平行線をたどる日々

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     喧嘩した。懲りもせずにまた。もう何度目かもわからないくらいだけど。とにかく旦那と喧嘩をした。『お前には付き合いきれねえ』とばっさり言い捨てられた、あの心底呆れて愛想を尽かした表情を思い浮かべる。きょうまで彼と向き合ってきて喧嘩なんていくらでもしてきたけれど今回は本当になんていうか、かなりショックだった。

    「はぁ〜あ……」
    「ははは。すっごいオーラだ。幸せ逃げて行っちまいそう」
    「だって……あんな言い方しなくたってさぁ」
    「そうねえ」
    「私のこと尻軽女って言ったんだよ?久しぶりに中学時代の友人とご飯食べに行っただけなのに」
    「男だったんだろー?その相手。じゃあ怒るだろあの人なら」
    「ちがうよ!いや、違うくはないけど……でも、ホント、ただの昔からの知り合い。友達っ!」

     私の勢いに気圧されて目を見開いたあと、私の隣に腰を掛けている彼は浅く溜め息をついてから言い放った。

    「ま、気にすんなって。そのうち機嫌も直るさ」
    「……もう、なんか疲れちゃったよ」
    「……」

     目の前に置かれている水割りとレモンサワーのグラス。広々と高い天井を見上げながら溜め息をついてみたり酔っぱらって管を巻き、唸っている私に対して水戸くんはずっと苦笑いをしている。

    「私たちって、どうして結婚したんだろう……」
    「ははっ、さぁなー」
    「このまま喧嘩ばっかりの結婚生活だったらどうしよう……」

     うな垂れてグラスの溶ける氷を見つめる。水戸くんは気怠そうに頬杖をついていた手を解き杯をぐっと呷った。喧嘩がヒートアップすると最近はお互いに家を飛び出す。だが、行き先はだいたい決まっていて相手はリョータくん、私は水戸くんのところだ。今日も今日とて水戸くんの店に顔を出したら珍しく水戸くんはお休みだった。普段はそこで諦めるが今日はなんとなく彼に電話をしてみた。そしたら「久しぶりに飲みにでも出る?」なんて誘いを受け二つ返事でその誘いに乗った。

    「一生喧嘩しててもいいんじゃねーの?」
    「ええ? やだよ、そんなの……」
    「だってほら、喧嘩するほどなんとやらってよく言うだろ?」
    「どこがいいのかさっぱりわかりません!はぁ〜今日もこのまま、あの気まずい空間に帰らないといけないのかぁ〜、地獄すぎる……」
    「じゃあ、俺んち来る?」
    「……」

     ジロリと睨みつけると彼は「ははは、冗談」と笑ってみせた。私が大きく溜め息を吐き出すと、彼はうんざりしたような、はたまた困ったような顔で私を一瞥した。
     私はズルい女。この子といると旦那が近寄ってこないことを知っていて、こうして彼を利用しているのだ。水戸くんに優しさなんて求めていないし、べつにそこまで傷ついてもいないけど。ただ今は言葉の遣り取りをしてくれる人がいるだけで癒されるから。たとえそれが��旦那様の宿敵�≠ナあったとしても私の話を聞いてくれるだけで大変ありがたいものだ。

     週末はいつも満席で賑わっている駅前のBARカランカラン!と入口のベルを鳴らして三人組の女の子たちが入ってくる。どうやらすでに酔っぱらっている様子で、さらに店内が騒がしくなる。カウンターにその女子たちがやってきてマスターに「ウォッカ〜!」と注文している。マスターは嫌そうな顔を隠そうともせずに素早く三杯の酒、ウォッカのショットを彼女たちに提供する。彼女たちはそれを一気飲みしてから、ダンスフロアで踊り出した。その様子を見ていた私と水戸くんにマスターがこっそり耳打ちしてきた。

    「独身女性が集まってバー巡りしてるんだよ。」
    「へえ、そうなんですか? あ、常連さん?」

     マスターは私の質問に怪訝な顔をして首を縦に一度だけ振った。「10人いるんだけど今日は3人だけ生き残ったらしい。関わらないよーにね」と苦い顔で注告をして、他の客の酒を作り出した。しかし注告を受けた矢先、中の一人がバン!とカウンターを叩いて「ど〜もぉ〜」と私たちに声をかけてきた。私は当然驚いて目を見開きそのまま固まってしまったが水戸くんは嫌な顔も見せず、微笑みながら慣れたように言葉を返す。

