この勇気はあなたがくれた

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  • 私は、湘北高校三年三組の名字名前。
    ウチの学校はひと昔前の死語を使うと、いわゆる
    不良高校≠セ。

    別に偏差値が県内いち最下位というわけでもないのに、現三年生に、ちまたでは有名な不良グループとつるんでいるらしいと噂のある、堀田徳男とかいう喧嘩が飛び切り強いやつがいたり、そんな中で、今年入って来た新入生の桜木花道とか、水戸洋平っていうワルがいるからか、周りからはそんな言われをする。

    でも話して見ると、みんな普通の高校生だし、一方の新入生の赤いリーゼント頭をした桜木花道なんかは、なにを思い立ったのか、いまではバスケットボール部に所属しているスポーツマンらしいし。

    まあ、そんなことは置いておいて……
    私のクラスにも、最近までその堀田らと一緒につるんでいた元不良がいる。名を三井寿という。

    実は、その三井寿、私と一年生のときに10組で同じのクラスだったことを、きっと本人は知らない。

    でも、気が付いた頃に彼は不登校ぎみになっていたので、一年生のときは、そんなに話すきっかけもなかったのだけれども。

    三年生に進級して間もなく、その三井寿がばっさりと髪を散髪して来て、もともと所属していたバスケ部に復帰したのだというもんだから、三年生のあいだでは、ちょっとした話題になっていた。

    騒ぎになっていた理由は、単純だ。
    彼が、すこぶるイケてるメンズ、イケメン(死語)だったからだ。

    なので、いま言った通り騒いでいたのは、まぎれもなく女子だけの話で、男子はこれと言って話題にしていたわけでもなく、なんなら、案外すぐに社交的な面を前面に押し出してきた、その三井寿本人のおかげで普通に馴染んで仲良くなっていたくらいだ。

    私も、その彼の社交的な態度により、席が近かったのですんなりと仲良くなった部類の一人ではあるのだが、実は、こんなに淡々と説明している私には、彼のことを中学時代から知っているというプチ自慢がある。

    従兄弟にすすめられたバスケ。
    では、ためしに観戦に行ってみようかとバスケ好きの友達を誘って観に行ったのが、三井寿がMVPを獲った武石中の試合だった。

    まんまとルーキー、三井寿にハマった私は、偶然にも同じ高校、しかも同じクラスになれたことをその当時、静かにひとり舞い上がっていたのを今でも思い出す。

    はい、そうです。わたくし、名字名前は、みんながイケメンだの、男前だのと騒いでいる傍ら、ずっとファンだったこと、むしろ、今では恋心を抱いていることを言うタイミングを逃してしまったのだった。


    「おう、はよー、名字」
    「おはよー、三井くん」

    今日も今日とて、一日が始まる。
    ななめ前の席に座る三井くんは、私が席に着くや否や朝の挨拶をなげかけてくれた。

    「雨、降ってるもんな。傘なかったのか?」
    「そうなんだよねえ、雲行き怪しいなーって思ってたら降って来た」
    「天気予報、がっつり雨だったぜ?」
    「あ、わたし、そーいうの見ないタイプ」
    「あー、ぽいぽい。」

    三井くんはそんなことを言って、今日もあいかわらず太陽みたいに笑っている。

    ぽいぽい、って言ったけど……
    三井くんから見た私って、どんなイメージなんだろうか。

    そんなことを考えながら、一時間目の授業の準備をしている傍ら、すくっと立ち上がった三井くんが私の席の隣に腰をおろしてきた。

    「……?」
    「今日よ、コイツ休みらしいぜ」

    そう言って机をコンコンと、中指で叩く。

    「うん? で?」
    「隣、さみしーからこっち座っていいか?」

    思考が停止した。
    さみしい。隣が? さみしい……

    停まった思考をむりやりに動かそうとして、私はゆっくりと前の席、三井くんの隣の席に頭をもっていくと、そこにはクラスの中でも、あまり目立たなさそうな女の子、みょうじさんが座っていた。私もあまり接点がなかったそのクラスメイトは、小説かなにかを静かに読んでいた。

