足掻らうことのできない大きな流れの中で
私はとても小さく、とても、無力だ。
もう、進む先はない恋なのに
この想いはまだ、育ちたがっているよ——。
*
寿から、『俺も会いたかった』とメッセージが届いたとき、感じてしまったこと。きっと彼にも��終わり�≠ェ見えたのだろうなって。
きょう、ここに来れば、わたしたちは終わる。それをわかっているからきっと、彼は来る。
通い慣れた電車で彼と暮らしていたマンションのある最寄り駅まで向かう。駅を出た先にきっと来てる。黒い愛車を停めて、きっと、来ている。
顔を上げた先、見慣れた車がハザードランプを付けて停車していた。ほらね……いざとなったら絶対に逃げも隠れも出来ないヤツなの。そういうところ、やっぱりイカしてるよ、寿。
彼が二回ほどパッシングをしてきて、その車が約束した相手のものだとしっかり認識する。
後部座席にキャリーケースを積んでから助手席に乗ると、恥ずかしさも薄れてただ一緒にいれる安心感に包まれる。となりを見ると、寿がいる。
「……練習は?きょう、終わるの早くない?」
「あと残ってんのは自主練してる奴らだけだからマネージャーに任せてきた」
「ハハ、私情はさんじゃってるじゃん」
「……っるせ。で? 先に飯、行くのか?」
「うーん。どうしようねえ……」
彼は私の言葉を聞き終わる前に、車をすーっと発進させた。こうして今起きている沈黙も、なんだか今日は居心地がよかった。
あの頃、高校生だった私達もこうして気持ちを自らコントロールできるすべを持ち合わせていてもっと大人びた対応ができていればあんな悲しい別れ方をしないで済んだのかな。もっときれいな別れ方が。
そもそもこの世の中に、きれいなお別れなんてものは、ないかもしれないけれど。いくら悔やんでも、あの頃に戻ることなんて出来っこないのだけれども。
しばらく車を走らせていた彼が「あそこでいいよな」とつぶやく。瞬時に彼の考えている場所を察した私が「うん」と返せば彼がアクセルを少しだけ強く踏み込んだ。ほんの数日前までは一緒にいるとき、真正面しか見ることを許されていなかったような気がしてた。だがいまならば、公然とその横顔を見つめることが出来る気がする。
相手は久しくじろじろと私から見られてすこし困ったような感じにも見えたけれど。そんな光景すらもなんだか今日は、穏やかな気持ちになる。もう、こんな姿を見れるのも最後だからかな……
辿り着いた先は私たちの育ったあの海だった。ふたりの思い出の場所だ。
路肩に車を停めてエンジンを切った彼を横目に見て私はシートベルトを外す。先にさっさと車を降りて歩いて行く相手に、私も急いで後を追う。
定番と言ってもいいような、いつも座っていた古い石段。そこに腰をおろす彼の仕種が、視線の先に見えて、思わず笑みが溢れてしまう。そんな私の笑い声を聞き流した彼から、小さく舌を打ち鳴らす音が聞こえてきた。私は迷わず、彼の隣に腰を下ろした。彼はすぐに、自分の羽織っていた��SHOHOKU�≠ニ刺繍が施されている赤のライン入りの黒地のジャージを、私に掛けててくれる。そのままふたりでしばらくのあいだ無言で正面に広がる海を眺めていた。
「……」
「……」
「……抜いたよね、私で」
「バッ……!! あ、あれはな——っ!」
あからさまにうろたえる相手を、目の端で流し見る。勢いよくパッと顔を横に向ければ、一気に顔を赤くする彼。まるで高校時代の彼を見ているようだ。私が仏頂面で睨めば、暗がりでもわかるほどにヒクつく相手の口元。そしてバツが悪そうに頬をぽり、とかいた。
「ちち、違え……あれはお前じゃなくて、お前に似たモデルで」
「ふーん、抜いたことは認めんだ」
「
お前似
(
・・・
)
のヤツだから! な!な!?」
「こんな不細工なモデルがいるわけないでしょ?いるなら見てみたいっつーの」
