君に言えなかったことがある(6/7)

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     目覚ましのアラームが鳴っていることに気付き目を覚ました。それはまるで、長い夢を見ていて突如として叩き起こされたようなそんな倦怠感をまずはじめに強く感じた。どんな夢を見ていたかそういったことは、まったく覚えていなかった。

     俺は寝起きのそんな倦怠感のなかで朝の風景に違和感を感じた。まずは、天井だ。床で寝ていたはずの天井ではない。これはベッドの上から見る天井だ、って。いったい、なにが起こったのか。寝起きの頭と相まって、まったく状況が理解できない。とりあえず体を起こしてみると——やはりここが、ベッドの上だと知り、さらに仰天した。

    「スー、スー......」

     ふと視線を横に移すとそこには見慣れた赤色の景色。真っ赤な坊主頭のそれ。規則正しくリズムを刻む寝息。そう、花道だ。これはどうしたことだろう。ところが俺はだんだんとこの状況に見に覚えがあることに思い至った。そうだ、深夜だ。床で寝ていた痛む体を起こしたとき花道はあたりまえに俺のベッドで眠っていたし、一服しようとベランダに出た。そして一服し終わってそのままうがいをしてからまた床に寝転がったら、花道が起きてしまって——。

    「ん……、」
    「ああ、わり。」
    「……ん?」
    「起こしちまったな」

     一切の気だるさなど感じさせず、寝起きなのにムクっと起き上がった花道にぎょっとして、少々身を引いてしまった俺に、花道が言った。

    「……早く寝ねーと、明日チコクすんぞ」
    「はは、ざんねん。俺、ショートスリーパー。」

     軽く冗談めかして言った俺に花道は「なんだ、それ」と予想通り頭を傾げてみせた。そのでかい図体でベッドの上であぐらをかいた花道が大きなあくびをひとつして「しょーとすりーぱぁ」と、小さくひとりごちていた。

    「よーへーって、むずかしいはなしばっかだな」
    「そう?花道には、わかりやすく言ってるつもりだったんだけどなー、足りなかった?」
    「むぅ……いい。いっこいっこ考える」
    「はは、その都度?」
    「おう、そのつどだ」

     俺は床ににあぐらをかいていた姿勢を崩して、体育座りの体勢に切り替えると、その膝を両手で抱え込んで、やや体を揺らしながら「はは」と、小さく笑った。

    「考えることいっぱいで大変だな、天才は。」
    「……ぐぬ。」
    「そのでっけーからだにクエスチョンがいっぱいなんだなー、きっと。」
    「……そーだな。でもよーへーはやさしいから、俺がわかんねーようなモンダイは出さねー。」
    「——おっ? そうくるか」

     花道はふん、と顔を背けた。俺はそんな花道を見て目を細めてからその目をそっと伏せて言う。

    「じゃあ、これから先ずっと、そのつどね。」
    「おう」
    「まあ、頑張れよ。バスケットマン桜木花道。」
    「おい、なんか言い方がバカにしてたぞ、今!」
    「おー? してないしてない」
    「性格わりーぞ、よーへー!」
    「ははは」

     そうしてそのまま勢いをつけて「ふぬっ!」と俺をまさかのお姫様抱っこした花道は「おめーもここで寝やがれ」と言いベッドの上、花道の横に投げ飛ばされた。めーちゃくちゃに狭かったが、やっぱり床で眠るのとはわけが違って、ちゃんと安眠できたって話——。


    「……はぁ。疲れてるわ、俺。」

     思わずそうつぶやいて、パニック状態にあった頭を落ち着かせ、真横で未だに気持ち良さそうに眠っている親友をそっと見やる。すると相手が、モゾモゾと動きはじめた。

    「ん……んぅ……、もう、食えん——、」

     夢の中でもあいかわらず、食うことを優先しているらしい、そんな親友に思わず情けなく笑う。
     とはいえ、まだ起きるような時間ではないので寝惚けているところに中途半端に話しかけると、逆に目が冴えてしまうかもしれないと思って俺は音をたてぬよう、ゆっくりとベッドから降りた。
     ほんと、つくづく思う。俺は、花道に甘いし、めっぽう弱いのだと——。