    分け隔てなく誰とでも会話できる三井くんでも、隣の席とは言え確かに彼女と話しているところをあまり見たことがなかった。

    メガネちゃんとか、黒髪ちゃんとか、みんなそんなふうに呼んでいたけれど、私はあまりそういう呼び方を好まなかったので、声を掛ける際にはちゃんと「みょうじさん」と呼んでいた。

    「ん、まあ……いいよ?別に」

    「みょうじさん、座っているよ?」とか、「みょうじさんいるじゃん」とか言ったら、彼女に聞こえてしまいそうだったし、三井くんがそこに座りたいなら、私としては棚から牡丹餅状態なので、とくに深入りはせずに三井くんにはそう言い返しておいた。

    「サンキュ」

    と、軽快な三井くんの声がして、ちらっと彼を見たら口笛なんかを吹いていて、自分の教科書ではなく私の隣の席の男子の机をあさって教科書を出していたあたり、なんか男の子っていいなあ、雑で。なんて思った。

    一時間目の授業は、いつになく教室内が騒がしかったため、それを真似て三井くんもしゃべる、しゃべる。

    「んでな、そのソックスひとつにしたって、俺にはこだわりがあってよ」
    「……うん、」
    「俺、A型だからかなあ……小せえこだわりあるんだよなあ」
    「(A型なんだ……)うん、」

    話し掛けてきてるのか、ひとり言なのかよくわからないことを三井くんはいつも喋っている。私は適度に相づちを打ってみたり、たまに顔を見てうなずいてみたりしてた。

    「あんまラインとか入ってんの好きじゃなくてよ、バスケのユニホームなら純白が映えるっつーか、湘北のユニホームだと真っ白が合うっつーか」
    「純白……」
    「だってよ、結婚式のドレスだって純白だろ?神聖な証で」
    「神聖……な、証。」

    そう、もうおわかりの通り、三井くんは生粋の天然なのだ。男子のくせして、こういう恥ずかしい言葉なんかをしれっと言ってのける。
    でも、それを本人に言うとムキになって「天然じゃねえ!」とか怒り出すから謎だ。

    「名字はなんかスポーツ、興味ねーの?」
    「……え? なに、ゴメン。聞こえなかった」

    ウソです。
    聞いてませんでした、すみません……

    「ええ? だから、スポーツ。なんか興味ねーの?って」
    「ああー、スポーツかあ。うーん……あ! サッカーとか好きだよ?」
    「はあ? サッカーかよ」

    ……え、ええー。
    今の、答えあった感じですか?
    じゃあ、言ってほしかった。バスケしか受け付けてませんよって。

    「あ、っと……バスケも見に行くよ?別の高校行ってる友達が昔から好きでさ、バスケ」
    「へえー!! そーなのか!」

    とても嬉しそうに笑う三井くんを見てると、このまま勢いで「好きなんだけど」って言ってしまったら「ああ、俺も」と返してきそうなくらいにはノリもいいし、私のこと、嫌いではないんだろうななんて調子に乗った勘違いを起こしてしまいそうだ。

    そんなこんなで、授業を終えるチャイムが聞こえてきて、クラス内がガヤガヤとさっき以上に騒がしくなる。それでも席を立たずに会話を進める三井くんと私のもとに、互いの友人がたずねてきた。

    「ねえ、名前。二組の男子が、名前に話あるんだってさ?」

    「なあ、三井。今週の土曜、夕方から買い物行かね?バスケの練習終わってからでもいいからさ」

    私の友人と、三井くんの友人が声をかけてきたのは、ほぼ同時だった。

    「えっ?二組? 誰だろ」
    「………」

    私はすぐに言葉を返したのだが、となりから三井くんの声は聞こえなかったので、土曜日になにか予定でもあるのかなあ、と頭の片隅で考えていたら、なにか鋭い視線を感じてちらっと三井くんを見やった。

