神奈川県立湘北高校。高校最後の年に今、我が校のバスケットボール部が大活躍の真っ最中。

今年はIHも夢じゃないかもなんて噂が立っている最中、同級生の不良、三井寿が更生して、そのバスケ部に戻ったもんだから私は居ても立っても居られなかった。

(だって、だって……そんなん、
 絶対に人気が出てしまうではないか——!)

実は私、奴とは三年間おなじクラスなのだ。

彼がキラキラの新入生だった頃も不良に転身した頃も今日までだって、移動教室を教えてあげたり休んでいた分のノートを貸してあげたり……

まあ、他の女子と比べたら三年間で私が一番彼と会話を交わしているであろうことは自負してる。

5月22日、今日はそんな三井寿が生まれた日。彼の18歳の誕生日だ。

なんで知っているかと言うと一年生のとき担任の机の上に山積みになっていた入部届けで目にしたからだ。

けれど、誰にもその事実を公表したことはない。

——だし、本人に一度だって直接「誕生日おめでとう」と言ったこともない悲しい現実。


「……」
「……」

長かった髪を切って、顔中バンソーコの傷だらけ三井となぜかこんな日に、補習をしているというシチュエーション。それに教室にふたりきりだという事態が、ゆっくりと私の体温を上げていく。

でもさ……おかしいと思いませんか?
三年間、片思いの相手の生誕祭だっていうのに、ふたりきりで補習だなんて……!!


「死ね……古文、死ね……っ!」
「こら。女子はそんな言葉使わねーの」

隣で呻く私を小さく小突いたのは、もちろん自分の誕生日だっていうのにこないだの期末の古文が悲惨すぎて補習を言い渡された、三井寿。

「担任はなんもわかってない!私にとって今日がどれほど重要な日なのか!」
「なんだよ、なんか大事な用でもあったのか?」
「……、まあね。」
「……とりあえずコレやんねーと帰れねえぞ」

