君が放る文字はどこまででも虹色

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  • 「で、わたしさ転校してきたとき三井のこと普通にコトブキだと思ってたのっ。そしたらヒサシ!ヒサシって!」
    「……おめぇよ、」
    「えっ! なに?」
    「さっきからうるっせぇ。さっさと勉強しろよ」

    湘北高等学校三年は明日、代ゼミセンター模試を控えている。そのあとは実力テストに期末考査、そんでもって進研模試ときたもんだ。部活を引退したあとの三年生の九月は、テストが盛沢山で、すでに俺の頭は沸き散らかしている。

    今年、インターハイ初出場をして三回戦で負けた湘北バスケ部は他より一足お先に受験勉強に本腰を入れるしかないというわけだ。

    そんな中、まだ引退してない俺が体育館に向かう途中に事件は起きた。すでに引退していった赤木と木暮のお節介でマネージャーの彩子が俺のクラスに顔を出したのだ。そして彩子に誘導されるがまま自習室で、なぜか彩子と二人で勉強する予定のはず、だったのだが……。

    自習室に俺を置き去りにして、彩子が連れて来たのは三年三組の知った顔、名字名前。俺と同じクラスの女子生徒だった。彩子と彼女はなぜか仲がよかった。まあ、どっちもコミュ力おばけだからなんとなく分からなくもないけどな。

    名字は親の都合で三年前に神奈川に引っ越してきた。明るくて誰とでも分け隔てなく話す彼女は、ちょっと変わった奴でうっとうしいのが玉に瑕。言いたくねえけど三年間、俺の片思いの相手。


    「三井が本気でコトブキなら爆笑なのに何ヒサシって。お母さんは何でこんな字あてたの?ねぇ」
    「……知るかよ。縁起いいだろーが、コトブキ」
    「縁起ってか……でもさコトブキは無いよね?」
    「あーうっせ。 いいからホラ、勉強しろって」

    揶揄うつもりで言ってるのかそれでも俺はそんな会話には乗ろうともせず、仏頂面で、世界史Bの学習中。さすがにノリ悪すぎか?俺。けど悪ィな名字、二人きりとか緊張すんだわ柄にもなく。

    「公延がミツイヒサシ!とか呼んでるから何だって思ってたの。まさかヒサシだったとはね……」
    「……ほんっとにうるせーな!その口閉じれねーのかよ。そもそも木暮は関係ねえだろーが」

    なんでそこで木暮が出てくんだよ。だいたい何だ公延ってよ。あいつもあいつで名字のこと馴々しく名前って下の名前で呼ぶしよ。赤木は名字って呼ぶのに。あーあ、あの爽やかな笑顔がキモイっつの。別にキモくはねえかもだけど。いやキモイか。まあいい、どっちでも。

    「関係なくないよ!私このあと公延と待ち合わせしてるもんっ!」

    名字はさらっとそう言った。え……と一瞬、俺の思考回路が停止する。

    「あ!?」

    次に俺は、びっくりして顔を上げた。そりゃ関係あるな、大アリだ。つかそれ大問題じゃねーか!ダメだ。落ち着け、俺……。俺はとりあえず一回深く深呼吸をした。

    「広島から帰るときに、なんか言っちゃってさ」
    「……な、なにを」

    名字のにやにや顔を見て、なんだよその笑みはと思う。嫌な予感が背中を走る。

    「えー……言うの?コトブキに?」
    「言えよ。つかヒサシだ、ばーか」
    「うーん、」
    「……」
    「公延にさ、好きって言——」

    ——ば ん !

    そこまで聞いたところで、いてもたってもいられなくなった俺は机を思いっきり両手で叩いて立ち上がる。

    「……え、三井?」

    名字の視線を感じる。すこし、怯えたような声。ダメだ。なんでこんなガキみたいなこと……俺は馬鹿かよ——。


    「……帰る。」

    思ってもいないことが口から出た。でも、言ってしまったことは仕方がない。俺は自分に従い鞄にノートたちをしまってさっさと自習室を出ようとする。

    「待って!」

    当然の如く、名字に呼び止められる。

    「待ってよ……なんで、怒ってんの?」
    「……」

    あたり前だよなあ。そりゃ普通、他人が怒ることではない。俺も人の恋事情なんか知らねーけど。けどな。悔しいけどお前だから怒るんだぜ。でも今は何も言わないでおこう、こんなこと、伝わらねーだろうし。

    言葉に出せないけど、ちゃんと自分の心の中ではわかってんだけどな……。

    「……三井、わたしっ」


    ——が ぁ ん !

