「おい、そっちの貸せ」

すでに両手に買い物袋を持っていた三井くんが、私の持つ小さな買い物袋を顎で指して言った。

「いや大丈夫だよ。三井くんもう両手ふさがってるし」

それでも「いーから」と言って無理やりに私から買い物袋を奪い取った三井くん。相変わらず優しいなあと思いながらしかたなくそれに従って私の分も持ってもらい、目的地までの歩みを進めた。

突然きょう大学で三井くんから声を掛けられた。彼は大学でも人気者であるからいつも違う人たちと歩いているのをよく見かける。だいたいの飲み会に行けばいるし、バスケの試合も女の子の観客が圧倒的に多い。連絡先も知ってはいるけれど、こちらから連絡を取ったことは一度もない。

そんな人気者の三井くんが前置きもなく「きょう後輩がやってる居酒屋一緒に行かね?」なんて言うもんだから誘う相手間違えてませんか?と咄嗟に言いそうになった。いままでだって飲み会の幹事はやったことのない三井くんだったので、初幹事なのかな?と思ってそのままそう聞き返した。

「珍しいね、飲み会の幹事?うん、行く行く」
「いや、ふたりで。俺と」
「え。」

え——、待って。行くって言ってしまったじゃないか……!待って待って、事件です、これ……、どういう世界線にいるの?いまの、わたし。

「じゃあ買い物頼まれてっから、帰りにスーパー寄ってから」
「待って待って!」

とんとん拍子に会話を進めて行く三井くんの言葉を遮り待ったをかける。三井くんは「あ?」と私を見る。あ?……って。いやだって、何で?あの人気者の三井くんが、わたしとふたりで……?

「わたし?ほんとうに私?」
「ああ、名字しかいねえだろ、俺から誘ったんだからよ」

はあ……となんだか無理やりに押し黙らされた。そういうわけで、いま三井くんと私は、その三井くんの後輩に頼まれた食材の買い物を終え、彼の後輩が働く居酒屋に向かっているというわけだ。


「オイ、あぶねーからこっち歩けよ」

大型トラックが通り過ぎたとき車道を歩いていた私の肩に手を添えて、その肩をぐいっと寄せられる。心臓がびくんと跳ね上がった。それでもさっさと三井くんが車道側に移動してしまったので、躊躇いながらも彼の隣に並んで歩く。

「……あの、ありがと」
「あ?なにが」
「あ、いや……車、危ないって……」
「ああ、別に気にすんな」

「俺の配慮が足りてなかったわ」と笑う三井くんの横顔がかっこよくてつい見惚れてしまう。危ない、危ない。いつも通り、平常心でいなければ。でも——、

「あのぉ……さ?」
「ん?」
「こういうのはさ、女の子……勘違いするよ?」
「なにが」
「荷物、率先して持ってくれたりその……道路、危ないよーとか、さ。こう、肩に手添えたりさ」
「あー……そーいうもんか?」
「……、うん、そういうもんだよ」

「わかった、気ィつける」と三井くんはニカッと白い歯を見せて笑う。……わたしなに期待してるんだろ。ばかみたい。こんなこと私以外にもしているに決まってるのに。優しいから。三井くんは優しいからこういうのは日常茶飯事で、きっと、慣れっこなんだ。冷静に……、冷静になれ。


とりあえず無事に三井くんの後輩がやっている居酒屋に到着した。ガラガラと入り口をあけると、急に騒がしい雰囲気が私たちを出迎えてくれる。

「おっ、みっちー来たぞー!」

カウンターの中にいたリーゼントの彼が座敷席に座っているお客さんに声を張る。それに反応した全員の視線が一気に私と三井くんに注がれ、一瞬ぎょっとして身を引いた。

「おー!ミッチー!!」
「三井サン!おっせーし」
「水戸洋平におつかい頼まれてたみたいよ」

……え、待って。ここにいる人みんな三井くんの知り合い……?私が三井くんをみあげると入り口の扉をしめた三井くんと目が合う。

「ああ……あいつら高校ンときの仲間だ」
「あっ、そうなんだ……」

三井くんがカウンターにどさっと買い物袋をあげたときリーゼントの彼が「サンキュー、悪いね」とお代をカウンター越しに手渡す。そのまま私と三井くんも座敷席に向かい改めて宴会がスタートした。宴会の最中にみんなを紹介してもらう。さっき本人が言っていた通り全員、元湘北高校の三井くんの後輩らしく、バスケ部だったみたいだ。リーゼントの彼含む四名は赤い坊主頭の桜木さんの友人で、バスケ部員ではないとのこと。

