≪Chapter 12≫
明るい未来を
あるとき私は知ったんだ
別々に生まれた私たちだから
自分のことを不完全に
思ってしまうんだろうって。
おなじ幸せを願いながら
おなじ傷を心に刻む。
いつだって聞こえているよ
私の名前をその呼ぶ、その声。
だからもう泣かないで
あなたの思いは、伝わっているから——。
*
かなりの時間、見つめ合っていたように思う。さすがに痺れを効かせたのか相手が、ゆっくりと口を開いた。あきらかに、疑わしい目つきで。
「で? 返事は?」
「え! あ、ああ……返事……、」
挙動不審のごとく目を泳がせる私に相変わらずジト目を向けて来る幼馴染。動揺して、どうすることもできずに私は、咄嗟に視線を逸らす。
「��いいえ�≠ゥ��保留�∴ネ外の言葉でな」
「なっ!そういうの誘導尋問って言うんだよ!」
「じゃあ、さっさと返事しろよ」
「な、なにそれ!そんなプロポーズの仕方聞いたことない!」
「ぎゃーぎゃーうっせーな、だったらハイでいいだろうがっ!」
「んなっ……」
とたんに言葉に詰まった私は、ハアと溜め息を漏らして、また正面に向き直った。
「——そのまえに」
「あ?」
「ちゃんと話し合っておきたい事とか解決しときたい事がある」
「なんだよ?……じゃあ、どーぞ?」
「……、」
「しょうがねえから、朝まででも聞いてやるよ」
言われて、そっと振り向けば、いつものように口角を僅かに吊り上げて目を細め、勝気な笑みを浮かべる幼馴染がそこにいた。わしゃわしゃと、私の髪の毛を撫で回す彼の手を私がさっと払う。
「ほんと、ごめんな。」
ややあった沈黙のあと同じく正面を向いた彼が先にぽつりと言った。何も言い返して来ない私を不審に思ったのか、彼は「聞いてんのか?」と、私の顔を不服そうに覗き込む。
「いや……どれ?」
「あ? なにが」
「え、謝罪の内容だよ」
「……」
「鎖骨を食いちぎったこと?首絞めたこと?私で抜いたこと?ストーカーしたこと?」
「あ!?ちょ、待てよ、なんだストーカーって」
「はあ?サイテーなんですけど。水戸くんと海にいたこと知ってたでしょ?どーせ着けて来たんでしょ?」
「は? ああ、あれか。あれ、水戸から聞いたんだよ」
「え?」
彼は私と目が合うやいなや、そっと視線をまた海の方に戻した。私はそんな彼の横顔をじいっと見つめていた。
「アイツ学校に来てよ、練習中に。んで、喝……入れられた」
「……なんて?」
「え? お前と向き合う気がねーなら、きっぱり別れたほうがいいんじゃねーのかって」
「へえ……意外。そんなおせっかい焼くんだ水戸くんって」
「おせっかいっつーか俺の事ムカついたんだろ」
「そうなのかな?」
「もういい加減、前向けって言いたかったんだと思うぜ。過去に囚われてんじゃねーよ、ってな」
「……」
「アイツは、昔っからあーだ」
私は納得するように「ふうん……」と相づちを打ちながら何度か首を浅く縦に振った。わざわざ会ったことを伝えに行くなんて……なんか、水戸くんにも迷惑かけちゃったな。
「ったく。なんの因縁だよ」
「ん?」
「また、同じ体育館でドヤされるなんてよ……」
「ふふ、」
思わず笑ってしまった私を、横目で睨みつける彼から視線を解いて、今度は私から持ち掛ける。
「で、さ?」
「あ?」
「どれに謝ってんの?って質問、早く答えてよ」
「全部。」
「うわ浅っさー。何かコンパクトにまとめたね」
「もう、素直になりてえんだって。もう……回りくどいことはしたくねえんだよ」
「……」
「ほんとに全部……悪かったって思ってるよ」
海に視線を向けながらそうぽつりと言った彼に私も逃げずに素直に真正面から彼と向き合うため言葉を繋ぐ。うやむやにはしたくなかったから。いま言わないと、きっと私はまた言えなくなってしまうから。
「どうでもいいって、言ったじゃん……」
「……」
「わたしのこと、どうでもいいって——」
「あれはっ!あれは、自分のことだっつーの!」
私の言葉をさえぎって、彼が強い口調で言う。
「自分のこと言ったんだよ、どーでもいいって」
「……」
「おまえにそんなこと言わせた俺なんてどーでもいいっつーか、ひどいことして、俺なんてって」
