貴方の恋人になりたいのです

  • 表紙
  • 目次
  • しおり

  • 貴方をもっとちゃんと知りたいけれど
    今よりもっと仲良くなりたいけど 
    深入りしたら嫌がりませんか?
    そう思うと聞けなくて

    「彼女はいますか?」
    「どんな人が好き?」
    「髪の長さは?」

    気になることはまだまだあるわ

    厚かましい願いではありますが
    貴方の恋人になりたいのです

    貴方と出会ったあの日から
    他に欲しいものはないよ

    決して派手な恋じゃなくていいから
    貴方の恋人になりたいのです

    西の空、雲を紅く染める
    あぁ夏が終わってしまう

    この季節が過ぎる前に一緒に花火を見たいです
    厚かましい願いではありますが
    貴方とふたりで

    叶わぬ恋を夢見ては今日もひとり眠りにつく
    決して派手な恋じゃなくていいから

    貴方の恋人になりたいのです







    「今日花火大会じゃない?行かないの?名前は」

    彩子とランチをしていたとき、不意に彼女がそう訊ねてくる。

    「人混み嫌いだからね。行かないよ」
    「またぁ?去年もそう言ってなかった?」

    仕方ないわねぇ、と彩子は他の友達に連絡を取り始めて結局その子と花火大会に行くことになったらしい。——ごめんね彩子。でも私、花火大会は嫌な思い出しかないから。


    大学生だったあの頃の私には、好きな人がいた。友人、彩子を介して知り合った一つ年上の三井寿さん。そう、あの、プロバスケットボール選手の三井寿だ。

    そばにいるだけでどきどきして、会えることが嬉しくて。あのときはまだプロ入りはもちろんしていなかたったけれど、すでに彼は人気者だった。そして彼の持つ魅力に私も惹かれて、焦がれて。でも相手になんてしてもらえなくて。

    彩子にしても他の女の子にしても、彼を取り巻く周りの子たちはみんな華やかできれいで。こんな愛想のひとつも振り撒けない私なんかとは雲泥の差だった。

    ひとり彼を思うだけの日々。でもそれでも良かった、ほんの少しでも話せれば。だって片思いってはじめからわかっていたから——。


    そんなとき花火大会があってみんなで集まることになった。なぜかそれぞれ男女でカップルになろうっていう流れになりかけて焦った。理由は女の子がひとり多かったから。そんな中で、ひとりの女の子が言った。

    「……どうする?」

    すぐに私のことが邪魔なんだろうなーってわかった。だってみんな今どきの大学生って感じで、きゃぴきゃぴしてて。私ひとりだけがめちゃくちゃつまらなそうにしてたから。

    「ねえ三井、三人でいける?」
    「あ? いや俺、あいつ興味ねーし。苦手なんだよな、なんか」

    そんな会話が耳をかすめて私はとっさに携帯が鳴ったふりをした。嘘の会話をして「あーごめん」って。急な予定が入ったと謝って、呼び止める彩子の声も無視してその場を後にした。

    その日の帰り道、花火の音を背後に聞きながら、顔ぐちゃぐちゃにして泣いて帰った記憶は、いま思い出しても胸が詰まる。

    あとあと聞いたところ彩子たちはそれぞれカップルで花火を見たらしい。彼は一番きれいな女の子とカップルになったって彩子が言っていた。あれから、花火大会は大嫌いになった。






    彩子とは今でも付き合いが続いている。男っ気のない私にいつも誰かを紹介すると言ってうるさいけど、でも男の人って所詮一番は見た目と自分を立ててくれる人。きゃぴきゃぴしててザ・女子!みたいなのがいいんだろうなって思い込んでいる私には無縁のものでいい、そう思っていた。

    三井さんと彩子も今でも友達付き合いはまだ続いているようで時々、彼女の会話に彼が出てくる。今度試合行きましょうよ、と誘われても結局一度も行かなかった。どうせ私の事こと苦手なんだから会ってもうれしくないだろうし。会ってまざまざとその態度を見せつけられるのも嫌だし。

    我ながら根に持ってるなあとは思いつつもなんというか、もはや劣等感の固まりみたいになってしまっていた。






    会社の帰り道、街中にひっそりと忘れ去られたような小さな昔ながらの駄菓子屋がある。私はそこが好きで会社帰りによく寄り道をした。腰の曲がったおばあちゃんがいて、そのおばあちゃんはいつだってお茶を出してくれる。私は行くたびにその日あったことを話して帰る。私のほっとする場所。そこで見つけた線香花火——。

