりとした感覚を味わった。やはり慣れないことは、するべきではないと反省する。しかし、これでめんどくさい事に巻き込まれずに済みそうだと安心した。

     俺たちが付き合っているらしい——という噂を聞くようになったのはそれから一カ月くらいしてからだったと思う。お膳立てを求めてきたクラスメイトに「おめでとう」と言われて面を食らったあの苦い思い出が、今でもしっかりと脳裏に刻み込まれている。

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