『——福岡発、東京行きの大型旅客機が……』
ある晴れた日の昼下がり。午後の光は、どこか無防備なほどやわらかくカーテン越しに差し込む陽だまりが、床に淡い模様を描いていた。あまりにも平和であまりにも静かで時間だけがゆっくりと進んでいる、そんな穏やかな日だった。
なんとなくつけていただけのテレビからお昼のニュースが流れていた。数週間前に起きた、あの惨劇にも等しい事故の分析だという。けれども、アナウンサーの声も画面の映像もまるで自分とは別世界の出来事のようで——あの場に自分もいたはずなのに。命の境界線を踏み越えかけた、あの時間に確かに存在していたはずなのにどうしてか現実味はひとつもなかった。
鳴ったインターホンの音に、私は一瞬、心臓が跳ねるのを感じた。誰だろう、と思いながらも、予感はあった。むしろ、ずっと願っていた声が、きっとそこにある気がしてならなかった。そしてモニター越しに映った、その姿は──。
『お届けモノでーす。東京の乾いた風と、ヒーロー1名。あ、あと。お土産の苺大福つきでーす』
軽やかな口調といつもと変わらないその笑顔。けれどその奥には長距離フライトの疲れがほんのわずかに滲んでいてそれさえも愛おしいと思ってしまう。
「えー……ほんとに来たんだぁ」
扉を開けた瞬間、思わずそう零した私に、彼はいつもの調子で、どこか誇らしげに言った。
「あれ? 言いましたよね?行きますって。俺、有言実行の速すぎる男なんで」
その言葉と同時ににっこりと貼り付けた笑み。何も言わずに見つめていると玄関先でバサバサと背中の翼まで嬉しげに動かすものだから私は半ば呆れながらも、やや強引に彼を部屋の中へと招き入れた。
今回の東京行きは二泊三日のチームアップ任務——表向きにはそういうことらしい。けれど彼のスケジュール帳の片隅にはきっと、小さな字で
『彼女と暮らす予行練習♡』とでも書いてあるんじゃないかと思うほど、彼は当然のように玄関に靴を揃え、慣れた手つきでキッチンに立ち、二人ぶんのコーヒーを淹れていた。
「はい、どーぞ♡」
ソファの上で適当にリモコンを弄びながら映り変わるチャンネルに、半ば心ここにあらずのまま目をやっていると、やはり予想どおりの人懐こい笑みを浮かべた彼が湯気の立つマグカップを二つ抱えて戻ってきた。そのままためらいなど一つも見せずまるでそれが当然の位置であるかのように私の隣に腰を落とす。その動作のあまりの自然さに隣にある体温がときに過剰なほど、意識に触れてくる。
「ん、ありがとう」
受け取ったマグを手に、私はふと視線を正面へ戻した。チャンネルは一周回って、結局は冒頭に流れていた、事故のニュース映像に戻っていた。海に沈みかけた機体のCG解析や、アナウンサーの深刻な声色。見続けるべきか、それとも、早々に変えてしまうべきか逡巡だけが胸の奥で落ち着かない音を立てていたそのとき、彼がカップを口に添えたまま、低くぽつりと漏らした。
「……なーんか、現実味がないんですよねぇ」
その言葉に思わず目を見張った。つい数分前、まったく同じ感慨を心の中で抱いていたからだ。心を読まれたような気がして、胸の奥がひやりとしたが、それ以上に共鳴の驚きに駆られて私は、やや急いた調子で返してしまった。
「ね。私もおなじこと思ってたよ」
彼は私の声に振り向き、唇の端を上げるとニンマリとした笑みを作り、それきり何事もなかったように視線を再びテレビへ返した。そして指先に残る熱を確かめるように手の中のカップを静かにテーブルへ置きながら言った。
「海上着水する前に、機長さんと無線でやり取りしたんですよ」
淡々とした口ぶりのなかに微かな誇りと温度が滲む。
「あなたのおかげで勇気が湧いてきたって言われた時なんか、ヒーローやっててよかったなって」
「うん」
「ピンチのとき、俺たちは最後の砦なんすよね」
「……うん、そうだね」
会話の余韻がまだ空気に漂っている内にテレビの画面から流れたアナウンサーの声が『なお——死者はゼロとのことで……』と私たちの間をすり抜けて鼓膜に届いた。その言葉に彼はふっと目を伏せ、かすかな安堵の影を瞳に落とした。そして誰に聞かせるでもなく静かにひとことこぼした。
