翌朝。日曜日。午前九時——。目を覚ますと、そこは、いつもの自分のベッドだった。見慣れた天井、寝返りの癖に合わせて少しだけ皺の寄ったシーツ。きちんと肩まで引き上げられた、薄手の毛布。頭の芯は、鈍器で殴られたみたいに重く、身体の内側にはまだ、昨夜のアルコールが濁って残っている感じがある。口の中は乾いていて瞼の裏まで鈍い。ふと枕元へ手を伸ばすと水の入ったペットボトルと頭痛薬が置かれていた。ずいぶん気の利いた過去の自分だなぁと思いかけて、その横に、小さなメモがあるのに気づく。
『モンブラン冷蔵庫。今回は寝顔に免じて許す』
寝顔……。その単語だけが、二日酔いの頭にも妙に鮮やかに引っかかった。そのとき、ふわりと味噌汁の匂いがした。私は重い身体を起こして、ぼんやりした足取りでキッチンを覗く。コンロの上には作り置きの鍋が置かれていてなんというか几帳面というより執念深い。あるいは、その両方かもしれない。次に冷蔵庫を開けると、本当に、モンブランが入っている。しかも、その横にもう一枚、小さな付箋が貼られていた。
『二つ食べちゃったからコンビニのね』
記憶が、ない。昨夜の記憶が途中からきれいに抜け落ちている。二日酔いのせいで、頭がうまく働かないのか、それとも単純に飲みすぎたのか、自分でも、判断がつかなかった。帰宅したところまでは、かすかに、輪郭が残っている気がする。誰かの肩に寄りかかっていたような感覚も近くに体温があったことも。たぶん、ひどくいい匂いがしたことも。けれどその先になると思い出そうとするほど霧の向こうへ沈んでいく。
私は頭を抱えたまま、リビングへと這い出た。テーブルの上のスマホを手探りで掴んで、画面をつける。その瞬間、通知が目の中に、飛び込んできた。トーク画面を開くと差出人はホークスからだった。時刻は、午前八時二十三分。

おはよ。生きてる?

昨日のこと覚えてる?
スタンプがひとつ添えられている。にやにやが止まらない、みたいな顔をした鳥のキャラクターだった。既読がついたのを待っていたのか、それとも単にタイミングが良すぎただけなのかすぐにもう一通、手元のスマホに届く。

俺は覚えてますけど😊

おはようございます
なんとか生きてるみたいです

ごめんなさい
まったく覚えてないです
なにそれ、と思った。何が起きたのだろうと。私は考えるより先に、急いで文字を打っていた。私の送った返信に既読がついたのは、それから、一秒後のことだった。待ち構えていたとしか思えない速さで返信が、立て続けに飛んでくる。

マジで?

全部?

俺の目の色褒めてくれたのも?
目の色。何それ。まるで恋愛小説みたいだなと二日酔いとは別の種類の頭痛が始まる。私の記憶には、その手のセリフを言った覚えが、まったくない。むしろ、言っていたとしたら、それは相当酔っている証拠だ。——いや、相当どころでは、済まない気もする。そして、数秒の間を置いて、また、通知が鳴った。