    「……なあ、だれだよ? 二組の」

    私と目が合うと、少しだけ不機嫌そうにその視線を私の友人に向けて三井くんが言った。

    「名前知らないの。私もまた聞きなんだあー」
    「それよ、百発百中、告白だろ? だぶん」

    「たぶん」の言い方が、いじけたみたいに言う三井くんに私の友人は、ははーんと言って、三井くんをからかった。

    「三井、名前のこと好きだよね、その言い方」
    「あ、三井すきだよな?名字のこと」
    「えっ、そーなの?やったー、両思い!」

    おおおおおおおおい!!!!!
    とんとん拍子に進む友人らの会話についていけず押し黙っていたら、なんか変な展開になってしまっている。

    「別に? 嫌いじゃねーしな。」

    ……嫌いじゃ、ねーしな……?
    なんだ、その言い方。 どっち?
    好きだし、でもなくて。好きじゃねーよ、でもなくて?

    開口一番、嫌いじゃねーし……な?

    思い悩んでいる私の傍らで、気づけば三井くん含む残りの三人はすでに話題が変わっていて、楽しく昼食の話なんかをしていた。

    なんてやっているうちに、授業の間の小休憩の15分が経ってしまい、予鈴が鳴ったことで友人らは私たちに「じゃーね」とか「じゃ」とか言い置いて、自分のクラスや席に戻って行った。

    「………」
    「なあ……受けんのか?まじで告白だったら。」
    「え」

    二時間目は比較的こわい先生の授業だったため、三井くんは教科書で隠しながら小声で聞いて来た。

    「わかんないよ……決めてない」

    なんか、どう言葉を返していいのかわからず、そんな曖昧な返事をしてしまう。

    「ふうん……」

    今度は怒ってるとか、機嫌が悪そうとかそういう感じには見えなかった三井くんは、とくに当たり障りない感じで相づちを打ってきた。

    「……まあ、付き合ったら教えろよ」

    ………。
    私をなんとも思ってない言い方。
    私が誰かと付き合うなんて、どうでもいい感じの声色。

    別に、いいけど
    それでもいいけど

    ちょっとだけ、……悲しかった。

    「……うん。わかった」


    その日、三時間目の移動教室のあと教室に戻ってきてから三井くんは、私の隣の席ではなく自分の席に戻ってしまって、残りの授業を受けていた。(ほぼ、寝てたけど)


    翌日、ちょっとした事件が起きた。
    昼休みを終えて教室に戻ると、教室内があまりよくない雰囲気のほうの騒がしい声がしていて、クラスメイトと一緒に首をかしげながら中に入った。

    三井くんの隣の席、みょうじさんの椅子がなくなっていたのだ。彼女は呆然と自分の席の前で立ち尽くしていて、暗い顔をしていた。

    とりあえず予鈴が鳴りそうだったので、私もクラスメイトも自分の席に着く。

    予鈴の音と共に教室に入って来た三井くんと、もうひとりのクラスメイトの男子。その男子の方が「先生ちょっと遅れるってよー」と言うと、また教室内がガヤガヤと騒がしくなった。

    まだ立ったままでいるみょうじさんに私が思い切って声をかけようとしたとき、自分の席にやってきた三井くんが迷うことなく声をかける。

    「あ? どーした?」

    その三井くんの声で、騒がしかった教室内が刹那シン、と静まり返った。

    「………」
    「椅子、どーしたみょうじ。」

    『みょうじ』——。
    みょうじさんの名前……
    やっぱ、ちゃんとわかってるんだ……。
    うん、三井くんらしいな……。

    「………」
    「……あっ、俺の使えよ。 俺、どーせ寝てっから、残り二時間保健室行くし」

    ちらっと三井くんを見やったみょうじさんの言葉も待たずに「ホラ。」と、三井くんが椅子を彼女の机に押しやると、静まり返っていた教室内に三井くんの椅子を押す音がガガガガガ……、と鳴り響いた。

