君に言えなかったことがある(3/7)

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    「んじゃあ——まあ、そろそろ行くか?」

     結局、閉店まで店に居座っていたチュウが俺の店閉め作業を見届けた後そう言い、カウンターの椅子から腰を上げた。一緒に店を出て今日は俺も徒歩だったので、駅の改札をくぐろうとしたときチュウが「やべっ」と声を漏らし会社に忘れ物をしたと言い出した。なので、駅の改札口で別れることにして俺はチュウに手を振り、そのまま一人電車に乗って、自宅アパートのある駅で降りた。

     駅からさほど遠くはない場所にあったペット可の築年数の浅いアパート。玄関のドアに鍵をさし込んで扉を開けると奥のダイニングには明かりが点っていた。普段は常夜灯にして出かけるのだが今日はどうしたものか全灯している。だが犯人はすぐに見当がついた。
     ダイニングに入るとやはり犯人は大楠だった。ヤツは慣れた感じで「おかえりィ」と俺の愛犬とじゃれ合いながら、こちらのほうを振り向く。

    「散歩、連れてったぜ?」
    「マジ?おー、さんきゅ」
    「つーか、またチュウと飲んでたんかー?」
    「まあな。おまえはまた、彼女さんと喧嘩か?」

     俺は呆れたように言い返して、手に持っていたバイクやら、車、店の鍵がじゃらじゃらと付いているキーケースをテーブルの上に置く。そうして尻尾を振って寄ってきた愛犬をめいっぱいに撫でまわしてやった。

    「喧嘩っつーかよぉ、なんかアイツが出てけってうっせーから出てきただけと言いますかねェ〜」
    「……それはそれは。ご愁傷様なこって。」
    「洋平はいーよなぁ〜、いつまでも身軽でよぉ」
    「ええお陰様で。俺は独身かつ相手ナシなんで」
    「おまえはいったい、どこを目指してんだぁ〜?彼女を作れ、彼女を」
    「えー? そーだなー、独身貴族……とか?」
    「……けっ。なんでぇ、それ。めんどくせーだけじゃねーかよっ」
    「おっ、正解。」

     俺のアパートのスペアキーを所有しているのは後にも先にも花道だけだった。それを知っているこいつらは、なにかあるとわざわざ花道の元まで出向いて鍵を拝借し、勝手にこうしてアパートに侵入している。それもこれも、もう何十年と行われているしきたりなので今さら文句を言うこともない。

    「ですんで、俺が何時に帰ってきたって、文句はねーだろ?」
    「洋平おまえ。それ、ミッチーへの嫌味かぁ?」
    「ははっ、そうかもな」

     俺はかれこれ何十年とヘビロテしている水色のジャケットを脱いでそれをハンガーにかけながら冗談交じりにそう言った。

    「——で、メシは?食うのかぁー?一応冷蔵庫に牛丼入ってんぞー」
    「ああ、もちろん食べる。店で酒と一緒に、軽くつまんだだけだから、まだ腹は減っててさ」
    「おー、食え食え。」

     大楠は白っぽいTシャツに部屋着用のグレーのスウェットパンツを履いていた。もちろんすべて俺の私物なんだけれども。その感じから察するにきっとすでに、風呂も済ませたのであろう。言うまでもなく、そこにあるうちの風呂を。
     俺は大楠の買ってきてくれた牛丼を冷蔵庫から出しレンジに入れる。そしてそばに置いてあったウイスキーで炭酸割りを二つ作り温まった牛丼と一緒にテーブルに運んだ。それを見て、信じられないといった様子で大楠が口を開く。

    「おいおい、まぁだ飲む気かよ……」
    「うん」
    「うん、て。かぁー、おまえってやつはよぉ〜、そのうち、本気で体壊すぜェ?」
    「え? 晩酌しねーの?おまえ」
    「いやいや、そーいうことじゃなくてだな……」
    「ん?」
    「はぁ〜ったく。ほんとザルだよなー洋平って」

     とか言いつつも作ってきた炭酸割りをしっかり飲みはじめて「やっぱあれだなァ、洋平が作るのうめぇわ」なんて言うダチに思わず、ぷっと吹き出してしまう。しかしそんなことは気にも留めていない様子の大楠は酒を口にしながら、ぽつりとつぶやいた。

    「なんだか、実感湧かねーよなァ」
    「うん。おまえがこうして頻繁に、隠れ屋に逃げ込んで来るって話だろ?」
    「ちげーって!ミッチー。ミッチーと姐さん!」

     俺は鼻で笑って「ああ、そっちな」と、返す。そんな俺を舐めるように見た大楠は「ハイハイ、はじまったよ……知っててそれだもんなァ〜」とぼやいたあとでハァ〜と溜め息を盛大に吐き散らした。

    「まあー、とっくに同棲してたし、べつに子供ができたから結婚するってわけでもないしなぁー」

     俺が牛丼を食べながらもぐもぐと口を動かして言えば「なに言ってっかわかんねー」と大楠は、そばにあったティッシュ箱からティッシュを二枚ほど取って、豪快に鼻をかんだ。

    「あ、寒い?」
    「いや。さっきまで、ベランダでタバコ吸ってたから冷えただけよぉ」
    「そ?寒かったらエアコンつけていーよ」
    「おう、さんきゅ。」