     *


    「——よしっ、これで完璧だぜ」

     俺はパンパン!と、目の前にどーんと仁王立ちしている花道の肩を叩いてからウインクをした。そんな俺に「おう」と、花道が短く答える。
     まさか……ネクタイを締められないとは夢にも思っていなかったため、バカにしているわけではないが、笑って声が震えそうになるのを、必死に押さえ込んだ。仕事でネクタイを締めるときは、どうしているのだろうか、と思いはしたが直接は聞かなかった。そして、そのうち教えてやるか、なんて思う俺はやっぱり前世は母鳥なのかもしれないなとか思ったりした。まぁ……その都度って言ったの俺だし、いっか。

     結婚式が行われる海の見える結婚式場に花道と車で向かう。今日は、そのまま会場に車を置いて行っていいと、事前に新郎様から言われていた。二次会が行われる予定の俺の店には、タクシーで相乗りしていくことになっており他の面々も皆、タクシーやら自家用車で、会場に来るのだろう。
     それにしても式場というのは、どうしてこんな辺鄙なところにあるのだろうかと、いつもバイクなんかで通るたびに思うが、真相は謎のままだ。

    「花道〜、ご祝儀ちゃんと入ってるかー?」
    「おう、バッチリ」
    「あっ、ハンカチは? 今朝わたしたやつ」
    「あるぞ、ここに」
    「じゃあサイフに、ケータイ、あと……」
    「なんかよーへー、母ちゃんみてえだな」
    「……っ」

     無事に遅刻もせず式場に到着し車を降りながら無意識下で質問責めをしていた俺に花道はドアをバン!と閉めながら、そんなことを言う。俺は、あたりまえに押し黙りハハと愛想笑いを返した。
     あらためて言われると言葉に詰まってしまう。しかし、言った本人がとくに嫌だと思っていない様子だったしそれ以上追及もしてこなかったため俺はその会話をスルーすることに決めた。
     すると俺の隣に付けた車から見知った顔ぶれがぞろぞろと降りてくる。

    「お〜!花道ィ〜、寝坊しなかったか〜?」
    「む……?なんだ、高宮じゃねーか」
    「おぉん?なんだとはなんだ、なんだとはっ!」
    「なぁ洋平、車置いてっていいんだったよな?」
    「結局チュウが運転手か。おー、そうそう。こないだ、そう聞いたぜー」
     
     そんな会話を交わしながら、そのまま俺たちは全員で結婚式場に入って行った。
     しかし、まだ受付は準備中だったらしく高宮は窓の近くのソファに座り綺麗に磨かれた窓を見て「とうとう来たな」とか言いながら、外の風景を眺めていた。大楠もローテーブルを挟んだ高宮の向かい側にあるソファに浅く腰を掛けて「ほんといよいよだ」と、やや遅れて窓の外を見やった。窓に映る古くからの友人二人は、なぜだか表情がすこしだけ、強張っていたように見えた。

    「なんだ?なーに神妙なツラしてんだ、お前ら」
    「……あ? なんだよぉー、浸ってんだよぉ〜」
    「そんな顔したってよ?ぜ〜んぜん、かっこよくなんねぇって」

     と、チュウが中腰になって、二人を覗き込む。参列者とはいえ結婚式という大舞台に、さすがに気心の知れた友人さえも緊張しているのかもしれないな、なんて思っている俺をよそにチュウは、ヘラヘラと笑いながらバシバシ高宮の肩を叩いていた。そんな見慣れているはずの光景に、奴等と出会ったときの思い出が一気に蘇ってきて思わず俺は目を伏せて小さく笑った。顔を上げたとき、なぜか花道と目が合って眉の下がった顔を見られたくなくて、俺は慌てて顔を背けた。