あからさまに落ち込んだふうなその姿を見て、また私はクスッ、と笑ってしまった。そんな私を一瞥した彼はハアと抑揚をつけて溜め息を吐く。幸せが逃げていってしまいそうな深い溜め息だ。
「私も。なんか、ずっと気まずい感じになっちゃってて、ゴメンね」
「……」
「藤真さんとのことも、ちゃんと説明もなしに」
「いや……気にすんな」
「もーう、気にしてよねー?」
「……はぁ?」
この状況で愉快そうに言った私の声に驚いたのか眉を歪めつつ目を見開いて彼がこちらを見た。
「そういうの、もう……いいよ」
今度は落ち着いたトーンで優し気に問いかけるかのように相手を見ながら言えば、彼も私の目を真っ直ぐに見つめ返してくる。
「俺なんてとか、気にすんなとかさ、隠さなくていいよ。寿の……本当の気持ち」
「……。」
しばらくお互いに見つめ合ったまま時間だけがゆっくりと流れて行った。でも今は安っぽい言葉なんかがなくても、もうちゃんと通じ合えている気がした。
正面に体を向けていた彼が半回転して石段の上にあぐらをかく。そうして、私と向き合う体勢を取ったので、私もそれにならって、彼と向き合うように座り直した。なんか、変なの。
「藤真さんとはね、なんにもないの」
「……うん」
「頼りにしてた、すっごく慕ってたし」
「……う、うん」
「でもこの気持ちってさ、仕事上の関係性でっていう、前提のお話だからさ」
彼が下に落としていた視線を、ゆっくりと持ち上げて、私を見張る。まるで試合に負けたときのような、なんとも言えない顔つきで。
「気になることは聞いて欲しいし自分の中にためこまないで吐き出してほしい」
「……ああ、」
「だから……。はい、どーぞ?」
「あ?」
「質問。今ならなんでも受け付けてますっ」
「……っンだそれ」
寿は呆れたようにハッと鼻で笑った。それでも気まずそうに少しだけ目を泳がせたあと後頭部に手を当てがって、素直に質問を投げかけてきた。
「ほんとに、好きじゃ……ねーの?」
「はい。」
「………ヤッたのか?」
「やってません。」
「はぁ……ほんとかよそれ」
「うん。あ、でも……」
「!」
「抱き締められた、かな......一度だけ」
「はっ?」
彼がぽかんと口を開けて固まる。そしてすぐに眉間いっぱいに皺を寄せ顔面を歪ませて穴が開きそうなくらいの鋭い眼光で、私を射抜く。思わず怯みそうになったが、負けじとちゃんとその目を見返したまま事の経緯を説明する。
「……抱擁、するとさ?」
「ホウヨウ? 抱くってことか」
「違う、抱きしめるってこと。そうすると、ストレスの大部分が解消されるらしい、って話をしたからだと思う」
「んで、だれかれ構わず抱擁すんのかよアイツの基準値では」
「……どうかな、たぶん、試したんじゃない?」
「は?全然、理解できねえんだけど……ここアメリカかよ」
「日本。」
「……、」
ぐっと押し黙る彼が抑揚つけて、ハァァと深い溜め息を吐く。藤真さんの思考など理解できないと諦めたのか、苛立ちが滲み出てはいたものの、とりあえず先を続けた。
「そのあとは? 会ったりしてたのかよ」
「あー、最後に一度だけ、ドライブしたよ?」
「はぁ!? っンだよ、それ」
「待って、待って! 最後まで聞いて?」
「お、おぅ……」
「仕事終わりにちょっと付き合えって。それで、もうお前と会う事はないって。これで最後って」
「……」
「てか逆に、三井とどーなんだ?って、心配してたよ?」
「それ心配なのかよ、あわよくばじゃねえの?」
寿は唇を尖らせてそっぽを向く。まるで欲しいおもちゃを買ってもらえない子どもみたいでその仕草がなんだか場違いにも、可愛らしく見えた。
「藤真さんのことは本当に尊敬してるよ。もっともっと仕事のこと、教えてほしいって思ってる」
「……うん。」
「……大丈夫?」
「ああ。その気持ちは俺もわかるからよ。目標に出会えたっつーことは、いいことだと思う」
「うん」
「仕事に熱心な名前はかっこいいと思う。さすがだなって……思ってるよ。」
寿が優し気な視線を送ってくる。きっと彼ならそう言ってくれると、信じていた。私も目を細めじっと彼の目を見据えた。そして目を伏せひとつ小さく深呼吸をしてから、また口を開く。