それにしても驚いた。湘北高校って、美男美女が多いんだな。まあ三井くんの友人でもあるわけだし類は友を呼ぶとも言うから納得はできるけど。

私の紹介をされたとき、予想はしていたけれど「彼女?」としつこく聞かれていた三井くんは「ちげーって!」や「しつけーな!」とみんなに声をあらげていた。それでも初対面の完全アウェーな私にもみんな親切にしてくれて、とってもいいひとたちだった。なんだか三井くんの大学では知らない部分が見れた気がして嬉しくなる。

途中お手洗いに立って戻って来たときカウンターの中からリーゼントの彼に声をかけられた。

「ねえねえ、ちょっとこっち座って」

座敷席をチラッと確認してみると案の定、座敷席は私がいなくても大いに盛り上がっていたので、ちょっとくらいいいかなと思って言われるがままカウンターの椅子を引いた。

「はい」
「ハハ、敬語いいよ。俺、水戸洋平。呼び捨てで呼んで。名前さん年上だろ?」
「え、あ……じゃあ、洋平、くん?で、いい?」
「まあ、いっか。それでも。はいどーぞ」

言って目の前に、私が座敷席で飲んでいたものと同じ、新しいハイボールが置かれる。

「えっ!まだ向こうの飲み切ってないよ?」
「いーのいーの、俺からのおごり」
「ええ……じゃあ、いただきます」
「どーぞ、召し上がれ」

うわぁ……かっこいいなぁ。イケメンだ。確実にイケメンの部類だ。いやほんと、ここにいる人みんな男前だし美人だけどさ。私はいただいたハイボールに口をつける。あ……ちょっと薄くしてくれてる。わたし、あまり多く飲めないこと言ってないのに、気付かれたかな。すごい、気が効きすぎてて惚れそう。でも居酒屋で働いてるんだから普通なのかな?どうなんだろう。こういうところを一つ取っても私って本当に男性に免疫がない。


「みっちーのこと好きなの?」

ブッと思わず吹きこぼしてしまった。ごめん!と慌てて側にあったおしぼりで辺りを拭くと洋平くんは楽し気に笑いながら自分もおしぼりを取ってカウンターの中から手を伸ばし拭いてくれた。 わたし、最低。まじで汚いし品がない。これだからいつまで経っても彼氏ができないんだろうな。

「で? みっちーとは、どーいう関係なの?」

少し段差のあるカウンターの中に肘をついてそれに顎を乗せた洋平くんが再度問う。私は目を泳がせながら、もう一度ハイボールに口をつけた。

「え、どーいうって……大学の、ともだちだよ」
「ふーん。よく二人で飲み行ったりすんだ?」
「ううん、しないよ。誘われたのはじめて」
「えっ!……へえ、そっかそっか」
「……なに?」
「いやっ? なんでもありませんっ」

ジト目で洋平くんを見ても、洋平くんはへらっと眉をさげて笑うだけ。本人も自分の杯をくいっと煽って座敷席を見たので、私もつられて座敷席を見ると不意に三井くんと目が合った。それでも、すぐにパッと逸らされてしまったけれど。視線をまた正面に戻したとき、すでに私を見ていた洋平くんと今度は目が合う。

「……え? な、なに?」
「気にしてんね、みっちー」
「………え! してないよ、してないしてない。いまちょっと目が合っただけだよ」
「そうかー?ずーっとこっち見てたけどな」

飄々とそんなことを言ってのける洋平くんに押し黙ってしまう。視線を自分の手元にうつしたとき優し気な洋平くんの声が降って来た。

「お酒、あんま強くないだろ?薄くしといたから濃いの飲みたかったら言ってね」

反射的に顔をあげると、やっぱり眉毛をハの字にした洋平くんがそこにいた。やっぱりそうだったんだ……。私は微笑んで素直に「ありがとう」と返した。

「……ねえ、洋平くん」
「んっ?」

私は先の言葉に言いよどむ。背後からは相変わらずワッ!と盛り上がる声や終始、笑い声が絶えず聞こえて来る。

「私ね、うん。当たってるよ、洋平くんの勘」
「俺の勘?……ああ、はいはい。やっぱりね」
「うん……でもさ彼はみんなのヒーローだから。私もファンの内のひとり」
「ファンねえ……でもファンのひとりを個人的に飲みに誘ったりはしねーんじゃねえの?」
「うーん……どうなんだろ、他の女の子とも二人で出かけたりしてるんじゃないかな、三井くん、社交的だし」
「あのみっちーがぁ? ねーだろ!ないない」
「えー、そうなの?」

