私たち女の子が夢中になるのはいつの時代も、顔が良い人でも優しい人でも親切な人でもなくて全てを語ってくれない人。
私が思う、この世で最も辛い現実は、思い出をくれた人が、思い出になる瞬間だ。
16歳 2月
― 16歳 2月 ―
朝一の学校で一番最初に顔を合わせたのは最近最愛の彼女と別れたらしい男、三井寿。
「おはよう」
「お、おー」
あからさまにうろたえて吃る三井を尻目に歩を進めると後ろから三井が何か言いたそうな雰囲気を醸し出して着いて来た。
グラウンドからラグビー部の掛け声が聞こえる朝7時の湘北高校校門前。早く出ればどっちにも会わずに済むと思っていた私は、思わず頭の中で今朝の自分を殴っていた。いるじゃねーかよ……��朝練組�≠ニいう名の悪魔が。てか引退した癖に真面目に朝練なんて出るなよ。暇人かよ。
「……なに。」
「え!? い、いや……俺もこっちだしよ!」
くるりと振り返れば一気に顔を赤くする三井。何なの。童貞なの、あんた。仏頂面で睨めばヒクつく三井の口元。そして罰が悪そうに頬をぽり、と掻いた。
「——で? 結局は続行なのか?」
「何が」
「水戸信者」
「だから信者って言うな!せめて推しつってよ」
「推しねぇ……」
「ま、別にあんたには関係ないけどさ」
「ある」
「はぁ?」
ため息交じりに言うと、三井は予想通り「嘘、確かに関係ねーけどよ」と軽い口調で返す。私はチッと舌打ちをして目を反らした。
「全部、知ってんでしょ……?」
三井は腕を組み今度は眉をハの字に下げる私を見て、ニヤリと笑った。何なの、気持ちわる。
「とにかく自販機行こうぜ。立ち話もなんだし」
「冗談じゃないし」
「うっせーな、ちょっとぐらい付き合えよ」
「……」
三井が歩き出す。私はぶつぶつ文句を言いながらその後を着いていく。校内の自販機の前に辿り着き三井が飲み物を二本買う。すぐそばのベンチに三井が座った。私は気怠くその隣に腰掛けた。
「で?」
「は、なに……」
「何があったよ?何か様子が変じゃねえ?」
「何でわかん——」
「見てればわかる」
三井が頼んでもないのに勝手に選んだポカリの缶を差し出して来て、私の言葉を遮って言った。私は聞こえるように舌を打ち鳴らしながらそれを受け取り呟いた。
「見んなよ……」
「ほんっと、素直じゃねーよなぁ」
「……。」
私は腹を括り溜め息を一つ吐き出し目を瞑る。そうして、もう一度ゆっくりと息を吸ってから、口を開いた。
「よく考えたら私は、洋平くんのプライベートを壊してるんだよなぁと思って。」
「……」
「やっぱそれはいけないかなと思って洋平くんのこと避けたの、しばらく。」
「ほぅ……」
「向こうから何か話しかけてくるかなって。でもなにもなかった」
「は?未練タラタラじゃねーかよ、だっせ。」
「うるせーよ、アンタには言われたくないね」
三井はその間に飲み終わったポカリの空き缶を少し離れた場所に設置してあったカゴの中に投げ入れる。カーン!と気持ちの良い音と共にカゴの中へと吸い込まれていくポカリの空き缶。
ムカつくが、様になっている。そうだこいつ、バスケットマンだったわ。
「それでさ『あ、洋平くんにとって私って、どうでもよかったんだ』とか思って」
「……」
「そしたら夜、公園で……痴漢に遭って。なんか洋平くんが来て助けてくれたりして」
「うわ、助けそうアイツ……」
「昨日もさ。彼氏から逃げてたら、家来るかってかくまってくれて。んで、そのあと……」
「……ん? そのあと、なんだよ」
「……」
急に隣で私が黙ったからか、三井は私を見た。今にも泣きだしそうな目をした私を見て三井が、ギョッとしている気配。けれどそこで何かあったのだろうと察した模様。意外と今日は頭が切れるじゃん、なんて思ったりした。失礼だけど。
「なにがあった?」
「……」
「言いたくねーなら別に無理には聞かねぇけど」
「……三井はさぁ」
「あ?」
呼び捨てにされたのがムカついたのかメンチを切る三井。私は気にせず、足元に視線を落としたまま続ける。
「八方美人って、嫌い?」
「——は?」
隣で小さく私は呟いた。返す言葉をうしなったらしい三井を横目に自嘲するように浅く笑う私。
「いやだよね、誰だって……。」
「自覚あったんだな、八方美人って」
「……まーね。」
「お前が八方美人なら、水戸は人たらしだろ」
「……」
「ふは、お似合いじゃねーかよ」
「……。」
私は背を丸くした。三井からの嫌味にも、碌に返答できない。自分が震えているのがわかった。自分から言い出しておいてこのザマ。これだから自分は好きになれない。
