アイノカタチ(1/4)
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心の底から、楽しいと笑えるものに、生き甲斐だって、胸を張れるものに巡り逢いたいと思っていた。それは——昔もいまも、ずっとずっと。
それを見つけられる保障なんてない。ほんとに俺に、そんなものがあるのかすら分からない。
だけど苦しんで傷ついて立ち止まって言い訳をして目を背けて逃げて、みっともなく泣き喚いて諦めたくなって。
そうしてようやくほんの少しだけその楽しくて生き甲斐だと胸を張れる��モノ�≠ノ指先が触れたような気がした、高校三年生の春。
もう逃げない、なんてカッコつけても弱い俺はまたすぐに、目を背けたくなるだろうから。
弱くてもいい、カッコ悪くあがけばいい、みっともなく泣けばいい、たまには逃げたっていい。迷ったら、誰かに頼ればいい。そう教えてくれた人たちのまえで今日——俺はその指先にようやくつかんだ大切な欠片のひとつ、名前という最愛の相手と一緒に、永遠の愛を誓いあう。
だから、どうしてもつかもう。名前との過去も現在も未来も、すべてを。もう二度と、失わないために——。
*
結婚式前日。日中のうちに、翌日の式のために美容院に行って新しいネイルも施してきたらしい新婦——名前が無事に、帰宅した。
帰宅するや否やまだ昼過ぎだというのにも関わらず、やれ肌の手入れ、やれ浮腫み対策、あとはデジカメの充電……などなど。そして式の当日、披露宴を行うホテルの最上階で宿泊をする予定になっていた俺たちの持ち物の最終確認と、それになぜか付き合わされた挙句、終いには俺の晩飯はもはや味のない卵スープ(浮腫み対策らしい)に五穀米ときたもんだ。添えられたおかずも何だかマジで味がしなくて、どんなものを出されたのかさえも、いまでは忘れてしまったほどだ。
まあいい。新婦である彼女とっては一生に一度��お姫様�≠ノなれる日らしいので……これくらい付き合ってやらぁ。
結婚式当日——。朝は顔が浮腫みやすいとかで早朝四時には起きて準備をしていた彼女の気配に起こされて、呆れを通り越し逆に女ってすげえななんて感心してしまった。本来新婦は新郎よりも早めに式場に向かうらしい。だが結局、式場まで送り届けるのは新郎である俺の役目であったので何度も行き来するのは手間だという話になり俺も新婦に合わせて早めに式場に入った。眠すぎて、俺なんかは準備の途中、もはや普通に仮眠をしていたって話。
式の準備中、自分の衣装に関しては女子だけで決めたいとの意向で新婦側の衣装はこの度なぜか一番張り切っていた俺の母親と彼女の二人で選んでしまったため全ての衣装を確認したのは前撮りのとき、式のすこし前の吉日の日のことだった。俺の両親の計らいで「式は盛大にやれ!」とありがたくそれを受け入れた俺たち。そんな俺の衣装はと言えば、前撮り用に彼女の白無垢に合わせた黒い紋付袴と、披露宴用には新婦の色打掛に合わせた、これまた違う色の袴。他、挙式用のタキシードと、お色直しの際に着替えるもう一着のタキシードの計四着を着る羽目になり、その話をぽろっと職場、湘北高校の職員室で漏らしたときには花嫁と同じくらいのボリューム感だと笑われたのは、記憶に新しい。
それでも、新婦役の彼女が楽しそうにして俺の衣装を選んでいる姿は、悪いもんでもなかった。
『これも似合いそう』
『寿、顔だけはいいからさぁ』
『寿は背が高いからねぇ……』
(——以下、省略)
と式場の衣装担当のスタッフと話している彼女の姿が微笑ましかったし、なによりこの世で一番好きな相手から仕立ててもらえて嫌な気分になる奴などこの世にはどこにもいないだろうと思う。現に俺もそうだった。はじめこそ若干めんどくせえなぁ……という気持ちがないとは言い切れない状態で午前九時に予約していた式場に彼女と一緒に向かった衣装合わせの日。まぁ朝起きれなくてギリギリで到着したことで彼女と険悪なムードになりかけたりもしながら、こうして、俺の人生において、歴史上初の結婚式の衣装選びをしたってわけだ。(前回は全て相手に丸投げだったため)
でも結局のところ最終的には彼女とスタッフが見立てた以上の量を試着したというオチが待っている。なんだかんだ文句を垂れながらも俺自身、楽しんでたってことだな。「花嫁さんよりも多く試着してますよ〜」なんてジョークで言ったスタッフの言葉があながち間違っていなかったので、苦笑いしか返せなかった。
前撮りは二種の和装と、お色直しのときに着るカラードレスとタキシードでの撮影だったため、挙式後にウエディングドレスを着た彼女と写真を撮ることになっていた。なので俺は、まだ今この段階でもその純白天使の姿を見れていない状況。「どれが好み?」なんて、カタログを毎晩広げてきた彼女と仕方なく一緒に選んだのにも関わらず実際の試着もその後も結局着た姿を見せてもらえなかったし、最終チェックはさっき言った通り、なぜか俺のお袋と終わらせてきやがったし。
