偶然の集まりで見つけた今の関係

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  • 三井さんに、気持ちを伝えられた夜。タクシーの後部座席、シートに座って彼はフロントガラスを私はドアの窓を、それぞれ、顔を背けあうようにして眺めていた。

    だが彼は重ねた私の手を放さなかった。胸が詰まって、言葉がなにも出なかった。アパートの手前まで送ってもらって帰宅して、ベッドにうつ伏せに倒れこんで……『名前』とくちびるを小さく動かした、彼の表情を思い出す。


    『 好きだ。』


    密やかな低い声。意志的な強い瞳。三井さんは私と二人きりになるといつも無口だったけど、そのぶん瞳に表情が出やすいと思う。それとも、私がよく彼を観察しているから、わかってしまうのだろうか。はたから見れば怪訝そうな表情が、彼の気持ちにぎゅっと重力を感じさせた瞬間——。

    『俺よ、——名前が好きだ。』


    「………!!」

    かあ、と一人でに赤面してしまう。シーツをもみくちゃにして脚をバタバタさせて、そうしてしまうくらい恥ずかしいのに、三井さんのことばかりが脳裏に駆け巡る。好きか嫌いか、と言われたら好きだし、とても尊敬している。でも、こんなに掻き乱されるなんて……。


    彼との出会いはよく仕事帰りに立ち寄るスポーツバーだった。一人、カウンターで飲む私に声をかけてきた彼の友人から紹介されたのがはじまりだった。

    その彼らがバスケットボール選手だと知ったのは三回目のバーで顔を合わせたときで決まって私をその輪の中に誘ってくれたのは彼ではなく、毎度彼と一緒に飲んでいた宮城さんって人か諸星さんって人だった。

    みんなと一緒にいるときはずっと笑顔な三井さんでも、さっきも言った通り私と二人きりになると無口になって、いつも不機嫌そうだったのに。

    そんな彼から好きと言われた——。好きと言われたから好きになったのかな。いや、もともと好きだったのかもしれないけど、でも、自分の気持ちは浮ついて薄っぺらく感じる。三井さんの言葉の重みと、真面目な眼差しに比べてみれば。


    「……あれ?」

    私、返事してないかも。二人きりのカウンター席。好きだって言われて——私は恥ずかしいのと驚きと嬉しいのとで感情処理が追いつかず、呆然としていた、と思う。

    三井さんと私は隣り合わせで座っていた。とても近い距離だった。いつもはひとつ席を空けて座っていたのに。世間話やバスケの話をする距離ではなく、確実に、恋愛の話をする距離だった。

    照明のライトが、見上げた彼の肩越しにキラキラ光っていて眩しかった。彼の影が私の体に掛かっていた。影があたたかく感じたのは三井さんの体温が私にも伝わっていたからなのかもしれない。

    向かい合った顔の間に、ため息と感情と緊張が、閉じ込められているようだった。まばたきをするだけで全てが崩れてしまいそうだった。思い出すだけで心臓がひく、となる。


    (わたしも。同じ気持ち、です。)


    そう伝えた……と思ったけど声に出して言っていなかったのではないかと急に不安になってくる。

    「……。」

    三井さん、どう思っているだろう。私の好意が、伝わっていなかったら、彼の真面目な心を傷つけてしまったのではないだろうか。

    「いやいや、待てよ……。帰りの車の中では手を握られていたし……」

    そんな独り言を呟いて、でも私は、放心していて握りかえせていなかったかも、なんて思う。だが彼も大人だし、いくらなんでもそんなことで傷つきはしまい。私なんかが気にしなくたって、女の子に不自由はしていないだろうし。

    いずれにせよ改めて伝えたほうがいい。三井さんは心を見せてくれたのだから。私だけが受け身でいるの不誠実だ。なるべく早く。でも、会う約束なんてしていないし……。


    うまく考えることができず、呆然としていると、携帯のバイブが、ガタガタと激しく鳴り響いた。

    バッグの中で硬いものとぶつかっているらしい。取り上げて画面を見たとき——『新着メッセージがあります。』という文字に携帯を思わず落っことしそうになる。


    三井 寿

    きょうは二人で飲みたいなんて誘って悪かった。また連絡する




    まるで、三井さんが目の前にいて口に出してそう言ったみたいな文章だ。彼がこう言っている姿が目に浮かぶ。何回も何回も液晶の無機質な文字を繰り返し読んで、ため息をついた。

    一度に色んなことが起きすぎた。ゆうべの今頃は動画を観ながら呑気に爪の手入れなんてしていたのに。まるきり、生活が一変したような気分だ。私が、ゆうべの自分に戻ることはできないのだ。

    とにかく返事をしなければならない。すぐに返信を打つ。……お礼の言葉を打って……、絵文字、絵文字はどうしよう。今までも番号は交換していたけれど、連絡なんてしたことなかったし、三井さん相手に絵文字なんて使ったことがない。ないのも寂しいけど……まあいいかと我ながら当たり障りない文章だなあと思いながら返信した。


    「……。」

    ……とりあえず、顔を洗って歯でも磨こうかな。いつのまにか私はまたベッドに倒れこんでいた。返事を送ってから、さして時間は経っていない。手を顔に当てて、くちびるを噛んだ。

    「……、」

    何度も思い出す。革張りの丸いカウンター椅子。カウンターの壁に掛けられているモニターから流れるスポーツ中継。顔を上げたときに、あれ、と思った。なんだかいつもと様子が違うなって。

    他愛も無い会話をしていたのにいつのまにか距離が近くて、告白されて、それで……キスされた。妄想じゃない。まだくちびるにその感触と温度が残っている。

    「わあああああ……ッ、」

    枕に顔を押し付けて、バタバタして、疲れてまたぐったりと放心する。

    顔が近づいてきたときに私は一度顔をすこし背けた。そのまま受け入れたら、心臓が持たない気がしたからだ。三井さんの鼻筋が、私の鼻筋に重なったとき、——だめ、——逃げられない、と脚が震えた。