「——キスマークは、さ……、」
私がそうつぶやいたときぴくりと彼が眉を吊り上げる。
「新宿で——ばったり会って、寿とうまくいってなくてむしゃくしゃしててさ。飲んだの、軽く。藤真さんと」
「……」
「最後のドライブよりも前の話だけど。帰り道、付けられたの。でも、あれ——」
「……」
「フラフラすんなって、仕事と私生活わけろってそれこそ、喝を入れられたんだと思うんだよね」
「違げえだろ。好きなんだろ、名前のこと」
彼は一度、真横に顔を向けて「ふう」と、息を吐いた。そのまま先の言葉を続ける。
「そういう、鈍感なとことか、隙だらけなとこはもうお前の性格なんだろうなって諦めてえけど」
「……」
「信じてえけど……俺が、弱すぎる——」
彼は自分を戒めるみたいに顔を俯かせて、軽く拳を握った。
「俺がこんなんだから……フラフラしたくもなるよな」
「……」
「すぐ言えばよかった、キスしちまったことも。誤解だって、アクシデントだって」
「……」
「こんな自分が、俺は好きになれねえ……」
「……私も、同じだよ?」
「え……?」
反射的に顔をあげた彼を見据えて私は言った。
「寿の優しいところとかお人好しなとこ大好き」
「……」
「けどそれを他の子が勘違いしたり隙を狙われたり、これからもたくさんあるだろうなって思うと怖いよ……けど——私は、負けないよ。」
寿がゆっくりとまばたきをする。なにかを言い掛けて開いたくちびるが、また硬く閉じられた。
「私も、自分のことを好きにはなれないけど寿を想う気持ちに嘘はないの」
「……」
「寿のこと、世界中の誰よりも私が好きだもん」
「……、」
「寿のすべてを受け止められる力が私にはある」
彼が一瞬、目を見開かせて、そして、ふはっと降参しました、みたいな顔で、きれいに笑った。
「敵わねえな、ほんっと……」
彼は何か遠い過去のことでも思い出すみたいに海のほうに視線を投げてじっと暗い海を見つめていた。その瞳は遠くから自分自身を見つめ直していたのかもしれないと、ふと思った。
「……俺、ときどき思うんだよな」
「ん? なにを?」
「俺らって、生まれるずっと前とかによ?」
「……う、うん?」
「ひとつの命、分け合って生きてたんじゃねーかって」
「……へ?」
「だってよ?そばにいなくても、心はいつもすぐそばに感じるからな……」
言ったあと、自嘲するみたいにハッ、と鼻先で笑った彼に驚いて、私はやや目を見開く。
「……な、なに? 急に怖いんだけど」
「あ? なにが」
「なんか、寿……すごく、楽しそう……」
「楽しそう?」
「うん。車降りたときの感じとまるで違うから」
そんな言葉が口をついて出たあと彼はけろっとした顔で言う。
「なんだ?俺が楽しそうじゃいけねーのかよ?」
「いや……なんか、別人みたいで……」
「そうか?」
「なんていうか、薬、やってる人みたい……」
「やるか!アホ」
「……」
「まぁ——空、飛んだんじゃねえ?」
「えっ?」
寿はあぐらをかいたまま、両手を後ろについて夜空を見上げる。
「初めて、鳥かごの中の鳥みたいな心が——空、飛んだのかもしれねーな」
「……」
「おまえと会って。」
彼の瞳がゆっくり私に向けられる。私を映したそのきれいな瞳は月の光が反射してきらきらしていて、まるで星みたいにとっても輝いて見えた。
「おまえは俺にとって、たったひとつの最後の命なんだよ」
「……命、って?」
「そうだなァー、なんつーか、生きて行く理由?みたいな」
やや間があって、彼はまた、夜空を見上げる。月明かりではっきりと見えた彼の左顎の傷——。今まで彼が背負って来たものを考えたら、いつも見ていたはずのそれがなんだか今日は、とっても胸を締め付けた。その傷は、見た目よりも遥かに深く傷ついている彼の心の傷なのだろうな、と。
「寒っむ!」
「あ?」
彼が私に視線を向ける。私は両手で自分の腕を擦って「寒い」というようなジェスチャーをしてみせた。
「寿、そーいう台詞、似合わないよ!?」
「はあ?」
「ロマンチックでもなんでもない!」
「んなっ!」
