あの三井寿と私が、陰でデキているという噂が広まっているらしい。
 けれどありがたいことに同級生の木暮や赤木はろくでもないデマ≠ニ判断してくれて、「ガチネタじゃないっスよね?」と、何度も訊いてくる一個下の宮城くんや噂好きの湘北名物、二個下の桜木軍団がやたらと私を目の敵にする三井と同じクラスにして三井親衛隊(しかも非公式)の団長を務めているなまえさんの防波堤を請け負ってくれた。

 それにしても私は三井とクラスも違うのにどうしてこんな噂が出回ったのだろうか。
 三井だって揶揄いたい目的で何かと私に喧嘩?を売ってくることはあれど奴は更生してから基本的に誰とでも表面上は上手くやっているはずなので私だけを特別視しているというわけでもないと思うんだけどなぁ。
 しかしその答は全て三井親衛隊の団長が持っていた。彼女は移動教室のために科学室に向かっていた私を後ろから追いかけてきて泣き出しそうな顔で噛みついてきて言った。

「三井君と噂になってせいぜい良い気持ちでしょうね!どんな気持ちよ!一体どうやったって言うのよ!」

「でしょうね!」「気持ちよ!」「言うのよ!」って。まるでアニメの一コマみたいなあまり聞き慣れないような台詞をふっかけられて、今どきこんな言葉遣いをする人いたんだなぁと、私はうんざりして立ち止まった。しかし振り向いたときの彼女が、大きな瞳いっぱいに涙を溜めている姿を見て私はぎくりとする。

「あ……あの、話が見えてこないんだけど」

 非公式の三井親衛隊の団長を務める彼女は性格は最悪と周りからも言われがちだけれど顔だけは可愛いのだ。
 涙は女の武器≠ネんてよく言うけれど彼女を苦手な私でも思わずくらっとくるほどその効果は絶大だった。

「なによなによ、そうやって。私は何にも知りません≠ネんて顔して。大嫌い!こんな性悪見たことないわっ」
「いや、だって……ほんとに知らないんだもん。何で私があの三井と人目を阻む関係にならなきゃいけないわけ?」
「知らないわよ!こっちが聞きたいわ!」
「あいつが私のこと何て言ってるかなまえさんなんか身近で一番聞いてたでしょ?」
「……」
「暴れ馬だよ?暴れ馬」

 そこで廊下の向こうから、一年生の桜木花道とその舎弟、桜木軍団がやってきて私と彼女の組み合わせに口笛を吹いてよこした。あきらかに面白がっている彼等の様子に私は苛立ちを隠せない。それにこの場所は図書室へと繋がる往来の場なのだ。行き過ぎる生徒がみんな私と彼女を振り返っていく。

「だってあんたは三井君によく突っかかっていくし好きで好きで仕方がないくせに!!それにあの二年生の三井君の親友が言ってたわよっ!?よくあんたと三井君のカップルを見かけるって」

 待て待て情報量が多すぎる。まずはその話し方だ。なんか調子が狂ってしまう。あと三井の親友が二年生にいるという事実。きっと、宮城くんのことを言っているのだろうことは察したが、私が唖然としているあいだに三井親衛隊の団長はよけいヒートアップして私にぐいと近寄った。思わず「ひぃ……!」と口から出そうになりながら私は後退りをする。

「そうしたらあっという間だったわね。翌日にはあんたたちは隠れカップルになったってわけよ」
「あ、あの……ちょっと落ち着いて」
「ねえ、迷惑だからやめてくれない!?いくらあんたが好きでも三井君はうんざりしてるだけなんだから!」

 きっと彼女の舎弟が他のバスケ部の連中に探りを入れて、そこからあることないこと、いろんなルートで噂が出回ったんだなぁ〜と私は思った。しかも彼女は、私が三井と噂になっていることを喜んでいるとでも思っているらしい……馬鹿馬鹿しい!

「あのね、いい加減にしてほしいんだけど。私が三井ことを好きなわけがないじゃん!」
「じゃあその証拠はどこにあるの!?まさか三井君もあんたを好きだなんて思ってるんじゃないでしょうね!?」

 三井が私を……だと?
 私はかっとなった。絶対に、天地がひっくり返っても、そんなわけがなかったからだ。

「あのね!好きになる要素がゼロなんですけど!それってなまえさんが堀田に惚れてるって言われてるのと同じようなもんだよ!?」
「あんな腐れヤンキーと彼を一緒にしないで!」

 そこでくわっと彼女がブチギレてきたので私は思わずたじろいだ。く、腐れヤンキーって……。言い方よ。言葉遣いが綺麗なんだか汚いんだか、よくわかんなくなってきた、この子。
 しかも論点が違う気が……でもそれをつっこむ元気はもはや費えていた。

