恋、始めました


 つい三日前、私は三井寿くんの彼女になった。波音せせらぐ道を歩きながらのしのしと前を行くその大きな背中をぼんやりと見つめる。
 私は三井くんと同じ大学に通う特に目立つ事もない普通の女子大生のはずだった。

 ��バスケ部の三井寿��

 それは、誰もが知っている名だった。同い年の学生はおろか当大学を代表するバスケ部の凄い人でその名前は多分ここに通っている全員が知っていると言っても過言ではないくらい知名度が高かった。特に女の子に人気があって、いつもキャーキャー言われていて私も実際かっこいい人だなぁとは思っていた。背が高くて存在感というか何か人を惹きつけるオーラのある人。なんていうか、私とは種族が全く違う感じで、現代用語で言うと��カースト上位の陽キャ�≠ニかいうやつだろう。きっと卒業するまで私なんかは関わることもないんだろうなと思っていたのに——ある日、事件は起きた。秋も深まってきた10月の終わり。特定の部活やサークルに所属していなかった私は講義が終わるとほぼ余った時間を毎日バイトに費やしていた。今日も、部活やサークルに向かう友人と別れて一人で門まで歩いてきたときの事。突然、肩を叩かれて振り返ると、ぶあつい胸板があって内心ビクッとした。目線を上げると、かの有名人三井寿くんがいた。私は単純に「あ……人違いをしているんだろうな」と思った。

「……え、えっと?」

 小首を傾げると彼、三井寿くんは、人懐っこい顔でニッと微笑む。絵に描いたような爽やかイケメンだ。

「名字、だよな。俺、三井寿っつーんだけど」
「ぞ、存じ上げております……!」
「ホントか?嬉しいぜ!ちょっと話があんだけど今いいか?」

 三井くんと話しているというだけで道行く学生から注目されている気がする。嬉しいよりも先に居心地が悪い。断る理由もなく、私がコクコクと頷いてみせると三井くんは「じゃあ、そうだな…こっちで」と、指を差したあと歩き出した。私はとりあえず着いて行く。けれどそこは誰もいない廊下のつきあたりで、三井くんは不意に振り返り私を見下ろした。

「あのな」

 真っ直ぐに降り注ぐ声。私——どうしてこの人(大学イチの人気者)とこんな事になっているんだろう。事態がまだ飲み込めていないのかな……うん、きっとそうだ。

「名字」
「は! はい……」
「俺と、付き合って欲しい」
「……?」

 見詰め合うこと三秒。目の前にいる彼は時間を止める能力でも持っているのだろうか。
 そんなふうに錯覚してしまうほどに今まで騒がしかった周りの雑踏が途端にシンと静まり返ったような気がした。思い浮かぶ言葉は、付き合う。どこに。何をしに。罰ゲーム。何日であの地味めな謎女を落とせるか、を賭けている——とかいうネガティブな類。

「いきなり悪ィな。えーっと、俺の彼女になって欲しいつーか……まあ、うん。」
「………、!?」

 思考は、一瞬にして吹っ飛ばされてしまった。あのスーパースター三井寿が私に彼女になってとか言ってきたんですけど——!?

「な、あ、えっと。あの、ひ、……人違いじゃ、ないですか、ね?」
「……は?」
「私たち初対面っていうか、話したこともないし共通の友達もいないし、私に似た子とかいっぱいいるから、あの、人違いだと思うんですけど!」

 やだな。わたし、本気にしてませんから、って笑いながら手を顔の前でブンブン振って言う私。そしたら三井くんは、恋愛漫画の代名詞みたいに「こいつァ面白ぇ」って言いたそうに私を見て、ニヤっと微かに笑ったのだ。

「あー、悪ィ悪ィ。本気にされてねーな。大事なこと言い忘れてたわ」
「え……?」
「名字のこと好きなんだよ。だから俺の彼女になってください。」
「——。」

 ああ、神さま。どうかこれが夢ならば
 一生醒めぬ夢でありますように——。





 *


 そして……断りきれず、今に至る。
 とは言え、あの冗談なんだか本気なんだかよくわからない告白のあと、ずっとその場で放心状態だった私に三井くんが言った言葉。

「よっしゃわかった。じゃあルール決めようぜ」

 そう言われた私は当たり前に返す言葉が見つからなかった、けれど三井くんはどんどん話を進めていく始末。

「一ヶ月のお試し期間っつーことでオッケー?」
「……お試し、期間?」
「そっ、一ヶ月後にまた改めて告白すっからそん時に返事くれよ。それまでは、ぜってー触れねぇって誓うからよ」
「……(え、そこ?)」
「俺が本気にさせてやる。一ヶ月で」
「……。」