     近年は自然災害も多く、天災などがあった際にひとりだと心ぼそいという理由から��絆�≠ニいうワードが流行しだした。そのことから、結婚するカップルも増えるのではないかという風潮が高まっていたがきっと彼女らはそういうわけでもないだろうと思う。まぁどちらかと言えば、なるべくしてなった、とか、そういう感じというか……。

    「なあ……洋平、」
    「んー?」
    「ずっと、気になってたんだけどよぉ?」
    「うん?」
    「あっちの部屋、使ってねーのか?」
    「あっち?あー、コイツ寝るのはあっちの部屋」

     「タバコ吸うからゲージ置いてんのよ」と尚も牛丼を咀嚼しながら答えると今度はなんとか聞き取れたらしい大楠が「へえ」と、自分から聞いておいて結局、興味があるのかないのか、なんとも緩い感じのあいづちを返してきた。そうして思いついたように言う。

    「つか——ヨリ戻してからもう結構経つよなぁ?はえー。」

     きっと大楠もチュウと同様に来週執り行われる予定の��あの人たち�≠フことを話しているのだろうが、そんな、ひとりごとのような大楠の言葉を聞き捨てつつも、なんとなく気が向いたので俺もふと考えてみた。彼女たちが付き合い始めたのは高校の夏だった。お互いが社会人になったいまとなれば数十年の恋愛を経ての結婚となるだろう。

    「でも一時はどうなることかと思ったよなぁ〜」
    「……。」

     あの頃、高校に入学したての俺は新しい環境、親友の新しい挑戦——それらに囲まれて迎えた、最初の夏休みに瑞々しいまでの感受性で、青春を感じていた。
     たくさん笑ったし、ときには迷ったりもして。いまとなって考えてみれば、なんでもないようなことに一喜一憂し、まるでそれが誇りであるかのように��青春�≠ニいう名の勲章を、柄にもなく、高々と掲げていた。

    「あっ!スーツ……クリーニング出してねぇや」
    「……」
    「そーいや洋平、お前はなに着ていくんだー?」
    「……」
    「たしかこないだ、花道のスーツ買いに行くのに付き合うとかなんとか、言ってなかったっけ?」

     あの頃の気持ちを取り戻すことは、きっともうできないだろうと思う。大人に近づく体の造りと「早く大人になりたい」と背伸びをして、それがどんなことかも分からずに口にしていた軽率さ。不安定な足場をゆっくりと歩くように、あの頃の俺たちは大人を目指して成長していった。そしていつしか恋愛やセックスといったことにも興味を持ち、そういった��大人らしさ�≠ノ触れるようなことに対して、激しいまでに憧れて。
     そんなふうに毎日を過ごしていた夏に、親友が夢を見つけ、それを見計らっていたかのように、俺には��女性�≠フ、親友ができたのだった——。


     「ふっ……懐かしいねぇ。」


     俺は思わずつぶやいていた。やば、声に出てたかもと眉がぴくりと反応したが、素知らぬふりで牛丼を食べるのに集中する。しかし目敏いダチは「お?なにがよ」とすかさずニヤニヤとだらしのない顔を晒して、こちらの顔を覗き込んできた。

    「なんだよ洋平くん、どーしたのかなぁ〜?」
    「……」
    「ずーっと俺の話スルーしてたわりには、なにか考えごとですかい?」
    「……、」
    「なんだい?なんだい?まるでおめェが姐さんと結婚するみてーなツラしやがってぇー。おお?」
    「……。」

     俺は苦笑した。まだあどけなさを残した、あのころの彼女の顔を思い出すには心の中にしまったアルバムを開かなければならないくらいに、俺の記憶は色褪せてしまった。
     昔を思い出そうとしても、記憶の中の彼女は、いまと同じ顔であの頃の行動をなぞるばかりだ。高校時代——二年間もそばにいて見続けてきたのだからそれは当然といえば当然だろう。それだけの時間を俺たちはともに過ごしてきたのだから。

    「——なあ、洋平さんよ、」
    「ん、」
    「さみしいなら、さみしーって言わねえとな?」
    「……なにが」
    「姐さんが旅立つの、さみしいんじゃねーの?」
    「……。」

     手に持っていた割り箸をコツン、とテーブルの上に置いた。牛丼はまだ1/3ほど残っている。俺は目を伏せて炭酸割りのウイスキーをひとくち飲み、カラカラとマドラー代わりにグラスの中の氷を人差し指で回しながら、ぽつりと言った。

    「母鳥なんで、いろんな人の。」
    「母鳥?」
    「そ、母鳥。」
    「まあ〜......たしかに。オスではねーわなァ〜、そーいう立ち回りのとき限定の洋平は」
    「そうそう、皆様を見守り隊なんでね」
    「......おめェも、素直じゃねーよなァ」

     俺が苦笑いで「性分ですんで」とつぶやいて、そばでおりこうにおすわりをしていた愛犬の頭を撫でていると、大楠は俺の残した牛丼を手に取り一気に残りを掻き込んでいた。それからしばらく二人で思い出ばなしに華を咲かせ、語り合った。
    こんなふうに改めて思い出ばなしをするのなんていつ以来だろうかと、感慨深く思いながら——。

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