「……つか、不細工じゃねーし」
「あ、そう。脳内妄想乙でーすっ」
「違ェって!」
おっ、と思う前に——。
何故か私は、彼の腕の中にいた。
「……」
「……っ、モデルの話じゃねーよ、」
「……」
「お前だ、お前!」
「いいから、離してよ。スケベ。」
「んなっ——」
私は、ぱっと彼から離れる。行き場をなくした彼の手が虚しく取り残される。そして私は、口を開けて盛大に笑った。
「——っぶはッ!はははっ!」
「……は?」
「可愛いね〜、ひさ坊は。」
ぽかんと呆ける寿。私は目を細めてそんな彼を見て微笑む。私が正面に向き直ったのにならって彼も海のほうに体を向けたのが目の端に映った。
「ごめんな。」
「……」
……大丈夫。泣かない。泣くもんか——。
「俺はたぶん、自分をコントロール出来てねえ」
「……」
「これから先、そんな俺と一緒にいても、お前が苦しむ」
「……」
「お互いそういうの知らねえふりしながら一緒にいるだけなら、俺たちはもう……ダメだ」
「……」
「勝手なこと言ってんのは、わかってる。でも、これだけは信じて欲しい」
思わず私は彼を見やる。そして、そのまま彼をじっと見据えた。それに気付いたのか同じタイミングだったのか彼もゆっくりと私に視線を持って来た。
「俺、名前のこと傷つけてばっかりだったけど」
「……」
「泣かせてばっかり、いたけどよ……」
——そんなことない。そんなことないよ……。
「いい加減な気持ちで一緒にいたわけじゃねえ」
——わかってる。
「こんな終わりを——」
「……」
「望んでたわけじゃねえんだ……」
わかってるよ、寿……だって、幸せもいっぱいくれたじゃない。遠い過去——置き去りのままになっている、苦い記憶。
『 こんな終わりを望んてたんじゃねえ! 』
『 こんな別れ方するために
名前を好きになったんじゃねえ!! 』
あの日と同じ台詞をまた言わせてしまったことだけが、とっても悔やまれる。けれど、私たちはいつだって同じ事の繰り返しなんだ。そうやって何年も何年も過ごして来た。だから、今回は……その先の未来を、すこしでも変えたいと思った。
「友達……!」
私は涙を瞼にいっぱい溜めて、力強く言った。この涙が零れ落ちないように奥歯を噛み締めて。
「今度は……友達、やろうね?」
「……」
「ほら私たち、一回目はさ、もう友達になるとかそんな感じじゃなかったじゃない?」
「……、」
「でもさ、そんなの、寂しすぎるよ!」
「……。」
彼が目を見開かせたあと、申し訳なさそうに、その目を伏せて、そして優し気に微笑んだ。
泣かない。絶対に涙は零さないって自分自身に誓ったんだから。
「わたし、出来るよ?友達。へっちゃら」
「……」
「寿は?」
「……、」
ややあって、彼が観念したようにフッと鼻先で笑ってからつぶやく。
「……もう、高校ンときみてえに口も聞いてくれねーんじゃねえかって……マジでびびってたんだけどな」
そんなわけ、ないじゃん——。
もう、わたし、ちゃんとできるよ、お友達。
昔のままで、寿の幼馴染くらい、出来るもん。
「さっすが��三井寿の幼なじみ�≠セよな」
「——、」
それは、
私にとって最高の��誉め言葉�≠セよ——。
私が笑顔で微笑み返すと彼は大きな手で優しく私の頭を撫でてくれた。
けれども彼は途端に眉間に皺を寄せて私の頭を撫でてくれていた手をパッと離した。私は、不思議に思って首を傾げる。そのまま彼はまた、正面を向いて、自分の手のひらで拳を握った。
「……寿?」
「……ッ」
「……どっか、痛いの……?」
背中を丸める彼に思わずそう声をかけながら、とりあえず背中をさすってみた。
「ダメだ——」