 あまりの勢いと強引さに、思わずポカンと口を開けたままの私を見た三井くんはやっぱりニカッと笑った。「じゃそれで決まりな!」と誇らしげに言い切って。

 直後は実感が沸かなかったけれど、三日経って部活前に私のところまで会いに来て周りが騒然となるのにも順応してきたしバスケ部の練習が相変わらず忙しいらしく三日に一回くらいは見学させてもらった。あとはこうして時間があれば話したり部活を見学した日には一緒に帰ったりする流れになっていたりする。これは何という状況の変化だろうか。でも宣言通り手とかも繋がないしかと言って、話もドカンと盛り上がるわけでもない。もともと三井くんはあまり口数が多い方ではないらしい。これはちょっと意外だった。気を遣ってみんなの前では明るく振舞っているのだろうと、彼の心労を察すると何だか健気にも思う。けれどふとした瞬間に一緒にいたがる。時間があれば、次の講義がはじまるまで話すし部活前もやっぱり必ず私のもとへ来るし。
 気付けばすでに『名前』と下の名前で呼ばれているし、すれ違うと人ごみの中でも私を後ろから小突いたりするんだ。なんだか不思議なことになっている。

 三井くんの彼女ってきっとなりたいって思っている人、たくさんいるんだろうなぁ……どうして私なんだろう。そう考え続けている疑問を思い浮かべながら海岸へと目を向けた。夕日が眩しくて目を細める。茜色に染まる空、とかいうやつだ。

「なあ。はちみつレモンってよー、うめえよな」
「え?……ああ、ごめん、私食べたことないや」
「そうなのか? うめえぞ。食ったらハマるぜ」
「それ、あれでしょ?運動部の差し入れの定番のやつ。漫画でなら見たことあるけど」
「あーそれそれ。一個下のよ仲いい奴から教えてもらったんだよ。仙道っていうすげーバスケセンスの塊みてえな超人でな?」
「へ、へえ……」

 ——言ってみようかな、とも思う。かれこれ、一ヶ月目前だし。あの日……告白してくれた日に言われた言葉への返事を。『もしも私が、本気になってしまいましたって言ったら三井くん、どうする?』……って。

「名前に作って持ってきてもらいてぇなー」
「えっ?」
「夢なんだよ、密かな俺のなっ」

 ホンキなんだかそうじゃないんだかわからない空気でそんなことを言い出す三井くん。てかセンドウって……また、登場人物が増えてしまった。彼がするトークには登場人物が多すぎて最近ではもう名前を覚えられない事態が起こっている。

「てか、名前ってちっせぇーよな」
「三井くんがおっきすぎるだけだと思うよ」
「バスケ界じゃチビだぜ、俺なんて」
「日本では十分だよ」
「ちっちぇから俺のこと見るの、いつも大変そうだしな」
「ひ、ひどい」

 そう言って彼を見上げると笑顔の彼は私の頭をよしよしと撫でる。なんだろう。よくわからない気持ちになるよ。

「名前——かわいいな」
「っ、か、かわいくないよ……」
「かわいーって」
「……っ」

 ——告白?を、されたあとだしやめて欲しい、これ以上揶揄うのは。このままじゃあ心臓が持たない。たぶん私、口説かれてると思うんだよね。いまでもずっと三井くんから。

「名前、好きだぜ」
「な、なに言ってんの」
「ずっと見てたからなぁ〜。やっと俺を認識してくれて、嬉しいんだよ」
「あ、あのさぁ……!」
「あー?」
「……っ、……もう。」

 恥ずかしいのでモゴモゴ口籠もりながら視線を反らす。すると彼はヒョイと下から私を覗き込んできた。バチッと目が合って、そして、ぐわんと伸びた腕が私のうなじを抱き込んで、思わず目を瞑った一瞬——唇に触れるだけのキスをされた。
 彼の片腕の中でバッと両手で口元を押さえたら三井くんはフッと笑う。ああ、本当かっこいい人だ。頭がクラクラする。

「……悪ィ、触れねえって自分から言っといて」

 三井くんって——本当に私が好きなんだなぁ。浮かれてもいいのかな、浮かれても。このひとに好かれているって。

「三井くん、ずるい……」
「だってよ、ずっと好きだったヤツが彼女になったんだぜ。我慢できねーだろ?男だし、俺。」
「——ッ、もう、ばかっ」

 夕日をバックに、少年みたいに笑った彼からのキスが降る。コツンと額が合わさって「好きだ」と囁かれた。ああ、ダメだってば。浮かれてしまうってば。

「は、恥ずかしいんですけど……」
「かわいーかわいー。全部かわいいぜ、名前」
「お願い、やめてってば……!」
「全部、俺のな」
「え」
「……なーんてな、ふはっ」

 だから——口説かないでよ。私はそう心の中で突っ込んだ。
 熱くなる顔。きっと夕日のおかげで、バレてはいないだろうと思うけれど。恥ずかしい。きっとこれが三井くんなんだ。そうでしょ?恥ずかしくなるくらいかっこいい。もう、やだ。好きにならざるを得ないんだ。囚われたらもう逃げられないのよ。

 抱きしめ合って、三井くんの香り。でっかい体から香るシトラスの香り。あとちょっとだけ潮の匂い。ドキドキする。君だってもう、全部、私の物だ。










 きみは 幸せ の匂いがする。



(ごめん、三井くん)
(んー?)
(わたし、ルール……破ってもいいかな?)
(あ? ルール?)
(うん。一ヵ月なんて待てない……触れたい)
(——俺は、とっくに破ってるぜ?)


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