「ほんと、全員助かってよかった」
その声音は先ほどの笑顔とは違って、深い場所から滲み出した、真実の響きを帯びていた。彼の声が空気に溶けていくと部屋の中には再びテレビのアナウンサーの単調な声だけが残った。だが、その声も不思議と遠く、まるで、透明な水の膜を隔てた向こう側から響いてくるようにしか聞こえなかった。隣にいる彼が静かに息を吐く音、マグカップの底に微かに残った液体が揺れる音……。そんな些細な気配ばかりが、私の耳の奥で大きく膨らんでいった。
言葉を探しているわけではなかった。ただ何も言えずに座っていると、沈黙の中で彼の優しさがじわじわと伝わってきてしまう。人を救うことを誇りとしながらその裏でどれほどの重さを抱えているのか想像する事さえ私には難しい。それでも彼は目の前の『助かった命』にただ純粋に安堵し感謝を滲ませるように「よかった」と、呟ける人なのだ。ヒーローの鑑である。ふと、彼の横顔に目をやると瞼を伏せているせいかその顔は普段の軽やかさからは少し遠ざかり、どこか祈りに似た静けさを帯びていた。たった今まであれほど生死の境目にあった人々を救い上げた張本人なのに、自分の功績を誇示する様子は微塵もなく、むしろ一人の人間として「よかった」と、胸をなで下ろしている。それが彼の本質なのだと思った瞬間、胸の奥が不意に熱くなり言葉が追いつかずにただ唇を噛んでしまった。
すると彼が気づいたように視線をこちらへ戻し片方の口角をわずかに上げて言った。
「……なんか、重い空気にしちゃいましたねぇ。ごめんなさーい」
その言い方さえも、どこか優しい。気まずさを自分が引き受けてしまおうとする仕草が逆に私を強く揺さぶった。思わず首を振ると彼は一拍置いて少しだけ困ったような、けれど慈しみに満ちた笑みを浮かべた。
「俺たちヒーローは、ただ、守るためにいるだけなんすよ」
「……」
「立場とか力とか、そういう肩書きの前に誰かの隣で無事でよかったって思える自分で、いたいんです」
そう言って彼はまたカップを持ち上げ今度は、
冷めかけた中身を、ほんの少しだけ口に含んだ。その仕草は派手さや英雄らしさからはかけ離れていてただ静かで、ただ真摯だった。私の胸のなかに渦巻いていた戸惑いや不安は、彼のその言葉によって少しずつ形を失い溶けていくようだった。沈黙はもはや重苦しいものではなくむしろ互いの呼吸を確かめ合うような、やさしい余白になっていた。
静かな余韻が、ふたりのあいだに淡く降り積もっていく。私は、膝の上に置いたマグを見つめながらどうしようもなく胸の奥がざわついていた。こんなふうに素直な彼の心を目にしたあとでは、何か言わずにはいられない気がして、けれどうまい言葉も浮かばない。ただそっと指先を伸ばして彼の袖口の布を、軽くつまんだ。ほんの一瞬だけでも、その体温に触れていたかったのだ。彼は、驚いたように私を見下ろしたが、すぐにふわりと目尻を緩め、何も言わずに身じろぎをして距離を詰めてきた。その動きは大げさではなくごく自然に肩と肩が触れ合うくらいの近さで、けれどそのわずかな接触に、心臓が破れそうなほど高鳴る。
「……ほんと、助けてくれてありがとうね」
気づけばそんな言葉が唇から零れ落ちていた。声に出した瞬間、頬が熱を帯びていくのを自覚したがもう止めることはできなかった。彼は驚いたように瞬きをし、次の瞬間には、子どものように照れくさそうに笑った。
「……やばいです」
「え、なにが?」
「それ言われると俺、もっともっと頑張れちゃいますよ?」
冗談めかした口ぶりだったが、その声音には、確かに胸の奥からの真実が宿っていた。私の袖に触れていた手がそっと彼の方へ引き寄せるように動き、そのまま彼の掌に包み込まれる。温かく、優しく、慈しむように。
テレビの画面ではまだ事故の分析映像が流れていたが、もうその声も映像も遠い世界の出来事に思えた。今この瞬間、私にとって確かな現実は、隣にいる彼のぬくもりと互いの心臓が打ち鳴らす音だけだった。掌に宿る温もりを、互いに確かめ合うようにしばらくはただその沈黙に身を委ねていた。彼が次に何を言うのか、私自身も胸の奥でひそやかに期待を募らせていた。すると彼は軽く息を整えると、わずかに瞳を伏せ、やがて真剣な色を帯びた声音で口を開こうとした。