「ポエマー?さっきから、人間ポエマーみたい」
「うっせ!たまにはいいだろ、一応これでも高校教師やってんだからよぉ」
「よくない!もうやめな、そういうの。まじで、似合わないから。生徒たちに笑われるよ」
無理無理無理!と揶揄い口調で笑った私を見てたいそうご立腹と言いたげに眉をゆがめた彼が、デコピンを食らわせてくる。
「痛ったぁー」
「じゃあ、誰ならしっくりくるんだよ」
「ん〜、やっぱ、水戸くん……かな?」
「はっ、やっぱりな。そう言うと思ったぜ」
彼は呆れたように息を吐いて言うと私をじろっと睨む。それにニッと笑って見せれば、言い合いするのもめんどくさいというような顔をしてそれでも彼は、やわらかく頬を緩めた。
「でもさぁ、なんか鳥っていうと、流川くん思い出さない?」
「流川?……ああ、シュートフォームか?」
「そうそう、華麗な感じ!あー桜木くんもそんな感じかなぁ?」
「あいつはジェット機だ、どー見ても」
「ははっ、言えてる。流川くん、元気かな……」
「元気だろ、あいつどこでも寝れるタイプだし」
「それ、関係ある?」
寿は優し気に微笑むと私の頭を大きな手で撫でてくれた。私は自然とそれを受け入れて、小さな声でつぶやいた。
「あーいうプレイも……たまにはいいかもね」
「……あ? あーいうプレイ?」
「首絞めプレイとかぁ〜、肉引きちぎったりぃ〜あと、電話セック……」
「やめろっ! 慎め、もうちょっと!!」
「えー、しかけてきたのそっちなのにー」
「どんな変態なんだよ……心中願望でもあんのかテメエはよ……」
「いやいや? ほら、マンネリ解消にさっ♪」
またニッと歯を出して笑えば彼が「バーカ」と言い、しかし、その言葉とは裏腹に私を抱き寄せ温かいその腕で包み込んでくれた。
「もう……しねえよ、あんなひでえ真似は」
「じゃあ、どんなふうにするの?」
「ええ? ナチュラルセックス。」
「なんだそれ〜。けど私、寿になら、殺されてもいいかな」
「バカ。俺より先に逝かれちゃ困るっつの」
「ええー?また、難しい注文だねえ」
「死ぬときゃ……、一緒に死んでくれよ——」
寿がぎゅっと抱きしめた腕に力を込めたことで一瞬で、大好きな彼の香りでいっぱいになった。
「最後は俺と一緒に死んでくれ。名前……」
そうしてその温もりは、この世の中で一番——愛おしいものだと思った。
*
『——時代は変わりましたよね。昔を懐かしんだり振り返ったりしながらそれでも我々人間は前に進んで行くしかないような気がします』
車内に戻って、彼が行き先も言わずに車を発進させた。私は車のオーディオから流れているラジオの音を聞き流しながら、ふと窓の外を眺める。
『さてここで懐かしのナンバーでも聴いていただきましょう。続いての曲です——』
助手席の窓に反射して映る彼の横顔がきれいで思わず、見惚れてしまう。ずっとこのまま見つめ続けていたら気づいてくれるかなと思った矢先、寿が、チラとこちらを見た事で助手席の窓越しに目が合う。ややあって、向こうが視線を、正面に向けてくれたことでドキドキしているのは見透かされずに済み、ほっと胸を撫で下ろした。
きっと、藤真さんと私が一緒に歩む人生なんてこの世には存在していなかったのだろうと思う。
私の人生のベクトルはすべて��三井寿�≠ナ形成されている。それが当たり前で、そして、それが正しいと、今では、はっきりと思う。それでも、藤真さんには幸せになってほしいと思っている。誰か——彼を鳥かごの中から救い出してほしい、そう、願っている。
「あの、さ……」
「ん?」
「そろそろ……帰ろうかな。」
「……」
「マンションに、帰ってもいい?」
ドキドキしながらそう問う。彼は無表情のまま信号で停止するために、なめらかに減速させた。ふわりと停車し赤い光が車内に差し込んでくる。
「当たり前だ。あそこは……俺と名前の家だ」
ドキドキする。彼は黙りこんでいるけれど彼はいまなにを考えているのだろう。けれど信号機を睨んでいるその顔が少なくとも私のことを考えているということだけは、明確だったから。
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