    「どーも。酔ってますね」
    「真ん中の白い服の子が、もうすぐ結婚するの。一緒に飲んでくれない?」
    「ははは、おめでとう。でも、遠慮しとくよ」
    「他の女友達が帰って落ち込んでるの。3人じゃパーティーにならないから!可愛いお姉さんと、かっこいいお兄さんに混ざって欲しいの!」
    「ごめん、断る」
    「いいじゃん、水戸くん」

     気づいたら私はそう口を挟んでいた。今度こそ驚いた顔で水戸くんが私を見やる。どうやら私も結構、酔っぱらっていたみたいだ。自分の発言に気まずくなって目を泳がせているうちに「やったぁ〜!」と彼女に手を引かれて、ダンスフロアに連行されてしまった。

    「お兄さんも来て!」

     カウンターに誘いに来た子でも結婚するらしい子でもなく、残りの一人が声を張って水戸くんのそばに行き彼のことも勧誘しはじめた。腕をブンブンと揺さぶられる水戸くんが私のほうを見て、嫌悪感を明らかに訴える目は、真剣そのものだ。

    「いや、俺……疲れてるから」
    「私の結婚を祝ってぇ〜!!」

     私のそばにいたすでに白い服の胸元がワイン色に染まっている本日の主役らしい彼女がそう声を張ったときついに観念したみんなの救世主である水戸くんが「わかった、わかりました」とカウンターの椅子からようやく重い腰を上げた。そして結局水戸くんもこの場に連行されてしまうオチとなってしまったのである。
     とりあえず一杯ずつウォッカに付き合って水戸くんに「もうお店、出る?」と目配せをすると、「そうしよう」と目配せで返事が返ってきたので盛り上がり最高潮のときに大変申し訳ないと思いつつも、爆音のBGMに負けじと私は声を張る。

    「お姉さんたち!ごめんね、私たち帰るから!」

     それを合図に水戸くんがそっと私の手を引いてダンスフロアを出た。カウンター上に水戸くんが代金を置いたことに気づいたマスターがウインクしてお金を受け取ったのを確認してからそそくさと店をあとにしようとした私たちに向かって本日の主役の彼女が「待ってよぉ〜!」と走ってきたことで、このあと、最悪の悲劇が起こる。

     ——ガシャーン! バタン! ドンっ!!

     シーン。思わず私と水戸くんはお店の出入り口付近で、息を呑んで固まった。確実に10センチ以上はありそうなヒールを履いていた彼女が足を滑らせ顔面から床に転倒したのだ。傍のテーブル席を巻き込んだおかげでガシャン、バタン、ドンという音が鳴ったわけである。そして店内が静まり返ったという流れだ。咄嗟に私と水戸くんは、彼女の元へと駆け寄る。その間に私がマスターに「救急車呼んでください!」と叫んだ。水戸くんはそっと彼女の肩に腕を回して柱に背中を添えるように座らせた。私も急いで彼女のそばにしゃがんで顔を覗き込んだが「あ」と口を開けて言葉を失った。だって初めて見た。人間の鼻が血まみれになって曲がっている光景を——。

    「ねえ、どうしよう……ひどいんでしょう?」

     震えながら、私と水戸くんを交互に見て聞いてくる本日の主役様に私と水戸くんはどう言い返すべきか言葉に詰まる。たしかにお世辞にもひどくないとは言い難い。すると、どこからか明るげな声が聞こえてきた。

    「大丈夫だって〜、ちょっと血が出ただけ!」
    「ちょっと?どこが!これで!?6日後に結婚式なのに!こんなんじゃ、式に出られない……っ」
    「出血多量で死んだら何も問題なしだって〜!」

