アイノカタチ(2/4)

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     ———————————————————

     本日はご多用の中、私たちのために
     披露宴にお越しくださり心より感謝
     いたします。
     さきほど滞りなく挙式を行い、晴れて
     夫婦となりました。
     これより夫婦としての道を歩んで行ける
     喜びとともに責任の重さに身が引き締まる
     思いでございます。
     このような佳き日を迎えられましたのは
     ひとえに皆様のおかげでごさいます。
     心より感謝申し上げます。
     本日は皆様をお招きして感謝の気持ちを
     お伝えいたしたくささやかながらも宴席を
     設けさせていただきました。
     行き届かない点もあるかと存じますが、
     どうぞ楽しい時間をお過ごしいただければ
     幸いです。

     ———————————————————


     挙式を終えて、披露宴がはじまるまでの時間、俺は、控え室で今回の披露宴の決め事の中で一番時間のかかったソレを手に取り無意識に溜め息を吐きながら、その中身を広げていた。
     ソレ——とは披露宴の序盤に言う新郎の挨拶文だ。この文章を生み出すまでの、血と涙の努力の日々を思い返すと今でも吐き気がする。自宅ではもちろんのこと、彼女と実家に飯を食いに行ったときですら、しまいには職場にまで持って行って何度も書き直しては彼女の前で発表した。本当に��夫婦二人三脚�≠ナ一緒に決めたといっても過言では無い。
     まあ、とはいえ。彼女は俺が決めないと意味がないとか言って、ほとんど文章は確認してくれるだけでなにも助言なんかして来なかったけどな。俺がようやく最終段階まで漕ぎつけて彼女の前で読み上げている最中、彼女は、突然こんなことを言い出した。「暗記してみれば?」なんて……。思わず音読していたその声をピタッと止めてしまった。そのままロボットみたいにギギギと視線を相手に送れば俺の横——ソファに座って、彼女は楽し気に、いや呑気に、茶を啜っていた。

    「……いや、無理だろ。」
    「ええー、頑張ってみなよ〜?」

     そう言いながら俺の顔を覗き込んでくる彼女をなおも睨みながら見下ろして、俺は吐き捨てる。「じゃあおまえは親への手紙、暗記すんのかよ」って。まさかの質問返しを食らってすこし驚いた表情を見せた彼女は「えっ?」と言い持っていた湯呑をコツン、と静かにテーブルの上に置いた。

    「……あれはなんか、手紙を持って読むっていう慣わしじゃないの?」
    「ああ? ならわしだぁ?」
    「そうそう。」

     そう相づちを返して彼女は姿勢を正し、エアで手紙を持つ仕種をすると「こうしてさ?お父さん私は……って。」と言いニコッとこちらに笑顔を向ける。そんな彼女に、やられた……と俺はまた溜め息を漏らす。

    「たしかになぁ……」
    「うんっ」
    「俺がマイク持ってる横で真正面見ながら、スラスラ暗記して話してる花嫁なんか、ロボットみてえで滑稽だしな」
    「うーん」

     それには微妙な相槌を返してきた彼女。そしてそっと顔をあげてどうやらその光景を思い描いているようだった。それにつられて俺も、その姿を想像してみたらほんとに滑稽でなんだか笑えた。プッと思わず噴き出した俺の横でまったくおなじタイミングで噴き出した彼女と目を見合わせて、意味もなく、しばらく笑い合った。

    「変だな」
    「でしょー?変だよ」
    「卒業式の壇上でやるヤツみてえだわそれだと」
    「そうそう、答辞みたいだよねー。だからやっぱ娘から親への手紙は、紙を持って読むからいいんだよ、たぶん」

     「だから私はパス!」と言い切って彼女はまた湯呑を手に取ると、フーフーと茶を冷ましながら熱そうに眉を顰めて、それを啜っていた。

    「——けどよ、俺は無理だ……暗記なんて。」

     そう、ひとり言のようにつぶやいて、俺がまた挨拶文の書いたその用紙に視線を落とせば彼女は横から俺の手に持たれたままの用紙を覗き込み、「でも、バッチリ」と言った。条件反射で真横に顔を向け「あ?」と聞き返したときそれが思ったよりも至近距離で、すぐそばに彼女の顔があったことに驚いて、俺はちょっとだけ身を引いた。