そのときガタン!と隣のカウンター席の椅子が引かれて思わず横を見るとちょっと機嫌の悪そうな三井くんがそのまま席に腰をおろした。洋平くんはそれを見てかタイミングよく座敷席におかわりの注文を取りに行く。思いがけずふたりきりだ。

「水戸となに話してたんだ?長い時間」
「え?べつに? なにも話してないよ」

私は正面に向き直って杯を呷る。三井くんは持ってきたらしい自身のグラスに口をつけながらじっと私を凝視している。穴が開きそうな程の鋭い視線は感じるけれども努めて冷静に私は受け流す。

「洋平くん、とってもいいひと。話しやすいし」
「洋平くん?!な、なんだ、よーへーくんって」
「え?水戸洋平って自己紹介うけたよ?さっき」
「ちげぇちげぇ!なぁンで名前で呼んでんだよ」
「え……そうしてって言われたから」
「じゃあ俺のことも名前で呼べよ」
「ええ?……三井くん、酔ってんの?大丈夫?」
「っンだよ、それ。俺は三井くん止まりかよっ」

三井くんは、はァ〜あ!と抑揚つけて溜息を吐く。そのあとぶつくさと文句を垂れていて、ちょっとかわいかった。そのまま私と三井くんも座敷席に戻り、他のお客さんが捌けた頃、洋平くんもまじって遅くまでみんなで飲んでいた。楽しすぎて時間を忘れていたが電車で帰る予定の私が時計を見ると終電ギリギリだったので急いで帰る支度をする私をみんなが不思議そうに見やる。

「名前サン、どーしたの?」
「あっ、みんな地元なんだよね?!わたし電車!もう終電逃しそう!」

宮城さんにそう言い返しながら急いで靴を履いていた私の背後から「そっか」とか「残念」という声が聞こえてきた。洋平くんが気を遣ってくれたようで「よし、お開きにすんぞー」と声を張ったことで他のメンバーも帰る支度を整え始める。

結局、全員でお店を後にし、個々に家路につく。駅に向かう人はいなかったようで、早歩きで駅方面に向かう私を追い掛けてくるように三井くんが私の背後から声を張った。

「なぁー! もうウチくれば良くねー?」

まさかの爆弾発言に思わず足を止めて振り返る。私も立ち止まるなよってね、終電、終電が……!

「え、」
「もう間に合わねーって、ウチ来いよ」
「………、いやいやいや!ダメだよ、帰るよ!」

また勢いよく三井くんに背を向けて歩き出したとき「名前!」と名を叫ばれ時間が止まる。足も止まる。息も止まりかける。だるまさんが転んだ、みたいな恰好で固まる私の真横に長身の影が現れたのが目の端に映る。

「名前」
「……、」
「名前」
「——、」
「名前」
「あーっ!!もう止めてっ、ずるいよ急に名前で呼ぶなんてびっくりしたじゃん!ほらこんなことしてるから時間ロスでホラ終電逃すはめに!!」
「じゃあ泊ってけよ、おとなしく」

と言う三井くんに折れて結局三井くんのアパートにおじゃますることになってしまった。なんで、こんなことに……。

「変なこと……しないでよね?」
「はっ、するかばーか」

って言い返されるんだけど、なんだか急に不安になってきた。三井くん本当にだれ彼構わずこんなことしてるのかなって。でも押されてのこのこと付き合ってもいない男性宅におじゃましようとしている私も私なわけで。これはお互い様になるのかな。よくわかんない。だって免疫がないから。


三井くんのアパートに着いて適当に使えって言うからとりあえず洗面台に行ったときに明らか三井くんは使ってないだろ、みたいな化粧水と、アイロンのコテ見つけた。彼女はいないって前々から言っていたらしかったから、彼女の物じゃないとするとさ……私は手も出される対象じゃないのにこの人には出すんだ、みたいな知らない相手に、嫉妬してまう自分に腹が立つ。免疫ないくせに。

洋平くんは、そんなことないみたいなこと言っていたけど、やっぱり三井くんってそういうことするんだって変に落ち込んでしまって……ダメだ、

「やっぱ、帰ろうかな」

洗面台で手洗いうがいはしたけれど、すぐに三井くんのいる部屋に戻ってそう言えば、三井くんはすでに部屋着に着替えたあとでテレビを見ていたらしく、「はあ?終電ねーぞ」って私を見上げて返してくる。