    「うおっ……!!!?」
    「……ぎゃ!三井!!」

    ……せっかく。せっかく名字がベタな青春漫画みたいに何か甘い台詞を言いたそうに口を開いたその瞬間に——。ドアの前に立っていた俺に、突如開いたドアが直撃するという悲劇が起きた。

    「あ。サセン、三井サン。邪魔だよ何してんの」
    「……痛ってぇ……、」
    「名前サンいるー?あ、いたいた!ねえねえ名前サン!こないだのケーキバイキングさあ、雑誌に載ってたよー!」
    「……っ、」

    空気も読まねえで侵入してきた宮城に危うくキレそうになる。つかケーキバイキングてなんだよ!宮城、お前はいつの間に名字とデートしたっつーんだよ!そんな時間あったか?ほぼ俺らと行動してたじゃねえか。オイオイ、彩子はどーしたよ。

    そもそもコイツ……俺が名字のこと好きなの知ってるくせによ。……ああもう!むかつく。帰る。ほんとに帰ってやらぁ、クソ!

    そう思い、気を取り直してドアノブを握ったその瞬間——。

    ——ば か ぁ ん !

    「ちゅーっす!名前さんいませんかぁー!?お!いましたね!名前さんっ!」

    まさかの、二発目のドアアタックを受ける始末。

    「おう、すまんミッチー。ちょっと通るぞ」

    まるで、俺の存在なんか無いみたいに、おかまいなしにずかずかやってきたのは、インターハイで一躍有名になった一年坊、桜木花道。

    「……」

    なんなんだよ……なんなんだよ、ったく!

    一度、名字のほうを振り返ると困ったような表情で二人を相手する姿がそこにあった。ほう、俺なんかどうでもいいんだな?そういうことだな?あー、わかったよ、もういいわ!本当にもう帰る、俺は!

    自習室を出る前に三度目のドアアタックを食らい(最後は流川)俺は額にできたしょうもないあざをさすりながら校舎を出て、いま校門前にいる。

    バスケの練習行けるほどのメンタルねえわ、今。安西先生……すみません、その代わり、家でしっかりと勉強します。なので許してください。

    つかよ、木暮だけじゃねえ。宮城も桜木も流川もまあ流川は宮城に用があったみてーだけど。とにかくみんなして名字が好きなんだな。たとえそれが恋愛感情とは違うくとも、マネージャーの手伝いとか率先してやってくれていたし、なんなら俺がバスケ部に戻る前からだ。

    なんでマネージャーにならねえのかは不明。もしかすると赤木の妹に遠慮したのかもしれねえし。それもあってなのか、変な奴だけど気が遣えるってとこがかなり気に入られてる。あの、野郎軍団にさえも……。

    わかってる。俺だけの名字じゃないってことくらい。きょう勉強に付き合ってくれたのだって、きっとたまたま俺と同じクラスだったからとか、彩子が練習に出たかったとか、彼女が一番声をかけやすかったからとか。

    なあ。そうなんだろ?それだけなんだろ?そもそも俺が世界史やってても、名字は倫理をやっていた。別に教えて欲しかったわけじゃねえけど。自分も偶然居残りしてて、話し相手が欲しかっただけ、そんなとこか?しかも名字は木暮に告ったときた。ああ、最悪だ……。厄日すぎる。