どれがいい?なんて聞いておきながら、どれにしたのかと問えば、恥ずかしいとか何とか言って頑なに教えてくれなかった彼女に俺も諦めて今日この瞬間を、密かに楽しみにしていた。
……とか言いつつ、俺が試着をしに来たとき、横並びに飾られているウエディングドレスの量を見て冗談抜きに「これぜんぶ同じなんじゃねーのか」と世の男性が言いそうな王道台詞を漏らした俺にスタッフは「新郎様は皆様そう仰られます」と言って隣にいた彼女は「これだから男は……」と、これまた王道の返しをしてきたけれども。
そんなこんなでいま俺たちは、親族や、世話になった安西先生を含む、お偉いさん方や仲の良い友人だけに参列をお願いした、挙式の準備をしている真っ最中だ。
最後まで、どのウエディングドレスにしたかを教えてくれなかった花嫁。俺が密かに今日一日のプログラムの中で一番楽しみにしていたと言っても過言ではない彼女の純白のウエディングドレス姿——それを拝めるのは結局、本日、この挙式のときとなってしまった。……まぁいいか。どうせあいつなら、どんなもんを着たって、もはや素っ裸だったとしても、綺麗なのだろうから。
*
新郎専用のメイク室にてタキシードの着付けをしてもらい、というかほぼ自分で着たけど。次に髪の毛をセットしてもらう際には「自分でやられますか?」と聞かれた。任せて変になってもなぁと思いつつじゃあ自分は普段どんなセットをしてたっけ?と思い返してみれば、最近では、もはやワックスすらつけていないことを思い出す。
そう言えば、彼女と復縁してからというもの、一緒に出かけるときだけは、たまに、ワックスを付けて、ちゃちゃっとセットするくらいだったなと思い「いや、お願いします」と言って結局プロに任せたらそこはさすがプロ。清潔感をベースに持ってきているようだがそれでも微妙なアクセントを付けたくらいにして、んでもって、自然体な感じも残しつつ。そうしてセット後、鏡に映った自分に思わず「男前だなァー」とつぶやいたら、そこにいたスタッフ全員が笑ってくれた。よし。つかみは、バッチリだ。
そのとき、しれっと入って来た他のスタッフが「まもなく花嫁様のメイクが整います」と、他のスタッフに言っている声が聞こえてきて、椅子に座ったままチラッとそのスタッフを見やった俺に俺のメイクをしていたスタッフから「花嫁様とてもお綺麗でしたよ〜」なんて、当たり前のことを笑顔で報告された。
「あー、昔からきれーなんですよ、俺の花嫁。」
そう淡々と言ってのけたら、またなぜか笑いが起こったが、いや待て、いまのはネタじゃねえ。本音だ、まじめの本気のやつ!と突っ込みそうになる気持ちを抑えて押し黙った。
あー早く見てえな。来んな!って釘刺されてたけど……あー、見たい。見てえ。だってよ、予行練習とか必要じゃねえか、なあ?突然、ウエディングドレス姿のアイツが現れてみろよ?俺、心臓止まるかも知れねえし。
——と、そう言えば、いまと同じ台詞を最後の衣装打ち合わせに「やっぱり俺も行く!」という言葉と共に添えたら「死ぬまえに保険とか、しっかりね。あと遺書」と、平然とサラッと返されて結構の力でデコピンをしてやったら、次の日まで彼女のデコが、ほんのりと赤くなっていたのには笑ったな。そのあと冷蔵庫にあった使用期限切れの冷えピタを貼ってやったら、あいつはプンスカ文句を言いながらも、素直にそのまましばらく、それを貼っていて、その姿にも大笑いした。
あいつといると、俺ずっと笑ってんだよなあ。とくにボキャブラリーが豊富っつーわけでもねえのに、って言うと怒られるから、言わねえけど。
高校時代、久しぶりに会った彼女は、たしかに綺麗になっていた。可愛くなったなーって素直に思った。いまでもそう思う気持ちに変わりはないけれど最近はなんつーか、もう存在が可愛いよなって感じだ。顔とか容姿がどうっていうよりも、なんかもう��名字名前�≠チていう存在自体がもうとにかく愛くるしい。
まあ、もうすぐ名字名前から三井名前になるんだけどな。
——おいおい、三井名前……だってよ。まさかだよな、本当に結婚しちまったぜ、俺たち。なんつって。
思わず鏡のまえで思い出し笑いをして鼻を鳴らしてしまった俺はそれを誤魔化すようにゴホン!と咳払いをしてすくっと椅子から立ち上がった。
「あー、トイレ……行ってもいいすか?」
そんな俺に「どうぞ」とスタッフが笑顔で返し俺は部屋を出てトイレに向かいながら式場のスタッフは便所に行く許可でさえも笑顔で応えなきゃなんねえのかよって思ったら、こりゃすげえ仕事なんだな、と、あらためて思った。
接客のスペシャリストとは、まさにこのこと。なんて心の中でつぶやき便所を済ませて出た先でキャッキャと何やら騒いでいる女性群の声が響く部屋に目がいく。——待て待て。これって……、アイツの声じゃねえか!?どうする、これ。どーするよ、俺!!……行くよな?つーか、行くって選択肢しか、ねえよな?もう俺には、リングと、名前しか、見えねえ——!!