まあいいけど

思い出さなくていいよ

思い出したらたぶん
俺のこと嫌いになる
意味深すぎた。しかも今回は、冗談にしては、温度が低い。
嫌いになる。何をしたのか。あるいは何をしかけて、どこまでいったのか。その一文だけが二日酔いで滲んだ視界のなかでも、妙にくっきりして見えた。私はキーボードの上へ指を置いたまま、固まっていた。しばらくして、「嫌いになるって何ですか」と打っては消し「教えてください」と打っては、また消した。
何を聞けばいいのかわからない。というより、たぶん私は聞くのが怖かった。そこへ、インターホンが鳴った。モニターを見る。金髪だ。フード付きのパーカーにスウェットという、いかにも、休日の格好をしたホークスが、片手を、ひらりと上げている。もう片方の手には、コンビニの袋。中にはたぶんペットボトルか何かが入っているのだろう。そしてホークスは、カメラに向かって、『開・け・て』と口だけを動かした。昨夜の事を何ひとつ覚えていない私にとってはもはや初対面に等しい気まずさだったが向こうにとっても同じとは限らない。そこに、すでに、大きな温度差は感じるけれども。私はとりあえず鍵のチェーンはつけたまま、そろそろと、玄関のドアを開けた。彼はその隙間を見て一瞬だけきょとんとした顔をする。それから私の顔を見て、目を細めた。
「なにこれ。警戒心、強すぎん?」
「……、」
「わー、顔やば。だいぶ死にそうじゃん」
差し出しかけたコンビニ袋の向こうで彼と目が合う。��昨夜の何か�≠�知っている側と知らない側。その温度差がほんの一瞬だけ空気に滲んだ。けれどホークスは、すぐにいつもの表情へ戻る。へらっと笑ってみせる、その切り替えの早さが、かえって、こちらを落ち着かなくさせた。
彼は、何もなかったような顔ができてしまう人なのだ。プロだと思う。感情を笑顔の裏へしまい込む技術はヒーローとして鍛えられたものなのか生まれつきなのか、たぶんその両方なのだろう。
「大丈夫? 水飲んだ? 味噌汁いけそう?」
声は軽いのに目はちゃんとこちらを見ている。ちゃんと、心配しているのがわかる。わかるのにそれを大げさに見せない。そういう、話し方だった。彼は、少しだけしゃがんで、こちらと目線を合わせる。そこで声の調子だけふっと落とした。蜂蜜色の目が、こちらの顔色を探る。
「昨日さ。俺に、行かないでって言ったの、覚えてる?」
それは確認だった。どこまで覚えているのか、何を覚えていないのか。目元は笑っているのに、その奥はまったく、笑っていなかった。私はその一言で思考が止まる。頭の中の何かがばたばたと慌てて暴れ出す。
「……っ、うそ。」
「……」
「わ、私、そんなこと言ったんですか……!?」
自分でも驚くほど声が掠れて、裏返った。彼は私の顔を見て「声でか」と眉を上げて軽く笑う。指摘の仕方まで気軽で、余計に恥ずかしい。私は反射的に「すみません」と零して、慌てて口元を手で隠した。
「やだ……ほんとに、覚えてない。どうしよう、ごめんなさいっ!」
言いながら自分でも何に対して謝っているのかよくわからなかった。言ったことに対してなのか覚えていないことに対してなのかあるいは昨夜の彼を、ひとりで抱えさせたことに対してなのか。
ホークスはふっと息だけで笑う。さっき届いたメッセージより、ずっと柔らかい笑い方だった。
「謝らんでいいよ」
そう言って彼は姿勢を戻しポケットへと両手を突っ込む。ドア枠へ片肩を預けるその姿は何でもないふうを装っていた。けれど、本当に、何でもなかったならたぶん、わざわざこうして朝一番で様子を見に来たりはしないだろう。私はチェーン越しに彼を見上げたまま、自分の胸のあたりが、二日酔いとは別の理由で落ち着かなくなっていくのを感じていた。
「まあ、嬉しかったから別にいいんだけど」
あまりにも、あっさりした声音だった。だから余計に、言葉の中身だけが、遅れて効いてくる。