    「特別にあげるよ」

    おばあちゃんがそう優し気に言う。私はお言葉に甘えてそれを受け取り帰路に着いた。自宅マンションの駐車場の片隅で線香花火に火を付けると小さくぱちぱちと音を立てて火花が散る。決して華やかではないけれど、なんだかほっとする。


    「名前?アンタ、なにやってんの?」

    その声に振り向くと仕事が帰りらしい彩子が立っていた。

    「え、なにって。花火……」

    そういった視線の先に——三井さんがいた。それから……み、み……なんだっけ?宮崎だか宮本だか、とりあえずなんとかリョータさんって人だと思う。たぶん。

    「ウチで飲もうって話になってアンタ誘いに来たんだけど」

    あっけらかんと、そんなことを言う彩子。そんな彩子に目を見開き固まっていた私の横にふわりと誰かの気配を感じた。ちら、と見れば笑いながら私の隣に座り込む三井さんだった。

    「線香花火って……また、地味だな、オイ」
    「……」

    この人さ、ほんと言葉発しない方がいいんじゃないの?いちいち余計なこと言って来るイメージなんだけど。あの——花火大会の日から、ずっと。

    「華やかなのは……なんか好きじゃないんデス」

    思わず苦笑いであからさまな他人行儀で答える私をじっと三井さんが凝視している気がする。え、ど……どうしよう、怒らせちゃったかな、なんて思っていたら「俺、やりたい!」と無邪気に言ったのはリョータさん。気が付けばいつの間にかリョータさんは地面に置き去りになっていた残りの線香花火を手に持っていた。

    「これ、いつまで持つかよく競争したんだよね!兄貴とか妹と」

    彼は無邪気に言う。私は一応「そ、そーなんですね」と小さく返した。

    「あー、俺もしたわ。そういえば」

    今度は三井さんが言った。それに対してリョータさんは「アンタ一人っ子なのに誰とやったの?」なんて揶揄っていて三井さんは「うっせ!」とかなんとか小言をついてリョータさんを小突いていた。

    結局、最後の線香花火の一本が終わって私は彩子に拉致られるような形で彩子の部屋に連れて行かれる羽目になる。そこで彩子の今の彼氏がリョータさんだと知った。

    「へえ、そうなんだ」と言う私に「いくら試合に誘っても苦手だとか言って来ないのは名前ちゃんじゃん!改めて報告する間もなかったよ」なんてリョータさんに言われる。いつの間にか「名前ちゃん」とか呼ばれていてぎょっとするがそんなのはお構いなしに彼は彩子と笑いあっていた。

    「一回来て見ろよ」

    出し抜けに三井さんが誘って来る。私は「はぁ。まあ、そのうち」なんて、あまり気乗りがしないような返事をした。なんか、これ以上関わりたくなかった。これ以上自分を劣等感で固めてしまいたくなかったから。

    あなたと関わると私は自分が惨めでどうしようもなくなる。だから関わらないでほしい。このとき、そう心の中では思っていた。








    パチパチ……小さな音で火を放つ線香花火。
    ほんわりと暖かくなる。
    こんな小さな花火の火では
    あいつはきっと気がつかない。

    空に打ち上げられる華やかなその花火には
    到底かなわないから静かに小さく火を放つ。
    だからきっと、あいつは気がつかない。

    でも、それは仕方がないってわかってるから。
    かなうことのなかった、俺の昔の恋——。




    彩子、宮城と三人で飯を食いに行った。会話の最中、名前っていう彩子の友人の話題が出た。遠い記憶の中にいる、あのいけすかない、いつもつまらなそうにしてた女が蘇って来る。

    大学時代、それでもいつも人のことを気遣える奴だったよな、なんてことを思いながら彼女を見ていたらいつの間にか好きになっていたから、そんな自分に驚かされた記憶まで頭の中に思い出されて俺は思わず自嘲する。

    いつも口数が少なくて、みんなの一歩後ろにいて。最後に会ったのって確か大学のときに数人で行った花火大会の時だっけな……ああ、そうだ。たしか先に帰ったんだっけっか。

    そんなことをひとり考えていると彩子の部屋で飲み直そうとかいう流れになった。いま、ちょっとだけ酒を止めている俺は帰ろうと思ったけど飲めない子を連れて来よう!って宮城が言いやがって、なぜか彼女のマンションまで行ったって話。たどり着いたとき、駐車場の片隅で小さな火花の光りが見えた。