「俺ね、実は──」
だがその瞬間、思い出したように私は「あっ」と、口を挟んでしまった。
「……ん? はい?」
「そういえば明日の夜は飲み会が入ってるよ?」
不用意な言葉が宙に投げられた途端、彼の表情が固まる。笑みか言葉か、あるいは吐息のどれかが喉で途切れ、ただ呆然と私を見つめる瞳だけが残った。
「…………え?」
その声には、予想していなかった衝撃が色濃く滲んでいた。私は慌てて言葉を継ぐ。
「え、だって……前から言ってたよね? 事前にちゃんと、伝えてたはずだけど」
だが彼は眉間にうっすらと皺を寄せ、かすかに唇を歪めながら、信じられないように小さく首を振った。
「俺が来るからって……照れ隠しで嘘こいてたんじゃないんですか?」
落ち込んだ声音は、冗談めかそうとした気配を含みながらも、どうしても、隠しきれない翳りをまとっていた。
いつもの軽さを纏い損ねた彼の表情は、不意に少年のように脆く見えて、胸の奥をぎゅっと締めつけた。彼の声音に漂ったその翳りが部屋の空気をほんの一瞬だけ曇らせた。けれどすぐに彼は、わざとらしく肩を落としてみせ、マグの縁を指でなぞりながら小さく唇を尖らせる。
「なんだ。俺が来るからって張り切って嘘ついたんじゃなくて、ほんとに飲み会あるんすねー」
その口ぶりは拗ねているのが見え透いていて、むしろ子どもじみた可愛らしさすらあった。私は苦笑しながら肩を竦める。
「そうだよ。」
「ほんとに?」
「ほんとに。ちゃんと、予定が入ってるの」
すると彼は急に顔を上げ、妙に真剣な眼差しで、矢継ぎ早に問いかけてきた。
「どんな飲み会ですか?誰と? 何人くらい?」
「は、は……?」
「男女比は?場所はちゃんと明るいとこです?」
あまりの詰問ぶりに、私は思わず、吹き出して
しまった。
「ちょっと、なにそれ。取り調べ?」
「当たり前でしょ。あなたが出かけるってなると気になるに決まってるじゃないですか」
彼はそう言いながら半分冗談半分本気といった顔で、ぐっと身を寄せてきた。視線に押されて、私は観念したように小さな声で答えた。
「……同窓会。中学の友達と、集まるだけだよ」
途端に彼の表情が複雑に揺れ、心配と不安とがないまぜになり、眉の形も口元の影も落ち着きを失う。
「同窓会……それ、危ないですよ。絶対に酔った勢いで妙なやつが近づいてきたりしますからね」
「いやいやないない。中学時代の同級生だよ?」
「いや、あるんですってそういうの。俺の剛翼で全部見張りたいくらいですよ」
まるで、本当に羽根を伸ばして包み込むように両腕を広げて彼は真剣な表情をつくる。その過保護さに呆れるよりも、胸がくすぐったくて温かいものが広がってしまい、私はつい笑いながら彼の腕を軽く叩いた。
「もう……心配性なんだから」
「心配しますよ!あなたに何かあったら、俺ほんとに生きた心地しないんで」
彼の声は最後のひと言でほんの少し低くなり、その真剣さが、じんわりと滲み出ていた。拗ねるように可愛く見せながら結局はどこまでも優しくどこまでも守ろうとする姿に私は言葉もなく胸の奥を締めつけられた。彼の過保護すぎる物言いに笑いをこらえていると、今度は、じっとこちらを覗き込むようにして、真剣そのものの顔で言葉を重ねてきた。
「……卒アル、あります?」
「は?」
「いやだから。卒業アルバム。どの人が来るのか顔を照合しときたいんで」
あまりに突拍子もない要求に思わず吹き出してしまう。
「ちょっと、なに言ってんの。そんなのいちいち見せないから」
「見せてくださいよ。だって、俺の知らない人と飲むって言われたらこっちはもう不安しかない」
「……そう?」
「あ、もし今すぐ出せないなら写真撮って送ってくれてもいいです」
「送らないってば!」
彼は冗談めかすように片目をつむってみせたがその声色には妙に本気が混ざっていた。
「だって、同窓会っていうと初恋の人とか、昔の片思いの相手とか……そういう人も普通に来たりするじゃないですかぁー」