「俺もさっさと部活行きてーし」と、三井はもっともなことを言うけど、そういう三井だって全然プリント進んでないんだから。

「三井だって全然進んでないじゃん」
「あぁー……だってよ、さっぱりわかんね」
「あっそ」

期末の古文が悲惨すぎるふたりが補習を受けたとて、問題がすんなり解けるわけもなく。

「ンなこと言ったって、どうせ名字も解けねんだろ?」
「やかましいよ! 三井だってどうせ一問も分かんないんでしょ」

何故か、ふたりでにらめっこ。三井の流し目に、私はぎんぎんに目を光らせて睨みつける。

「……なに頑張って睨んでんだよ」

三井はそう言いながらふはっ、と緩く笑った。

「ふーんだ。あ、てか三井笑った!負け負け!」

私がべっと舌を出すと勝ち負けなんかねえだろ?って、三井は呆れたような顔をした。


窓から入って来る心地よい風を頬に感じながら、私はちらっと横に顔を向けて、密かに三井を盗み見てみる。

「三井はさあ、彼女とかいないの?」
「あ? 何だよいきなり」

比較的簡単そうな問題を解きながら三井に問う。三井は目を見開いてぽかんとしている。そりゃ、いきなりだけどさ。

何か、気になった。三井は比較的、いや私の個人的な見解だけども、かっこいい顔してると思う。正直なところ更生してから三井のことを好きになった人って結構いると思うし。

まあ、それが嫌なんだけどさ。だって、だって、私は一年生の出会った頃も、むしろ不良だった頃もずっと素敵だなって思ってたもん。

それなのに、たかが髪を切ったくらいで、すぐに目移りするような女子どもになんか、絶対に負けたくない。


「てかさ、三井って女子と話さなくない?」
「あ?……そうでもねーよ」

だって——、
わたしは、見たことないんだもん。

「じゃあ、誰と話すの?てかさ、あんま自分からは話しかけないでしょ?」

私はなぜだろう、
何だか、むきになって問い質す。

「確かに自分から話しかけたりはしねえな、あんまり」

三井はシャーペンをゆっくり、机に置いた。私はその置かれたシャーペンに手を伸ばして奪い取る。三井はその様子を見て、ふっと笑った。

「み、三井……あのさ」
「ん?」

ひったくったシャーペンをカチカチとノックして芯を出す。そうでもしなきゃ落ち着けない。

「わたしとは……喋るよね?」
「……」

確信があったから訊いたのかもしれない——。
三井を見ると、不意に目が合った。

わたしがとっさに目を逸らそうとすると……

「わかってんだな」

そう言って何とも言えない表情で、三井の手が、私の髪に触れる。


「——え、まじなの?」

わたしが驚きのあまり、三井に問う。

「さぁな? 名字はどうなんだよ」

三井は意地悪に、答えを受け流す。

「……思わせぶりなら、いらねえけどな」

そう低くつぶやいて三井は、くる、とプリントへ向き直った。

「……っ」


——え、……ずるくない?
や……、ずるいよね?

私もプリントに向き直る。そして三井のシャーペンを見つめる。100均で売ってそうな、安物のシャーペンを。

三井は右にいる私に右手を差し出す。素直にそのままシャーペンを返せばいいのに返したくない。

そのままあっさり
三井に何かを渡したくなかったから。

だって、私を困らせるんだよ?
あんたもちょっとは……困ってよ——。

「返せよ」
「やだ」

私は三井を見ないように、右を向く。

「返せって」
「やだっ」

わたしは勢いよく席を立つ。
……馬鹿みたい。何むきになってんだろ?

そしたら驚いたことに彼も席を立った。思わず後ずさると長身の三井がゆっくり歩み寄ってくる。

「……」
「……」

ああ、私ってこんなに馬鹿だったんだね。恥ずかしい。何やってんだろ? せっかく三井の誕生日なのに。たぶん今年で最後なのに。言えるの。

今年こそ、笑顔で「誕生日おめでとう」って言ってやりたかったのに。

ねえ、三井。欲しいのはさ、
シャーペンなんかじゃ、ないんだよ——。


「……っ、ひゃ、」

急に三井の左手が伸びてきて私の右耳に触れた。驚いたから思わず目を瞑ってしまう。

三井は無言のまま私の耳をゆっくり撫でていく。耳の裏とか耳朶とか……確実に私を犯していく。


「へえ。そういう声、出すんだな」
「……!」

——恥ずかしすぎる。涙が滲む。

三井は私の指から、シャーペンをゆっくり抜き取った。

「……や、」

たったそれだけのこと。なのに、おかしいくらい不安になって、なぜか声を出す。


「……きょう、俺、誕生日なんだよ」

三井がぽつりと呟いた。

それ、三年前から
知ってるんだってば——!