    「名前?アンタなにやってんの?」

    彩子の言葉に振り向いた彼女。あぁ、あいつだ。あの女だわ。俺の大学時代、好きだった相手。 いつも近くにいるのはわかってたけど必ず端っこで存在消してた奴。ほかの女共が俺を取り囲みはじめると、すっと離れていった女。

    なんだ、線香花火をしてんのか……でも、まるでそこだけ時間が止まっているようにも見えた。

    「線香花火って……また、地味だな、オイ」

    思わず出たのはそんな気の利かない言葉。宮城がすぐガキみたいなツラでそこへとけ込んでいく。線香花火を見てるその顔はとても穏やかで物静かで。あー綺麗な横顔だなって単純にそう思った。


    彩子の部屋に行ってから、彼女と少しだけど話をした。

    「試合に誘ってもこないのよ!」

    という彩子に、ああいう雰囲気は苦手でと小さく笑う。なんかちょっとショックだった。最終的にはやっぱり彼女が先に帰って彩子はため息をついていた。

    「出会った頃はあんなんじゃなかったはずなんだけどね」
    「あ?どういうことだよ」
    「前に出るのが嫌とか言うから私が引っ張り回してたんだけど、ますます引っ込み思案になっちゃってねぇ」
    「彩ちゃんっぽいね」
    「リョータ、それ褒めてんの?」
    「はい、スンマセン」
    「あの子、男の子紹介するって言っても断っちゃうし。まずそういうところに行かないのよ。あれじゃダメだと思うのよねー」
    「大学時代からそーだったの?」

    興味があるんだかないんだかよくわからない表情で宮城がそんなことを聞く。

    「んー、でも仕事では信頼されてるみたいよ?ただ何と言うかこう、一歩引くって言うのかしら、それが目立つって言うか」
    「へぇ〜、彩ちゃんと真逆じゃん」
    「うるさいわよっ」

    宮城がすかさず突っ込むと彩子は頬をふくらませてプンスカ怒っている。

    「きれいな子なのにねー。もともと騒がしいのが苦手なのかもよ?」
    「でも彼女の高校時代の知り合いは昔は明るい子だったとか言ってたのよねー」
    「じゃあ大学に入って落ち着いた系だ」
    「んー……どうなのかしらね」

    ほんとこいつら何だかんだ言って仲いいよな。

    俺はそのとき不意に時計を見て、すでに日付が変わっていることに気がついた。

    「俺、そろそろ帰るわ」

    そう言って俺は、彩子の部屋を後にした。どうせ宮城は泊まる気で来たんだろうしな。


    帰り道、先に帰った彼女のことを思い出していた。俺の周りにいた女子の中ではいつも控えめっつーか、冷たい感じっつーか、やっぱこう……いけすかねぇっつーか。けど、彩子と笑ってる顔は何か可愛いんだよな。

    あの頃、俺から話しかけたかったけど話しかけようとすると別の女が間に割って入って来て。その瞬間に遠くへ行ってしまうような、なんかそんなヤツだった。

    そうだ、あの花火大会の日もそうだった。一緒に並んで見ようって声を掛けようと思ってたけど別の奴がすっと来て……気付いたら先に帰ってたんだよな。

    そう言えばそれからあまり集まりには顔を出さなくなったんだったな。でも今日久しぶりに会った。前より格段ときれいになってた。相変わらず相手にはしてもらえなかったけどよ。


    あーあ。また、会いてぇな……。

    なんとなく、そう思った。
    飲んでねえのに……俺、酔ってんのかもな。








    彩子の部屋から自宅に戻って、しばらくしてから携帯が鳴った。着信相手は彩子だった。

    『今日、無理矢理誘ってごめんね』
    「ん?気にしてないよ、てか片付けないで帰ってごめん」

    彩子は先にそそくさと帰ったことを気にして電話をくれたようだった。

    ——彩子、ほんとは今日ね、嬉しかったんだよ、わたし。三井さんに会えて。あれからずっと会ってなかったから。でもね、やっぱり同時に惨めになるの。嫌なこと思い出しちゃって。とは、もちろん彩子には言えない。だからもう会わないほうがいい。その方が穏やかでいられる。