豪快に開け放たれている扉の入口まで近づいて行きそっと中を覗いてみれば、俺の控え室なんかよりも何倍もでかい部屋で開けっぱなしになっているカーテンの外、大きな窓からは雲ひとつない晴れた秋空が望めた。
呆然と立ち尽くしていた俺の姿に気付いた中のスタッフが「花婿様!」と声をあげたことでその場にいた花嫁以外のスタッフ全員がこちらに視線を向ける。一気に、視線を総なめした俺は一瞬、たじろいで、だらしなく「げっ」と効果音を放つ勢いでオーバーリアクションをかまし身を引く。たがすぐに背筋を伸ばして、隙のない動作で中に入った。女性のスタッフらの「わあ〜花婿様」や「準備できたんですねぇ〜」とかいう甲高い声が飛び交うなか「男前にキメて来た」や「いい感じに仕上がって」という言葉が裏側にはきっと隠されているのだろうなと思わせるその声色に、なんだか照れてしまう。それを聞き捨て花嫁の真横に立ったとき座ったままでゆっくりと俺を見上げた彼女の姿には、冗談抜きに心臓が止まりかけた。
——いや、数秒間くらいは、マジで止まったかもしれない。
いつもよりも少し濃いめのメイク。厚化粧とかそんなんじゃなくて、本当にモデルみたいなその施しにさすがプロ!と再度感心したあと、やっぱこいつ綺麗だよなぁ、と感慨深くなってしまう。語彙力が乏しくなるほどに、本当にどこかの国のお姫様みたいだ。
口をポカンと開けて見惚れている俺をよそに、彼女はすっと鏡に顔を向き直して、照れたようにぽつりとつぶやいた。
「式の前に花嫁姿見ると縁起悪いんだよ……?」
今、目の前にいるこの女神が声を発したのか?と、柄にもなくそんなことを思った俺は、言葉を詰まらせ、それ以上なにも言い返せないでいた。
「……寿? 聞いてる?」
——頼む、もうなにも喋んな。全部ひとり占めしてえ……と、独占欲が剥き出しになってしまうその眩い姿に俺は無意識に先ほどちゃんとセットしてもらったばかりの髪の毛、自身の後頭部に、片手を添えて、ななめ上を見やる。え……。ど、どうすっかな……言葉もねえとはまさにこのことだぜ。
今度は後頭部に当てていたその手を口元に持ってきて口全体を覆い隠すような仕草をした俺に、背後にいたスタッフが「お綺麗ですよね〜!」と言ってきたことで、ゆっくりと、そのスタッフを見やれば、また他のスタッフが姿勢よく、スンと突っ立ったまま「モデルさんみたいですぅ〜!」なんて笑顔で言う。完全に挙動不審な花婿を見て見ぬふりをしたスタッフが、突如、どこかの国の神話なんかを語り出した。
「——イギリスの迷信ですよね、花婿様が結婚式直前までに、花嫁様のドレス姿を見ると、縁起が悪いという……」
こいつらクローン人間か?とでも言いたくなるほど、そんな話をしている最中でも、一切笑顔を絶やさないスタッフたち。その神話に、先に反応したのは彼女で「ほら〜」と今度はいつもの如くヘラッと笑って、俺を見たその表情で我に返り、ようやく停止して固まっていた俺の体が、自由に動くようになった。
「……え、ええ?」
「だから、見せたくないって言ったのー」
「……はあ?お前イギリス人じゃねえだろうが」
「なにぃ〜?」
「純日本人だ、どっからどう見ても。」
俺もいつもの調子を取り戻して、軽口を叩く。ギロッと俺を睨み上げる彼女に目を細めて視線を合わせると今度は途端に照れたようにすっと視線を自分の足元あたりに落とし込んだ花嫁。その姿にたまらず俺はすこし屈んで、彼女の座っていた椅子の背に軽く手を添え至近距離でつぶやいた。
「——名前のその姿が縁起物だから、迷信なんてどーでもいいだろ。」
言って、そのままちょっと前にデコピンをして赤く染めさせてしまった彼女の額にチュッと軽くくちびるを這わせた。実はその姿が、背後にいたカメラマンの一眼レフに、しっかりと収められていて、披露宴の最後のムービーで使われたことを知ったのは結婚式が終わった後の二次会のとき。みんなが口を揃えて、あの写真が一番良かったと話題にあがるのは、もうすこし、先の話だ。