    「内容は、完璧!」
    「そ、そうか……?」

     まあ……そう言ってもらわねぇと困るけどよ。最近はある時間をほぼこの文章作成に裂いたんだからな、と心の中だけで思う。

    「ここが、いいよね。」

     湯呑を持った手で文章を指差そうとした刹那、俺の長い脚に彼女の腕が当たってしまい、こともあろうに茶を、ラグの上にぶちまけやがった。

    「うぉ——バッカ!!」

     咄嗟に反射神経が働き、俺が用紙を上に掲げたことでコピーもまだしていなかった挨拶文の原本は死守された……が。

    「——熱っつ!!!」

     あいさつ文を守り抜くことに気を取られていたおかげで俺の足にぶちまけられた熱湯に気付くのには、すこし時間差があった。

    「ゴメンっ!!!!!」

     珍しく出た彼女の大声に、俺は逆にきょとんとしてしまう。慌てて立ち上がった彼女が、急いで冷蔵庫に向かって行き、冷凍庫を乱暴に開ける。次いでガシャガシャ!と、氷をキッチンに置いてあったボールに投げ込んでいた。そんな慌てふためいている未来の奥さんの姿を見ていたらそんなに言うほど熱くなかったかもとか、それよりも、この、おまえがお気に入りのラグがびしょびしょだけど、それはいいのか?とか……余計なことのほうに思考が巡る。

    「——あ、オイ。そんな……熱くなかったぜ?」

     キッチンの水を勢いよく出しタオルを冷やしているであろう彼女の背中に、そう声をかけたが、どうやら相手には、聞こえていないらしかった。

    「……な、なぁ。それより、ラグ——」

     そうつぶやいて俺が立ちあがったとき、氷水の入ったボールを持って勢いよく振り返った彼女が勢いあまって持っているボールの中身を、今度は真下にぶちまける事態。

    「冷たっっ!!!!!」

     いまのいままでお前はそれを素手で触ってたんじゃねーのかよ、と言いたくなった口を噤んで、とりあえず、手に持っていた挨拶文を安全そうなところに置くと俺は溜め息をつきながら、彼女のもとへと向かった。

    「……はいはい。ちょっと落ち着こーなぁ、名前ちゃんよ。」

     俺が側にあった洗いたてのタオルを手に取り、しゃがんで彼女の足元を拭いていたとき、彼女の心底落ち込んだような「ほんと、ごめん……」と言う声が、頭上から降って来た。

    「……あ?」
    「熱かった?……大丈夫?」

     一度だけ顔を上げた俺はまたすぐに床に視線を戻してから「いや?挨拶文も無事だったしな」と努めて明るい口調で言った。そうして拭き終えてすくっと立ち上がり未だ呆然と立ち尽くしている彼女の、胸に抱きかかえられたままでいる、まだすこしばかり氷水の残っていたボールを取りあげキッチン台の脇にそれを置く。

    「……あ、ラグ。拭かないと……」

     そうぽつりと言った彼女がとぼとぼと脱衣所にタオルを取りに行った。それを見送ったあと俺もソファに戻って濡れていないほうに腰を下ろす。間もなくして、タオルを何枚か持って来た彼女はこちらには見向きもせずにラグの下を必死に拭いていた。それをソファに座ったまま眺めながら、俺はまたひとつ小さく息を付き先に口火を切る。

    「……名前ってよ、昔から無意識なのか知らねぇけど俺にだけは距離、やたらと近(ち)けーよな。」
    「……え?」

     あきらかにかなりの精神的ダメージを食らっています、というふうな表情で俺を見上げた彼女に俺は思わず苦笑いを浮かべる。そしてすぐにまた視線を床に戻して急いで濡れた部分を拭き始めた彼女が拭き終わるのを待ってから俺は先の言葉をつづけた。