    しかし、そんな事実を知らない彩子には通用しなくて何度も誘う彩子に根負けして気付けば三回に一回は誘いにつきあうようになっていた。四人で会うこともあったし、あとはリョータさんや三井さんのチームの人たちとも会ったりした。

    でもそこには毎回たくさんの女の子がいて、きらびやかで、私はやっぱり気後れしてしまう。

    三井さんの隣には大学時代と同様にいつも誰かしら女の子が座っているし。そういうのを目の当たりにするとやっぱり一歩、二歩と下がってしまうんだよなあ。

    一人になりがちな私に気がついたのはリョータさんだった。あと、三井さんを見ていることにも。


    「名前ちゃん、あっち行ってきなよ」

    そう言ってくれるけど「いい」って笑って断ってしまう。先にいつも帰るようにしているのも誰を送るとかそういう会話を聞きたくないからで。

    やっぱり私は自分が惨めになりたくないだけなのだ。それでも三井さんを遠くから見ているだけで幸せだった。それだけで十分だった。そう、大学時代と変わらずに……。








    クラブの事務所の廊下でコーヒーを飲みながら考えていた。彼女が時々、試合にも顔を出すようになって俺も何度か話しかけた。一言二言話していると他の女共が割り込んできやがって、いま話してっからって言おうとすると彼女はすでに一歩後ろに下がっていて、そのうち離れたところに行ってしまう。俺はそんな彼女——名前がすごく気になっていた。

    「三井サン。名前ちゃんのこと気になってるっしょ?」

    いきなりやってきた宮城に突然そんなことを言われてびっくりした。

    「——な、なんで」
    「だってこの前も、その前もほかの子と話してるのに名前ちゃんのこと見てるから」

    ——え。俺……見てたか?完全に無意識だったわ。こいつ案外目敏いからな。

    「名前ちゃんも見てたよ?たぶん。でも三井サンはどの子にも優しいからねー。来た女の子の相手、満遍なくするじゃん?名前ちゃん、ほかの子の勢いに押されちゃうんだよ」
    「……」
    「ま、今度はちゃんと相手してやったら?」

    宮城はそういって笑っていた。俺が言い淀んでいると奴もさっさとどっかにいなくなっちまって、この話は半ば強引に打ち切られた。


    事務所からの帰り道、車を走らせて家に戻っていた。そのとき通りを歩く名前を偶然見つけた。彼女はビルの間にある小さな店に入っていく。すぐそばにパーキングがあったのでそこに車を止めた。俺は無意識に気になって車を降りていた。

    彼女はその小さな店の中でばあちゃんと話をしていた。その笑顔は俺が見たことのない笑顔で。店のばあちゃんと笑いあっている。

    てかアイツ、めっちゃいい顔すんじゃねーかよ。もっと前面にそのツラ晒せっての。そんなことを思った。やがて彼女は、ばあちゃんに手を振って帰って行った。俺はその店に足を踏み入れてみる。時間が止まったような懐かしい店。駄菓子、飴、くじ引き、風船……思わずそれを手にとっていた。ついでに片隅にあった線香花火も買った。

    俺はお辞儀をして店を出る。そのまま家に戻ってベランダで買って来た花火に火を付けた。小さな火花がぱちぱちと音を立てる。いつの間にか名前のことを思い出していた。それと同時に今度会うときは送って行くか、とも思って次回、声を掛ける決意を密かにした。

    そしてその機会は意外にもすぐに訪れる。彼女がファン感謝祭に初めて来てくれたのだ。まあ彩子が無理矢理引っ張ってきたらしいけど。そんなことより彼女は楽しんでくれただろうか?

    その後の打ち上げも彩子に彼女を連れて来いと脅迫まがいなことをして無理矢理引っ張って来てもらった。その日はちゃんと送ってやろうと思っていたから彼女に話しかけることが自然と多くなる。気まずそうにも受け答えしてくれる姿が素直に嬉しかった。

    ほかの女が来て彼女が側を離れようとすると、そっと腕を引っ張ったりもした。ここにいていい、その囁きに彼女はやっぱり戸惑ったとような顔で俺を見てた。

    「今日は——これで帰ります、ありがとうございました」

    丁寧に挨拶をして帰ろうとする名前に「送って行くから最後までいろよ」とそう言った。ますます戸惑ったような顔で俺を見た。それでも最後まで残っていてくれて俺は車に彼女を乗せて送っていくミッションを無事にクリアする。