    「そん代わり、センコーになんか言われたらテキトーにごまかしといてなっ!」

    そう言い置いて、三井くんはあくびをしながら教室を出て行った。

    三井くんが階段を降りて行く音がすると、とたんにコソコソと声がして教室内が異様な空気になった。そこで聞こえて来た会話。

    「あの子の家、整骨院なんでしょ?なんか詐欺まがいなことしたって聞いたー」
    「私も聞いたー。だから一か月前から閉めてんだってさ」
    「俺も聞いた。父親やべーことしたらしいぜ」
    「誰だよ、椅子隠した奴ー」

    そのあと、コソコソ話からクスクスとからかうような声に代わっていく。

    そうそう……、
    たまにあるんだ、こーいうの。

    それはきっと、湘北高校だけの問題ではなくて、どこの学校にもあるんだろうなと思う。

    私には、みょうじさんに声をかけてあげる時間がたっぷりあった。三井くんが声をかけるまでのあいだに。

    「どうしたの?」
    「大丈夫?」

    そう言ってあげたほうがいいなら、そうしてた。

    けど、声をかけたら逆にみょうじさんが目立ってしまいそうな気がして。もっと、嫌な思いやはずかしい思いをさせてしまいそうな気がして。

    だから、こういうときは声をかけたらいけないって思って。

    だけど……
    結局は、自分の意志で声をかけなかっただけだ。

    三井くんがこんなふうに優しく手を差し出すことを知っていたら、私から先にやってた。

    でも、やらなかったのは
    わたしなんだ。


    午後の授業は、三井くん不在を不審に思う先生に向かって、みょうじさんがしっかりと三井くんとの約束を守って「三井さんは体調が悪いみたいです」と、耳まで真っ赤にして声を震わせながら言っていた。

    三井くんのおかげなのか、なんなのか、翌日からみょうじさんをいじめる人がピタッといなくなって、彼女もそれをきっかけに、三井くんによく話しかけるようになった。

    それと同じタイミングで、みょうじさんも少しずつ変わっていった。

    慣れない化粧をしはじめたり、アクセサリーを身に着けてきたり、しまいにはメガネからコンタクトにかえてくるほどだった。

    極めつけには、三井くんをお昼に誘ったりする。

    好きになっちゃったんだろうな、なんてことは私じゃなくても、クラスみんなが思っていたことだと思う。

    それでも、色眼鏡を使わない三井くんは誘われると「あ?いーけど」と、しれっと言い返すもんだから、よく隣同士で昼ご飯を食べたりしてた。

    そんなある日の放課後、日直の日誌を書くため残っていた私のもとへ、ぱたぱたと駆け寄ってきたみょうじさんが声をかけてきた。

    「名字さん、いま少し大丈夫、ですか?」
    「……?いいよ、どうぞ?」

    この状況下で少しだけ警戒したけれど、顔には出さずに隣の空いた席をうながした。教室には幸い、わたしたち二人しか残っていなかった。

    「………」
    「………みょうじさん、コンタクトにしたんだね」

    呼びかけておいて、うつむいてもじもじしている彼女に、ペンを机において身体を向けた私から声をかけてみた。

    「え……うん、ど、どうですか?」
    「いいよ、敬語じゃなくても。 うん、いいと思うよ」

    顔をあげて言った彼女は、私の言葉にパアっと顔を輝かせた。

    「コンタクトのほうが、楽なんだよね……」
    「たしかに。メガネだと邪魔だよね。私もたまにかけるからわかるよ」

    ……なんなんだ、この時間は。
    彼女、私になんの用事があったんだろうか……

    「あの……三井くんって」

    ——出た!

    ……待って、「くん」?

    三井くん≠セとーっ!?
    それ、私しか呼んでなかったのに!だって、みょうじさん、「三井さん」って呼んでなかったっけ??

