愛をありがとう(1/3)

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    「はぁ〜。三井サンが、結婚だってさぁ……」

     俺の口から零された、もう何度目か分からないそんな言葉に対し、隣に座る水戸が浅く笑った。
     挙式は無事に終わり、約二時間という長丁場の披露宴もあっという間にお開きとなったが、今となれば、出された料理の味やメニューすらもよく思い出せない。
     けどまぁ、高校時代の先輩の、あの三井サンの結婚式だ。今日くらいはガマン、ガマンと思い、最後まで営業スマイルを絶やさず、新郎の先輩の顔を立ててやったつもりなので、そこはほんとにありがたく思って欲しい。

     実のところ三井サンたちの披露宴の後、二次会までだいぶ時間があったため、高校時代の親しい友人たちと近くの居酒屋に入った。その間にも、相当飲んではいたが、二軒目のこちらに来て数十分——俺はすでに五杯目のハイボールを手にしていた。それをしっかり数えていたらしい水戸は、そんな俺を横目に自身の手に持っていたグラスの中身をすこし飲んでから、口を開いた。

    「今日はやけに管巻くなぁー。披露宴では『めでたい』って、熱いスピーチしてなかったっけ?」
    「祝福はしてんのよ。」
    「うん?」
    「でもさぁ〜? あの三井サンが、とうとう結婚しちまったんだなぁ〜って思うと、どうにもこうやるせなくてさ……ッ」

     俺はグラスを机に置き悔しそうに言葉をしぼり出した。
     安西先生の祝辞で言っていた言葉の通りいつも朗らかで優しいという言葉が、だれよりも似合う彼女が、すっかり大人となって、今日めでたくも世界一幸せな花嫁となりあの三井サンと結婚したのだ。
     湘北に転校してきたときから、なにかと注目を集めていた彼女は、のんびりとした温厚な性格に今時では珍しい純真無垢なタイプだった。実は、同級生の男子のあいだで密かに人気があったのも事実。三井サンと別れてからというもの次は誰と付き合うのかと、始終、周囲の関心を集めていた彼女だったが、恋愛経験が意外と少なくて(三井サンに夢中だったため)奥手なのは、周知の事実だった。だから結局は、特定のだれかと付き合うような影も姿も見せないままで、彼女は俺たちと一緒に卒業していったのだった。

    「いったい、いつからなんだァ?三井サンばっかモテてさぁ……結局一番乗りで結婚しやがって」
    「え、そっち?」
    「そー、そっち」
    「まあー、お互いに婚約者がいたわけだしなぁ、見方によっちゃ、まさかって感じか」
    「ほんとだよなっ!?あーあ、くっつけるんじゃなかったよー!」

     思わずといった様子で俺が目を剥いて隣に座る水戸を見た。水戸は、心底めんどくさそうに眉をハの字に下げて苦笑する。

    「——でも、結局はお膳立てしたんだろう?」
    「まぁ……だね。——未来の俺たちに、乾杯」

     水戸は想像以上の俺の荒れ具合に同情を覚えたのか、とりあえず半分になったグラスを掲げて、俺の言った言葉のとおりに、乾杯をしてくれた。それでも、俺が悔しそうに奥歯を噛みしめ、ハイボールを一気に飲み干して、その直後「よしっ、もう一杯!」と続けた掛け声に水戸はやれやれと肩を落とした。

    「めでたい席だし飲むのはいいけど、酔い潰れてメインの二次会のときに迷惑を掛けないよーに」
    「何言ってんだよ、そう簡単に酔い潰れねぇし」

     俺はくちびるを尖らせて、運ばれてきた新しいグラスを受け取る。手狭な店内には、ほぼ元湘北高校のメンツの他に客の姿はなかった。水戸は、俺が新しい酒に口をつけるのを横目にゆったりと流れる洋楽に耳を傾けている。なんとなく、聞き覚えのある懐かしいメロディーだったが、歌っている歌手も曲名すらも分からないくらいに、俺はぼーっとしていた。

    「……でも、さ。いい、ドレスだったよなァ。」
    「んー?」
    「名前ちゃんのイメージに、ぴったりって感じでさぁ……」

     しばらくして俺がぽつりとつぶやくと、水戸は思い出すように間を置いたあと「うん」と、短く相づちを打った。俺は手に持ったグラスに視線を落としたまま言葉をつづける。

    「さすが、時間かけて選んだだけはあるよね」
    「しっかり、付き合わされたらしいからなぁー、アネゴも。」
    「……」
    「その期待には応えないと、って思ったんだろ」

     水戸が別の席で、流川や晴子ちゃんたちと楽しそうに、お酒を交わしている彩ちゃんを見やって言う。俺は「そっか」とだけ言い熱に潤んだ目を細めて口をつぐんだ。水戸も、ぼんやりと自分のグラスへ視線を戻しながら、数時間前の結婚式の様子に想いを馳せているようだった。あらためて思い返しても、あれは良い結婚式だった。一生に一度の晴れ舞台のために、ホテル側も、予算内で出来る限りのことをやってくれたとか三井サンも言っていた気がする。純白のウエディングドレスを着た同級生の親友は、人生で一番美しく輝いて見えたし、心の底から幸福さを噛みしめるような微笑みが印象的でそこに辿り着くまでの下準備は大変だっただろうことは察するが三井サンだって結果的に、満足していたんだろう。