「そうそう、名字があの三井を好きなわけないって」

 そこでようやくすぐ傍まで辿りついていたらしい私と三年間同じクラスの腐れ縁、みょうじが私の肩をぐいと抱き寄せた。彼の隣で楽しそうに笑う友人の方からほんのりと煙草の匂いが鼻をくすぐったので、きっとまた屋上でサボっていたんだなと場違いに考えたりした。

「あら出来損ないどもじゃない。邪魔よ!どこかに消えて!」
「消えるけどその前に。こいつは俺と付き合ってるから、三井の事なんか1mmも好きじゃない。ってことで解決?」

 !?と目を見開く私をひたすら無視して彼は彼女に微笑している。残りのもう片っぽの友人は、げらげら笑い出しそうなのを必死にこらえている顔をして成り行きを見守っていた。

「え……?あ、あんたと?それ本当なの?」
「本当本当。だから俺もえらい迷惑でさ。まるで俺がエセ不良の三井お坊ちゃんに劣ってるみたいだろー?だいたい名字はロン毛が嫌いなんだよ。なあ?名字」
「……え?え?う、うん……」

 彼女はそこでちょっと考えたみたいな顔をして口を噤んだ。なんだか変な展開ではあるが、どうやら私は今、同級生に救われたらしい。

「みょうじ、あんた趣味悪いわね。まあいいわ……なんだか馬鹿馬鹿しくなってきちゃった。けどお似合いよ、貧乏ねずみ同士お幸せに」
「そりゃどうも」

 押し黙る私に、彼の友人はまだ微笑している。彼女はため息を吐いて、ふらふらとおぼつかない足取りで行ってしまった。本当に納得したようには見えなかったけれど実際のところ馬鹿馬鹿しくなってきちゃった、と言うのが本音だったのだろう。三井も彼女も私がこいつと一緒にいるときに限ってはなんだか都合が悪そうにこちらを見ていたし。てか、そんなことより貧乏ねずみ同士ってナニ……?

「なんか、ありがと」
「いいえハニー。なんつって。それにしても人助けすると気持ちいいー!これで噂も消えてくれるといいな!」

 見守っていたもう片っぽの友人は彼女の姿が消えたのを待ってからとうとう大きく噴き出した。それに同調してみょうじも笑い出す。なんでそんなハイテンションなの?男子って本当に何歳になっても箸が転げても面白い時期≠ニかいうやつが消えないんだろうな、きっと。

「とりあえず……間に入ってくれて助かったよ、まじでありがと、みょうじ」
「あの手のタイプには、同じレベルで応じないと納得してくれないんだって。それにしてもあいつ可愛いよなぁ!三井は運がいいんだな」
「それには深く同意見。可愛くてツンケンしてるってのがまたいいよな」
「ほんとそれ。あ!そうだ。次の授業サボるから上手く言っといて」
「うん。でも煙草の匂いは消しなね?」
「ははは!了解、じゃあよろしくー!」


 これが——三日前の出来事だ。
 私は朝、とぼとぼと自分の教室に向かいながら一連の出来事に思いをめぐらした。なんだかややこしいことにならなければいいのだけど。三井はどうせ私がみょうじと付き合っていると聞いたら鼻で笑って「そりゃあ、お似合いだぜ」なんて言うのだろう。そう思うと胸が痛くなってくる。
 実のところ、三井親衛隊の団長を務める彼女の推測は当たっているのだ。私は三井が好きなのだから——。

 それから三井親衛隊の女の子たちとの関わりはなく、すなわち三井との接触もないままに憂鬱に三日が過ぎた。
 私がみょうじと付き合っているという噂がもっと派手に出回るかと思ったが依然、私と三井説のほうが有力のようだ。三井親衛隊の女子は私を白い目で見るしバスケ部や桜木軍団の連中は私をにやにやしながら揶揄ってくる。
 みんなきっと私が同級生の誰かと付き合っているよりも、あの三井寿と付き合っている方が面白いからその噂を支持するのだろう。周りは高みの見物をしてひそひそとあることないことを言い合う事ができる。ああ、最悪だ。
 だいたい三年生の校舎にいて私とみょうじが一緒にいるのを見たことがある人たちは私がみょうじと男女の仲にあるなんて到底信じられないに決まっている。だって本当にただ仲がいい同級生ってだけの話なんだから。他の女子たちと何も変わらないのに。彼も私に対して、そういう扱いしかしてこないのだから。しかも他校に彼女がいるとか言っていたような……。


 夕方、教室で今朝コンビニでお昼ご飯と一緒に買ってきたファッション雑誌をぼんやりと読んでいた私の隣に誰かが着席した。
 教室内は放課後と言うこともあってがらんどうなのに何故わざわざ隣に?と訝しく隣を見ると、それはなんと隣のクラスの三井だった。私は目を見開いてフリーズした。