    ど、どうしよう……。動揺するな、私。
    顔に出すな、私——!

    「かわいい系と、きれい系だったら……どっち系が、好きだと思う——?」
    「え—— ?」

    え、
    え……な、なに、その質問——!?

    「………」
    「………名字さん?」
    「なんで……、 私に聞くの?」

    私は思わず、彼女から顔を逸らして言った。

    「だって名字さん、三井くんのこと好きだよね?」

    みょうじさんは、あたりまえかのようにあっさりと涼しい顔でそんなことを言ってのける。


     ― ガタンっ——!!


    そのとき、誰もいないはずの教室の入り口付近で机の音がした。ふたりで同時に見やると、そこには三井くんが立っていた。どうやら入って来たときに机にぶつかったらしい。

    「ご、ごめん——、 私 帰るッ」

    一気に顔に熱があつまった気がした私は、日誌を乱暴に机の中に押しやって脇にかけていたバッグを手に取ると、三井くんの立っている入り口とは逆のドアから急いで教室を飛び出した。

    これでは、
    「はいそうです。好きですが何か?」と告白しているようなものだ。

    「オ、オイッ——!!」

    全力疾走している最中も、後ろから三井くんが追い掛けてきているのはわかっていた。それでも私は走る足を止めずに階段を駆け下りた。

    後ろから「待ってって!名字!!」と言いながら三井くんの走って来る音と声が聞こえて来て、私は生徒入り口の死角になっているスペースに隠れて膝をかかえてしゃがみこんだ。

    悲しいからじゃない、驚いたからだ。
    この涙は、驚いたから流れてるだけだ——。

    走る足を止めて、「どこ行った、ったく」とかなんとか小言をつきながら、生徒入り口付近で私を探してうろうろとしているであろう三井くんの上履きの音がする。それに合わせるように私の心臓もドクッ、ドクッとどんどんと加速していく。

    「ズズズズズ……」


     しまった――!

    私はこともあろうに、泣いていたことを忘れて鼻をすすってしまい、誰もいない生徒入り口内に色気なく、その音が響き渡った。

    ひょこっと顔を見せた三井くんが、情けなく笑うと「ホラ」と、手を差し出して来てくれた。調子のいい私は、あっさりとその手を借りてしまう。

    「隠れたつもりだったのかよ?」
    「……うん。」

    三井くんに立たせてもらったおかげで、いま私は三井くんと向き合っているわけだけれど。

    「悪ィ、聞く気はなかったんだけどよ……」
    「…… な、なにを?」
    「その……好き、とかいうやつ……」

    ——え。なぜ、照れる。
    なぜにあなたが、照れているんだ……!。

    三井くんは罰が悪そうに後頭部に左手を当てて、私から顔を逸らして少し頬を赤らめている。

    「……好きじゃ、ないよ——」
    「え?」
    「……みょうじさんの、勘違いだと思う」

    ぽつぽつと私が目を逸らしながら言うと、三井くんは怒っているんじゃないかなって思って、ちらっと顔を見たら眉間に皺は寄せていたけど、なんだかちょっと悲しい顔をしていた。

    「……そうか。……そう、だよな。」

    「悪ィ」って、申し訳なさそうに後頭部に手をあてながら謝る三井くんの姿に、薄情者な私はまた涙があふれてきて唇を噛んで耐えた。

    「迷惑かけたくない、ごめんね。なんか変な感じになっちゃって……」
    「……あ? 迷惑って?」
    「好き、とか……迷惑かけたくない」

    こんなときに限って、いつもはその対応に困ってたくせして、三井くんは天然だから言葉の意図をつかめないだろうな、なんて思ってそんな彼の性格にすがろうとする自分が情けなくなる。