     本人たちからしてみれば結婚式の当日まで慌ただしく時間は飛ぶように過ぎたであろうがそこへ辿りつくまでの光景を俺なんかはとくにほとんど見逃さなかったと思う。
     だって結婚が決まって招待状をもらったあともよく二人とは会っていたし結婚の支度やら何でもない出来事なんかも使い慣れていないデジカメにその一部始終を多く残していた三井サンの姿を、俺はそばで見ていたから。
     あの人は昔から、思い出を形に残すことに意味合いを覚えないような性質だった。たとえば部活関係でも学校行事でも。もちろん自身の卒業式や成人式のときも。いつも、その場の空気に流されながら半ば無理やりに写真の中に収められるのが彼の立ち位置だったように思う。
     だからこそまさか自らの意思でカメラを購入し説明書を読み込んで持ち歩き撮影を行いながらもときには「ちょと名前と俺を撮ってくれ」と側にいるだれかに頼む日がこようとは、誰もが夢にも思っていなかっただろう。

     三井サン本人も自分の性格が淡白である自覚はあったと思う。喜怒哀楽の、表現の乏しさ……というか身勝手さは俺たちのお墨付きで、成人してからの彼は団体行動や社交性に興味が浅くたまに笑顔を見せれば、その姿に「心がこもってない」だの「嘘っぽい」とよく揶揄われていた。とくに水戸たち、野郎軍団から。
     そんな彼が、自然とシャッターを切っていたのだからよくよく考えてみれば笑える。彼が多くの写真を残し、それが、式の最後に流されていた。本当に、素晴らしい結婚式だったのだ。今日は、そのデジカメを彩ちゃんに託していたから、今日だけでも更に数百枚の写真が新たにあの真新しいデジカメに収められていることだろう。

     最後、廊下で見送られたときに見せた、あの、三井サンの眼差しは、最高の晴れ舞台を迎えた、彼女を出迎えたときと同じように自然と柔らかくなっていたことを不意に思い返した。そんな事に思い耽っていた俺を横目に見ていた水戸が、俺の回想を容易に察したように「浸ってますねぇ」と言い、たいそう楽しそうに眉根を寄せた。

    「……幸せそうで、なによりでした。」

     そう言って、俺は語尾に、溜め息をこぼした。しかし数秒もしないうちに苦笑いをすると、たまらず水戸の横顔に顔を向けて、こうつづけた。

    「——でもさ。実を言うと俺、名前ちゃんは三井サンと結婚するんだと、思ってたっつーか」
    「……」
    「三井サンに婚約者ができても……彼女が藤真と海外行くって、言ってても」
    「うん」
    「どうせ最後には戻るんだろーな、って……俺、ずっと、そう思ってたんだと思う。」

     それを聞いた水戸は、グラスに入っている酒を眺めたまま静かに微笑した。その横顔を盗み見てそう言えば三井サンたちが卒業していったあとにこいつと彼女が付き合っているなんて噂が立ったこともあったな、なんてことまで思い出して俺も思わず微笑したら、水戸は、持ったグラスを傾けながら言った。

    「みんな、そう思ってたんじゃない?」

     湘北高校の名物カップルと言われていた二人は今日、結婚式を上げた。かつて斜め前の席で酒を飲んでいる花道や流川、ダンナ達と共に戦い共に青春時代を過ごした、すこし気弱で心根の優しく涙腺の緩い男と彼女は晴れて夫婦になったのだ。
     お互いが一目惚れだったにも関わらず、二人はどちらも奥手だったから再会しても付き合うまでにはいろいろあった。ようやく想いを伝えあったものの、手を繋ぐので精一杯だった初々しい恋人時代を送っていた二人のことを思い出す。それを三井サンは、いまでも鮮明に覚えていると言っていた。何かあるたび、どちらも俺に相談してくるものだから二人が付き合い始めても別れてからも結局のところ、卒業するまで俺は、忙しい日々を送っていたようにも思う。

    「みっちーにとって名前さんは家族と同じぐらい大事で、大切な親友でもあったんだろうな。」

     それはたぶん、いま隣に座って、そんなことをつぶやいているこの男も、そうであろう。
     三井サンと彼女は家が近所で、幼稚園から付き合いのある幼馴染らしかった。家族同士も親交のあった二人にとっては水戸の言う通り、お互いに数少ない大切な親友の、ひとりだったのかもしれない。


    『だから、寿と付き合うことはないよ?』


     と——高校時代にも彼女がよく口にしていた。結局付き合ったくせして……なんて、あのときも思ったけど。そんな過去を思い出しながら俺は、グラスの中で氷が溶けて音を立てる様子を見つめつつ、言葉をつづける。

    「——彼女は、俺にとっても親友でさぁ……。」
    「……」
    「幸せになってもらわねーと、困るんだよねぇ」
    「そんなの……その顔を見れば誰でも分かるさ」

     俺は不満を覚えるように顔をそらすと運ばれてきた新しいグラスを手に取って、思い出すような口調で言う。

    「式場でさぁ〜?名前ちゃんが出て来たときの、三井サンのツラ、見た?」
    「ん?」
    「まるで、父親か兄貴みたいに、心底幸せそうに微笑んでたんだぜー?」
    「……あー」
    「あのヒト、本当に彼女のことが大切なんだなーって、イヤでも理解しちまって。なんか、切なくなっちゃってさー」

     水戸が、問うような視線を向けてくる。俺は、これ以上余計な言葉は要らないだろうとばかりにどこか頼りない、空元気な笑顔を返した。それに対して水戸は、言葉を飲み込んだように見えた。
     俺は、水戸が飲み込んだ言葉を察した。いつも冷静で飄々としている水戸の、珍しくも弱々しい微笑みに、自分の心のすべてが見透かされていることを知る。

     ——本当に……よかったね、三井サン。そう、口からこぼれ掛けた言葉は、喉の奥が震えて声にならなかった。

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