「み、みみ三井……!あんたばっかじゃない!?早く離れて!」
「は?」
「余計変な噂に尾ひれがつくでしょ!」

 その言葉とあからさまな私の嫌々な態度に三井はむすっとしたまま「誰もいねーし、ここはドアから死角になってっから大丈夫だろ」と、語尾にばかはお前だ≠ニでも付けたげに彼は言った。
 三井は腕を組んで背もたれに背をあずけ、私の机の上に広げられている雑誌を横目で見たりそれを勝手に手に取ってページを捲ったり好きにふるまっているけど私はまだ衝撃から抜け出せない。

 こ、こいつ気でも狂ったのかな……?何で隣に座ってくるわけ?それに、いつも廊下で、しかも立ったまま口喧嘩をしたことしかないので横から見る三井と言うのも珍しい事この上ない。座っているので目線も近いし。なんだか柄にもなく照れくさくなってくる。

「なんか用っ!?私、あれから周りに疑われたりしてほんとに困ってるんだけど!あんたも自分の彼女の口の管理くらいしっかりしてよね!」

 恥ずかしがっているのを知られるわけにはいかない。そうなると、今まで必死に隠してきたのが水の泡だ、と思って私は勢いづいてとりあえず、そう矢継ぎ早に言った。

「それはこっちのセリフだっつの。何で俺がお前なんかと。はあ、文句言っても仕方ねえけどよ」

 彼女——って否定しないんだ、と私は思った。三井親衛隊の団長は実はやっぱり三井の恋人なのだろうか。まぁ、どっちでも私には関係のない事だけど。

「とりあえず解決策を考えてよ。このままなんて我慢できない」
「なんとかしようとすればするほど泥沼化すんじゃね?ここはとりあえずこのままにしておくしかねーんじゃねえのか?」
「……あんたの彼女にもいちゃもんつけられるし散々だよ」

 もう一度、彼女と言ってみる。が、三井はどこか、ぼんやりしているような遠い目をしていた。そうして、フッと鼻で笑ったあと言った。

「それはご愁傷様だな」

 あ……やっぱり否定しないんだ、ふうん、へえあー、そう。
 なんだか笑いそうになった。なんで私、こんな馬鹿なことを言って自滅してるんだろう、って。三井があの子と付き合っていようがいなかろうが私には関係ない事なのに。関係ない。うん、まるでない。

「——で?どんないちゃもん付けられたんだよ」

 三井の眼は、まだ遠くを見ているような感じがする。ひょっとしたらちょっと眠いのかもしれない。そんなの知らんし、どうでもいいけど。
 彼は上体をずらして偉そうに脚を組んだ。足が長くて羨ましい。そして奴が動いたせいで、ちょっといい匂いがした気がした。三井のくせに。

「……私が三井を、好きなんでしょって」

 私は言ってから何だか恥ずかしくなった。
 やばい、顔が赤いかもしれない。ここは顔を見られないよう頬杖をついてやり過ごすしかない。

「へえ……。」
「あ、あと三井が私のことを好きなんて思ってるでしょ、だってさ」

 彼は身じろいで私の反対側に顔を向ける。私もその動向を視界の端で捉えていただけで、三井の方に顔を向ける勇気がない。まだ、顔が赤い気がするから。
 三井が浅いため息を吐く。私は汗をかいた手を握った。なんだろう、すごく居心地が悪い。このまま教室を出ていってもいいものだろうか?と、考えあぐねる。

「たしかにそいつの言う通りだ」

 ——ん?ふと私は三井を見た。彼はもう眠そうな顔をしていなかった。窓べの席なので鈍い夕陽がやわらかく三井の横顔に差している。
 こいつ……ほんとに綺麗な顔してる。別に顔で好きになったわけじゃないけど……。

「——噂通り、俺はお前が好きらしいし、な」
「へえ」
「……」

 しかしこいつのいいところなんて容姿だけなのに顔じゃないところに惚れたなんて、私って見る目がなさすぎる……かと言ってどこに惹かれたのかは説明できないけれど。実は高校一年生の入学当初から気になっていた。偶然、バスケ部の練習を見たときからかもしれない。それで三年生になって彼が更生してある意味目立ちはじめてから、なぜか毎日のように言い合いをしてて気づいたら好きになっていたのだ。我ながら情けない。
 それにしても彼女と言い三井と言い本当に顔はいいのに、性格に難ありすぎでしょ、そこは比例しとかないとさ?人として…………って、ん?

「——え?」

 私がふたたび目を見開いて三井を見ると三井も私を見ていたので、少しぎょっとする。

「なんだよ」

 三井はむすっとしている。その声にすでにいらいらしている気配が含まれていた。
 短気め……って、そうじゃなくて……! え?

