tiimalasi−最愛−
side:三井

 その人をいつ好きになったのか覚えていない。笑い声が聞こえると、ついそっちを見てしまう。話せた日はうれしい。他の誰かと仲良くしていると、気になって仕方がない。会えない日はつまらない。ふたりになれたときはこのままで居たいと願ってしまう。気付いたときにはもう、この世でたった一人の特別な人になっていた。
 もし遠くへ行ったとしてもそばに居られないとしてもその人が胸の中から消え去ることはない。

 彼女の名前は、名字名前。
 その名が、俺の幸福だった人生を狂わせる前の彼女との話をしようと思う。

 俺はずっと彼女の事が好きだった。彼女は俺にとって、この世にたった一人の特別な人になっている。彼女への想いが溢れすぎて、美しすぎて、もうその名前を耳にするだけで、何回聞いても泣けてくるほどに——。

 バスケットと共に歩んだ十五年間。中学MVPに選ばれたときに出会った俺の人生の目標となった人物、安西光義先生。
 先生の言葉に感銘を受けて当時、高校バスケと言えば決まって名を連ねた強豪校の、陵南高校や海南大附属高校の推薦を蹴ってまで俺は、先生がバスケ部の監督を務める神奈川県立湘北高校へと入学した。
 当たり前にバスケ部に入部した俺の夢と希望に満ち溢れていた入部初日。俺は左膝を負傷する。そのまま��バスケットボール�≠ゥら退いた、俺の高校生活における二年間は、悲惨なものだった。

 俺が高校一年生、彼女が中学三年生になる時に向こうが神奈川を去った事で幸いにも俺の暗黒の高校二年間の出来事を彼女は知らない。傷害事件を起こした俺を救ったのは、かつての不良仲間、徳男たちとバスケットは素人だった一年坊、桜木花道の仲間、水戸洋平を含む奴の友人達だった。
 そんな周りの人たちからの助けにより高校三年生の春、十八歳を目前にしてまた愛すべきバスケットボールを触ることができたのだ。そんな中、俺の通う湘北高校に、突如転校して来た人物——幼馴染の彼女に再会したのはインターハイ予選が始まって間もない頃だった。
 ��最愛の彼女�≠ニ晴れて恋人同士になれたのはインターハイ予選の真っ只中。充分すぎるほどの幸せな高校生活を送っていたが高校時代に彼女と付き合っていた期間で言えば実は半年ちょっとという短い期間だ。なぜならばその年のクリスマスイブに、俺があっさり彼女から振られてしまうという結末を迎えるからだ。
 あの日、彼女の手を意地でも離さずに一生分のわがままを使い果たして彼女を引き留めていたら俺の人生もまたきっと変わった景色だったのかもしれないとも思う。
 そんな彼女と出会い、別れ、再会を幾度となく繰り返し、またしても��恋人同士�≠ノなれたのはお互いが社会人になってからのことだった。俺は今こうしてまた彼女と一緒に過ごせている自分の人生を結局のところなんだかんだと言いながらも結果的には幸せでむしろ誇りにすら思っている。

 彼女と復縁するまでのあいだ、俺にも相手にも��婚約者�≠ェいた。彼女と別れてからの俺の人生を語らせてもらえば、まずは受かった大学に通いバスケットボールに明け暮れ、高校教師になり、気付けば婚約者も出来て……きっと傍から見たら教科書通りの人生を送っていたように見えなくもないだろう。けれども俺の人生は、高校三年生のクリスマスイブから止まったままだったのだ。
 運命の歯車がまた大きく動き出したのはあの日俺の実家の前で、幼馴染の彼女と再会した日からだったのだろうと思う。そして気づけば幼馴染と寄りを戻してから、二度のクリスマスイブを越す事が出来た。もうそろそろ12月24日の��トラウマ�≠焉A消え去っていい頃だろう。

 俺を散々いたぶってくれて、俺をバスケ部へと引き戻す大きなきっかけをくれた水戸洋平。いまではその水戸が親戚と切り盛りする居酒屋(昼は飯屋)に入り浸る事も多くなった。何かと私生活のことで(主に彼女との痴話喧嘩)助けてもらっているが、それは口に出さずとも昔もいまも変わっちゃいない事実だ。その水戸の店で、俺の高校時代のバスケ部の後輩兼、今では親友に(言葉にしたくはねえが)なってしまった宮城に言われたひと言。