    「なあ、どうだった?」

    そう聞く俺に「楽しかったです、もっと早くに来ればよかったですね」と、まさかの嬉しい返し。

    「また来てくれるか?」

    彼女は少し顔を赤らめて頷いた。

    「つか、まだ時間いいか?ちょっと行きてぇとこあんだけど」
    「……え」

    戸惑う彼女を無視して俺は車を走らせる。連れてきたのは夜景きれいな公園。噴水がライトアップされていて、それがまたきれいでたまに俺が一人でよく立ち寄る場所だった。最初は戸惑っていた彼女も車を降りると噴水の水をすくったりして、なんだか楽しそうにしていて内心、安堵する。


    「名前」

    ——名前を呼んでみた。振り向いた彼女は目を見開く。でも、それがまたきれいで。思いがけず、どきっとした。

    でもストレートにいきなりそんなこと言ったら彼女のことだからまたどっかへ隠れてしまうかも知れない。ゆっくりでいい。そう思うことにした。


    たわいもない話をして、しばらくしてから彼女を再び車に乗せ、その日は彼女を自宅までしっかりと送り届けた。





    三井さんがファン感謝祭に誘ってくれた。どうしようか戸惑う私を無理矢理拉致って彩子に連れて行かれた。でも初めて行った感謝祭は素直に楽しくて。チームメイトと笑い合い彼を、ファンに笑顔を向ける彼を——三井さんを、ずっと目で追っていた自分がいた。

    そのあと帰ろうとする私を彩子が打ち上げ会場まで引っ張っていった。やっぱり三井さんの周りにはすてきな子がいっぱい居て、少しずつお店の隅っこに寄っていった私。しばらく飲み物を飲んだりして時間を過ごした。

    ——やっぱり帰ろう。ひとり荷物を手にしたとき三井さんがやってきた。

    「来てくれてありがとな」

    そう笑いながら話しかけてきたのだ。どきどきする気持ちを隠しながら私もちゃんとお礼を言った。

    「ミッチー!」

    可愛らしい小柄な子が小走りに走ってくる。思わずうつむいて後ろへ下がろうとした、そのとき——三井さんが私の肘を掴んでいた。

    「ここにいていい」

    そう言って……。そのあとその子の相手をしているときも離れようとするたび捕まれてしまう。それでもお辞儀をして帰ろうと思った。だって、あとになって惨めな思いはしたくないから。

    「送って行くから最後までいろよ」

    三井さんが、はっきりと言った。嘘……そう思った。三井さんは言ったとおり私を車に乗せる。心の中は動揺しまくっている。心臓バクバクだ。

    「つか、まだ時間いいか?ちょっと行きてぇとこあんだけど」

    出し抜けにそう言った三井さんが私の意見も聞かず車を走らせた。連れて来られたのは、きれいな噴水のある公園。


    「名前」


    不意に呼ばれた自分の名前に振り向いた私の顔はさぞかしおかしかっただろう。でも三井さんは目を細めて微笑んでくれるのだ。いけない、いけない。これ以上はまったら、だめなんだってば。だからお願い。期待させないで——。


    夜のとばりの中にライトアップされた噴水はとてもきれいで。たわいない話をして「名前。そろそろ帰るぞ」そう言われてそこを後にした。

    送ってもらって部屋に戻ってホットミルクを飲む。なんだか落ち着きたくて。私、三井さんが好きなんだなと思う。でもどうせかなわない。いまはこんなに幸せだけど反面——あの言葉がよみがえる。

    だからやっぱり諦めようとも思った。傷ついてしまう前に。今日の出来事だけで十分。私はそう思うことにして眠りについた。


    でも、三井さんの誘いがこの日から頻繁になった。彩子に私の電話番号とIDを聞いてきたらしく、なんでもないことでも連絡をくれるのだ。一日の楽しかったことや、嬉しかったこと。いつの間にかそれを待ち続けている自分がいた。

    嬉しい。でも——どうしたらいいんだろう。思う気持ちはあふれそうなほどなのに。あの花火大会の言葉が暗い影を落とす。








    彩子から名前の連絡先を聞き出して俺は頻繁に連絡した。彼女も三回に一回は返信してくれる。柄にも無く返事が待ち遠しくて気付けば俺はすっかり名前の虜になっていた。会いたいという気持ちが先走った夜、俺は彼女に会いに行った。会社帰りらしい名前を見つけて半ば強引にドライブに誘った。静かな夜の海まで遠出する。


