君に言えなかったことがある(5/7)

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     シャワーを終え、再度部屋着に着替えてドライヤーで髪を乾かして歯を磨いた。そうしてあとは明日のあの人たちの晴れ舞台にむけて眠るだけとなった。
     リビングに戻る前に廊下に置いてあった空き缶の入ったゴミ袋を玄関へと持って行きようやっとリビングに戻ってきて、ご祝儀やら財布やらハンカチやら、明日の忘れ物がないかとざっと確認をした。それからベッドに入り、枕元に置いてあるリモコンで部屋の灯りを落とし、布団の中で目を閉じた。
     しかし、眠るつもりがいっこうに眠気がやってくる気配がない。さきほど電話をくれた彼女とはすこし違う気持ちではあるが俺もそれなりに緊張しているのだろうと思った。なんだかきょうは、枕の硬さもいつもより硬いような感覚があったりなかったり。

    「ほんと……まいったなぁ。」

     思わずひとりごちる。緊張やストレスといったものはいつも感じている感覚を違和感に変えるのだと、あらためて思った。

     彼女と電話をしたせいなのか目を閉じると昔の情景が、いくつも思い出されてきた。古い教室、冷たい屋上のコンクリ、体育館の高い天井、あとカビの匂いがすこし混ざった生徒入口の靴だな。それらはすべて高校生だったころの風景だった。素直に懐かしいなと思う。草木の空気の匂いや、窓から射し込む光、あの屋上から、何度も眺めた青空。懐かしさと切なさに、思わず涙が零こぼれ落ちそうになってハッとした俺は、勢いよく起き上がりベッドから降りる。そうして、テーブルの上のある煙草を暗がりで探しあて、そばにあったライターで素早く火をつけた。

    「……ふぅ。ガラじゃねーって、ほんとに。」

     束の間——『水戸洋平様』と印刷された、あの封筒を渡された時の光景がぶわっと蘇ってくる。自宅で一人になってから封を開けたその招待状はいま、はからずとも親友と一緒に新調することになった、あのスーツの内ポケットに、しっかりと入っている。
     ほんと柄にもなく珍しく湿っぽいな、なんて。本気でこれじゃあまるで母鳥……いや、花嫁側の父親みたいだなと自分で自分を嘲笑ったそのときだった。ガチャリ——と玄関の鍵が開いたのは。

    「——え。はな……みち、!?」

     やや気まずそうに「おぅ、」とだけ言ったその手には、このあいだ百貨店で購入したスーツが、買ったときの状態でカバーをつけたまま持たれている。俺は急いで吸っていたタバコを灰皿に押し付けて、リモコンで部屋の電気をつけた。

    「ど、どうした……?」
    「いや……よーへーんちに来ときゃ、明日楽かと思ってよぉ」
    「……、」
    「お、おたがいに……。」
    「……はは、さいですか。」

     俺は呆気に取られぽつりとそう吐いた。花道はくちびるを尖らせつつもスーツの入ったそれを、ベッドの上に、少々乱暴に投げる。俺は溜め息を吐いてから立ち上がり、それをひょいと持って、自身のスーツがぶら下がっているところに重ねてかけた。すると花道が、唐突に訊ねてくる。

    「よーへー、ポラ坊は?」
    「えっ? ああ……もう、寝てる」
    「そうか……もっと早く来りゃよかった」
    「えー、なに?触って癒されたかったかー?」
    「……。」

     揶揄い口調で言ったその言葉に、どかんと床に座った花道はなんだか煮え切らないような態度で「い、いや……」と、吃っていた。そんな花道を横目に、すこし距離を開けて俺も花道の隣の床に腰を下ろし、やや眉を下げながら言った。

    「明日の朝おきたら、飽きるだけ、遊んでやってくださいな」
    「……」
    「あいつも、花道が好きみたいだからなー」
    「……おぅ。」

     花道はなぜか照れたように俺から目を逸らして坊主頭を人差し指でかいていた。そうして、ふとテーブルの上の灰皿に目を向けて「そーいや」と何かを思い出したように言って言葉をつづける。

    「よーへー、しばらく俺のまえで吸わねーな」
    「ん?」
    「ケンカしたあとなんか100パー、一服してたのによ」
    「え? なにそれ、100パーって」
    「おうよ。ぜってー吸ってたじゃねーか、なにがなんでも」
    「おいおい、いつの時代の話をしてんだ?もう、喧嘩なんかしてないって知ってるだろー花道も」
    「あー、それもそーか」
    「まぁでも、さすがになー。ほらスポーツマンのまえでって言うのはさぁ……はばかれるだろ?」

     そう言った俺をちらと見たあと花道は、先ほど俺が灰皿に押しつぶしたその煙草の吸い殻を手に取り、首を傾げてまた俺を見やる。今度はじっと怪訝な顔つきで。

    「うめーか、タバコ。」

     ひとりごとのように言って持っていた吸い殻をまた灰皿に戻した花道。俺はなんとなく気まずくなって頭をぽりとかいて「うまいとかうまくないじゃねーんじゃね?」なんて言い返す。しかし、なぜか、突如として生まれた沈黙。花道とこんな空気になるのなんて慣れっこだったはずなのに、今日はどうしてか気持ちが落ち着かず俺は煙草の箱とライターを右手で鷲掴むとそのままベランダへと向かった。