嬉しかった。そんなふうに言われてしまうと、さっきまで自分の中で酔った末の失敗として処理しようとしていたものが急に別の顔をし始める。軽く流されたわけではないのだと、むしろ真正面から受け取られていたのだと、その事実だけが、じわじわ迫ってきた。ホークスはチェーン越しにこちらの反応を見逃さない目で、私を覗き込む。
「あと、こっち見てって言われた」
追い打ち。容赦がない。ホークスは目を見開く私に、にっ、と口角を上げる。その目元は三日月みたいに細まっているのに、その奥ではこちらの反応を一つも逃さないつもりでいるのがわかる。揶揄っているようでいて、確認している。冗談の顔をしながら本当はどこまで覚えていないのかをきちんと、確かめようとしているのだ。
「それも、覚えてない?」
玄関先の妙な攻防だった。ドアチェーンという物理的な防壁がなければ私はたぶんとっくに逃げ場を失っていた。顔が熱いのは、二日酔いのせいなのか、それとも羞恥のせいなのか自分でもよくわからない。おそらく、その両方だ。
「えぇ……ほんと、何やってるんだろ、私……。まったく、覚えてないです」
「……そっか」
「本当に、ごめんなさい。こんな人気ヒーローに酔っぱらって、そんな失言……」
情けなさが先に立って言葉が少し急く。しかしその単語を口にした瞬間ホークスの眉がぴくりと動いた。笑みが消えたわけではない。ただ、質が変わったような感じだった。ついさっきまでの、外向きに整えられた爽やかさが、すっと引いて、かわりにもっと静かな据わった種類の顔になる。こういう変化は、ファンサービス中の彼しか知らない人にはたぶん、見分けがつかない。でも私はほんの短い付き合いのはずなのに、その差をもう知ってしまっていた。
「失言って、何」
声は静かだった。声量は変わらないのに、空気だけが少し重くなる。ホークスはチェーンに指をかけて、からん、と小さく鳴らした。乱暴に揺らしたわけではない。ただ、その金属音がやけに、耳に残った。
「俺が喜んだことを失言って言われんのはさあ、ちょーっと、傷つくなあ」
口元は笑っている。でも、その笑いは、少しも優しくなかった。笑っているのに目だけが笑っていない。そういう顔をこの人は、たぶん意識して作ろうと思えばいくらでもできるのだろう。でも今のそれは演技というより、感情の置き場をどうにか整えた結果みたいに見えた。
私は一瞬、返す言葉を失う。傷つく、なんて、そんなふうに言われるとは思っていなかった。というより、私のほうはずっと、自分が失礼だったとか迷惑だったとか、そういう方向にしか考えが向いていなかったのだ。
「いや、だって……」
「だって?」
「軽々しくそんなこと……いや、本当にご迷惑をおかけしました」
言葉がうまく繋がらない。言いながら自分でもまずいと思った。たぶん今のは言ってはいけない言葉だった。けれど、もう遅かった。ホークスはチェーンから指を離す。半歩だけ後ろへ下がり、はいはい、とでも言うみたいにして両手のひらを見せた。
「迷惑ね。了解」
平坦な声だった。怒っているときのホークスはたぶんこういうふうに静かになるのだろう。声を荒らげるかわりに、感情の表面だけを、きれいに均してしまう。外から見れば穏やかなままなのに内側では、ちゃんと刺さっている。そのことが、かえってよくわかる。彼は手にしていたコンビニ袋だけを玄関の前にそっと置く。それから、少しだけ目を逸らして。
「水とポカリ入ってるんで」
「……」
「味噌汁、ちゃんと食べなね」
そう言って背を向ける。次の瞬間、赤い翼が、ばさりと広がった。部屋には戻らず、空へ向かうつもりなのだと、ようやくそこで気づく。彼は、振り返らないままで、片手だけ軽く上げた。
「じゃ」
たった一言だった。いつもなら、またね、とかおやすみ、とか。何かしら、余分な一言をつけるくせに今日はそれだけ。短すぎる別れのし方に、かえって機嫌の悪さがにじむ。赤い翼が風を切る音がして、彼の姿はあっという間に空へ溶けた。静けさが戻る。コンクリートの上に残されたコンビニ袋だけがさっきまでここに誰かがいたことを証明している。風に煽られて袋がかさりと乾いた音を立てた。私はしばらくその場に立っていた。立っていたというより立ち尽くしていたのほうが近い。胸の奥に何かが小さく引っかかっている。言葉を間違えたという感覚だけがあるのに、何をどう間違えたのかが、まだ整理できない。