     三人の会話をしばらく聞き流していたが、その言葉に水戸くんと私は同時に背後の二人を見た。残りの二人は気だるげにテーブルに腰をあずけて未だに酒を煽っていた。水戸くんの、無意識から出た睨みに怯んだのか、焦った様子で内の一人が「そーいう手もあるって話!」と、付け加える。他の客やマスターが綺麗なタオルやティッシュを私と水戸くんに手渡してくるので、これは処置をしなければならない展開だと瞬時に察し、きっと確実に折れたであろう、血だらけの鼻にタオルをあてがった水戸くんが諭すように、現在進行形で負傷中の彼女に「あ、あのね?」と語りかけた。

    「バージンロードを歩くとき——新郎は君自身を見るんだ。」
    「わたし、自身……?」
    「そう。化粧でもドレスでも傷でもなく、一緒になるべき人なら、君自身を見る」
    「やだ……それって、なんか、すこし怖い……」
    「……ああ、そうだな。」

     低い声だ。一瞬で酔いも醒めてしまった私は、彼女を宥めるように肩を摩る一方ですがるように水戸くんを見る。彼は、冷静な眼差しで目の前の彼女を見つめている。
     なんていうか水戸くんってやっぱりすごいなぁとか呑気に考えていたら水戸くんがハァと小さく溜め息をついてから、明らかにその先を言いたくなさそうにして、やや眉間に皺を作って続けた。

    「結婚式で新婦の姿を見たとき、しばらく時間が止まったんだ。」
    「……時間が、止まる?」
    「うん。そこにはさ、ただ彼女しかいなかった」
    「……」
    「たしかに将来は怖いかもしれない。けどそれもきっと、楽しみのひとつさ」
    「……、」
    「先はわからない、それが結婚の特別なところ。良い事も悪い事も、分かち合いたい人と出会う」

     カラン——と、背後で誰かのグラスの氷が音を立てる。覗き込むように水戸くんを見ながら時々沈黙によって拭い清められた彼の男前な表情には私も照れて困惑してしまうほどだと思った。かと言って、黙り込んだときのこの子が知らない人のようだとは思わなかった。水戸くんは、水戸くんだ。何をしていても。上機嫌でも、不機嫌でも。
     折れた鼻が痛むのか顔を顰めながらも彼女は、物思いに耽るように、なにかを考え込んでいる。私は視線を水戸くんから彼女に移して、その顔を覗き込んで問いかける。

    「愛してる? 婚約者の、彼のこと。」
    「え?」
    「私は彼のこと、ずっと愛してた。彼の全てを。好きになれない点すらも、愛おしいって思うの」
    「……、」
    「……ねえ、どうかな?」
    「一緒にいてほしいって……思う。愛してるし、彼も、私を愛してると思う。」 

     真っ直ぐに私を見て偽りなく答えた彼女に私は微笑んだ。それを一番近くで見ていた水戸くんがいつもの優しい声色で、そっと彼女に訊ねる。

    「いま、一人だけ呼べるなら誰にいて欲しい?」
    「形成外科に勤めてる……わたしのお母さん。」
    「はははっ、なるほど。じゃあその次は?」
    「……婚約者。」
    「よし。それでわかる。それがすべてさ。」

     フッ、と水戸くんが彼女に微笑みかけて言ったそのとき、店の外からけたたましい救急車のサイレンの音が聞こえてきた。それに気づいて急いでマスターが出ていく。私と水戸くんもとりあえず一件落着とでも言わんばかりに、盛大に溜め息を吐き出して立ち上がった。すると、水戸くんから引き継いだタオルを鼻にあてがったまま負傷中の6日後の新婦さまが私たちを見上げながら問う。

    「待って……もしかして二人は結婚してるの?」

     思わず「え」と、私と水戸くんの声が重なって出た。横目で目を合わせてどう答えるべきか考えあぐねている私たちを置き去りに彼女が脱力した様子でつぶやく。

    「二人みたいな最高のカップルになりたい……」

     言葉を返す間も無く「どいてくださーい!」と救急隊員の二人組がストレッチャーを押して中に入ってきた。あれよあれよという間に、6日後の新婦様が救急車内に担ぎ込まれていき数分後にはその救急車のサイレンの音も聞こえなくなった。