そのあとも、このまま今日はここにいるように言われたけど、証拠を残された部屋に居たくないんだよなあとか思ってしまって涙目になってくる。

「帰る」

そう俯いてもう一度言った私に対し、三井くんは軽く舌打ちをして「始発で帰りゃいいだろ」と、不機嫌そうに返して来た。それでも帰ると言ってきかない私に結局三井くんが渋々折れてくれた。

「じゃあ、俺が送る!それが条件だぞ」

イライラしながら靴を履いている三井くんの真後ろに立っていた私の手引いて彼が先頭でアパートを出る。最悪な状況は重なるもので外は雨が降っていた。三井くんは、また舌を打ち鳴らしてビニール傘を手に取りバサッと外でそれを広げる。まさかの相合傘をしながら私の帰路に向かう途中、終始無言だった三井くんが言う。

「濡れっから、もっとこっちこいよ」

車道事件と同様に肩をつかまれてぐいっと引き寄せられる。それにまたも素直に従うしかない私に一度視線を落とした三井くんが正面に向き直ったあと、ぽつりとつぶやいた。

「何をそんなに怒ってんだよ、めんどくせーぞ」
「……っ、」

カチンときた。そもそも急に飲みの誘いをしてきたかと思えば、全然持てるのに買い物袋は奪われるし、肩を抱かれて車道から避けられるし、昔の友人を紹介されるみたいになって、ようへいってなんだよとか怒られるし、名前で呼べと言ったかと思えば、今まで名字って呼んでたくせしていきなり名前ってこっちが先に名前で呼ばれて、ウチ来いよって半ば無理やりに近いかたちで家つれてかれて、相合傘までして、また肩を寄せられて……。なんで私がそんなふうに言われなきゃならないわけ?意味わかんないよ。なんなのよ!


「そう思うなら一人で帰らせてよ」

その私の言葉には何も返さないくせに、わざとらしくため息をつくし、もう本当に頭にきた……!

「三井くんってそういう人・・・・・、作る人なんだね」
「あ?なにがだよ」
「いやべつに」

鼻を鳴らし、半笑いで返事をしたら、三井くんが今度は不思議そうに私の顔を覗き込んで来たのでプイッてそっぽを向いてやった。

「……なにもしねぇって、約束したろ」
「なにもしない対象なんでしょ、私が」

そんな返しをしてしまったがために、どんどんと話が拗れまくっていく。歩きながら言い合いみたいになってしまい、埒が明かないので思い切ってストレートに思ったことをぶちまけた。

「だから、洗面台に置いてたものっ!あれって、他にも女の人いるってことでしょ?!」

矢継ぎ早に言った私に三井くんが突如ポカンとしていた。しばらく自分の頭で考え込んでいたようで、ようやく理解したらしい彼がハッとしたあとゲラゲラと笑い始めたので本当に頭が沸きそうなほど血が上って来る。一気に顔に熱が集まる。

「おまえ、そういう可愛いとこあんだな」

そう言って笑うからもう私は鼻息を荒くしたまま言い放った。

「ほんと無理っ。金輪際、話もしたくない!」
「へいへい」
「だいたいね、こういうのは女の子が勘違いするよってさっきも言ったじゃん!やめてよ、心臓に悪いほんとに!私こーいうの苦手なんだってば!他の子にやって、もうっ!」
「……勘違いさせてんだよ」
「——!」

え。え———!!?な、なに?え、聞き間違い?いまこの人気者、なんつった……?

「なに勘違いしてっか知らねえけど引越しンとき母親が泊まって置いてったもんだわ」
「……。」

……え。待ってよ、なんかさっきから私、めちゃくちゃ恥いてない?冷静に、冷静に。落ち着け、わたし。でもダメだ——、ダメ、ぐちゃぐちゃになってしまった。もう……私、このひとのこと、好き。どうしよう助けて、好きだよ、三井くん。


「……誤解が解けたんだからよ、」
「……」
「帰んなくてよくねーか?」

と、いつのまにか繋いでた手を自分の方に引いて顔を近づけて話しだすから、またそっぽを向いてツーンとしてしてたら、ニヤリと口の端を吊り上げた三井くんが私の耳元で囁く。


「……このまま否定しねえで俺ンち戻るんなら、手ぇ出さねえ約束は破るからな」

って意味のわからない宣言をされて撃沈してしまった、そんな私に彼氏が出来る一時間前のお話。










めでたしめでたし、は知らない。



(ねえねえ、)
(あ?)
(女の子に告白する時いつもこんなに強引なの?)
(は? 俺、告白したことねーぞ)
(えっ、)
(名前がはじめてだわ)
(ええ……好き、三井くん。好きだよ、三井くん)
(好きなら名前で呼んでくれよ、ったく。)

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