「何を勝手にドラマみたいにしてるの」
「いやっ、ドラマじゃなくて現実ですって。で、来るんですか? そういう人」
食い下がるような口調に、私は呆れて肩をすくめた。
「来ないよ。そもそもそういう人いなかったし」
「ほんとに? ほんとのほんとに?」
「ほんとのほんとのほんとに」
「……やっぱ、卒アルで確認しません?」
悪びれもせず、彼はまたもや、同じ言葉を繰り返す。その執拗さに私は堪えきれずにまた笑い出してしまった。その笑い声に釣られるように彼も照れ隠しのように口元を緩めたが、その瞳の奥は依然として真剣で、どこか少年じみた必死さが滲んでいた。
「……ねー、ほんとに心配しとるっちゃけどぉ」
「うーん……」
「俺、あなたがどこで誰と会うのか、ちゃんと、知っときたいんですよ」
「卒アルなんて……実家だよ。もう捨てられてるかもしれないし」
嘘偽りなく本当のことを淡々と告げると、彼は一瞬だけ「え?」と眉を寄せて、それからゆっくりと首を傾げた。だが、そこで引き下がる彼ではなかった。
「いやいやいやっ!絶対この部屋のどこかにあるでしょ」
「ないってば」
「本棚の下とか、押し入れの奥とか。あ、クローゼットの段ボールの中とか……」
次々と場所を挙げては、ありもしない宝探しを始めるその様子に私は呆れ果てため息をついた。
「ほんとにないの。ここには置いてないって」
「うーん……じゃあ、昔の写真とかストレージにあげてないんですか?」
「え、ストレージ?」
「クラウドとか。スマホに同期されてるやつ」
「……」
「アルバムアプリとか、絶対にあるでしょ。友達との写真とか」
疑い深い眼差しでテーブルに上がっている私のスマホへと視線を落としながらまるで証拠を突き止めようとする刑事のように、詰め寄ってくる。私は思わずスマホを後ろ手に隠し、彼を睨んだ。
「なっ、なんでそんなに必死なの」
「いやいや必死になりますよ!だって同窓会って聞いただけで心配の種が山ほどあるんですから」
「……」
「昔の彼氏が来たりとか仲よかった男子が来たりとか……」
「だから、そういうのじゃないって」
「信用したいんですよ?でも……俺、やっぱちょっと、疑い深いヒーローなんで」
口ではそう言いながら彼の声音には冗談めいた軽さと本気の不安が入り混じっていた。頬をかすかに膨らませて覗き込んでくる様子はヒーローとしての威圧感など影もなくただ一人の男としての嫉妬深さと愛情の不器用な表現でしかなかった。
私が「もう、ないものはないの」と、半ば笑いながら言っても、彼はまだどこか納得していない様子だった。その必死さがなんだか面白くなってしまい私は手に残っていたマグを持ち上げて立ち上がった。
「……ん? どこ行くんです?」
「マグカップ、片付けてくるの」
わざと何でもないふうを装いながらキッチンへ歩いていき、シンクの前でくるりとマグを置く。その拍子に、軽く口ずさむような調子で、わざとらしい独り言を漏らした。
「……来るかなぁ〜、ケンジくん」
次の瞬間だった。背後から空気が一気に動き、慌てたような声が響いた。
「はっ!? ちょ、ちょっと待ってくださいっ!誰ですかケンジくんって!!」
慌ただしくソファから立ち上がった気配と共にあっという間に背後に回り込んできた彼が、目を丸くして私を覗き込む。その必死さに笑いをこらえるのほうが難しいまである。
「えー? 同級生のケンジくん……とか?」
「とか? とかって何すか!ケンジくん、何人もいるんですかっ!?」
「ふふ、何人もって……」
「ふふ、って……ふふやなかよ!��くん�&tけるくらい敬意払ってたってことです?えっ、ケイゴくんの間違いやなかと? どういう関係なん?」
「ただの同級生だってばぁ」
「ほんとに?あー、もう……何も信用できん!」
「えー、ひどいなぁ」
「連絡先まだ持ってたりしません?SNSで繋がってません?絶対チェックしときますからね」
矢継ぎ早に問いただされ私はとうとう耐えきれずシンクの前で豪快に笑声をあげた。肩を震わせて笑い転げる私を見て彼は唇を尖らせ腕を組んで仁王立ちし、拗ねた子どものように、睨みつけてくる。
「……冗談、なんです?」