一瞬、波の音が大きくなって彼の声が掻き消されそうになったけれど、しっかりと、私の耳には届いていた。聞こえないふりなんて、もうしたくない。つらいことから逃げたくない。もう二度と一言一句彼の言葉を聞き逃したくなかったから。
「ダメ……?なにが?」
「名前——、」
「……ん? なに?」
相手がガバッと勢いよく体を起こしたことで、背中をさすっていた私の手がその反動で離れた。真っ直ぐに私を見据えている瞳。先の私よりも、泣き出しそうな顔をして——。
「俺……俺……、」
彼は私の両手を包み込みぎゅっと強く握った。私は何も反応することができずに、されるがままその場で固まっている。
「おまえと、別れるなんて……やっぱり」
「……」
「出来ねえよ——。」
「……寿、……」
「友達なんて無理だ、おまえと……名前と、ずっと……」
私の手を握る力が強まっていく。私は思わず、その手をそっと振り払って彼の頭を抱きしめた。高校時代のあの日も、そうしてあげたように——
「泣いて、いいよ——」
「……」
「飼われていた鳥ってさ、ひとりじゃ生きていけないんだよね」
「……、」
「一度抱きしめた心は、もうひとりじゃ、生きて行けない」
「……ッ、」
「一度触れたら、ずっと抱きしめてないと……」
私はゆっくり彼から離れる。そしてその両手を今度は私が包み込んで、彼を真っ直ぐに見据えて言った。今の精一杯の想いが、伝わるようにと。
「私ね、寿がたとえば人殺しでも、寿のことわかろうとすると思う」
「……」
「だって、ちょっと頑張ったらわかるような気がするもん。寿のことだったら、なんでも」
「……名前」
「私が、ぜんぶ……受け止めるよ。」
彼は私の言葉をしっかりとすべて正面から受け止めたあと繋がっていた手をそっと引いて、そのまま私を抱きしめた。そうして、ぽつりぽつりと話し出す。
「俺ずっと……お前がだんだん俺から離れていくのが、ずげえ怖かった」
「うん」
「でも俺、膝壊した時から、ひねくれちまってて本当に欲しいと思ったもんでも欲しいって言えなくてよ」
「うん……」
「諦めるほうが、楽だと思ってた」
「……うん」
彼のこと。彼の気持ちを今までずっと、勝手に分かったつもりでいたのだと、このとき私は思い知らされた。
そうやって弱いところを見せて欲しかったの、もっともっと、ずっと昔から。いま、はじめて、��ほんとうの三井寿�≠ノ触れた気がするよ——。
「でもお前の事だけは引きとめたくて、しょうがねえんだ」
「……」
「嘘つきでも自分勝手でもなんでも、繋ぎ止めておきたくて、しょうがなかったんだよ」
「……、」
「おまえじゃないとダメなのは、昔から変わってねえ。もちろん今でも」
「……っ、」
「信じてくれ——」
「……、信じてるよ。」
ゆっくりと私の体を離す寿。私の肩に手を置いた彼と目を合わせる。真っ直ぐで偽りのない瞳。彼の瞳の中がきらきらと輝いてみえた。その瞳が好きだった。思わず自然と微笑んでしまう。
「名前……」
「……」
「俺は、お前を愛してるよ。」
そうはっきりと言って私の瞼にキスを落とす。彼の触れたそこにまるで心臓があるみたいにしてトクン、トクン、と脈打つ。
『 私のこと、愛してる? 』
いざとなったら絶対に、逃げも隠れも出来ない私の大切な幼馴染は結局、最後にはやっぱり私の欲しかった言葉をくれた。
「やり直そうぜ、もう一度ここから」
「……」
「ふたりで……」
「うん……。」
��好き�≠ニ��幸せ�≠ヘ比例しない。そんなこと絶対にないと思う。高校二年生の冬、彼と別れて大失恋をしたとき、また恋をすることなんて一生できないと思っていたけれど、私はこうしてまた恋をしている。
「名前」
「ん?」
「俺と、結婚してくれ——。」
え————。
月明かりが照らしてる、こんな夜は——。
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