    「あら、そろい組。」

     ふと聞き慣れた声がして反射的に俺たち全員が顔を向けると、そこにはアネゴと本日の主役——新郎の腐れ縁とも言える戦友兼、親友でもある、宮城さんが立っていた。

    「お!アネゴ!」

     高宮のその声に、すかさずアネゴがバシン!と高宮の背中を叩いた。ああ、痛そう。この場に、ハリセンがなくてよかったなぁ、高宮。
     花道は一気に顔を綻ばせて「りょーちん!」と宮城さんのもとへと向かう。そして、花道に肩を組まれた宮城さんが「おもてぇ」とか言いながら少々鬱陶しそうにして、俺たちに向かって言う。

    「……っ、あ、そうそう。シャンパンとかそこにあるから、飲んでいいらしいぜ」
    「おっ! 行こうぜ行こうぜ〜」
    「やっぱり練習が必要だもんな!」
    「だな。——なあ、洋平も飲むだろー?」

     チュウが振り向き様にそう問うので「ああ」と短く返しすでに走っていった大楠と高宮を追って俺とチュウも、ウェルカムドリンクの置いてあるほうへと向かった。到着すると、ウェルカムドリンクをスタッフが注いでくれる。いつもは人様に酒を注ぐ係のようなものなので、他人にされるとなんだか変な気分だ。トプトプと、心地よい音とともに、グラスが満たされていく。そんななか、不意に「なぁ?」と横にいたチュウが声をかけてきた。

    「ん?」
    「おめェよ〜、ちゃんと言ったかぁ?」
    「んー? なにを」
    「姐さんに。」

     ぐっ、と強めの炭酸が喉を刺激して思わず吹きそうになった。反射的に口から離して、勢いよく手に持っていたそのグラスを腰の位置にさげたらチュウが持っていたグラスの飲み口と、俺が振り下ろしたグラスとが当たってカチンと音が鳴る。

    「……へ?」

     自分の声が、やや掠れている。チュウは呆れたように抑揚をつけて溜め息を吐き散らしたあと、俺をじろっと見やる。しかしそんなガン飛ばしで俺は気後れなどしない。なので飄々と言い返す。

    「なんだろ……。みっちーとお幸せに、って?」
    「違うって」

     チュウの声は、はっきりと否定した。まるで、お前の本心は知っているんだというような、その低い声音に、俺はそれ以上言葉が続けられない。

    「もっと……ずっとまえから言いたかったことがあるんじゃねーの、って話だろうがよぉ。」
    「……。」

     自身の体温がスーと下がっていく感覚。冷や汗なのか、じっとりと手に汗をかく。それなのに、目元だけがなぜか熱くて仕方なかった。きっと、寝不足だ。そうだ、これは、寝不足なだけだ。
     俺はそんな自分を受け入れたくなくて、得意の軽口を叩いて見せる。

    「なに、また『おめでとう』って言えって?」
    「うそつくなっての」
    「……」
    「招待状もらったときも、二次会の打ち合わせで会ったときも、おめェだけだぜ、言ってねえの」
    「……え、うそ。言ったぜ——?俺。」

     俺のくちびるが、ひとつまた嘘をついた。元々それは些細な理由からだった。誰のためでもなくただこうして愚かな自分を守るためだけだったのだろうと、大人になったいまならば思えるけど。
     気が付いたころには、数え切れぬ嘘に囲まれて動けなくなっていた。だから、現実から逃げた。あらゆる痛みからも逃げた。いまはこんなだけどいつか理想通りの自分になるのだからと。だからいま自分に出来ることは、ただ必死にこの時代(いま)を生き抜くことだけだった。ただそれだけのこと。

    「——洋平って、うそつきだよな……昔から。」
    「……」
    「そーやって、なんつーの?息吐くみてーにウソばっかついてよぉ……」
    「……、」
    「おめェよそれ、自分で苦しくなんねぇのか?」
    「——。」