    (あんなに、やわらかいんだ……)

    優しくて……しっとりしていて、あたたかくて、慈しむようで、……。胸が苦しくなる。少しだけ髭がちくちくしたけど、それ以外、全て包みこむように、愛しい感触だった。

    優しく肩を抱き寄せる腕とか顎を持ち上げる手、顔と体の体温が、ぜんぶ、大切にしてくれているとわかるような、とけてしまいそうな気持ちいいものだった……。なのに、気持ちよすぎて、胸が苦しかったのも事実で。

    切ないような、泣きたくなるような、逃げ出したくなるような……。一生に一度だけなのではないか……そう予感させる、特別な瞬間に思われて。


    三井さんは、そうっとくちびるを離して私の顔を眺めた。呆然としている私に、彼が苦笑いしたのを覚えている。うつむいて、彼は立ち上がった。

    「……そろそろ帰るか、送ってくぜ。」

    と言って、私に背を向けた時の残像を思い返す。


    そう。思い返してみれば、私、本当に全部受け身だった。なんにも反応していない。人形みたいにじっとしているだけだった。とんでもなく失礼なことをしていると認識した途端、血の気が引いていく。

    「え、……どうしよう。」

    くちびるを噛みながら、早くなんとか伝えなくちゃ……と気が急いた。でも文字に起こして伝えるのはちょっと……電話もしづらいしなあ……でも——なにもしないよりは。


    名前

    続けてごめんなさい。まだ起きてる?




    そう送信して目を閉じる。まだ起きているというメッセージが返ってきたら、電話してしまおう。それでまた会う約束をして、それで……。だが、突如として鳴ったのは、メッセージの受信音ではなく着信の合図だった。液晶画面には三井寿≠フ文字。

    通話ボタンを押して、そっと耳に当てる。しん、という無音の音が、聞こえた。


    『——名前、俺だ。いま、その……大丈夫か』
    「うん、私は大丈夫だよ。あの、もう自宅?」
    『ああ。さっき着いたぜ』
    「……あっ、今日は送ってもらって……ありがとう、ございました」
    『いや、好きでやったことだしな。つか、なんで敬語なんだよ』
    「あ、いや! なんか……緊張して……」

    電話で聞くと、三井さんの声はいつもより幼い。携帯同士の相性がとてもいいのか環境の音が鮮明に聞こえてくる。

    電話の向こう、三井さんがフローリングの床を歩いている気配がする。やがて立ち止まってソファかベッドか、やわらかいところに、腰を下ろしたようだった。しゅる、と絹の音がしたのは、彼がネクタイを解いたからだろう。彼の姿を想像して胸が熱くなる。だけど表情は思い描けない。彼の感情が、電話ではまったく伝わらない。


    「……電話もらって、ありがとう。」
    『こっちこそ。声、聴きたかったし、な。』

    くす、と掠れて、笑った息遣いがした。彼独特の人懐っこい笑みを思い浮かべる。さっきベッドで彼の言葉や、体温や、くちびるを反芻して、赤くなっていた気持ちがよみがえった。

    「あの……わたし、ちゃんと自分の気持ち、伝えてなかったんじゃないかと思って……」
    『……は? 気持ち?』
    「その、さっきの……」
    『……』

    三井さんが小さくコホと咳払いをする。どっくんどっくん、どっくんと、心臓がうるさい。まさか三井さんに聞こえているはずがないだろうけど、でも、たぶん……私の緊張は、彼にも届いているだろうと思う。なんだか恥ずかしい。

    「あの……三井さんのこと、わたしも、好き……です、」

    口に出して伝えると今までずっと長いこと、秘めていたような気がした。解放しただけで、とてもとても、抱えきれないものを抱えていたのだなあと思う。とても好きなことを自覚した。なるほどだから、こんなに、苦しかったんだなぁ……。


    『あ、ああ……、サンキュ。』

    すう、と息を吸う音。落ち着いたなめらかな声。三井さんがどんな顔をしているのかが気になる。だけどたぶん優しい目をしているだろう。そんな気がする。

    「言うの忘れてて、ごめんね。わかってくれてるとは思ったんだけど。」
    『ああ、まあな……そうじゃなかったら、引っぱたかれてるはずだと思ってたしよ。嫌いではねーんだろうなって期待してた』
    「緊張して、言いそびれちゃって……帰ってから気づいたの。言ってないなって」
    『気にしてくれてたのか。でも、なんつーか……すげぇ、嬉しいわ』

    ふ、と。三井さんの笑った呼吸音が、はっきりと聞こえた。彼の笑みも脳裏に過る。あの、たまに見せる、控えめな、綺麗な笑顔が。


    『なあ、名前』
    「……ん?」
    『まだ時間、大丈夫か?』
    「あ……うん。三井さんは?」
    『俺もまだ起きてるよ』
    「そっか。じゃあ、そうだなぁ……世間話でも」
    『おぅ、いいぜ。——あっ、そうだ、先週よ』


    まだ、あと、もうすこしだけ——。
    このまま、三井さんと繋がっていたい。

    今夜はきっと、眠れないね。










    きっとこれが、最後に見るだから



    (——で、宮城にはバレちまっててよぉ)
    (えー、そうなんだぁ。イジられた?)
    (んー、それより早く言えって)
    (急かされたんだ、可哀想に……)
    (でもまあ、言ってよかったよ)
    (……私も、言えてよかった。)
    (……。名前、眠くねえか?)
    (うーん、あと……、少しだけ。)
    (ふはっ、俺も同じこと思ってた)

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