    「——ふたりは、夫婦の鏡だね。」

     呆然と突っ立っていた私と水戸くんがその声に振り返ると相手はマスターだった。マスターは、「ただ、それだけ伝えたくて」と言い置いて床の掃除をしはじめた。私と水戸くんは目配せをし、おかしくなって、なぜか一緒に笑って店をあとにしたのだった。
     駅までの道程をお互いに血だらけの衣類に身を包みながら歩いている最中、音もなく笑っているような気配がしたので、横を歩く水戸くんに目をやると彼は喉の奥でくつくつと笑っていた。私は怪訝な顔つきで問いかける。

    「……なに?」
    「んー? いや、笑っちまうよなー、なんか」
    「うん、たしかに」
    「……さっきの子、幸せになれるといいな」
    「……うん。……ねえ、さっきの話、さ?」
    「うん?」
    「だれの、結婚式の話?」
    「……」
    「作り話? それとも、体験談?」

     やっぱりそこ、突っ込んでくるわけね?とでも言いたげにギロリと横目で睨みつけられる視線に内心怯えつつも、目を逸らさず見つめ返すことに成功する。水戸くんは睨むのをやめて緩い口調で言葉を返してくる。

    「さあー、どうだろうなー」
    「えー、教えてよ。血に染まった仲じゃん!」
    「ははは、いやです」
    「いいじゃん、お願い! ねっ、水戸くん?」
    「黙秘権を行使します」
    「え〜!なんでよ!お願い、じゃないと今日また眠れなくなっちゃうからー!」
    「俺——結婚式なんてまだ一回しか出たことないですけど?」
    「……っ、」

     まんまと罠に嵌められて(?)押し黙ったあとなんだか自意識過剰にも恥ずかしくなってきて、バシンッ!と彼の背中を叩いたけれど、それには動じず至って冷静に歩みを進める彼の靴がこつんと音を立てて止まった。反射的に私も足を止めると両手をポケットに入れたままの水戸くんが私と向き合う姿勢を取る。私も自然と背筋が伸びた。

    「全部、見守ってるよ」
    「え......?」
    「名前さんとみっちーは、喧嘩してるときがいちばん、君たちらしいと思う」
    「ああ......一生喧嘩しててもいいんじゃねーの?って、言ってたもんね、さっきも。」

     我ながら根に持っているなぁと思いながらも、嫌味っぽい言い回しが止まらない。そんな自分が嫌になる。

    「うん。順調なときは、つまんなそーにしてる。とくに、名前さんがな?」
    「え、ウソ? 私、メンヘラじゃん」
    「え、ウソ? 自覚なかったんだ?」
    「……も〜ぅ、水戸く〜ん?」
    「はははっ」

     水戸くんって、ほんとうに不思議な子だ。私に恋をしているわけじゃないのに全部、見守ってるって。全然わからない。意味不明。きっとこれは冗談なのだろう。いつもと同じ。おもしろがっているだけ……そうだよね?ねえ、水戸くん——。

    「——さて、次は俺の店でも行くかい?」
    「え? こんな血染めの格好のまま?」
    「そう。仲良く血染めの格好のまま。」
    「……」

     この子ってやっぱり昔から変わらずに何を考えているのかさっぱりだし、怖いからもう頼らないほうがいいのかもとは思うけど、きっと小まめにこうして私はこの子を頼り続けるのだろう。

    「きっといるぜ?店に。君のフィアンセ」
    「……もう、フィアンセじゃないけどね」
    「ん?」
    「��済み�≠ナすので。そのフィアンセと」
    「ははっ、済み——ねえ。そりゃそーだ」

     ややご機嫌な様子で上着のポケットから煙草を取り出した水戸くん。それを咥えて火をつけて、フーと煙を吐きまた歩き出す。そんな血と煙草がやたらと似合う彼の後ろ姿を眺めつつ私は小さく溜め息をひとつ吐いてから人類みんなの救世主、水戸洋平の背中を追った。










     変わらない ふたり の世界。



    (あー、今日は月が綺麗だなー)
    (……)
    (なーんて、な?)
    (——あ、あのさあ!この際言わせてもらうけど)
    (んー?)
    (もうそーいうの、ホントやめた方がいいよ!?)
    (え? そーいうのって、どーいうの?)
    (〜〜〜っ、なんでもないっ!)
    (ははっ)


    ※ image song『 ルナ/waka 』

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