「救助態勢が全て整ったみたいだ。もういつでもいけるよ、エンデヴァー」

 司令室内で無線を握っていた塚内が、やや張り詰めた声で報告した。エンデヴァーは、深く息を吐き、まるで覚悟を押し込めるように一つ頷くと通信回線を切り替えた。

「——ホークス、機長に現場の状況を伝えろ」
『はいはい! 誘導灯の設置、ぜーんぶ完了してますよー! 夜の海、いい感じに光ってまぁす』

 軽口のように聞こえる声だったがヘッドセット越しのホークスの息は、わずかに荒い。救助隊と連携し夜の海を走る小さな光を自らの羽根で誘導してきたばかりなのだろう。しかし声だけは努めて明るさを崩さない。その明るさがヒーロー救難本部及び外で待機をしているヒーローたちの重い空気をどうにか支えていた。

『……こちら機長。着水海域の状況は?』
『えっとですねー、現在の風速は約8メートル。けど徐々に弱まってきてますよー。追い風です』

 報告を受けた機長は小さく息を吐いた。緊張で乾いた喉を鳴らし操縦桿を握る手に汗が滲むのを感じながらも、返答は短く冷静に整える。

『了解』
『それと、民間の漁船も待機してくれてますし、近隣の港には、ドクターたちも揃ってます!』

 ホークスは一瞬だけ言葉を切り、息を吸った。普段なら軽口で済ます場面なのに今日はその声が少しだけ低かった。

『ここにいる全員があなたたちのことしか考えてません』

 静かな沈黙が数秒だけ回線の向こうを満たしエンジンの唸りと風切り音が混じり合うなか、誰もが、その一言の重さを噛みしめている。

『全員が本気で、絶対に皆さんを助けるつもりでいるんです』

 そのヒーローからの言葉に、機長と副操縦士はしっかりと頷いた。声には出さなかったが、ホークスの言葉が今この場で最も必要な約束だった。

『……そう、ですか』

 数秒の沈黙の後、無線越しに、かすかに嗚咽を押し殺したような声が届いた。その短い一言に、司令室内の誰もが息を詰める。

『——機長さん? なんとしてでも、海上着水を成功させてください』

 ホークスの声は飄々とした調子を保とうとしながらも言葉の端に震えが滲んでいた。司令室では誰一人として口を開けず、ただその無線を、鼓動の音と同じ速さで聞き続けていた。

『飛行機が海に降りてさえくれれば——あとは、俺たちヒーローが必ず、皆さんを救助しますよ』

 無線越しのホークスの声は努めて軽やかに響くよう装っていたが、耳を澄ませば、微かに震えているのがわかる。

『皆さん全員を、必ず——ご家族のもとへお返しします』

 一瞬、無線の向こうで、機長の呼吸が、詰まるような沈黙が続いた。

『……あなたは、誘導灯の設置を提案してくれたヒーローですね?』
『えっ? あー、はいっ』
『ヒーロー名は?』
『あー、えっと……ホークス、です』
『ありがとう、ホークス。あなたのおかげで私も勇気が湧いてきましたよ』
『……ええ、それはよかったですっ』

 ホークスは緊張で固い声を無理やりに冗談めかした調子に乗せて返す。

『実は、妻があなたの大ファンでしてね。来週、結婚5周年目を迎えます……会いたいですよ』

 その言葉にホークスは一瞬だけ言葉を失った。喉の奥で何かがつかえるような痛みを覚えながらホークスは声を絞り出す。

『俺も——その機内に、大切な人が乗ってます』
『……そうですか』

 わずかな沈黙が場の空気を湿らせた。ホークスの声は相変わらず淡々としているのに、その裏にある切実さが、否応なく伝わってくる。
 エンデヴァーとベストジーニストは互いに一瞬だけ視線を交わした。彼にとって、これはただの任務ではない。そのことを、誰もが悟った。

『あ、そうだ!ちゃんと地上で顔合わせられたらそんときは俺のサイン、サービスしますよぉ?』
『それは……妻が喜びます。じゃあ、無事に帰らなきゃ』
『そうですよ!一緒に、頑張りましょうねー!』
『……ええ。これより三分後に海上着水します』

