忘れられない青がある(4/5)
表紙
目次
しおり
しおりを挟む
しおり一覧
前へ
4/5
次へ
「水戸くん……っ」
「ん?」
「——好きっ……」
「……え。な……なに?」
「言いたいの、好きって」
「……」
「……っ」
「うん……俺も、大好き」
その返しが彼なりの��思いやり強め�≠チていうやつだってことは、わかってる。高校を卒業して以降、彼を避けていたことを、彼は知っていた。会ってしまったら、いつかはこうなってしまうと気づいていたから、会えなかったのに。そういう私の気持ちも全て彼は汲み取っていたのだろう。いずれにせよ水戸くんの弱いところにつけこんでこうして腕のなかにいることを、申しわけないと思った。しかし、いまでは彼のほうから私を抱き寄せてくれている。それが、鳥肌がたつくらいに嬉しかった。ダメだ、涙が溢れる——水戸くん、わたし、わたしね……。
「水戸……くんっ、あの……さぁ、わたし——」
「——抱いて、欲しいよな。」
「へ……?」
「こう言うとき、女の子は抱いて欲しいよな。」
「……っ」
部屋に上がったときよりもさらに奇妙な空気を湛えたまま、彼は低く言った。目の前に男の人がいるって思った。水戸くんじゃない——私の先、遠くを見るようなその鋭い視線に、身震いをしてしまうほどに……��男性�≠�感じた。
「俺がヘタレか、俺が馬鹿か、俺が悪いか……。うん。ぜんぶ、俺のせいだな。」
「……」
「告白して玉砕するより、友達としてそばにいることを選んだのは、俺だから。」
「……」
「なのに、気持ちが抑えられなくなっちゃった。ごめんな?」
「……、」
「でも俺、ヘタレだから名前さんを抱けない」
「……っ」
嘘つき——。告白なんて、友達としてなんて、そんなのぜんぶ嘘だって、わかってる。女の子が喜んで気持ちよくなる術を彼はいつだって知っている。ただ、それだけ。それだけのこと。
私の言いたい気持ちを先読みして言った彼は、ぜんぶ自分が悪いと締めた。まるでこんな状況に持っていったのは自分だったと言いたげに。違うのに、水戸くんは、ぜんぜん悪くないのに。
「寝な。疲れてるだろ」
「……寝ちゃって、いいの?」
「ん?」
「本当に寝ちゃっていいの?なにも、しない?」
「ははっ、いーに決まってる」
「ふうん……」
「……なに?」
「べつに。ちょっと残念だなぁって思っただけ」
「……」
そもそも、けし掛けたのも誘ったのも困らせているのもぜんぶ私なのに、彼は、文句のひとつもこぼさずに、ずっとこうして優しくしてくれる。
彼はきっと前世に、地球を救ったんだと思う。
「抱けないって、はっきり言われちゃったしね。あーあ、傷つくなぁ……」
「……あれよ?名前さんに魅力がないとか、そーいうんじゃ、ないですよ?」
「……」
「やれやれ……そんな顔しないの。」
この期に及んで悪態をつく私に対し彼の口元が仕方なさそうに緩く弧を刻む。しかし、それからゆっくりと彼が口を開いた。
「泊めてやってるとこタテにそんなマネしたら、名前さんに、トラウマ植え付けちまうから」
「……」
「俺、君だけは傷つけたくないの。わかって?」
「……、」
「だから、なぁんもしねーよ、安心して?」
「……。」
水戸くんってこんな人だったんだ。優しいな、とは思っていた。でもただ優しいだけじゃない。こんな見た目でこんな倫理観を持ち得るものなのだろうか。概念を覆されるほどの器量だ。
懐の内側を知ったらきっといまの関係のままでいられなくなる。たぶん、このまま同棲したいと訴えれば彼は呆れつつも結局は受け入れてくれるだろう。だけどね水戸くん、きょうだけは——。
「水戸くん——」
「はい」
「水戸……くん」
「……はァ、」
「好き……って、言って——」
「——っ」
ぐるりと。横向きになって彼に抱きついていた私の体が反転して天井を向いた。けれども天井は見えない。見えたのは珍しく眉間に皺を刻んだ、水戸くんの怖い顔。
彼が、私の手首をつかんで押さえつけた瞬間、あっ、と思った。この人、私のことをちゃんと、女だって思ってくれているんだなって。なんだかそれが、この空気も読めず、くすぐったかった。
「……ねえ。俺に、どうしてほしいの。」
「……、」
「俺は、読唇術なんか使えないぞ? 言って。」
「わ……、わたしの愛、ってさぁ、——重い?」
「重くない。なに?だれがそんなこと言ったの」
「……っ、」
「そんなの……相手の愛が、軽いだけだろ。」
「——っ、」
まずは自分の生活を立て直してから。そうでなければ婚約者に振られて追い出されたから新しい男のもとへと、転がり込んできたみたいになる。そんなことをしたら、水戸くんまで汚してしまう気がした。だからちゃんとした大人になるのだ。リセットする期間を設けて、そして次回は普通にいままでの関係で��友達�≠ニして、ここに入れてもらえるように……でも、いまは。いまだけは。