『三井サンって名前ちゃんと付き合ってるからって、もう結婚した気にでもなってねえ? 』

 言われたのはちょうど「同棲しないか?」と、彼女に言おうか言うまいか悩んでいた時だったと思う。確か宮城に突拍子も無く彼女と同棲したい旨を伝えたときに言われた言葉だ。

『今の三井サンってさ、とりあえず名前ちゃんを繋ぎ止めたいみてえな感じに見えるし 』

 あながちその見解が間違いでもなかったので、返答に悩んだ。それでもいまこうして彼女と同棲しているのも、またひとつの事実。
 住居に選んだ土地は都心まで電車で約一時間。俺の勤める湘北高校までは約二十分といったところにある地元、神奈川県だ。五階建ての新築マンション。やや駅近、コンビニやスーパーも近隣にあって、駐車場や駐輪場も目の前と、申し分無い物件だった。
 俺は以前の婚約者と数ヵ月だが同じ屋根の下で暮らしていたこともあるのでなんとも言えないが幼馴染の彼女は誰かと同棲するのはこれが初めてらしかった。それでも何とか同棲まで漕ぎ着つく事が出来て安堵していた俺はプロポーズはどんなふうにすればよいか、入籍は何月何日がいいか、結婚式はどうするのか。そんな事を日々、呑気に考えていたのだ。この時はきっとこれから起こる出来事なんて想像もせずに平和ボケをしていたのだろうと思う。

 同棲するまでの間も彼女は臨時で仕事をしたり資格を取ったりと長い間働いていた職場を離れても後悔したり落ち込んだりする様子もなく、楽しそうにも暮らしているかのように見えていた。
 そんな彼女が、約一週間前に言ってきたこと。『やっぱり、ちゃんとした職に就きたい。面接が決まった』との報告。派遣社員としてではあるが大手企業から枝分かれした子会社らしい。何やらITビジネスや株取引がうんちゃらかんちゃらで、その受付?だか経理?だか何だかあーだこーだと言っていた気がする。(よく内容は覚えてねえ)

 彼女が面接の日の平日。湘北高校は、振り替え休日で珍しくバスケ部の練習も休みだった。彼女が不在のため手持ち無沙汰になってしまった俺も久しぶりに都心方面に買い物がてら、ドライブにでも向かおうかと、ぼんやり考えていた。面接は午前十一時だったか、とにかく午前中との話だったので同居人を玄関で見送り午前中はダラダラと過ごす。そしてこれまたダラダラと準備をしはじめて久しぶりに髪の毛をセットして出かけるかと洗面所に向かったあたりで、やっぱり今日出掛けんのやめよーかな。なんかダリぃしよ……と心が折れかけたがなんとか準備を終え車に乗ったのは午後二時過ぎの事だった。しかし後になってからこの行動を後悔するはめになる。ああ、やっぱり家を出ないでダラダラ過ごして彼女の帰りを待っていればよかったな、って……。


 *


 都心の駐車場代は高額ということがすっかり頭から抜け落ちていた俺は本当にただドライブするだけのかたちで夕方過ぎにマンションのある自宅付近に戻って来た。
 彼女と住むマンションまで車を走らせればあと十分くらいというところで、目の前のコンビニに降り缶コーヒーとコカ・コーラのペットボトルを買って車に戻る。そのとき不意に名前を呼ばれた気がしたが、空耳だと聞き捨てて車のドアを開け放つと——


「ひさし!」


 と、もう一度、俺の名がはっきりと呼ばれる。
 運転席側のドアの取っ手に手を掛けたまま振り変えった先——そこに立っていたのは、まさかの人物だった。

「覚えてる?」
「……、」
「覚えてないなんて、言わせないよー?」

 覚えていないとかいるとか、それ以前の話だ。
 そこにいたのは大学時代、俺の後輩でその先、俺の婚約者になった、みょうじなまえだった。


 - back - →
TOP
VERTEX