それが愛なら私の負けです

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  • 『以上のことを踏まえ、男女間に友情は成立しない≠ニいう結果となりましたー!』

    テレビに映る、テンションの高い女子アナの声が店内に響き渡る。私は即座にいたたまれない雰囲気に包まれたことを実感した。傍らで寿くんは、あぐらを掻いて気だるそうにテレビを眺めているし、宮城さんは両肘をテーブルについてスマホゲームをしている。それまではどこかぼんやりしているように見えたけれど、そっといま横顔を伺うと寿くんは微かに眉を寄せていた。

    「………男女に友情、あるよねぇ?」

    言ったあと我ながらしまったと思った。なぜ上ずった声でこんなことを言ってしまったのだろう。

    「……さあ、どーだろうな。」

    と寿くんは、やっぱり気だるげな声を漏らす。寿くんが微かに身じろぎしたことで黒いTシャツの首元、スポーツネックレスの飾りが揺れる。宮城さんはチラと寿くんを横目に見ただけで特に何も答えなかった。

    今日は珍しく不機嫌そうな寿くん。私とこうして居酒屋で飲んでいるときも、公園でスリーポイントの練習をしているときも、たとえ、宮城さんとバスケのことで喧嘩をして一人飲んだくれているときですら彼はいつも楽しそうな顔をしているのに、ほんとに今日は眉間に皺を寄せてばかりだ。

    「まあ……、人それぞれなんじゃねぇのか」

    「よくわかんねーけど」とは言い置いたものの、うん。至極まっとうな言葉に私は肯いた。そう、そのとおりだ。そのとおりなのだけども。

    「おーい、そろそろ用意しねぇと間にあわねーんじゃねえのかー?」

    居酒屋のキッチンのほうから声を張ったのはこのお店の従業員の水戸くんだ。ここに通うようになって、もともと常連客であった寿くんや宮城さん彩子ちゃんと出会って飲み仲間になった。きょう宮城さんは彩子ちゃんとここで待ち合わせしているらしく、今は偶然三人で飲んでいるだけ。私と寿くんは時間つぶしだしね。

    「余裕で間にあうよ。やっぱり浴衣はやめてこの恰好で行くことにしたし」

    花火の時間まであと一時間もある。『来週の七夕祭りで花火あがるらしいぜ、一緒に行くか』と、寿くんから誘われたのもこのお店で一緒に飲んでいるときだった。側にいた宮城さんらに目配せをしたけどスルーされてしまって結局ふたりで行くことになった。

    水戸くんの教えてくれた穴場とやらまでは歩いて十分……まだまだ急ぐ必要はない。私の普段着をじろっと見て寿くんは黙っていたけどややあってゆっくりと口を開いた。

    「……なんだよ、浴衣着るんじゃなかったのか」
    「あー、うん。なんかめんどくさくってさぁ。」
    「……。」

    明らかに顔をひそめる彼に私は無言の圧力を感じて、思わず怯んだ。心底がっかりしたような顔にとまどうけれど、でも今年はすでに一度着たし、め、めんどくさいんだもん。気合い入りまくりみたいで恥ずかしいし……なんていうことをふわふわ考えて、やっぱり変だよ、と思う。私と寿くんの関係って。

    もし彼が別の、付き合いの長い男友だちなら私もこんな言い訳がましいこと考えず、好きなように振る舞っていただろうし、相手も私になにも要求してこないはずだ。

    だけど決して口説いてくるわけじゃないし、さっきまでだって宮城さんが来る前、居酒屋にふたりきりだったけど何かが起きたわけではない。ただ不意に舞い降りる沈黙が友だち同士では起こりえない重苦しい性質をしている。逆に、それだけのことだが決定的なことでもある。

    「寿くんこそ、浴衣着てくればいいのに。きっと似合うよー、白とかさ。あ、紺もいいかもね」
    「……」
    「自分で着付けできる?今度は着て見せてよね」
    「……気が、向いたらな」
    「うん……」
    「……」

    汗をかいたビールジョッキに手を伸ばして、彼がひと口飲みこむ。くるみのような喉仏がころりと一度動く。骨格ががっしりしていて男性的なのにどこか線が細い。Tシャツ姿の肉のないしなやかな上半身と柔らかそうな二重目蓋がかっこいいなと思う。ぼんやり眺めていると目と目があった。ぎく、とする。