「こんなもんより、いいもんくれよ」
「——あっ、」

急に、
噛み付くようなキス。

四時を過ぎて、暗くなりゆく教室で。嘘みたいなシチュエーションで、いつ先生が戻ってくるかもわからない状況で。

口唇が離れてから私は、どうせ元々不細工なのを涙で余計不細工にしてしまった顔を晒して言う。


「……三井、私のこと好きなんでしょ?」

三井を凝視する。無言のままで彼ははにかんだ。口の端をくいっと吊り上げて。

「……」
「——、」

我慢できなくなって私は、彼に抱き付く。抱き着くというよりも、しがみ付いてる感じだけど。

「悪かった、言わせたな」
「……ばか! もう!」
「悪ィ、悪ィ」

初めて触れた彼の体温。私なんかより遥かに広いその胸を存分に借りてやる。

あんたの……好きな人の誕生日なんだから、今日くらい、多めにみてよねって気持ちを込めて。


「おい!お前ら抱き合ってないで課題やれよ!」
「お、来た。センコー」
「ぎゃー! 先生なに見てんのっ!」

突如、教室に入り込んで来た古文の先生につい、ぱっと三井から離れて私は叫び散らかした。

「お前らラブラブなのもいいけどな、それ終わらないと帰れないんだぞー?」
「う、うるさいよ、もういいから職員室に戻ってよ!」

先生が教える現実に恥ずかしくてあたふた職員室に行くよう促す。

「俺は別に帰れなくてもいいけどな」

三井のひと言に、その場の空気が止まった。

「こ、こらー!」
「ハッハッハッ」

私が顔を真っ赤にしながら言うと、先生は大口をあけて大笑いしたあと、馬鹿野郎!と三井を軽く叩いた。

「……痛って」
「ま、いいからさっさとやっちまえ。終わったら三井の部活見学行くんだろ?」

お前が言うな!とか思ったけど、私まで叩かれかねないから黙っておくことにする。


「ったく……高校生のくせして色気づきやがってぇー」

とか何とかぶつくさ言いながら先生は教室のドアに向かって歩いて行く。すると三井が私の肩を軽く叩いた。何かと思って振り返ると——。


「しっかり貰っとくぜ、誕プレ。」


なんて小さく低い声で囁いて、
優しくちゅっと、キスをされた。


「——!!?」

私が真っ赤になって口を押さえると、ちょうど先生がドアを開け教室の電気を点けて、こっちを見たときだった。

「部活見学しても下校時間は六時半だかんな〜」

私がひとりで恥ずかしがってるうちに、三井は「だってよ」なんて呟いてめっちゃ笑顔で先生を見送っていた。


ドアが閉まると途端にしんとする教室。やばい、気まず過ぎる。

なに、話そう?と頑張って脳味噌をフル回転させていると、三井が小さく溜め息をついた。そして私のワイシャツの襟を両手で正してくれた。

「てかよ、」
「……」
「名字も俺のこと、好きだと思うんだけどな」

彼はそんなことを口から漏らす。

「え——、自意識過剰?」
「うわっ、無自覚かよ、お前」

私が言うと、三井にそう呆れ口調で返された。

「安心してたくせしてな」
「な、何がよ」


——女子と話さなくない?


「……」
「ちゃんと認めんなら、もれなく俺が彼氏になってやってもいいぜ」
「……、」
「けど、今はバスケが優先だからインターハイ後になっちまうが……まあ、問題ねえだろ」

なにが問題ないの?って、突っ込みそうになった口を噤む。下手なことを言って今、この瞬間に起こった出来事がなかったことになったら嫌だったから。

私は、今度こそ自分のシャーペンで、プリントの空いたスペースにぐりぐり、のの字を書く。

こいつ確実にインターハイ行く設定になってる。そういう自信過剰なとこ、一年生の頃から大好きだったけどさ。ぜったい教えてやんないけどね。


「わ、わかったよ……」
「じゃあ決まりな」

三井の腕が、わたしを包んだ。

「なんか変な誕生日だね」
「あ? お前が言うなよ」

そう言って、彼は苦笑した。

「よし。」
「ん?」
「んじゃ、こんなプリントさっさと終わらせちまって、部活行くぞ!」
「わ! 三井、真面目!」


夕焼けに染まる教室内に響き渡る私の声と、彼のはっはっはっ、ていう楽し気な笑い声。

いつか、君の夢が咲きはじめるとき
そばで見ていたかったって、夢が叶ったよ。

二年前も、一年前も
君はきょう、笑ってなんていなかったけれど

今年のきょうは
君が隣で、微笑んでいる。

そんな大好きな彼のそばには、二年前と同様に、バスケットボールがあるという事実。


これから先も、ずっとあなたの幸せを
心から祈ってるからね——。

生まれてきてくれて
ありがとう。


「三井、」
「んー?」
「誕生日、おめでとう。」
「あ?……おぅ、サンキュ。」










 待ちわびた Happy Birthday



(ねえねえ、実はね?)
(あ?)
(一年のときから知ってたの、三井の誕生日)
(はっ? なんで知ってんだ?)
(いっひっひ、秘密だよ〜)
(……怖えーって、ストーカーかよ)
(んー、ファン、かな?どちらかと言えば)
(……ふうん、あっそ。)



※『 Happy Birthday/BoA 』を題材に。

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