 回線が切れると同時に、司令室の空気はさらに重みを増した。まるで数百人分の鼓動すべてが、この場の酸素を奪っていくかのような圧迫感が、ひときわ強まる。

「全員、配置につけ!」

 エンデヴァーの声が無線を通して響いた瞬間、短い応答が、一斉に飛び交った。屋外で待機していたヒーローたちもそれぞれの持ち場へと散り、最終確認を慌ただしく進めていく。

『ダイバー班、装備良し!』
『救護班、受け入れ準備完了です!』
『風速、更新! 着水まであと二分!』

 張り詰めた声が次々と重なり、まるでその場にいる全員の呼吸が、ひとつに合わさっていくようだった。誰もが目の前の任務だけに集中し、声を交わし互いの存在を確かめ合う。不安よりも先にただやり遂げるという強い意志だけが、この場を支配していた。
 そして今、この海に託されたのは、一人のヒーローの翼と一条の光。その事実だけが全員の心を突き動かしていたのだった。


 *


『乗客の皆様——当機は間もなく着水致します』

 機内がざわめき立ち空気が震える。隣席の子の細い肩が、ぴくりと揺れた。

『強い衝撃が予想されます。乗務員の指示に従い、安全姿勢をお取りください』

 慌ただしく通路を往復するCAたちの声が絶望を覆い隠すかのように響き渡る。

「頭を下げて、安全姿勢を取ってください!」
「脱出の際は、手荷物を持たないでください!」
「もう一度、座席ベルトをご確認ください!」

 叫びながらも震える声。それでもCAたちは一人残らず、冷静に見えた。やがて、CAたちも全員が自席へ腰を落とし、最後の確認を済ませてシートベルトを締める。

「パニックにならないで! 頭を低くして!」
「頭を下げてください! ヘッドダウンッ!」
「ヘッドダウンッ! ヘッドダウンッ!」

 指示に従い私もシートに額を押しつける。肩越しに見える窓の外は夜の海と誘導灯が滲んで揺れていた。そして機体は、降下を始めた。巡視船の甲板をかすめるように機体は海面すれすれを滑走する。機体全体を震わせる轟音、足元を突き上げるような気圧の変化。その刹那、大きな水飛沫を上げて、機体は海面へと叩きつけられた。

「きゃああああっ!!」
「怖いっ!こわいこわい!!」

 骨まで軋むほどの衝撃は想像以上で多くの乗客が通路に投げ出され機体が大きく跳ね上がりすぐさま横へ傾く。海面に接水した左翼は、半ばから折れて、そのまま海中へ吹き飛んだ。客室内では酸素マスクが千切れる音、荷物が宙を舞う音——そして耳をつんざくような人々の悲鳴と叫び声が混沌する。
 視界はすぐに白煙に覆われ、窓の外では、夜の海面が不気味に揺れていた。自らも衝撃を受けたはずのCAたちの、必死な声が機内に響き渡る。

「まだ……座席から、動かないでくださいっ!」
「前方の通路を……確保します!子供と女性を、優先して——っ!」
「立ち上がらないでっ……! 落ち着いて、ください……っ!」

 震えを押し殺した声は混乱を抑えるために必死に張り上げられている。客席のあちこちで上がる悲鳴とすすり泣きが交錯し、機内の空気はさらに重苦しく、切迫していった。

 そこへ海上に展開していたヒーローたちが次々と降下を始める。ヘルメットに反射する青い誘導灯の光が、暗い波間をかすめた。轟焦凍が両腕を広げ広範囲に氷を走らせる。瞬く間に海面の一部が白く凍り救助用の仮設足場が作られる。同時に切島鋭児郎は硬化した両腕で破損した胴体部分を押さえ込み機体の沈下を必死に食い止めていた。その隣ではファットガムが膨張させた体で漂流物を受け止め、エッジショットが裂けた胴体の隙間から細い体を滑り込ませ、閉じ込められた乗客を外へ誘導する。その他プロヒーローたちも続けて声をあげ懸命にサポートしている。海と炎とヒーローたちの個性が交錯する。その光景はまさに、��生�≠ニ��死�≠フ境界線のようだった。