    「三井!」

    は、と我に返って後ろを振り返ると息を切らして走ってくる名字の姿が見えた。

    「……」
    「お願い! 待って!」

    咄嗟のことでうまい言葉が見つからない。こっちに向かって走ってくる名字をただぼんやり見つめることしかできない俺。こんなんだから、一生、片思いなんだろうな……。

    「三井……っ、」
    「……」
    「……逃げないでよ」

    俺のもとへと辿り着いた彼女は、ぜいぜいと息を荒げたままで、そんなことを言う。

    「……」
    「……ハァ、ハァ、」

    ……だめだ。こんな名字を見ても気の利く言葉のひとつも浮かばねえ。なんちゅー情けない男なんだ俺は。ほら、こんなんだから一生片思い——

    「——三井、」
    「……」
    「いっこだけ、訊かして」

    名字は顔を上げて俺を見据える。この真っ直ぐな瞳が、出会った頃から印象的だった。この目力、中学MVPもびっくりだぜ。

    「……なんだよ」

    ひさかたぶりに俺はやっと声を出す。俺はいま、どんな顔してんだろうな。さぞかし笑える顔か。

    「三井は、なんで怒ってるの?」
    「………………、怒ってねえよ」
    「うそ!なにその間!さっき怒ってたでしょ!」

    そうだ。そうだな、なんで怒ってたんだっけな。つか、いまは悲しいけどな……。

    「……俺、おまえの話し相手じゃねーんだよ」
    「は?」

    名字をちょっと睨む。ただ睨みたくなったから。特に深い理由はない。

    「木暮と会う時間になるまでの暇潰しじゃねえって言ってんだよ」
    「……」

    名字は途端に俯いて押し黙る。図星か。へえ……図星な。俺は踵を返して歩き出す。これ以上構ってたら死ぬ。俺が。確実に死ぬ。

    憎たらしいくらい心臓が痛てえ。痛てえんだよ、わかんねーんだろうな、名字にはよ。こんな、俺の気持ちなんか……。


    「………好き。」


    ——あ?

    俺、いま口に出したか?いや、そんなはずない。ばっと後ろを向くと、校門前で、見事に涙を流す名字の姿。慌てて俺は名字の元へと駆け寄る。

    「どーした、名字っ!なに泣いてんだよっ!」

    泣きたいのはこっちだぜ?!そんなにきつい言い方……したな。したわ、最悪だ。俺は最低だな。好きなくせに、泣かせてんだもんよ……。

    「……まあ、その、悪か——」
    「三井のアホっ!」
    「あ、あほ?! な、なにが」
    「アホ!わからずや!わたしが好きなのは、三井だけだっつーの!」
    「はっ、!?」

    …………。わたしが、好きなのは、三井、だけ。頭の中、何度も彼女の声で、その台詞がリピートされる。

    「フリーズすンな! 私は三井が好きなのっ!」

    目の前で泣きじゃくる名字。……夢か?俺が好きだと言い張る名字。へ、夢……?まぼろし?

    「——痛った……い!!」

    名字の頬を抓っても、覚めない……。

    「……夢じゃ、なさそうだな」
    「当たり前でしょうが! つか、私を抓るな!」

    彼女が怒鳴る。まじで、夢じゃねぇみてーだ。

    「……だから、三井。」
    「……」
    「怒ったのはなんで?わたしの、自惚れとかじゃない……よね?」
    「……え、あ……」

    ……あーあーあー、やめろって。やめてくれ……そんな目で、見んなっつーの!


    「………、自惚れに、」
    「……」
    「決まってんだろーが」

    思ってもいないことが口から出る。それが俺だ。見たこともないような顔で、しかも上目遣いで、泣いて、そんなこと言われたら……キスするしか選択肢は、なくなる……よな?

    「——嘘、じゃあ何でキスすん、」
    「うっせ。もう、黙っとけ……。」

    柄にもなく校門で。そんなの関係ねえわ、もう。

    つーか……、あそこで覗き見してるバスケ部員、ぶん殴ってきてもいいですか?安西先生……。










     その ふた文字 だけが貰えたら。



    (いつからだよ、その……俺のこと)
    (うーん、1092日まえくらいから)
    (へえ……って約三年前からじゃねーかよっ!)
    (三井って本当に赤点軍団なの?てか三井は?)
    (俺ぁ……ちょっとまえ。つか頭いーの、俺は)
    (ふーん、じゃあ悪ぶってイキってたんだ?)
    (うっせ!俺だって三年前だよっ!ああ!?)
    (怒って言うこと?変な奴だよね、三井って)
    (おめーには言われたくねえよ)

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