    「なんだよ」
    「ううん、べつに……」

    俯いて目を逸らす。私は話題を捜すのに必死だった。なんだか雰囲気がこわくて。宮城さんは気を遣ってるのか相変わらず存在感消してるし。


    「そういえば……ねえ、先週のお祭も行った?」
    「先週?ああ、いや。おまえは行ってきたのか」
    「うん、行ってきた。すごい人だった。浴衣だったから息苦しいし人ごみで気絶しそうで、花火もあがったみたいだけど、よくわかんなかったな」
    「ったく、相変わらず祭好きだよな」

    ことん、とジョッキをテーブルに置いて寿くんがその手で頬杖をつく。彼が黙り込んだからそれでこの話は終わったのだと思った、——が。

    「……男と、行ったのか?」
    「へっ?」
    「……」
    「……」
    「……、彩ちゃんたちとでしょー」

    視線はいまだスマホに向けたままで宮城さんが、ぴしゃりと言い放つ。それに何だか気まずそうな顔をする寿くん。

    「三井サンさ、アンタ知ってて聞いたんじゃねーの?ホントそーゆうとこあるよね、昔から」
    「……う、うるせえよ」
    「あ……うん。彩子ちゃんと、晴子ちゃん……」
    「えっ?……ああ、そうか」

    そう言った彼が苦笑いを浮かべたので、わたしはすこし赤くなった。——男女間に友情は……≠、うん、そんなこと意識したらだめ。変な態度になってしまうだけだから。

    「あのさ、向こうでなんか、食べたいね。わたしちょっとお腹空いちゃった」
    「そか。なら少し早めに出たほうがいいかもな」
    「うん。十五分くらい早めにで出よっか?」
    「ああ。……なあ、」
    「ん?」

    自分のグラスに手を伸ばして口に含むと、すこしだけ溶けた氷の水の味がした。


    「——浴衣、着ろよ」

    ごくり。とウーロン茶を驚いた喉元が嚥下する。水戸くんや宮城さんの目線が私に向いている……気がする。寿くんもいつになく漆黒の瞳で見つめてくる。ウーロン茶を飲んだばかりなのに体温がじわ、と上がるのを感じた。

    「でも……」

    でも。……言葉が続かない。私は目を落ち着きなく辺りにさ迷わせて寿くんの視線に意識を奪われないよう、こっそりと呼吸を止めた。

    だって……着ろって言われて着たらなんだか友だち同士じゃなくなるみたいで。本当はすこし着てみたい、着ようかな、と思ってた。先週着たばかりの浴衣は洗って和ハンガーに掛けたままだし、下駄も巾着も髪飾りも押入れではなく、すぐ取り出せるところに置いている。本当はさっき寿くんが来るまで迷っていたのだ、着ようかどうしようか。そしていまもまだ実は迷っている。

    「……いまから着たら、花火遅刻するかも」
    「あー、出店は間に合わねーかもしれねぇな」
    「あの……寿くん。浴衣、好きなの?」
    「あ?べつに……そういうわけじゃねぇよ」

    と彼は立てた左膝の上で拳を作った。その握った自身の拳を見ながら言う。

    「……着ろよ。」
    「え……、」
    「名前の浴衣姿、……見てえ。」

    ため息交じりの掠れた声。弱ったふうな眼差し。つい、見とれてしまう。宮城さんのフゥーという抑揚つけた溜め息が不意に聞こえた気がした。

    「う、うん……。わかった……」

    思わずつられて肯いてしまいハッとする。簡単に了承してしまったが大急ぎで着付けて暑苦しさと戦いながら涼しい顔をしていなければならない。

    だけど寿くんの不機嫌そうな顔の中に微笑のようなやわらかさが浮かんでいる。だからそれは不機嫌なんじゃなくて、照れてる表情なのかな、って調子に乗ってしまう。

    寿くんとお店を出る間際、水戸くんと宮城さんにグッ、とガッツポーズをされて……頑張ろう、という気持ちになった。








    「歩けっか?歩きにくいなら言えよ?」
    「うん、大丈夫。ありがとう」

    がやがや、ざわざわ——。むっとする人いきれを抜け、公園を横切って木々の暗がりの中を歩いていく。穴場というだけあってメイン会場の波止場の混雑を思い返せば夜のひんやりした空気が心地よい。