「——まずい! 機体中央の破損が進んでる!」
「先にこっちだ! 今のうちに救助を急げ!」

 ヒーローたちの声が飛び交う中、私は重い頭をゆっくりと上げた。天井から垂れ下がった酸素吸入機のチューブがシューシューと、小さな悲鳴を上げて、酸素を吐き出している。鼻を刺す焦げた匂いと鉄と、海水が混ざったような生臭い匂いが入り混じっていた。呻き声。泣き声。誰かが必死に祈る声。周囲を見渡すと頭から血を流している乗客が、何人もいる。私は無意識に座席ベルトを外そうとしたが肩に鋭い痛みが走り息が詰まる。それでも歯を食いしばってバックルを外し、隣の小さな体を揺さぶった。

「——ぼく、大丈夫!?」

 意識を失っていたらしいその子がかすかに目を開ける。その薄い唇が、震えていた。そのとき、機体の中央付近に大きな亀裂が走り、海水が勢いよく流れ込んできた。更に事態は最悪なことに、残っていた燃料に火花が引火し左エンジンが爆音と共に炎を上げた。熱で変形したプラスチックの焦げる匂いが立ち込め、煙が喉を刺す。

「出口はこっちです!」
「ライフジャケットはまだ、膨らませないでください!」

 後方から、客室乗務員たちの叫ぶような指示が飛んでくる。

「ぼく、早く……逃げな?」
「え、お姉ちゃんは……?」
「私は後でいい。だから、早く行きな……っ」

 そう言ってその子の頭を撫でてから震える手でライフジャケットの紐を確認した。出口では既にヒーローたちが待ち構えていて、声を張り上げている。

「こっちだ! 早く手を掴んで!」
「落ち着いて、順番に!」

 私はそばにいた中年男性に、その子を託した。

「この子を……お願いします」
「えっ? あんたも、早く逃げないと!」
「私は大丈夫です。どうぞ先に行ってください」

 そう告げて、私はあえて逆方向へと足を向けた。後方にはまだ動けないままの人たちがいる。ヒーローにはなれなくても私もせめて今ここで、誰かの役に立ちたかった。彼と同じように誰かを救える人でいたかった。
 そのとき、メリメリッと不気味な音を立て機体全体が激しく揺れた。反射的に近くのカーテンを掴んだが布地はあっさりと千切れ、私は床に投げ出される。鈍い衝撃が背中を走り息が止まりそうだった。顔を上げると機体中央部分が大きく軋みながら裂けていくのが見えた。
 鉄骨が折れる音、ガラスが割れる音、そして、人々の悲鳴。数人の乗客が、そのまま裂け目から海に落ちた。

「転落者だ! 下にいる!」

 声を張り上げたのは外に待機していたヒーローたちだ。次の瞬間、波しぶきを上げながら複数のヒーローたちが迷いなく海に飛び込んだ。救助の手が伸びていく。でもここはまだ安全じゃない。機体はきしみ、崩れ落ちる寸前だった。

「慌てないでっ!落ち着いてボートに乗って!」

 水面を切り裂く音が重なり飛沫が高く上がる。機体全体がきしむたび骨組みの奥で金属が悲鳴を上げている。まるで、大地そのものが、断末魔をあげているかのようだった。私は呻きながらも、必死で立ち上がろうとした、その瞬間——視界の端に、凶器のように勢いをつけたカートが滑ってくるのが見えた。

「——っ!」

 反射的に身をひねったが間に合わず、カートは
壁に激突し、その反動で私は、後方の狭い通路の先にあるトイレの中に弾き飛ばされた。次の瞬間別のカートたちが、勢いよく連鎖するように滑り込み、開け放たれたままのトイレの入口へと突っ込んでくる。同時に、がしゃん!という衝撃音とともにカートが歪んでトイレの入口を塞ぎ背後の壁とカートに体を押しつけられるようにして私は狭い空間に閉じ込められてしまった。
 まずい——!と、カートを必死に押してみるが積まれた荷物や壊れた部品が絡み合ってまったくびくともしない。息が上がり、酸素も足りない。

「だ、だれか……っ、だれか、助けて……!」

 声を張り上げたが入口付近は避難誘導で騒然としている。ヒーローたちの怒鳴り声や、泣き叫ぶ子供たちに、割れるガラス、軋む金属音。私の声など、誰にも届くはずがなかった。


 *


 同時刻——。
 機体の出口からは次々と乗客が滑り台を使って海上へと避難していたが、問題は、前方だった。上空を旋回していたホークスは真下に広がる惨状を一望していた。折れた左翼からは煙が上がり、海面にはすでに、複数の救命ボートが展開されている。だが状況は、一秒ごとに悪化していた。