失言は、失言のはずだった。酔った勢いでヒーローに甘えるなんて、どう考えても、まともではない。そういう意味で言ったのに、彼にはまるで違う響きで届いてしまったらしい。
私はコンビニ袋をとりあえず冷蔵庫へしまい、ふらつく足取りのままソファへ戻った。座り込むという表現のほうがしっくりくる。身体がまだ、本調子ではないせいかクッションに沈みこむ感覚に抗えなかった。
「何やってんだろ、ほんと……最悪……」
天井を見上げて呟く。その言葉はがらんとしたリビングへ吸いこまれていった。クッションにはまだホークスの匂いが残っている気がした。その残り香が今は少しだけ痛かった。昨夜までそこにあったらしい体温や、気配まで思い出させるからだ。もうベランダ越しのあの時間も戻ってこないかもしれない。そう思った瞬間、胸のどこかが、ひやりと冷えた。
*
それから三十分後。スマートフォンが震えた。メッセージの通知ではない。電話だ。画面に表示された名前は『ホークス』。出るかどうか、迷う暇もないまま、着信音は鳴り続ける。悩んだ末、切れる寸前で私はようやく通話ボタンを押した。『はい』と言うより先に、受話口の向こうから、いつもの声が滑りこんでくる。
『あ、出た出た』
あかるくて、軽い声だった。まるでさっきの、「じゃ」が最初から存在しなかったみたいな切り替え方だった。けれど、違う。よく聞けば、その明るさの奥にほんの少しだけ硬さが残っている。笑顔はちゃんとかぶり直しているのに、その下の感情まではまだ整えきれていない。プロとしての顔へ戻るのがうまい人ほど戻りきれなかったわずかな綻びが、逆に、はっきり見えてしまうことがある。たぶん今の彼は、ちょうど、そういう声をしていた。そして『あのさ』と、短い呼びかけのあと、少しだけ、間があった。電話越しなのに、その沈黙のあいだだけ、彼が、言葉を選んでいる気配が、ちゃんと伝わってくる。それから、少し笑ったような息遣いが混じる。
『さっきはごめんね。ちょっと、大人気なかったです』
さらりとした言い方だった。こういうところは本当に上手い人だと思う。自分の非を認める時に必要以上に深刻ぶらない。それでいて、なかったことにもせず、ちゃんと拾い上げる。潔さと引きずっている本音とを、同時に抱えていられる人の話し方だった。
受話口の向こうで、風を切る音がする。剛翼の羽ばたく気配が混じっているところを見ると結構高いところを飛んでいるらしい。このヒーローは感情が落ち着かないときほど、空へ上がるのかもしれない、と、ふと思った。そこで彼の声が少しだけ落ち着いた調子になる。
『別に、怒ってるわけじゃなくてさ。ほんとに。ただ——ひとつだけ。訂正させて』
「……」
『俺に言ったこと、全部「酔った勢い」で片付けないでほしいな、って』
「……ホークスさんに、言ったこと?」
私がそう返すと、電話の向こうで小さく笑った気配がした。
『わざとやってるのか本気でやってるのか、いまいち分かんないとこ、ほんとずるいよねぇー名前ちゃんって』
責めているわけではないらしい。むしろ困っているのだと思う。私に振り回されていることを、少し呆れながら、でも嫌ではなさそうに受け入れている声だった。それから一拍、風の音。遠くを抜けていく空気のざらついた音の向こうに、彼の声がもう一度ゆっくり確かめるみたいに重なる。
『行かないでって言ったのも。目がきれいって、言ってくれたのも」
声色は穏やかだった。やはり、責める調子ではない。ただ、雑に流してほしくないことだけは、ちゃんと伝わる。
『酔ってたのは知ってる』