    「これやろうぜ」

    手に提げた袋から取り出したのは線香花火。彼女はにっこり笑って頷いた。一緒にさっきコンビニで買った百円ライターで火を付ける。ぱちぱちと音を立てて火花が散る。じっと花火を見つめるその横顔がとってもきれいで俺は見惚れていた。

    「名前……」
    「……ん?」
    「こうやってずっと来年も再来年も、一緒に花火しよーぜ」

    彼女は「え……」と言ってびっくりしたような顔で俺を見た。

    「あ? だめか?」

    そう聞く俺を見つめたままで。そのとき——携帯が鳴った。ったく、間の悪い……そう思いながら不機嫌にも出たら以前にテレビ番組で共演したモデルだった。さっさと切りたいのに向こうは一方的に話しまくって遊びに行こうと誘ってくる。

    「いや……ムリ、すね」

    そう言っても食い下がってくるから頭に来て勝手にこっちから「いまちょい忙しいンで」と言って電話を切ってしまった。はあ、と溜め息をついて彼女を見れば名前は遠くの方をみていた。

    ……何、見てんだ?と思ったのも束の間、名前は一言だけぽつりと言葉をこぼした。


    「ムリ……」


    ——って。

    途端に動揺して焦った俺が他に好きな奴でもいんのかって聞いても彼女は横に首を振る。俺が嫌いなのかって聞いても同じく首を振る。じゃあ、急になんで。どーした、って聞きたかったが、なんだか彼女のつらそうな顔を見ていたら何も言えなくて、夏……って感じだった。いや冗談じゃなくて、まさにほんとそんな感じ。

    そのあとは口を噤んでしまった彼女に面食らって仕方なく「送る」って、 そう言っていた自分がいた。俺は彼女を送り届けてからどうする事も出来ず気付いたら俺は宮城に連絡してた。






    三井さんが「こうやってずっと来年も再来年も一緒に花火しよーぜ」って言って来た。いわずもがな、それが告白だということは、この私でも瞬時にさとした。夢みたい、そう思った。決して派手な恋じゃなくていいから貴方の恋人になりたいと、あの頃から密かに願っていたから。

    でもその後、誰かから電話がかかってきて話している様子から相手が女の子ってわかった。相手がたぶん芸能人だろうってことも。……ほらね、やっぱり惨めになる。なんの取り柄もなくてルックスだって普通で愛想も振り撒けない。三井さんには華やかな人の方がいい。そうしたら無意識に出てしまっていた「ムリ」って言葉——。

    家に帰ってから泣いた。ひたすらに泣いた。同じ人のことでこんなに何度も泣くなんて、ああ私はなんて間抜けなんだろう。わかってたくせに期待したりなんかして。どう見たって、どう考えたって劣るに決まってる。そう、あの……花火大会の日と同じ。




    —————


    それからしばらくして私は彩子とリョータさんに呼ばれた。

    「ね、単刀直入に聞くけどさ……三井サンのことどう思ってんの?」

    リョータさんが唐突にそう訊ねてくる。

    「この前の出来事は三井先輩から聞いたわ。名前、好きなんじゃないの?三井先輩のこと。違う?」

    優しく諭されるように彩子に言われた。リョータさんも側で優し気な目をしている。眉毛は相変わらずへの字だけど。

    私は重くのしかかった思い出を、二人にぽつりぽつりと話した。話の最後に三井さんにはこんな自分よりも華やかできれいな人が似合うって言ったらリョータさんが口を開いた。

    「ねえ、名前ちゃん。それって思い込みじゃね?三井サンはそういうコ、逆に苦手だと思うんだけど……」
    「え?」
    「遠巻きかもしんねーけどそうやって告白されたんならさ、自分の気持ちに素直になればいいんだって!」
    「……」
    「それに名前ちゃんが気にしてることだって、はっきり三井サンに確認した訳じゃねーんでしょ?」
    「そ、それは……」
    「思い込みでずっと悩んでるだけかもしんないじゃん!」