     二人のあいだに、異様な空気が流れ出す。俺はそっと視線を逸らした。するとチュウが動く気配がして気がついたらポンと優しく肩を叩かれた。

    「なぁ、洋平。」
    「——触んな。」
    「……!」

     しまった——。思わず、パシンとその手を払いのけてしまった。ビクッと大袈裟なほど肩を奮わせたチュウが一瞬だけ驚いた顔をしてから、手の痛みよりも痛そうな表情をして、俺を見た。その瞳を見た瞬間張り詰めていた感情みたいなものが一気に溢れ出てきた気がして、俺は浅く笑った。

    「——なにを、知った振りしてんだ?」
    「え?」
    「おまえがさ、俺のなにを知ってんの」
    「……」
    「そーいうの、わざわざ今日この場で言うためにお前はここに来たのか?」
    「……」
    「俺がいまどんな思いで、どんな気持ちでここに居るのかなんて……そんなの……」

     「俺が知りたいって——」と、保っていた冷静さをすべて剥ぎ取ったみたいにぽつりと漏らした俺のその姿は、あまりにも滑稽に見えただろうと思う。しかし、そんな俺の姿を見てもチュウは、一切驚くことなく静かな瞳で俺を見つめつづけていた。

    「……知ってるっての」
    「はぁ?知らねーだろ」
    「知ってるよ」
    「はあ……もう。めんどくせーってそーいうの。マジで、やめろって」
    「花道だけ、なんでも知ってると思ってんだろ」
    「……っ、」
    「よ、」
    「うるせ、黙れチュウ。それ以外なんか言ったら本気で、怒るぞ」
    「……」
    「俺は、本当に……っ」

     まるで、ガキの駄々を落ち着かせるかのように穏やかな、そしてかつてないような優しい声音でチュウは「なあ、洋平」と俺の名を呼び続けた。俺は深くて重い溜め息を吐き出してから言った。

    「……さっき、悪かったよ。手、払って」
    「そんなんは、べつにいーんだけどよぉ」
    「いや……ほんと、そーいうんじゃねーからさ」
    「じゃあ、どーいうのなんだよ」
    「……、」

     静かに、ただ静かにチュウは俺にそうやって、つぎの言葉を促した。俺はまた、盛大に溜め息を吐き散らしやや投げやり且つ矢継ぎ早に答えた。

    「恋愛のソレじゃねーのに今日この場でわざわざ言ってどーすんのよ」
    「……」
    「考えてもみろ?相手はあの、みっちーだぜ?」
    「……だな。」
    「めんどくさいの嫌なの、俺は。わかるだろ?」
    「へえ。ちゃーんとスーツ新調しといてかぁ?」
    「だっ………これは——。」

     それは、か細く苦しみの滲ようなむ声だった。細心の注意を払い、丁寧に丁寧に嘘を重ねて隠しつづけてきた事実が親友の花道に告白した途端に呆気なくもこうして他にも晒されてしまう不覚。一番知られたくなくて、そして一番知って欲しい人たちに——。だから、口にするべきではないと思っていまのいままで封印してきたというのに。
     これは、恋愛に基づく愛情じゃないんだって。どうして彼らはそれを、いつまで経っても信じてくれないのか。人間というのは本当におもしろい生き物で、そうだと言われつづけると本当にそうなのかも知れないと思ってしまうものだ。だから俺は、ずっと……

    「……もう、勘弁して。」

     俺は背後にあった一人掛けのソファに浅く腰を下ろして頭を項垂れさせた。その姿をチュウは、ただ静かに見つめていた。品のある静寂な空間でその姿を焼き付けるかのように見つめ続けているチュウがしばらくして、ゆっくりと口を開いた。

    「だから言ったじゃねえか、高校んとき。」
    「……」
    「ウソでも、一緒になってやれよ、って。」
    「……、」
    「……もっと、早くに素直になるべきだったな。姐さんが——ミッチーと、寄り戻すまえによ。」
    「……。」

     カチャン——と、テーブルに置かれたチュウのグラスが音を立てる。再び、不快感が俺のなかに一気に充満する。この感覚が昔から嫌いだった。
     綺麗に磨かれている窓には散々たくさんの人を殴って甚振っては傷つけてきた右手——その手に持ったままでいたグラスとともに、背中を丸める俺の姿がひとり、映っていただけだった。

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