    「……俺は、好きだけどな——」
    「……え。」
    「俺は、好きだぜ……名字のこと」
    「……」
    「そーいうの、迷惑なのかよ」

    私は三井くんを見据えたまま言葉が出て来ない。

    そのとき、「三井サーン!」と生徒入り口の向こうから声が聞こえた。三井くんの姿を見つけたらしい相手がキュキュという靴底を鳴らしながらこちらに駆け寄って来る音がする。

    「三井サン、練習始まるよ」

    姿を現した彼は、そう言い置いてまたすぐに戻って行った。

    「あ…… 俺、練習、」
    「がんばってね、」
    「………」
    「バスケ、がんばって。」

    三井くんの言葉をさえぎって、私は言うと彼に背を向けて靴をさっさと履き替えて外に出た。

    背中に痛いほどの視線は感じていたけれど、振り向くことなく駆け足で校舎を出た。


    翌日、また三井くんと座ってお昼ご飯を食べていたみょうじさんを気にしないようにしながら、窓の近くで私も友人らとお弁当を食べていた。

    「なんかさーあの子めっちゃ見せつけだよねー」
    「オタクって人のこと考えないって言うじゃん」

    そんな陰口がふいに聞こえてきたが、案の定、天然記念物の三井くんには届いていないようで、気にせず楽しそうにみょうじさんと話し込んでいる。

    「……名前、いいの?」
    「え?」

    一緒にお昼をともにしていた友人がそんなことを言う。

    「いいって、……なにが?」
    「アレ——。なんか、三井ってバカだし、ワンチャン付き合っちゃうかもだよー?」
    「……いいんじゃん? それなら、それで」

    結局、みょうじさんを助けられなかったときと同じだ。行動したもん勝ちなのだ、所詮は。

    三井くんだって、バスケ部に戻りたいと頭をさげたなんて噂もあるし……。

    行動した人が、最後は勝つのだろう……。

    「私も、バスケット勉強してみようかなって思って」

    みょうじさんの甲高い声をBGMに、私は自分で作ってきたお弁当を半分ほど食べてその蓋を閉じた。

    「おもしろいぜ、バスケ!」
    「——好き、です。」
    「あ?」

    騒がしかった教室内が一瞬で静まり返る。
    私たちも、思わず三井くんらを見やる。

    「三井くんの優しくて、まっすぐで強いところが」
    「………」
    「私、好きになってしまって………」

    静かになった教室内が徐々にザワザワとしてくる。

    私もつい最近、同じようなことを思った瞬間があった。このまま勢いで言ったら同意してくれるんじゃないかって。話すテンポもいい感じだし、私のこと嫌いではないんだろうなって。

    『俺は、好きだぜ』

    あれは、きっと友達≠ニして。
    クラスメイト≠ニしての言葉なのだ。

    ……だからそれは、百発百中で調子に乗った自分の勘違いなのだと、思っていた。


    「あ……俺、」
    「好きです。」
    「……… 悪い——」

    また、周りのざわめきが止んで静かになった。

    「俺、好きなヤツいてよ——」

    その瞬間、目の前にいた二人の友人が同時にバッと、私の方を勢いよく振り返った。

    「……!!? え、な、なに……」

    小声で言った私をニヤニヤと見やる二人の友人。そんなことをしているうちに、ガタンと立ちあがった三井くんが、「ごめんな」と天然記念物特有の空気の読めなさで、その場ではっきりとした口調で、なんならちょっと大きいくらいの声量でみょうじさんに謝罪をいれて教室を出て行った。

    「……ねえ、聞いた?」
    「さっきさあ、黒髪ちゃんがさあ」
    「聞こえた!やっぱ、告ってたよね」
    「告ってた告ってた」

    三井くんが教室を出て行くや否や、今度はコソコソとそんな声が聞こえてくる。

    次の日から、みょうじさんは一週間学校を休んだ。


    天の助けか、その間に席替えが行われ三井くんはみょうじさんと遠い席になった。こともあろうに、私の席の隣には三井くんがいるのだけれど……。

    「よろしくな」

    二ッと口端をあげて言った三井くんに私も「よろしくね」と返したものの、気まずさは消えず、珍しくそれをさとした天然記念物は前のように私に声をかけてくる頻度がぐんと減ったのだった。