「うん、冗談」
「……もう、心臓止まるかと思いましたよ」
「ははは、大袈裟」
「マジで今すぐケンジくんの息の根止めに行くとこやった、ほんと……」
「反社系ヒーローだ。こわ〜」
冗談めかしてそう返すと、彼はむっとした顔をしたものの、すぐに観念したように口元をほころばせた。照れ隠しと拗ねと愛情が全部いっぺんに入り混じったようなその表情が、なんだかたまらなく可笑しくて愛おしい。
「……ごめんごめん。ほんとに大丈夫だから」
私は肩をすくめて微笑んだ。すると彼は、一拍おいてからふいに正面からすっと歩み寄り、私の腰に両腕を回してきた。その動作は唐突なのに、不思議と迷いがなく背中へと広がる体温に思わず息を呑む。
「……じゃあ、約束してくれます?」
耳元で囁くようにそう言う声は、冗談めかした軽さを装いながらもどこか切実で、甘えるような柔らかさを帯びていた。
「約束?」
「うん。飲み会で変な男に近づかないって」
「……」
「いや、そもそも近づけさせないって」
子どものような無茶な言い分に、私は笑ってしまいそうになったが腕の力が思いのほか強くて、その不安の本気さが伝わってきて胸の奥がじんと熱くなった。彼の腕に包まれながら私はまた意地悪な気持ちになり、口角を上げて彼を見上げた。
「……じゃあ聞くけどさ。どうやって近づけさせないようにすればいいの?」
その瞬間、彼の瞳が一瞬きょとんと見開かれ、それから、じわじわと真剣な色を帯びていく。
「どうやってって……そりゃあもう俺の存在感をバチバチに出して牽制するしかないでしょ」
「存在感?」
「そう。おでこに油性マジックで俺のサイン書かせてください」
子どものように必死で、それでいて真顔で言い切るその調子に、私は思わず呆れ笑いをこぼし、深く溜め息をついた。
「そんなことしたら一瞬でバレちゃうじゃん私と関係あるって」
「別にバレてもいいですけど」
「えっ」
「むしろ、バレた方がいい。だってその方が変な虫は寄ってこんでしょうし」
むきになったように畳みかける声とは裏腹に、回された腕の力は甘えるようにさらに強まり彼の顔がぐっと近づいてくる。その距離感は冗談ではなく、本気の独占欲を隠しきれない甘さそのものだった。
「本当はあなたに『私は、ホークスのものです』って、言ってほしいんですぅ……」
その甘えた声に胸の奥で鼓動が一気に速くなるのを感じた。彼の真剣な眼差しに胸を打たれつつ私はわざと、肩をすくめて小さく笑った。
「仕方ないなあ……じゃあさ、ホークスみたいな人がタイプって、みんなに言っておくよ」
その瞬間、彼はぽかんと口を開け、それから、即座に眉を寄せて声を荒げた。
「そんなん弱すぎる!!」
「えー、充分じゃない?」
「いやいやいや!みたいな人って!似てるやつが現れたらどうするんですか!」
「そんな、あなたみたいなのがいっぱいいたら、大変でしょ」
「いるかもしれないでしょ!俺と似たやつなんて世の中にゴロゴロ──いや、いないけど……万が一いたらどうするんですか」
言いながらも自分で否定して照れたように目を逸らすその様子が可笑しくて、私は、声を立てて笑った。
「じゃあ、なんて言えば納得するの?」
「納得する言い方はひとつだけです」
「ひとつだけ?」
「はい。俺だけがタイプ、って言ってください」
照れ隠しを必死に言い切るその言葉が可笑しいのに真っ直ぐで、胸の奥を甘く締めつけた。彼の顔が間近に迫り腕に込められる力の温もりが胸の奥まで響いてくる。あまりに必死で、あまりに、子どもっぽくて、けれどどこまでも真剣なその様子に私はとうとう笑いながらも首を縦に振った。
「はいはい、わかりましたよ。あなただけです」
そう告げると彼の瞳がふっと揺れて、次の瞬間には、安堵にほどけた笑みが浮かんだ。肩の力を抜くように頬を寄せてきてそのまま甘えるように額を私の肩口へ預ける。
「……うわ、嬉しー。もうそれ聞けたら何もいらないっすね」
くぐもった声が布越しに震えて伝わり、胸の奥まであたたかく満たされていく。からかい合いの延長のはずなのにその抱擁には確かな実感があり私はただ静かに笑みを返して、その温もりを受け入れたのだった。