    「……なんつーか、からだがよ?」

     勝手に説明しはじめた俺をチラ見しながら拭き終わったタオルを持って相手は脱衣所に向かった。そこで俺も会話を一旦中断する。脱衣所から戻ってきて「ふう」と息をついた彼女がようやく俺の隣に腰をかける。

    「……で、なに?なんか話してたよね?」

     そう言いながら、やや俺の方に体を向けてきた彼女をチラ見して「ああ……なんだっけ」と俺はななめ上を見やる。

    「あ、そうそう。だから……なんか名前ってよ」
    「うん?」
    「自分がなんかしてるとき以外は絶対こうして、俺のほう、向いてるよな?」

     俺がご丁寧にも、動作付きで示して見せれば、それに思いあたる節があったのかツボにはまったのかは知らないが急にクスクスと笑いだす彼女。

    「だってよ?普通に歩きながらでもよ?だんだん俺のほうに、からだ向いてくるしよ」
    「……ああー」
    「しかも、しかもなっ? たまに歩きながら信号とかで止まるじゃねぇか」
    「うん?」
    「その止まった瞬間に、ぜってーこうやって俺のほう向いてねえ?」

     俺のジェスチャーがおもしろかったのか彼女はクスクスから打って変わって、今度はゲラゲラと品なく笑いはじめた。

    「——まだ、真横でこっち向くならわかっけど、なんつーか……こう、」

     そう言って俺が、自分の手のひらと手のひらを向かい合わせにしてみせたあと「こう向いてくるときとかあるよなっ?」と、真面目ぶって問う。

    「え? あるっ?そんなとき」
    「あるーって!なんなら気づいたら目の前にいるときあるぜ?」
    「ええー!?」
    「いいって、いいって。いちいち、視界に入ってこなくてもよ……ってなんだよ、こっちは。」

     彼女は自分の行動を思い返したのか今度は恥ずかしそうに赤面しながらも、隣で爆笑している。もうやめて、と言わんばかりに俺を弱っちい力でぐーっと押しのけてくるが、俺は頑なに体に力を入れて、それに抗う。

    「なんで……わざわざ旋回(せんかい)してくんだ?アレ」
    「旋回!?やめて、やめて!笑う、もう無理っ」
    「……たまにビビるぜ、立ち止まったら目の前にいてよ。」

     彼女はひとしきり笑ったあとに細い指で目尻の涙を拭きながらまさかの「——癖。」と言った。「はあ!?癖ぇ?旋回してくんのがか?」と俺の抑揚をつけた言い返しに、彼女はまた笑いだす。

    「癖ってなんだ、癖ってよ。」
    「だって……なんか、癖だよ!」
    「……はじめて聞いたぜ、そんな奴いねーって」

     そう吐き捨ててソファにだらしなく背を預けた俺の横で彼女はまだツボにはまって笑っている。俺はそんな幼馴染にして未来の奥さんの姿を横目に見ながらふうと溜め息をひとつ吐き散らして、「……名前」と、彼女の名を呼んだ。
     楽し気に微笑んでいた彼女が「ん?」と、俺のほうを見た瞬間、彼女を見据えて俺は、口の端をわずかに吊りあげてから言った。

    「元気、出たか?」

     溜め息まじりにもそう言えば、彼女は一瞬だけその、大きな目を見開かせてから、すぐに綺麗に微笑んで「うん」と言った。

     ——そんなふたりの日常をふと思い返しながら目の前に広げた挨拶文を、袴の懐に仕舞い込む。そのときスタッフが俺を呼びに来たので椅子から立ち上がった。

     控え室を出た先、綺麗な色打掛を羽織った幼馴染の姿を見つけ、背後から静かに歩み寄って行き「わっ!」と声をかけたら「ひゃああ!」と凛としたその姿に見合わない品のない素っ頓狂な声をあげる。俺がそれを見てゲラゲラと笑えば彼女は横で「ほんっと、嫌い」と顔を背けて不貞腐れていた。ああ〜......やっぱいいな、和装も。なんて無意識に微笑んで彼女を見下ろした俺を無視してスタッフにエスコートされながら先を歩いて行く花嫁さんに、俺もついて行った。

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