そこで一度、言葉が途切れる。珍しいことだった。ホークスという人は、たいてい、言葉が先にある。相手より先回りして空気より先に着地してしまうような人だ。その彼が、ここで少し黙る。たぶん、それだけ本音に近いところへ来ているのだろう。そして、低く、静かな声が続く。
『だからさ「覚えてませんでした、失言でした」って、他人事みたいにされるのは……』
また少しだけ沈黙が落ちる。その先だけふっと声の温度が変わった。
『……ちょっと、寂しい』
最後の一言だけひどく素直だった。軽口の形もからかう響きも、そこにはなかった。私は思わず息を詰める。ああ、と思う。あの玄関先で、彼が静かになったのは、怒っていたからだけではなかったのだ。たぶん傷ついていた。少しだけ置いていかれたみたいな気持ちになっていたのだろう。そう思った途端、さっきまで、自分の恥ずかしさばかりでいっぱいだった胸の内側に、別の痛みが差し込んだ。「私こそ」と、声が自然と、小さくなる。
「自分で言ったことなのに、なんか……投げやりみたいになっちゃって、すみませんでした」
『うん』
短い返事だった。責めない、でも聞いている、という声だった。それに少しだけ背中を押されるみたいにして、私は続ける。
「酔ってるからとはいえ、嘘はついてないと思うので」
受話口の向こうで、息を呑む音がした。ほんの微かな音だったのにたしかに聞こえた。そのあと一瞬だけ風の音が大きくなる。翼が乱れたのか、それともわざと高度を変えたのか、私にはわからない。ただ電話の向こうで彼の平静が少し崩れたことだけは、はっきり伝わった。少ししてから、『あと』と、彼の声が戻ってくる。けれどさっきよりも少しだけ、掠れていた気がした。
『��さん�&tけも、昨日で卒業だから』
その言い方があまりにも自然で、私は思わず、笑いそうになる。ずるい。そんな流れで、そこを回収するのかと思う。けれどそういう少し強引な軽さが戻ってきたことに、むしろほっとしている自分もいた。
電話の向こうで、翼がばさりと大きく鳴った。落ち着かないのだろう。平静を取り戻したように見せかけて、実際にはまるで、取り戻せていないらしい。ホークスは小さく咳払いをひとつした。少しだけ声に甘さが混じる。
『あのさ……じゃあ一個だけお願いしていい?』
「はい、どうぞ」
わざと間を置いたのが電話越しにもわかった。焦らしている、というより、言い方を整えているような間だった。
『今夜もベランダ、出てきてよ』
いつもの軽い声だった。でも、その頼みごとの中身はまるで、軽くない。
ついさっき自分の中で、もうあの時間は戻ってこないかもしれないと思ったばかりだった。その場所を、今度は向こうから求められている。彼はさらに『あと、モンブラン』と何でもないふうを装って続ける。
『土曜に買ったやつ、ちゃんと買ってくるから。一緒に食べよ』
何事もなかったように日常を繋ぎ直そうとしているのがわかった。切れた糸を、結び合わせるのではなく最初から切れてなどいなかったみたいにするりと元の場所へ戻そうとする。たぶんそれがこの人なりの優しさだった。面と向かって仲直りしようなんて言わない代わりに、いつもの時間へ自然に誘い戻す。私はその不器用なくせに器用なやり方が、たまらなく、彼らしいと思った。
『……だめ?』
そこで初めて、少しだけ、不安が混じる。私は小さく息を吐いてから答える。
「だめ……じゃ、ないです」
受話口の向こうで、ふはっと笑いがこぼれた。ようやく、本当に力の抜けた笑い方だった。
『よかった』
それだけだった。『じゃあね』も『待ってる』も、言わない。言う必要が、なかったのだろう。私からの「だめじゃない」の一言で、彼には十分だったのだ。そこで、通話は切れた。
窓の外。日差しがカーテンの隙間から伸びて、ソファに座る私の足元を照らしている。スマホの通話終了画面が、ゆっくり暗くなる。冷蔵庫の中には、ホークスが買ってきてくれたポカリと水。あとモンブラン。味噌汁はまだほんのり温かい。
この部屋は、もうとっくに一人きりの場所ではなくなっていた。知らない内に生活のあちこちへ