    「吸うのか」

     背後から花道の声が追いかけてきて俺は「ベランダで吸うよ」と背を向けたまま言った。そしてカラカラーと、近所迷惑も考慮して気を遣いつつベランダの窓の開けた、そのとき——。

    「ここで吸っていーぞ」

     その言葉が聞こえたときにはすでにベランダに出ていた俺はまだ火をつけず口先に咥えただけでいた煙草を、ぽろっと足元に落としてしまった。

    「ええ?——や、いいよ。こっちで吸うって」
    「いーから。ここで吸えって。」
    「……。」

     やけに低い声だなと思ってここは従ったほうがよいと判断した俺は無言で室内へと戻った。そうして花道を目の前にテーブルを挟んでライターで火をつける。それでも無意識に花道には煙がいかないようにと気をつけていた俺の仕草に目敏くも気づいたらしい花道が俺をじっと見据えてくる。まるでどこぞの他人様にセックスでも見せているかのようなその緊迫感と羞恥心にいたたまれない気持ちになる。

    「……な、なによ。」
    「……」
    「すげー見てくんのねー、今日の花道くんは。」
    「なんか、あったんだろ」

     ぎくっと油断して肩をびくつかせてしまった。それでもなお、じいっと俺を見つめてくる花道についに俺は観念し、目を伏せて「そうね」とだけ小さくつぶやいた。またも生まれた沈黙のなか、俺が息を吐くように口を開く。

    「——でもさ、花道。」
    「ん?」
    「明日の主役が晴子ちゃんと流川だったらきっと花道もこうなってるぜ」
    「げっ——!そ、それはっ、そ、そッッ、」
    「ぷっ、はははっ」

     あたりまえに笑ってしまった俺に顔を赤くして「な、なんでっ!と、突然、そっ、そのよーな、ことをだな」と、その後も途切れなく吃っている花道の姿に目を細めて「悪い悪い」と言い、俺はまたその目をそっと伏せる。

    「いまは俺の話だったなー。卑怯な言い方した、ごめんな?」
    「ぐぬ……っ」
    「花道」
    「ぬ?」

     と、こちらを見た花道から、先にそっと視線を外し人差し指と中指で挟んでいたタバコのフィルターにその視線を移したあとで俺は、ぽつぽつと話し出す。

    「花道には、隠しごとしないって、言ったろ?」
    「お、おぅ」
    「でも俺さ、いっこだけ言えてない事があって」
    「……?」

     ジジッ……と、煙草の先端が焼ける音がした。俺はまた視線を花道へとそっと移す。きょとんとこちらを見ている花道をフッと鼻で笑い、煙草のフィルターに口をつけて、煙を天井めがけて吐き出した。そうして、ひそひそ話でもしているかのような声量で、言葉をひとつひとつ紡いでいく。

    「俺ねぇ、たぶん——名前さんが好きだった」
    「……」
    「でも、花道が晴子ちゃんを想ってたソレとは、ちょっと違うぜ?」
    「……」
    「俺が花道を想う気持ちと一緒っていうのかなぁなんていうかさ、家族愛?みたいなもんでさぁ」

     もう吸わなくていいやなんて気分になってきてまだ半分も吸っていないそれを、テーブルの上の灰皿に押し付けた。やっぱり、目の前にスポーツマンがいる環境では吸う気になれないんだなと、改めて自身の性格を知った。この機会に、やめてみるかな、タバコ。とか思いつつ、そんな目標を掲げて、もう何年も叶えられずにいるけれども。


     「 知ってたぞ。」


     ぽつり、中学のころから聞きなれた声が、俺の耳にはっきりと届く。え、と言葉に出せないまま声のしたほうに顔を向けると、相手はもう一度、追い討ちをかけるかのごとく「知ってたって」と真顔で言い切った。

    「たぶん、チュウたちみんなも、知ってる。」
    「え、いや……はっ?」
    「だから来てやったんじゃねーか、バカもの」

     なんて——。そんなことを言い残して花道は、さっさとベッドに潜り込んでしまった。しかも、俺の寝る予定のベッドに。

    「……。」

     『だから来てやった』という破壊級レベルマックスすぎる台詞が頭の中で延々と繰り返される。合わせてついさっき意気揚々と親友に吐き捨てた「触って癒されたかったかー?」とか「明日の朝おきたら、飽きるだけ遊んでやってくださいな」なんて言った言葉も一所くたになって、混乱する思考をどんどん蝕んでいく。それと同時に冒頭で花道が煮え切らないような表情をした理由もこのとき初めて理解した。要は『だから来てやった』というのが、答えなのだと——。

    「……っ、」

     恥ずかしすぎるやらダサすぎるやらで、なんの言葉も出てこない。もう、いっそのこと、死んでしまいたいとすら思った。まぁそもそも、なんの言葉も出てこないという次元の前に相手はすでにいま俺のベッドの中にいて、話し合うこともできないのだけれども。

     てか……。だからってなんだよ、だからって。しかも、バカ——って。
     はずかしいとか、驚いたとか、むしろ困るとかそんないろんな負の感情で、頭がパンクしそうになるが間もなくしてスースーと規則正しい寝息が聞こえてきたことで拍子抜けした俺は「寝ちゃったよ、コイツ……」と、情けない声を漏らすよりほか、なかったのだった。

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