「え」

 私はもう一度、馬鹿みたい同じ言葉を繰り返してしまう。え、っと……え?いま、なんて……?

「何か……私のこと好きとか言わなかった、今」
「言ってねぇ」
「なーんだ、聞き間違いか」
「——ンなの、どっちでもいいだろ!」
「は!?なに!ほんとに言ったの?!なんで!」

 え、ほんとに聞き間違い?幻聴?……願望?
 私は何がなんだかよくわからなくなってくる。そして徐々にまた顔に熱が集まってくるのを感じて焦った。

「冗談、だよね?」
「……。冗談だったら良かったぜ、まじで」

 三井が観念して渋々肯く。私はぽかんとした。せざるをえなかった、そうするしかなかった。

「わわわわたし!?あ!え!?み、みみみ三井、変態なの!?」
「……」
「わ、わたしなんかを好きだなんて、変態すぎ!ふ、普通じゃない!あんたやばいって!」
「ったく……うっせェなー。それによ、そんなに好きなわけじゃねーし」
「………。はぁぁ!?」

 私は忙しなく赤くなったり青くなったりした。なんなんだこいつ……!何がしたいんだ……!!ほんと、何で私こんな奴のこと好きだんだろ……

「俺がお前なんかにそこまで夢中になるわけねーだろが。だいたいな、趣味が悪ィのはお前だって同じじゃねーかよ」
「なにィ!?なんでよ!」
「みょうじと付き合ってんだろ?」
「………」

 私は沈黙した。何て返せばいいのかわからなくて言葉に詰まってしまったのだ。やっぱり三井の耳にも私と彼の噂が入っていたのかとここでまた混乱やら困惑やらで頭がいっぱいになり慌てはじめる。

「えっと……あのですね、その件につきましては……」
「慰めるつもりかよ?別にショックでもなんでもねェからほっとけ。それより……」
「な、なんなの!?じぶ、じぶんだって、あんな性悪な彼女が……」
「あ?彼女だぁ?あいつは彼女じゃねぇ」

 三井がこのタイミングはっきりと断言したのでまた私は言葉を失った。
 だって、さっき否定しなかったじゃん。しかも二回も。私がさりげなく探りを入れたってのに。でもほっとしたら目頭がじわりと熱くなる。別に気にしてないけどと自分に言い聞かせていたのに彼女≠ニいう存在がとても私の余裕を奪っていたのは否めない。だから今こんなに嬉しいんだ。今になって、ようやくはっきりと認めてしまったけれど。

「あ、あの……でも……」
「なんだよ」
「わ、私だってみょうじとは何でもないんだからね!?」

 私が身を乗り出してそう言うと三井はちょっとびっくりしたみたいな顔で、まじまじと私を凝視した。し、しまった……勢いに乗りすぎてしまった。は、恥ずかしい——!

「だ、だから別に付き合ってるとか、あれは三井親衛隊の親玉を黙らせるためにとっさに彼がついてくれた嘘で、他意はなくて……」

 なに言ってるんだろう、私……。とにかくしゃべり続けてないといけない気がした。何か言わなきゃ!でも言葉が出てこない。なんかうまい言葉があるはずなのに。えっと。と、背中に汗が伝うのを感じながら私はおどおどと三井を見た。三井はびっくりしたまま私を見つめている。彼も、さっき私がそうだったようにフリーズでも起こしているのかもしれない。わかんないけど。

「だから……わ……私も好きなんだけど三井の、こと」

 私はなんとか言い終えてからギャーと言いたくなって口をふさいだ。
 な、なにを言ってんの私は!?そうじゃないでしょ!クールに!クールになってよ!!

「——じゃあ、そういうことで!またね!!」

 私は、雑誌と鞄を急いで掻き集めて教室を逃げ出した。猛スピードで教室を飛び出すとき、まだ残っていたらしい三井親衛隊の連中が「あれあの子じゃない?三井君もいるかも」とか言っているのが聞こえた。
 ああ、どうしよう噂がまた増長してしまうかも……って!そうじゃなくて、もうそんなのどうでもいい!どうして好きだなんて言ってしまったんだ、私!?
 きっと三井はびっくりしたままなんだろうな。変に思っただろうなあ……。明日からどうすんのこれ……え、どうしたらいいの!?

 私は半泣きで真っ赤な顔のまま三年生の廊下を駆け抜ける。
 掻き集めた時にくしゃくしゃになってしまった雑誌と使いもしない参考書が入っている三年間、愛用している鞄がとても重いけれど足取りは馬鹿みたいに浮かれてしまっている。









 甘く痺れる かなしばり。



(三井君!どうしたの!?顔が赤いわ!)
(——っ、うっせ!ほっとけっつの!)
(キャー!三井君がまたグレたわ〜!!)

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