「自分がわかんなくなった。洋平くんに何されても許す自分がいんの。人としてダメだろってことでも、なんか許しちゃって」
「……」
「おかしいのはわかってんだ。洋平くんが、怖いことも知ってる。でもダメなの。本人に会うと、どうでもよくなる」
「……お前」
「これってさ……好きって、ことなの?」
涙目で三井を見た。私と目を合わせたまま言葉に詰まった三井。三井はゆっくりと私から視線を外して、正面を見据える。そうして溜め息を吐きながら言った。
「それは、前にも違うと思うぞって言っただろ」
「……」
「好きでも嫌いでも、ダメなとこ許すのはただの甘やかしで、許す事だけが優しさじゃねぇって」
「……」
「怖くても言わなきゃダメって、言ったよな?」
確かに言われた。あの時の対象は洋平くんではなくて、彼氏だったけれども。時間が経過しても同じ言葉を言えるって、ちゃんと、信念を持ってアドバイスをくれたと言うことだ。なんだよ……こいつ、良い奴じゃん。
「なんか色々ヤベェって気づいてきたんじゃねえの、今の話聞いてっと」
「……」
「いい加減異常性に気づけよ。お前らおかしいんだって」
とか、偉そうに吐き捨てられたけど。私は前を向いて小さく頷いた。そして潤んでいた目を擦り「だね」と聞こえるか聞こえないか程度の声量で呟いた。
「やっぱ、マトモなこと言えんじゃん」
「だからっ!何なんだよ、その普段はマトモじゃねーみてぇなよ!」
「その通りじゃん」
「あ? もっぺん言ってみやがれこの野郎!」
私が、ぱっとベンチから立ち上がる。行き場のなくした三井の拳が虚しく取り残される。そして私は、口を開けて笑った。
「っぶはッ!はははははっ! 三井のバーカ!」
「……はぁ?」
「ほんとバカだね〜アンタ!それで先輩とか威厳なさすぎ!」
お腹を抱えて笑う私に、ぽかんと呆ける三井。私は存分に笑ったあと、体育館を指さす。
「……ほら、さっさと行きなよ」
スポーツマン三井は訳がわからないというように私を見ながらも立ち上がった。7時はとっくに過ぎている。バスケ部は朝練が既に始まっているはずだ。私は、ふわりとスカートを舞わせて踵を返し、体育館とは逆方向に走り出す。
「お、おまえ意味わかんねーよ!」
遠くで叫ぶ三井に、私は眉を下げて笑う。笑いすぎて涙が出てきた。
「バーカ! せいぜい朝練頑張れよ〜!」
一度立ち止まって振り向けば、向こうで、目を見開く三井が見えた。私は、それを確認してまた彼に背を向けて走り出した。
*
ガラ、と教室の扉を開ければ、精気のない朝の無人教室。誰もいない教室は、どことなく怖くてどことなく寂しい。
私は自分の机に荷物を置いて、窓をカラカラと開けた。吹き込む風と、差し込む日差し。今日の空は雲が分厚い。太陽はお留守だ。
指先二本で煙草を吸うふりをする。なんとなく洋平くんのまねをしてみた。
「……カッコつかないなー」
まぶたの裏には、15歳とは思えないほど、様に映える水戸洋平の喫煙姿が浮かぶ。
「……」
一瞬バスケ部の見学にでも行こうかと思った。けど、やめておく。
私は自分の席に戻り頭を机にひっつけた。目を閉じれば静寂の中に部活動の掛け声とか鳥の鳴き声が聞こえたりする。なにもなければ、いたって平穏なんだ、湘北高校は。当たり前だけど。ただ私の周りが少し忙しいだけ。
HRの時間。洋平くんは教室には来なかった。私もこのまま授業なんて受ける気にならなくて、今日はフケる事にする。ベタだけど保健室にでも行ってよう。安易かもしれないけれど、仮病でも使おうと思う。
今は頭を休ませたかった。この短期間に、狂いそうなほど私の脳をかき乱す出来事づくしだったのだから。それに、保健室なら洋平くんはいないだろうし来ないだろうから。あの人は、医薬品の匂いがキライらしいから、寄り付かないだろう。
保健室の先生に生理痛です、と告げて寝かせてもらう。私は薬の匂いの充満する真っ白な保健室の中で、眠りに堕ちていく。
夢の中で、誰かに会った。最近、同じ夢をよく見る。誰かが私の名前を呼んでいる。私はここにいるのにその人は気づかない。ずっと声が枯れるまで、私の名前を叫んでいた。そして泣きだして言う『助けて』と——。
私はこの声の主の正体を知らない。女性なのか男性なのか、そもそも人間なのか、そうじゃないのかもわからない。
声を聞いてもわからない。ただその声は、どんどん遠ざかるばかりだった。
夢
の続きが見たくて。
(絶頂から、奈落の底へ落ちる感覚——)
※ image song『 私の思春期へ/赤頬思春期 』
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