    『俺、好きなヤツいてよ——』

    私は暇があれば、あの日のことを考えている。

    『俺、好きなヤツいてよ——』

    頭の中で消しても消しても、なんども三井くん本人の声でリプレイされるのだ。

    好きなんだなあ、と思う。
    みょうじさんに負けないくらい、私は三井寿が好きなんだな、と思った。

    でも、この恋心は心の奥深くに、そっとしまっておこう。高校時代の甘酸っぱい思い出として、大切にしていこう——

    そんなふうに、自分で言い聞かせることにした。


    みょうじさんが久しぶりに登校してきた日、彼女は化粧をやめ、コンタクトからメガネに戻り、前のように休憩時間は静かに本を読んでいた。

    クラスメイトも彼女をからかう人がいなくなって、三組にも平和が戻りつつあったそんなある日、次の移動教室の準備をしていると、三組の入り口に一年生の水戸洋平(以下、水戸くん)が現れた。彼は三年でも隠れファンが多かったため、数名の女子たちが黄色い声を出していた。

    「名字名前さんって、どの人、ミッチー」

    教室内が騒がしい中、入口付近でクラスメイトと話していた三井くんに水戸くんが声をかける。突然名前を出された私も思わず入り口を見やった。

    「あ? おまえ何しに来たんだよ」
    「いや、用あって——どの人?」

    三井くんが不機嫌そうにも、親しげに水戸くんと話し込んでいる。

    「名字ーっ」

    久しぶりに三井くんに名を呼ばれた気がして、また呑気にも私の心臓は跳ね上がる。

    「……は、はい!」

    私の返事に水戸くんがニコッと笑って、こっちこっちと手招きをしている。

    駆け足で教室の入り口に向かうと「あのさ……」と、話し始めた水戸くんが三井くんを見やって「ん?」と言った。

    「ミッチー、もういいぜ?」

    その言葉に三井くんは眉間に深く皺を作って「あ?別にいいだろ、いたって」と言ってのけたので、呆れたように鼻で笑った水戸くんが「いーけどさ」と返していた。

    「名前さんの知り合いから番号聞いといてって伝言。名前はね、克美って奴。知ってる?」
    「ああ! うんうん。知ってる知ってる」
    「なんで名前さんなんて名前呼びなんだよ、なれなれしーぞ、水戸」
    「あれ、でもどうして?」
    「俺とバイト先が一緒でさ、それで」
    「ふうん、あ。ちょっと待ってね」
    「オイ、ちょっと待て!」

    はじめは三井くんをスルーしていたけれど、私が携帯番号書き出したとたんに、三井くんが強めの口調で割って入って来た。

    「克美て、克美一郎か?」
    「あ、そーそー。確かそんな名前だったな」
    「俺の後輩だぜ?中学んときの」

    私と水戸くんはぎょっとして、押し黙る。
    三井くんは気にせず勝手に会話を続けていた。

    「あいつ今、一年だろ? 名字とどーいう知り合いなんだよ」
    「あ、その……従兄弟、だよ?」
    「へえ。なんだ、そーだったのか……」

    納得してるんだか、おもしろくないんだか、そんなあいまいな表情の三井くんを無視して、携帯番号を紙に書いて水戸くんに渡そうとしたとき、三井くんが「オイオイ」と止めに入る。
    どさくさに紛れて三井くんにつかまれている私の腕に一気に熱があつまってくる。