「クソ……時間がない——っ」

 翼を一振りすると、赤い羽根が音もなく散っていき機体全体の状況を索敵する。そしてホークスは迷わずコックピットのガラス窓へ急降下した。
 ——ガギィン!と剛翼が硬質ガラスを切り裂き狭い隙間をこじ開けるとホークスは、身体を滑り込ませた。

「大丈夫ですか!?」

 計器パネルの間でぐったりしている機長に声をかける。返ってきたのはかすれた呻き声だった。ホークスは一瞬で状況を把握する。機長の右足は計器パネルにめり込み骨まで達している可能性が高い。副機長は頭部から出血し意識は朦朧としていた。

「なるほど……足が挟まってて動かせないのか」
「うっ、うぅ……」
「——! 機長さん! 聞こえますっ!?」

 ホークスは羽根を操り周囲の破片を一気に除去しながら無線を掴む。

「こちらホークス!コックピット内、機長が右足骨折、副機長は頭部外傷で意識混濁。メディック急行を!」
『ホークスくん——了解。すぐに向かわせる!』

 オールマイトからの短い応答のあとホークスは深く息を吸った。機体はもう限界だ。乗客全員を救うための時間は、ほとんど残されていない。

『——ホークス、聞こえるか』
「えっ……? エンデヴァーさん?」
『本部の指揮はオールマイトに託した。最後尾の出口までは確保済みだが——残りの要救助者は、
100名以上。時間がない』
「た、託したって……え、まさか」
『ああ。俺が行く——!』

 海水が足元にまで迫ってきていた。膝下をかすめる冷たさにホークスの背中を汗が伝い落ちる。機首がわずかに持ち上がるたび、機体全体が海に呑み込まれようとしていることが嫌でも理解できた。そのとき後方からベストジーニストがファイバーで動線を作り、ホークスへ酸素ボンベを放り投げた。ホークスはそれを見事にキャッチする。

「ホークス、それを機長に。交代だ。君は行け」
「は? なに言ってんですか、ここは俺が——」

 荒い息をつきながら言い返そうとしたそのとき不意にホークスの背中に鋭い衝撃が走り、視界が大きく揺れた。次の瞬間ホークスの身体はコックピットから外へと弾き飛ばされ瞬時に羽を大きく広げてくるくると回りながらホークスは海面ぎりぎりでなんとか体勢を立て直すことに成功する。

「っ……!何すんですかエンデヴァーさんっ!」

 振り返ると、炎をまとった巨体が浮いていた。エンデヴァーの眉間には、深い皺が刻まれ、その双眸は、猛禽のような鋭さでホークスを射抜いている。

「冷静になれっ、ホークス!」
「……はっ?」
「お前がやるべきことは何だ!」
「や……俺は、機長を——」
「違う!」

 低く、しかし確信に満ちた声が、機内の轟音を裂くように響いた。

「お前は現場の翼だろうが。俺は先ほど貴様に、そう指示したはずだ」
「……」
「俺たちがここを抑える。必ずこの二人を救ってみせる」
「エンデヴァーさん……」
「したがってお前は——自分の大切な人を救いに行け」

 その言葉にホークスは言葉を失う。視線を逸らしそうになるのを必死に堪えたとき、ベストジーニストが機長と副機長に酸素ボンベを装着させながら、ホークスに背を向けたまま淡々と言った。

「君がわざわざ福岡から飛んできたのには理由があるんだろう?」

 その一言に、ホークスの瞳がかすかに揺れた。呼吸を忘れるほどに息を詰め、ほんの一瞬だけ、視界の奥が霞む。そのまま、ベストジーニストの背中を見つめていた彼の耳元に低く落ちたエンデヴァーの声が届く。

「……急げ。」

 短い命令だった。それでもホークスには、言葉以上の重さを帯びて響く。ホークスは震えそうになる唇をきゅっと噛み、押し殺すように一度だけまばたきをしてから小さくけれど確かに頷いた。

「……分かりました。あと、頼みますよ」

 言葉を残すや否や、ホークスは大きく翼を広げ夜の海上を切り裂くようにして後方機体へと飛び立った。


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