    「……思い込み?」
    「……」
    「でも、聞いたんだよ?わたし……」
    「え……?」

    そんな話を二人として数日がたった頃、仕事から帰ってマンションに着くと三井さんが家の前にいて心底驚いた。


    俺は彼女の家に向かった。長い勘違いを解きたかった。それが元でムリって言われたんなら、その誤解を解かなくちゃならねぇって思ったからだ。

    マンションに着いたら名前はまだ帰って無くて俺はしばらく路肩に車を停めて中で待った。程なくして彼女が帰ってきた。車から降りて声をかける。目を丸くして驚く彼女が戸惑っている内にさっさと車に乗せて俺は車を出した。

    「——宮城から聞いた。あの、花火大会の夜のこと」
    「……」
    「俺が言ったのは……苦手って言ったのは名前のことじゃねえ。ずっとひっついて離れてくれなかった、別の女のことなんだよ」
    「……」
    「なのに、ずっと勘違いさせちまってたんだな」
    「……」
    「あのとき、俺本当は名前を誘うつもりで——」
    「……。」

    車内では俺ひとりが話していて、彼女はその間ずっと無言だった。その先俺は口を噤んである場所へとアクセルを踏み込む。行き先は、あの海だった。一緒に花火をした海だ。

    海に到着して俺は砂浜に彼女を座らせる。そしてしばらく二人で言葉もなく海を眺めていた。暗い海と見上げれば星と月が見えて対照的でとてもきれいな夜だった。


    「名前」

    不意に名前を呼んだと同時に彼女の肩を抱き寄せた。名前は身体を硬くしていた。でも俺はさらに強く引き寄せる。

    「あ、あの……」

    戸惑うような声。その声のする方へ顔を向けた。そっと触れるだけのキスを落とす。唇を離すと、名前は——泣いていた。

    「どうして?ムリだって、いった……のに……」
    「好きだ」
    「だって、釣り合わない……から」
    「なんでそんな風に思うんだよ」
    「……惨めになりたくない、わたし」

    名前は小さい声でぽつりと言う。

    「名前はきれいだぜ?まぁ、太陽みてぇな強烈さはねーかもだけど。なんつーか月みたいにほっとさせる明るさを持ってるっつか」
    「ほんと……いつもひと言余計だよね」

    名前がふっと綺麗に笑う。それを見て俺も思わず緊張が解けて頬が緩んだ。

    「俺な、あのばーちゃんとこで話してるお前を見たんだよ」
    「え……」
    「すっげーいい笑顔すんだなって思った。それに線香花火してたときも。なんか照れくさくて素直に言葉にそーいうの出せなくてよ」

    面食らって後頭部に手を当てたあと視線をそっと彼女に落とし込んで俺は名前の顔をじっと見た。

    「名前は誤解してんだよ。あの花火大会の日、一緒にいたかったのはあそこにいた他の奴らじゃねえ。名前といたかったんだ」
    「……」
    「どうも、あの女は苦手でよ……」


    ——え。苦手って言うのは私じゃなかったの? 三井さんの言葉がぐるぐると頭の中を回る。

    「強引にでも名前だけを引っ張ってけば良かったんだよな。そしたらこんな誤解生まなくて済んだのによ。ほんと、ごめんな」

    そう言って三井さんが私を抱きしめる。

    「いつも私……あれから自分に劣等感があったの惨めになるの、自分をくらべて……そんな自分が嫌で」

    思わず涙があふれてきた。
    それを三井さんは、その長い指で拭いてくれる。

    「ん、わかってる。でももうンなこと思わなくていいぜ」
    「……」
    「俺が好きになったのは名前だ。だからもう後ろに下がらなくてもいいし、そんな風に思わなくてもいい。自信もてよ、俺の大事な人なんだから……な?」

    三井さんはそう言って優し気に目を細めると、もう一度甘いキスををくれた。

    「もう勘違いはナシだぞ?勘違いする前に俺にちゃんと聞けよ?わかったか?」

    唇を離した三井さんは至近距離でそう囁く。私は素直にコクンとひとつうなずいた。そして三井さんが不意に二ッと口の端を吊り上げて言う。

    「来年からは、二人で花火見に行こうな」
    「……うん。」


    私の中の劣等感は貴方がかき消してくれる。私の中の貴方を思う気持ちは貴方に関わるたび大きくなっていく。

    どんな誤解も話せば解けるって貴方は教えてくれた。だからこれからはちゃんと聞くから。だからお願い。嫌いにならないで——。









     今だけ if をえらべるなら。



    (ずっと、私のそばにいてね。)


    ※『貴方の恋人になりたいのです/阿部真央』を題材に

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