「水戸くん、す——」
「すきだって言ってるだろ。聞いてた?さっき」
「……」
「大好き。俺、ずっと名前さんが好きだよ。」
「……っ、」
はっきりとした口調でそう告げた、痛いほどに鋭かったはずの彼の視線はもういつもの優しげなものに戻っていた。
「……これで、満足したかい?」
それでも、困ったような声でそう問う彼の顔を見上げて私はそっと彼の左頬に手を添える。その手に彼の手が重なった。振り払おうとしたのか、頬から、手が引き剥がされそうになったそのとき私は、彼の目をまっすぐに見て言った。
「もっと言って欲しい。」
「……」
「もっと、触って欲しい」
「……、」
「思いやり——強めが、いい……」
「……。」
水戸くんが一度ゆっくりと瞬きをした。見つめられたその切れ長の瞳はやっぱり、慈悲に満ちた瞳をしていた。そうして彼はすべて諦めたようにつぶやいた。低くて、でも、甘く切ない声音で。
「……了解。ぐっすり眠れるように協力するよ」
水戸くんが覆い被さってくる。私の肩口に顔を埋めて、強く私を片手で、抱きしめながら——。
慣れた手つきでスウェットに入ってくる指先は決していやらしい手つきで私を弄ぶことはなく、撫でるように、慈しむように、私の肌に触れる。もちろんその指先がブラジャーのホックにかかることもない。首に、頸に、息はかかっても、そのくちびるが私の肌に触れることだってない。このまま流されないためか、それともこれが彼の言う��思いやり強め�≠ニいう奉仕なのか。時折、肌をくすぐってくる彼のおかげで室内には甘い雰囲気とは思わしきクスクスという笑い声が響く始末。脇の下をくすぐられたとき、思わず「水戸くんのスケベ」って言ったら「スケベ? 欲張りなだけさ」って耳元で、優しく言い返されて終わった。
お風呂上がりの、初めて見る彼の下された髪。その猫っ毛の髪がくすぐったくて、それでも私はいま、隙間なく満たされている。耐え切れなくてシーツをつかんだ手を、水戸くんが上から握ってくれる。そのクスッと笑った息遣いが、ますます私を苦しくさせた。
「ねえ、水戸くん……」
「……ん?」
「水戸くん、彼女いるよね? ごめんね……。」
「……いたら、他の子にこんな奉仕しないです」
「——。……うん、ごめん……」
「もう謝るの禁止な?次謝ったらチューするぞ」
「……。ごめん——。」
「ははっ、言うと思ったよ。」
「ふふっ」
そういえば今夜は満月で、こう言うのをなんて言うのかな……。ルナティック? いや、プラトニック。ねぇ神様、今夜は愛を感じられますか?あぁ、月明かりが照らしてる、こんな夜は——。
水戸くんはたくさん私の頭を頬を優しく撫でてくれた。めいっぱいに女の子が喜びそうな単語を並べて甘い言葉攻めをしてくるから、キザだな、って。慣れてるなぁって。それ以上言われたら、虫歯にでもなりそうだな、なんて思ったけれど。でも、虫歯になってもいいかなぁって。だって、今夜わたしが彼に求めたのは、まさに��こういう思いやりのカタチ��——だったから。
「だれになにを言われようと、幸せになるために生きていいんだからな?」
「うん」
「自分の好きなように生きていれば自然と仲間は集まってくる」
「うん、」
「否定してくる人は名前さんの人生には登場させなくても、いいんだ」
「……うん。」
水戸くんはキザだけど、それでも「忘れろよ」とか「とにかく俺と付き合えばいい」とか、そういう軽い言葉は言わない。「いい子だね」って。まるで母親のように、そんなふうに扱ってくれている気がした。ただひとつだけ気になったことは『純粋な人ほど凶暴だよな』と不意につぶやいたそのひと言だけ。その真意はわからない。でも、聞かない。むずかしいことは、聞かなくていい。
「水戸くんって、やっぱり優しい」
「優しくないよ。俺みたいなのはとくにな」
「そう?」
「んー。優しいっていう文字はさ、こう……人を百回愛する、って書くだろ?」
「たしかに……そうだね。」
「だったら優しいのは——」
「……」
「名前さん、君のほうさ。」
情けは人の為にならず、巡り巡って己がため。差し詰め——ブーメラン。でも、これが情けでもそうでなくても、もうなんだっていいのだ私は。散々、愛でられて笑い疲れて強い眠りに引き寄せられて目が開いてられなくなる。そんな私の顔を見た水戸くんが、くすりと笑うのが見えた。低い湿った囁きが夢と現実のあいだにふわりと響く。
「……どうせ寝れねぇ俺のぶんまで、代わりに、たっぷり寝な……。」
「……、」
「おやすみ、名前さん。」
「……。」
こんなにぐっすり眠れたのはいつぶりだろう。伝わる手の温もりだけで、こんなに安らげるものなんて、知らなかったよ。
前へ
4/5
次へ
Back
/
Top