相手の額からくちびるを離して、周りに聞こえないよう彼女の耳元で「綺麗だ」と、囁いた俺の言葉に、意外にも無反応だった花嫁様。そのまま俺が姿勢を正すと、ややあってから彼女がフッときれいに笑って返してくれたその笑顔。それが、今では俺の携帯の待ち受け画面になっているのももうすこし、先の話——。
「ほんと、この世の中の誰よりも一番綺麗だ。」
真面目腐って、ぽろりと漏れてしまったそんな俺の言葉にも周りのスタッフが「本当に、お姫様みたいですよね!」なんて、ちゃんと伝え返しをしてくれる。
「——いや、ほんと。お姫様みたいだぜ?」
「や、やめてってば……わかったって!」
「いや、真面目に。冗談抜きによ、ほんと」
「………っ」
「——天使。もしくは、女神か?」
「あ、あのねえ……っ」
俺も俺で、無意識にも次から次へとよくこんなこっ恥ずかしい言葉が出て来るもんだなと若干、唖然とはするがポンポンと勝手に口を衝いて出てきてしまうのだから、抑えようがない。
「——あ!つか、オーディション受けてみろよ?たぶん受か、」
「ひさしっ!!」
俺の言葉を遮るように叫び彼女はまたこちらを見上げ首を小さく横に何度も振り焦燥を明らかにして俺に訴えるその目は真剣だ。そんな花嫁様の真っ赤になった顔に、ウエディングドレスの白とその赤い顔がまるで紅白そのものじゃねーかって思ったら「ほんっと、縁起物。」と思わず憎まれ口をたたいてしまう。
ニヤニヤと新妻を舐め回すように見ている俺をその新妻は「ほんとにもうっ!」と赤面したまま呆れ返っていた。
「もう……あっち、行ってくれない?」
ついに、バサリとそう吐き捨てられてしまう。そんな俺らの夫婦漫才を見ていたスタッフらが、背後で、楽し気に笑っていた。はいはい、と俺が適当に返事を返して彼女に背を向け、扉のほうに歩き出したとき「あ!」と彼女が大声を発した。「あン?」と言って俺が振り返れば、白い手袋をつけた彼女の細い腕が「ちょっとちょっと」と、俺を手招きしている。
「……なんだよ?」
また花嫁の真横に戻ってそう聞き返せば「耳、貸して」と言い再度小さく彼女は手招きをした。「なに?」とスタッフたちの方に顔を向けながら彼女に片耳を寄せたとき——。
「……ひさしも、かっこいいよ。」
なんて囁かれて、ぐっと言葉を詰まらせ一気に赤面した俺のツラがうしろに並んでいるスタッフたちに、大公開されちまったわけだが……。
「オイっ!」と言って俺が顔を離せば、彼女は、「ん?なに」とでも言いたげにとぼけた顔をしてみせる。
「食、……」
「……え?」
——あっ、ぶねェ……!いま、思わず「食っちまうぞ」って、ガチで言いそうになったぜ。俺は小さく溜め息を吐きつつ「……なんでもねえよ」と、ぼそりつぶやいてからぷいっと顔を背けた。すると俺の真下からは、からからと笑う、彼女の笑い声が聞こえてきて、天使じゃなくてやっぱり悪魔じゃねぇのか、って言ってやりたかったが、さすがにそこは口を噤んだ。あーあ……ったく。好きすぎて、しんどいぜ、まったく。
彼女のウエディングドレスを着た姿を挙式前に見てしまった事がよかったのか悪かったのかは、結局のところ分からない。だってなんだか式前にどっと疲れたし、いまの数分だけで五歳くらいは老けた気がする。
まあいいか、今日は名前のその綺麗な晴れ姿に免じて……許してやるよ、なんてな。
失敗するかもしれない恐さと、向き合う勇気が常にあった——。けれどその��向き合う勇気�≠�無くしてしまった大学時代。でもいまは、それに打ち勝つ、無限の可能性だってあるんだ。だってほら、おまえは、こんなにも簡単に笑ってくれるのに。俺は、なにを怖がっていたのだろう。
名前と一緒に歩む未来を、諦めなきゃいけない理由なんていまの俺にはもう、ひとつもないんだよな——。
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