    「へ?」

    私よりも先に、水戸くんが返事をした。

    「水戸に教えなくていいだろ、克美の番号。俺に教えろ。俺から連絡すっから。俺も久しぶりに話してーし」

    矢継ぎ早に言う三井くんをおもしろそうに水戸くんが、なめまわすように見る。

    「——わかりました、センパイ。」

    ため息交じりに言った水戸くんの眉が、情けないって感じでさがってた。それが笑っているんだと気づくまでに10秒ほど、水戸くんを見つめてしまった。

    「……なに、見てんだよ」

    また「だよ」の語尾が、あきらかに機嫌悪そうに言った三井くんに思わず水戸くんと二人で吹き出してしまった。

    その日の放課後、スポーツバッグを背負った三井くんがおもむろに私のほうに身体を向けた。座って机の上を片付けていた私は、三井くんを見上げるかたちになった。

    「………」
    「………… なに?」

    私の質問に、三井くんは口をへの字にまげて眉間に皺を作った。

    「話、あんだけどよ。」
    「あ、……うん? どうぞ?」
    「ここで言うのかよ」

    ………え。
    ……なぜ私が怒られている?

    「あ、……ごめん」

    でも、なぜか反射的に素直に謝ってしまう私。
    ややあって三井くんが「来いよ」と言って、ぶっきらぼうに顎を廊下のほうに一瞬だけ向けた。

    私は仕方なくあとをついて行く。
    廊下を指していたと思っていたのに、三井くんはずんずんと先を歩く。

    「あ、あの……帰るならバッグ、持ってきていい、かな?」

    私の言葉に、三井くんがぴたっと立ち止まった。私もすこし後ろを歩いていたので、合わせて立ち止まってみる。

    「俺のこと、よ」
    「……うん?」
    「……好きじゃなくてもいいから、その……」
    「………」
    「いままで通りにしてもらうことは、できねえか……」

    語尾が弱まっていくので、最後はすこし聞き取りにくかったけど言わんとしていることはなんとなく私にも通じた。

    言葉を返せずにうつむく私の視界に、三井くんが振り返ったのが見えた。思わず顔をあげると、やっぱり三井寿は、とっても背が高かった。

    「俺、おまえと話さなくなってから、なんかこう……このへんが調子悪くってよ」

    そう言って、胸のあたりをさすっている。
    私たちの脇を下校する生徒が行き交っている。

    「痛えっつーか、なんか、病院行ったほうがいいのかって思ったんだけどよ……」

    そんなことを言っている最中も、「三井じゃーな」とか「部活頑張れよー」とか声を掛けて帰っていく同級生らに「じゃーな」とか「おう!試合応援来いよ!」なんて明るく返している三井くん。

    「……」
    「好き、なんだよ——」
    「え……」

    ——二度目だ。
    私に向けて言った「好き」の二度目。
    一度目はあの日、生徒入り口で言われた。

    「……」
    「好きなんだって」

    三度目……。
    ど、ど、どうしよう。

    こんなとき、なんて言えばいいんだっけ。
    「はい、私もです」?
    「はい、お願いします」・・?

    いや、お願いしますは、変か。
    付き合ってとは言ってないわけだし。

    そんなことを考えていたら、どんどん顔に熱があるまってくるのが自分でもわかった。恥ずかしい。本気で、どうしよう——。

    「オイ、……名字、熱、あんじゃねーのか」

    言った三井くんが、自分の手のひらをピタッと私の額にくっつける。すぐにその手は離れていったけれど、今朝、20分かけて整えた前髪がいとも簡単に崩れ去った。

    「それって、……告白——?」
    「あ?」

    廊下の窓から心地よく入ってきていた風がぴたりと止んだ。気付けば、周りの生徒もほぼ下校したようで、ここには、私と三井くんだけが取り残されていた。

    「あたりめえじゃん」

    逸らしていた視線をまた三井くんにむけると、真面目くさった顔であたりまえに言い返す三井くんがニヤリと口端を釣り上げて言った。

    「名字、おまえって……」
    「………」
    「天然だろ……?」










     どっちどっち。



    (私も、スキ……だよ)
    (ああ、知ってたぜ?)
    (え……。)
    (さっ。行くぞ、天然記念物)
    (行くって、どこに……?)
    (あ? バスケ観に来るだろ?)

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