    等間隔に植えられた欅の木々と、それぞれ距離をとって陣取っているごく少数の人たちのシルエットが、暗闇に影絵のように浮かんでいる。

    水辺の音がする。ざわざわと波が粟立つ音。やわらかな下草と太い欅の根のでこぼこに下駄を履いた足を取られると寿くんが手首を掴んで助けてくれた。その手は大きくて乾いていて骨と血管の感触がして……私の手とは全く性質が違っている。


    「よし、ここでいいだろ?」
    「うん。もう始まるね。間に合ってよかった!」

    海沿いの枝と枝の差し交す陰。寿くんは頭に枝がかかって、それを鬱陶しそうに手で払っていた。潮をはらんだ海風が、その手触りと重みをもって私たちの顔を撫でていく。

    花火が打ちあがるアナウンスが波止場のほうから響いてくる。外国人が騒いでいるらしく遠くから聞き取れない外国語の嬌声のかけらが、ここにも届いた。その異常なノリに圧倒されていたけれどやがて示し合わせたようにぴたりと静寂に包まれる。

    「……」
    「……」

    ひゅう、と、やかんのお湯が沸くときのような音が、夜空を割るように響いた。ドォン、と心臓に振動を与えるほどの大きな音と共に空一面が金色に包まれる。

    バラバラバラ……、花火が砕け名残の光が垂れ幕のように水面に落ちていった。それを皮切りに、次々と小ぶりの花火が同時に連発されていく。体に響きすぎるその音は炭酸を一気飲みしたみたいに、痛いのにどこか爽快な気すらした。


    「すごいね!すごくきれい!」
    「……」

    大きな声でそう言いながら、寿くんを見ると目があった。寿くんは、私を見下ろしていた。花火を見ないで、私を見ていたらしい。どこかぼんやりしているような、表情のない顔をしていた。

    「どうしたの!?」
    「——、」

    声を張り上げる私を見つめたまま彼が何か言う。でもまったく聞き取れず、耳をよせて「え!?」と促すと、彼は苦笑いした。

    「聞こえないよ!」


    ひゅう……ドォン!バラバラバラ……

    鮮烈な光がシャワーのように夜空を照らし、真昼以上に明るい。金色と、白……そして絶えず雲のようにただよう煙。それがどんなに幻想的でも、寿くんは、花火ではなくてずっと私を見下ろしている。いつもはすこしこわそうな、目つきの悪い瞳がいま、私を見つめながら、花火の光を湛えているのだ。

    それは、普段よりも大きくて、それでいてまるで感情が籠められているようで……不意に私は今日の私と彼がいつもとは違うことを実感した。私は浴衣を着ているし、寿くんは私と花火を見に来ている。そしていつもはすぐに目を逸らす彼が私を見つめて、くちびるを開いて、なにか言った。

    ひゅう……ドォン!バラバラバラ……


    彼の言葉は、やはり花火に掻き消されたけれど、くちびるの動きでしっかりと理解した。


     「きれいだな——。」


    ——男女間に友情は……
    ——男女間に友情は成立しない

    アナウンサーの声、あの緊張感を思い浮かべたとき、夏の温度を宿した大きな手が、ふわりと私の体を抱き寄せる。花火が打ちあがる衝撃と、浴衣ごしに彼の鼓動が伝わってきて内側にうっすらと汗をかいた。

    頭をかがめた寿くんのくちびるが、そっと近づいてくる。——もう、友だちには戻れない。

    その瞬間、背伸びをしながら、そう実感した。










     を教えよう。



    (寿くん、七夕のお願い事は?)
    (あ?七夕?……ああ、ちなみに名前は)
    (わたし?わたしは何だろう……世界、平和?)
    (ふはっ、お前らしーわ。この場面でそれな)
    (えー、じゃあハイ、寿くんの番っ!)
    (俺?俺ぁ、……もう、叶っちまったもんよ)
    (ほんとっ?えー、なになにっ?)
    (ええ? 名前とキスできますよーにって)
    (えっ……!)

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